ひとときの幻
その後、ミケーネ侯爵事件の調査は意外なほど早く終了の指示が出た。
グレイスと国王の迅速な対応が伺える。終了命令に応じたことでアーロンとキースの考えの正しさが証明されたが、それは彼等の胸の中だけに留められた。
調査終了の翌日から、彼等はまたローランド王城へと戻った。
久し振りに城で訓練を行い、昼の休憩時間にアーロンは1人食堂へ向かった。
その途中、「アーロン!」と呼び止められて振り返る。彼を呼んだのは、ローラだった。
「あぁ、ローラ」
ふとアーロンは、彼女の隣に居る少女に気付いた。見たことの無い顔だった。ローラは彼女と一緒にアーロンのもとへやって来る。
「紹介するわ。新しい上級兵士付きの侍女仲間なの」
「へぇ!」
少女はにっこり微笑むと「デイジー・ケイルです。よろしくお願いします!」と頭を下げた。
「アーロン・アルフォードです、よろしく」
名乗ると同時に片手を差出し、握手を交わす。
改めて向き合うと、少女の長い黒髪や紫色の瞳は、先日会ったばかりのグレイス王女を思い起こさせる。大人びた顔つきも、少し彼女に似ている気がした。
「お名前は伺ってます!上級兵士さんには珍しく、とっても話しやすい方だって」
明るい笑顔で快活に話す。アーロンは「それは要するに威厳が無いってことだな」と苦笑した。
「でもまぁ、堅苦しいのは苦手だから。アーロンって呼んで」
「そうさせてもらいまぁす!」
「若いの?」
「16歳です!」
「あ、そんなかんじ」
アーロンは納得しつつデイジーを観察した。
とても明るく元気そうな彼女からは外見と反して若々しさが溢れ出ている。学校を卒業して働き始めたところなのだろう。
ふとアーロンの目に、同じように寄宿舎に入ってきたキースの姿が映った。アーロンは片手を上げて「キース!」と呼びかける。
ローラがハッとしたように振り返る。デイジーもつられて振り返った。
呼ばれたキースは無表情のまま、一応こちらに歩いてくる。ローラもデイジーも黙ってその姿を見詰めていた。
「なに」
「知らないうちに新しい上級兵士付きの侍女が入ってたらしい」
アーロンに言われてキースは初めてデイジーに目を向けた。その青い瞳に見つめられ、デイジーの顔はみるみる赤くなる。
「うわぁ……キース様!」
感嘆の声を上げるデイジーの様子を見ると、紹介するまでもないようだ。
「キースのことも、知ってるの?」
デイジーは「もちろんです!」と力強く答えた。
「あ、そう」
それについては深く聞くまいと思いながら、アーロンは「それならまぁいいか。とりあえず、よろしく」と話を締める。
「――名前は?」
不意にキースが問いかけた。
その質問が意外で、アーロンはひょいっと眉を上げた。キースが侍女の名前に興味を持ったことは、今まで一度も無い。キースを見守るローラも、なんとも言えない複雑な表情を浮かべている。
「デイジー・ケイルです!」
「……そう。よろしく」
それだけ言って、キースは一足先に食堂へと歩いて行った。残された3人はその背中をなんとなく見送る。
不意にデイジーがほぉっとため息を漏らした。
「すっごい、綺麗…!」
独り言のようにそう呟く。そしてローラを振り返った。
「キース様、素敵ですね!!皆に噂は聞いてましたけど、すごい迫力に息止まるかと思いましたよ!!恋人いないって本当ですか??」
アーロンはその言葉にちらりとローラに目を向ける。ローラは「うん、そうみたい」と曖昧に微笑みながら返す。
どうやらデイジーはローラの気持ちについては誰からも聞いていないようだった。
「しんじられなぁい…」
両手で頬を包み、うっとりと呟くデイジーの姿を、ローラもアーロンも複雑な表情で見つめていた。
◆
その夜、アーロンはリンと夕食を食べながら新しい侍女のことを話題にした。
「16歳だってさ。なんか元気な子だったよ」
「へぇ…」
何かを迷うように、リンの手が止まる。少し間を置き、躊躇いがちに問いかけた。
「…美人?」
「いや、全然」
即座に答える。
本当は充分に美人だと感じたが、そう言ってまたリンの顔が暗くなるのは嫌だった。
そんな風に気を使っている自分もおかしいのだが。
「”全然”って、ひどい…」
口でそう言いながらも、リンはどこか安堵の滲んだ笑顔を見せる。アーロンの表情も、自然と和んだ。
実際、デイジーに女性としての興味は少しも湧いていなかった。目の前の少女の方が、何倍も綺麗だと思う。
昔は可愛くてたまらなかったけど、女性らしい雰囲気は少しも無かったのに。
いつの間にこんなに変わっていたのだろう…。
アーロンは不意にあの夜のキスを思い出し、リンから目を逸らした。
「私も、いつか上級兵士付きの侍女になろうかな」
リンが何気なく呟いた言葉に、アーロンは「だめ」と返す。
「…どうして??」
「あんな危ない職場にやれるか!飢えた男ばっかりだ」
吐き捨てるように言って皿の肉を突き刺すと、口に放り込む。
リンはそんなアーロンを少しの間見つめていたが、やがて頬を緩め、嬉しそうに微笑んだ。
◆
その頃、ローランド王城の兵士寄宿舎で、ローラはまだ仕事をしていた。
食堂の机を拭きながら、時折ふと顔を上げる。その目の先では、キースが背を向けて座り、いつものように食事をしている。
その後ろ姿を見詰めながら、ローラは胸が苦しくなるのを感じていた。
そばに行って少しでも話がしたい。けれどもこの間拒絶されたばかりで、怖くて近寄れない。
昔は明らかにうんざりされながらもそばに行っていたのに、今は同じことができない。
一度受け入れてもらえた後で改めて拒絶される痛みは、昔とは比べ物にならなかった。
近くにいるのにとても遠い。いつまで経っても。
涙が出そうになるのを必死でこらえる。そして目を逸らすと、また机を拭き始めた。
「キース様!」
声をかけられて、キースは顔を上げた。
目の前にデイジーが立っていた。今日、紹介されたばかりの新人の侍女である。
「…お疲れ様」
キースがそう言うと、デイジーは「お疲れ様です!お仕事終わりですか?」と問いかけた。
「終わりだよ。俺は寄宿舎暮らしだから、毎日ここで食事するんだ」
「そうなんですかぁ!」
キースが話にのってきたので、デイジーは彼の向かいの椅子を引き、そこに座った。
そして両手で頬杖をつき、じっと目の前のキースを見つめる。
キースは手を止め、その無遠慮な視線を受け止めた。
「綺麗ですねぇ、キース様…。なんだか見とれちゃいます!」
キースは目を伏せると、微苦笑を浮かべる。
「それはどうも」
「慣れてるんだ、そう言われること!」
「慣れてるね」
その答えにデイジーが楽しそうに笑う。キースもつられて笑みを漏らした。
ふと、目の前を動かないデイジーに、キースは「仕事は?」と問いかけた。
「今日はもう終わりです!これから帰ろうかなってところで」
「ふぅん」
デイジーはそう言いつつやっぱり動かない。黙って食事をするキースを見守っている。
キースは改めて目の前の少女を見た。どこか印象的な少女。けれどもその理由はあまりにもはっきりとしていた。
胸を焦がすほどに焼きついた、紫色の瞳―――。
自分を見つめるキースに、デイジーはにっこりと微笑みを返す。
「せっかくだから、キース様と仲良くなりたいです。お話しててもいいですか?」
「…いいよ」
キースの快い返事に、デイジーは「わぁい」と歓声を上げる。
「暇なの?」
「暇です!」
「……そう」
キースはそう呟くと、少しの間、またその紫色の瞳を見ていた。
「それなら……俺の部屋に来る?」
キースと話をするデイジーの姿を、ローラは遠くでぼんやりと眺めていた。
彼女は全く立ち去る様子が無い。その屈託の無い笑顔が胸を刺す。キースに対して、あんな風にためらいもなく近寄れる人は今まで居なかった。
激しい胸騒ぎに苦しくなる。とても見ていられなくて、ローラは逃げるように厨房に戻って行った。
◆
ローランド王城では、グレイスとユリアン王子が珍しく夕食の席をともにしていた。
お互い婚約が成立したということで、報告し合う。最初のカイルの態度を知っているだけに、ユリアンは興味深げに、「どうやったの?」と聞いてきた。
「何もしないのが一番だったわ」
「意味が分からないんだけど!」
ユリアンが楽しそうに笑う。
「バカな坊やも可愛く思えてきた?」
「……可愛いというか」
グレイスは食事の手を止め、首を傾げた。
「行動が読めなくて面白いと言えなくもないかしら」
「今度は何しでかした?」
目を輝かせて身を乗り出すユリアンから目を逸らし、「言えない…」と返す。
「えぇぇぇ!!!言えないことを?!」
察しのいい弟は、グレイスの一言で全てを理解したようだった。”しまった”と思ったが、仕方が無い。とりあえず「お父様には秘密よ」と釘を刺した。
「言えるわけないって」
ユリアンはそう言って笑ったが、ふとそれを意味深な笑みに変えると、少し声を落とした。
「で?…どうだった?」
「うるさいわね」
グレイスは弟を軽く睨みつけ、追及をかわすべく食事に向かった。
どうだったと聞かれると正直、よく分からないというのが本音だった。なんせ他に比較対象は居ないのだから。
初めての事態に驚いているうちに終わったような気がする。カイルは”だんだん良くなるから”と言っていたが、本当だろうか。けれども、少なくとも身を任せている間は彼がちゃんと”男”に見えたし、自分はただの女なんだと思うことができた。
そのこと自体は悪くなかった気がする。
「それにしても…」
ユリアンが独り言のように呟く。
「まさかグレイスが俺と同じ手でいくとは…」
そんな弟の言葉に、グレイスは言葉を失い呆気にとられた。
◆
小さな灯りのみが照らす薄暗い部屋のベッドの上、熱い息が絡み合う。
何度も唇を重ねながら、お互いの頬に、髪に、触れながら抱き合う。
シーツに流れる黒髪に指を通して口付け、キースは自分を見つめる紫色の瞳を覗き込んだ。
「キース様…」
甘い声を漏らす唇にそっと触れてみる。
「キースで、いいよ」
囁いた言葉に応えるように、デイジーは「キース」と呼んだ。
”キース、だめよ…”
あの人の言葉が甦る。狂おしいほどに欲しかったのに、奪えなかった人。
キースは自分の耳に甦った声を振り切るように、再びデイジーの唇に唇を重ねた。
夜の暗がりは彼の目に、ひとときの幻を映し出していた。




