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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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兄として 男として

 その夜、アーロンは家でリンと並んで夕食の片付けをしていた。

 アーロンが洗った食器を、隣でリンが拭いていく。次々と洗い物を渡しながら、アーロンはふとリンに問いかけた。


「そういえば、お前もキャリーと遊びに行かなくてよかったの?」


 ローラへの伝言によると今頃キャリーは友達と遊びに行っているはずだ。

 それはリンにとっても友達なのではないだろうか。リンは「行かないよ。お邪魔だもん」と楽しそうに言った。


「…お邪魔?」

「うん。男の子と2人で遊びに行ったの」


 その言葉にアーロンは目を丸くした。


「あのキャリーが!?」


 思わず声を上げると、リンが横で吹き出す。


「あのキャリーって…。キャリー、もう15歳になるもん。子供じゃないんだよ?」

「いや、そうかもしれないけど…」


 アーロンは首をひねりつつ「でもあの子がねぇー。変な感じだなぁ」と独り言のように呟いた。

 初めて会った時のまま、アーロンの中でキャリーの時間は進んだ気がしない。


「私だって、子供じゃないよ…?」


 リンはそう呟くと、そっとアーロンの顔を伺った。

 その視線を感じながら「分かってるよ」と返す。

 そんなことは言われなくても知っている。だからこそ、困っているというのに…。

 小さかったリンは昔隣に立っても、アーロンの肩に頭が届いてなかった。

 それが今は肩より少し高くなっている。手も足も長くなって、体ははっきりと丸みを帯びた。

 そんな変化から懸命に目を逸らすアーロンの苦労が、リンには伝わっていない。

 今更ながら女の子の成長は目覚ましい。こんな風に変わっていくのを、昔は想像もしなかった。

 想像していたら、一緒に住むことなど考えられなかったかもしれないが。


「アーロン…」


 不意にリンに呼ばれて、アーロンは我に返った。


「ん?」

「大人のキスってなに?」


 アーロンの手から食器が落ちそうになる。慌てて持ち直すと、それを洗いながら「なんだ突然」と返した。

 なんとか平静を装うことに成功した。


「シーラが言ってたの。大人のキスしたんだって。でもそれって、なんだろうと思って…」

「どんな会話してるんだ、お前等…」


 アーロンは呆れつつ「いつか分かるだろ」と曖昧に答えた。説明するのもおかしな話だ。


「アーロンは、したことあるの?」


 リンの質問にまた手が止まる。思わずリンに目を向けると、リンはじっとアーロンを見つめていた。


「俺は大人だぞ?」


 心の奥底まで覗き込まれそうで、慌てて目を逸らす。


「だから…したことあるんだ」


 リンが言葉の意味を解釈してそう呟く。少し悲しげな声だった。

 どうしてこんな話をしてるんだと思いながら、アーロンは手を動かした。2人の間に、妙な沈黙が流れる。


「…私もしてみたい」


 不意に沈黙を破ってリンが呟いた。

 アーロンはまた手を止めて固まった。とっさに言葉が出ずに、瞬きを繰り返す。


「アーロン…」

「――だめだって!」


 リンの言葉を予想して、アーロンはそれを遮った。リンが一瞬口をつぐむ。そして少し間をおくと、「なんで…?」と問いかけた。


「兄妹でそういうことしないんだよ、普通!」


 変に慌ててしまう。以前のキスがまた甦ってくる。忘れようと毎日、努力しているのに…。


「兄妹じゃないよ…?」


 リンはまるで訴えるように言った。


「そういうこと言うなよ」


 アーロンはリンの視線から逃げるように、あえて手の中の食器に目を固定する。


「俺にとっては、お前は大事な妹なんだから」


 まるで自分に言い聞かせるかのような言葉だった。リンがふと俯いたのが、目の端に映った。胸がずきりと痛んで、苦しくなる。

 2人の間にまた沈黙が流れた。

 食器を洗い終えたアーロンは桶に貯めた水をざぁっと流した。

 それが排水口に消えていくのを見送り、そっと隣のリンに目を向ける。

 拭かれずに重ねられた食器を前に、リンは動きを止めていた。


「そういうことは…恋人とするんだって」


 アーロンはそう言うと「ルイが、お前の恋人なんじゃないの?」と聞いた。

 自分の言葉にたまらない嫌悪感が湧く。そんなことを望んでなどいないくせに。心のどこかでその言葉を否定して欲しいという気持ちがあることを自覚していた。

 リンは何も言わずに食器を片手に固まっている。

 拭く様子もなく、目を伏せたまま動かない。

 その顔を見るのも怖くて、アーロンはもう何も無い流しを見つめていた。


「…違うの?」


 何も言わないリンに問いかける。

 リンはそれには答えずに、「分かった…」と言った。


「ルイに……してもらえばいいんだよね…」


 どこか投げやりなその呟きは、ひどく効果的にアーロンの胸を貫いた。心臓を掴まれたようだった。


 ”ルイに、してもらえば…”


 そんな絵が浮かんだ瞬間、頭は真っ白になった。何も考えられなくなり、アーロンは次の瞬間リンに手を延ばしていた。


 細い肩を抱いて乱暴に引き寄せる。 驚いて自分を振り仰いだリンの唇に、一気に口付けた。


「――んっ…!」


 リンが声にならない声をあげ、目を見開いた。

 迷う間もなく、アーロンの舌はリンの口の中に侵入した。腕の中でリンの体がビクンと震える。それを感じながら、でももう止められなかった。

 金色の髪に手をもぐらせてその頭を自分へ引き寄せる。そしてもう片方の手はその体を抱き締める。まるで逃げられないようにするかのように、しっかりと捕え、唇を重ね続けた。

 リンの手がアーロンの服を固く握った。何かに耐えるように固く目を閉じる。そんなリンの緊張を感じながら、それでも容赦なく口内を貪る。

 頭の中は得体の知れない何かに支配され始めていた。

 唇が離れると同時に吐息が交じり合う。アーロンの唇はリンの白い首筋へと移った。


「アーロン…」


 唇を解放されたリンが戸惑いを含んだ声で呼ぶ。けれども彼はなにも応えない。

 首筋を愛撫される生まれて初めての感触に、リンはどうしていいか分からずに固く目を閉じた。

 やがてアーロンの大きな掌がリンの胸の膨らみに、覆うように触れた。

 その感触に、リンはまたビクリと体を震わせた。


「やっ…」


 思わず拒絶の声が洩れた瞬間、アーロンの動きが止まった。


 リンの両肩を掴んで、自分から引き離す。その力に押され、リンは一歩後退した。目が合った2人の瞳は、しばらく凍りついたように動かなかった。

 リンの目が少し赤くなっている。それを目の当たりにし、アーロンは一歩リンから離れた。

 そしてリンから目を逸らすと、流しに向き直る。そこに両手をつき、肺の奥から全て吐き切るように嘆息した。


 彼の赤毛に隠れた横顔から、その表情は見えなかった。リンはただ茫然と立ち尽くしたまま、そんなアーロンを見ていた。


 不意にアーロンの視線がリンに向いた。表情の無い瞳に恐怖すら覚えて息を呑む。彼のそんな目を、今までリンは見たことがなかった。

 アーロンはふと、また流しに目を戻した。


「…怖かっただろ」


 静かな低い声に、リンは体を硬くした。けれどもふるふると首を振ると「ううん…」と答える。


「嘘つくなよ…そんな顔して…」


 吐き出すようにアーロンは言った。

 リンは何も言えずに俯いた。

 ほんとを言うと、やっぱり少し怖かった。なんだかアーロンが、知らない人になってしまったようで…。


「リン…」


 アーロンが俯いたままリンを呼んだ。リンは激しく鼓動する胸を両手で抑えて顔を上げる。


「…なに?」

「頼むから、これ以上俺を煽らないで…」


 静かに囁いたその言葉は、リンの胸を痛いほどに締め付けた。アーロンが自嘲的な笑みを漏らす。


「そんなに大人じゃないんだって。俺だって、普通の男なんだよ。でも、お前のことそんなつもりで今まで、面倒みてきたわけじゃない…」

「知ってるよ…。分かってる…」


 リンが言った言葉にかぶせるように、アーロンは「分かってないよ…」と呟いた。


「お前は、俺を全然分かってない」


 アーロンの言葉に、リンはそれ以上なにも言えずに目を伏せた。

 涙が出そうに苦しかったけど、必死でそれを堪える。彼が自分を傷つけたと、思ってほしくないから。


「あとは俺やるから、部屋に戻ってて」

「でも…」

「頼むから」


 リンはしばらくアーロンを見ていたが、やがて目を逸らすと食器を拭いていた布をそっと流し台に置いた。

 そして背を向けると、ゆっくり炊事場を出て行った。

 足音が遠ざかる。


 1人残されたアーロンは、額に手を当てて深いため息をついた。

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