女友達
翌日、アーロンはリンとキャリーに見送られ、いつものように城へ仕事に向った。
城に着いたアーロンは着替えを済ませ、寄宿舎の方へ行く。今朝はキャリーからローラへの伝言を預かっていた。それを伝えるべくローラの姿を探して歩くと、窓を拭く彼女の姿をすぐに見つけられた。
「ローラ」
声をかけると、ローラが手を止めて振り返った。目が合った瞬間、アーロンの表情が変わる。
ローラは顔を隠すように俯くと「おはよう…」と言った。そして恥ずかしそうに呟いた。
「ひどい顔でしょ?瞼腫れちゃって…」
アーロンは何も言えずに顔をしかめた。一目で泣き腫らしたことが分かる顔だった。
キャリーが居なかった昨夜に何かあったのだろう。アーロンは少しの間黙って立っていたが、不意に「キース?」と問いかけた。
彼女がそんな風に泣く理由は他に思い当たらなかった。
ローラは俯いたまま動かない。それが質問の肯定を意味している。
「失恋、しちゃって…」
小さくローラが呟いた。消え入りそうな声だった。
「今更だよね。ずっと前に失恋してたんだけどね…」
自嘲的に笑みを零す。
とっさにかける言葉は見つからず、アーロンはその場に立ち尽くした。ローラの目からまた涙がこぼれたのが見える。
目を腫らすほど泣いたはずなのに、まだ涙が出てしまうらしい。ローラは手の甲で涙を拭くと「バカみたい…」と呟いた。
「振られた時に、諦めてればよかったのに。1年以上も追い回して、でもやっぱり振られちゃって…。結果は同じなのに、昔よりも、もっともっと辛くなっただけで…」
ローラの声は震えていた。また「バカみたい…」と繰り返す。言い聞かせるように。そしてまた零れてきた涙を手で拭った。
「後悔してるの…?」
不意にアーロンに問いかけられ、ローラは固まった。そして少し間をおくと、ふるふると首を振る。そんなローラの返事に、アーロンは穏やかに微笑んだ。
「1年以上かけて、結果は同じでも?」
畳み掛けるような問いかけに、ローラはアーロンを振り返った。そして力強く断言する。
「後悔してない」
「そっか…」
優しく微笑むアーロンに、ローラはまた「うん」と頷いて見せる。
救われたような気持ちだった。追いかけ続けたこの一年を肯定できた自分に、そしてそれを気付かせてくれたアーロンに。
「それはよかった」
アーロンはそう言ってニッと笑みを浮かべた。
「で、俺の用事なんだけど、キャリーから伝言なんだ。今日は友達と遊ぶから遅くなるってさ。夕食は食べて帰るって」
「あ、はい、了解です」
ローラは我に返ったようにそう応えた。そして改めてアーロンに向き直る。
「…ありがとう、アーロン」
「またいつでもどうぞ。じゃ、仕事行ってきます」
感謝の言葉はキャリーを預かったことに対してと受け止められたようだ。それはとても彼らしく、余計に胸が温まる。
アーロンは片手を挙げ、ローラに背を向ける。
ローラはその背中に、「行ってらっしゃい」と声をかけると、また穏やかに微笑んだ。
◆
「キース!」
元気な少女の声が食堂に響いた瞬間、食堂に入ったばかりのキースとアーロンは揃って足を止めた。
食事中の兵士達が驚いたように振り返る。キースを呼び捨てにする女の正体を知るべく、一斉に視線が集中する。
そんな中、上級兵士付きの侍女デイジーが、軽やかにキースに向かって駆け寄って行った。
「お疲れ様!」
言いながらその腕に縋りつく。アーロンは隣で呆然とその様子を眺めている。
「昨日は会えなくて寂しかった…。今日はまた部屋に行ってもいい?」
上目遣いでキースを見上げるデイジーの熱っぽい眼差しから全てを察したらしい。アーロンが隣で心底呆れた溜息を洩らす。
「信じらんねぇ…」
言い捨てて、先に食堂へ入って行く。残されたキースはデイジーを見下ろして言った。
「悪いけど、俺に近寄るのは夜だけにしてくれ」
「えぇーー!」
デイジーが目を丸くして声を上げる。キースはそれに構わず彼女の手から逃れると、食堂に入って行った。
学校でのお昼休み、食事中の女の子達は例によって男の子の話で盛り上がっていた。
あの子がかっこいいとか、あの子が優しいとか、色んな名前が出てくる。リンはそんな話に口を挟まず、ただ聞いていた。
流石にもうリンに対してルイの話を振る子はいない。
「シーラはロディと順調?」
誰かの質問にシーラはにっこり微笑んで、「うん」と答える。そしてちょっと声を落とすと、皆の輪の中に身を乗り出した。
「この前、”大人のキス”しちゃったんだ」
皆が歓声を上げる。そんな中、リンはぱちくりと瞬きを繰り返した。
「おと、なの…???」
「リン、知らないの??」
シーラが驚いたように目を丸くする。リンはそれに答えるように首を傾げた。
「リン、もしかして子供の作り方知らないとか??」
シーラの問いかけにリンは慌てて「知ってるよ!」と返す。周りでみんなが一斉に笑った。
「シーラ、それ関係ない!」
「そうだけどぉー。リン、何にも知らなそうなんだもん」
なにやらバカにされているようで、リンはちょっとムッとしつつ「そんなことないもん」と言った。
と、言いつつ”大人のキス”というのは良く意味が分からない。
けれどもそれを聞くとまた笑われてしまいそうなので、リンはそれ以上何も言わずにまた食事を続けた。
◆
その日の夜、夕食をとるためにキースはいつものように食堂へ向かった。
そしていつものように食堂前の廊下に出た時、ふとその入り口付近の壁に沿うようにして立っているローラの姿が目に入った。
もう仕事は終わったようだ。昨日会った時と同じように、帰り支度を済ませた様子で佇んでいる。
いつも首の後ろで結んである栗色の髪はおろされ、肩と背中に流れていた。
キースが歩いてくるのに気づいて顔を上げるとこちらを振り返った。そして壁から離れ、キースの方に体を向けて立つ。
自然と向き合う形になり、キースは足を止めた。2人は少しの間、黙ってお互いを見ていた。
「目が腫れてる」
不意にキースが言った。
「これでも今朝からしたら、退いたんです」
ローラが恥ずかしそうに俯いて呟く。そしてまた顔を上げると、キースを振り仰いだ。
「夕食、一緒に食べてもいいですか?」
キースは何も言わずにローラを見ている。ローラはそんな彼の疑問に答えるかのように言葉を続けた。
「昨日言われたこと、ちゃんと分かってます。でも、やっぱりまだ終わりにできないんです。今終わりにしたら、後で後悔してしまうので…」
一気にそう言った彼女を見て、キースは苦笑した。ローラはそんな彼を見ながら、訴えた。
「お部屋に行きたいなんて、もう言いません。今まで通りでいいんです。時々、私に時間をください」
「そうしても、結局何も変わらなくても…?」
キースの言葉にローラは一瞬口をつぐんだが、すぐに「はい」と答えた。
「何も望まないなんて嘘なので言いません。私の気持ちは昨日言った通りです。この先、やっぱり何も変わらないかもしれないけど、それでも、今諦めるよりはずっといいです」
真っ直ぐ自分を見つめるローラの目には強い意志が感じられた。
キースは困ったように笑みを洩らす。
「それでまたいつか、昨日みたいに泣かれるのか…」
そう言われると、ローラも眉を下げるしかない。
「泣く…かもしれませんけど…」
強がりも言えずにそう答え、少し間をおくと、ローラはまた大好きな青い瞳を見詰めた。
「…でも、そんなに泣けるほど誰かを好きになれるのって、幸せですよ…?」
キースは何も言わずにローラを見ている。やがてその顔に、優しい微笑みが広がった。
意外な彼の表情に、目を奪われる。
「――キース!!」
不意に食堂の方から元気のいい声が響き、ローラはハッとしたように振り返った。入り口で、デイジーがこちらを伺っている。彼女はまだ仕事中のはずだった。
「あれ?ローラさん、まだ居たんですか?」
デイジーは不思議そうにそう言うと、キースのもとへ駆け寄った。
そしてその腕を引っ張りながら「待ってたの、早く来てっ」と誘う。”近寄るのは夜にしてくれ”という言葉通り、夜を待って近寄って来たらしい。
ローラはそんな2人を見ていられずに目を伏せた。
「悪いけど、話し中なんだ」
キースが言った。意外な言葉に、ローラは目を見張って顔を上げる。デイジーはむっと眉をしかめると、その目をローラに向けた。
「ローラさんと?」
「そうだよ」
デイジーは怪訝な顔で、2人を交互に観察する。
そんな目を構う余裕も無いほど、ローラの胸は熱い想いで満たされていた。キースが自分のために、デイジーを退けてくれた。ただそれだけで。
「どういうご関係ですか?」
不満気な声で、デイジーが問いかける。ローラが口ごもっていると、キースが「友人だよ」と答えた。
「俺の、唯一の女友達」
その言葉に心臓を鷲掴みにされる。息が止まりそうになって、ローラは自分の胸に手を当てた。
「あ、なんだ」
デイジーは嬉しそうに呟く。
―――唯一の…。
鼻の奥がつんと痛くなる。また涙が出そうになって、ローラは慌てて俯いた。
「ローラ」
キースに呼ばれ、ローラは顔を上げた。胸が詰まって、声が出ない。
「入り口で待っていてくれ。上着を持ってくる。王都に食べにいこう」
「えーー!!」
デイジーが抗議の声を上げる。
構わず背を向けたキースを、ローラとデイジーは並んで見送った。デイジーの目が、ふとローラに向く。
「ローラさんって…もしかしてキースのこと好きとか…」
今初めて気付いたらしい。ローラは晴れやかに微笑むと、「うん」と頷いた。
「えぇぇーー!!」
デイジーがまた声をあげる。しばらく目を丸くしたまま固まっていたが、やがて気を取り直したように「でもっ」と言った。
「私、お部屋行っちゃいましたから!」
「うん」
ローラはその目をキースの去った廊下に向ける。
「……私、お友達になれた」
感慨深く呟くローラの横顔を、デイジーは不思議そうに見つめながら首を傾げた。
「それって嬉しいですか?」




