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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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リンのお願い

 一日の授業が終わり、帰り支度をしている時、リンはふと自分に近づいてくるルイの気配を感じて身を硬くした。

 慌てて荷物を持つと、キャリーのもとへ歩き出す。その背中に、「リン!」と張りのある声が響いた。

 名前を呼ばれ、リンは足を止めた。躊躇いつつ振り返ると、困惑の表情を浮かべるルイが立っている。


「逃げないでよ…」


 リンはその言葉に、何も言えずに俯いた。

 以前強引に抱き締められてから、必要以上にルイを警戒してしまう自分が居る。

 その態度に彼が戸惑っているのも分かっていながら、上手く隠すこともできないでいた。

 同じように支度を終えたキャリーがリンの側に来る。ルイと向き合っていることに気付き、”あっ”と軽く目を見開いた。


「キャリー」


 ルイがキャリーに語りかける。


「リンと話がしたいんだ。先に帰ってもらってもいい?」


 キャリーが一瞬迷いを見せた。リンの気持ちを伺うように目を向ける。帰らないで欲しいと思ったが口には出せなかった。俯くリンの代わりにルイが言った。


「頼むよ」


 重ねて言われ、キャリーはそれを受け入れた。「…うん」と応え、リンを気にしつつ教室を出て行く。残されたリンは、俯いたまま沈黙していた。


 お祭りの時の別人のようなルイの姿を思い出してしまうと、どうしても緊張する。

 声をかけられたのはあの日以来の事だった。

 正確には、あの翌日ルイが謝りに来てくれたのに逃げだしてしまったあの時から、2人の間に会話は無い。

 そんな態度が間違っていることを知りながらも恐怖が勝ってしまうのは、かつてアリステア国王が母にした乱暴を、目の当たりにした記憶のせいかもしれない。

 周りで帰り始める皆の声を聞きながら、2人はしばらく黙ったままそこに佇んでいた。


「……分かったから」


 ルイが口を開いた。


「リンの気持ちはさ」

「…うん」


 顔を上げられず、リンは頷いた。目を合わせようとしない、そんな頑なな態度に、ルイは軽くため息を洩らす。


「…でも避けられると、傷つくんだけど」


 リンが困ったように眉を下げる。


「ごめんなさい…」

「友達に、戻れる?」


 ルイの言葉にリンはコクリと頷いた。2人の間にまた沈黙が流れた。


「俺の顔…見るのも嫌なの?」


 俄かに怒気を含んだルイの声に、リンはビクリと体を震わせた。彼の苛立ちを感じながら、顔を上げられない。心臓は追い立てられるように早鐘を打ち始めた。


「私、帰らないと…」

「…なんでだよ」

「ごめんなさい!」


 リンが背を向けて駆け出す。ルイはとっさにその後を追いかけた。

 教室内に残っていた生徒達が「おぉ~」と楽しそうに囃し立てた。



 階段を降りようとしたところで、リンは後ろからルイに腕を掴んで止められた。

 驚く間もなく引っ張られて、壁に背中を押し付けられる。

 リンの両腕をしっかりと掴むその力は、痛いほどに強かった。


「なんで逃げるんだよ!!」


 真正面から睨まれて、リンはまた体を震わせた。抑えつけられた体が硬くなる。そんな風に怒りを露わにする彼を見たのは、初めてだった。


「に、逃げてな…」

「逃げてるよ!!」


 リンの言葉を遮るようにルイが声を上げる。そんな彼が怖くて、リンはまた何も言えずに目を伏せた。


「友達に戻るのも無理なんだ」


 ルイが苛立ったように言った。リンは慌てて首を振る。けれども全く説得力が無いのは、自分が一番よく分かっていた。


「俺を見てよ、リン」


 そう言われても顔を上げられない。

 不意にリンの両腕を掴んでいたルイの手が離れ、その手がリンの顔を挟むようにして上向かせた。

 その瞬間、唇を塞がれた。

 唇を熱が包み込む。目を閉じたルイの顔が目の前に見える。

 自分に起こっていることを理解した瞬間、リンは激しい混乱に陥った。

 

 ルイの体を押して抗う。けれどもその力は思った以上に強くて、ビクともしない。

 唇が離れると、ルイは強くリンを抱きしめた。

 あの日のように。


「離してっ…」


 震える声でリンは訴えた。ルイは何も聞こえていないように動かない。


「ひどいよ…」


 リンの目に涙が浮かぶ。


「ルイ、ひどいよ…!!」


 悲鳴の様な声に、ルイは突然我に返った。腕の力を緩めた瞬間、リンに胸を突き飛ばされる。

 その力で一歩離れ、目の前のリンと向き合った。

 リンは泣いていた。

 その翡翠色の目を涙で濡らして。


 弾かれるように駆け出し、リンはルイに背を向けて階段を駆け下りた。足音が遠ざかって行く。

 その音をどこか遠くに聞きながら、ルイはしばらく身じろぎもせずその場に立ち尽くしていた。


 ◆


 ローランド王城の兵士寄宿舎では、ローラが一日の仕事を終えて帰るところだった。

 新しい上級兵士付きの侍女デイジーは、先に上がっている。まだ仕事を始めたばかりなので、少しずつ慣れて行ってもらう予定だ。

 人気(ひとけ)の無い廊下を出口へ向かって歩きつつ、ローラはふぅっと溜息を吐いた。

 最近、キースはずっと外出していて顔を合わせられない。

 少し寂しく思いながら彼の姿を思い浮かべる。


―――会いたいな…。


 不意に前に人の気配を感じて、ローラは顔を上げた。その姿に心臓が大きな音を立てる。

 寄宿舎に入って来たのはキースだった。たった今思い浮かべていた姿がそこにあった。

 キースは歩きながら一瞬ローラの姿を捉えたように見えたが、すぐに目を伏せると何も言わずに歩いていく。

 やがてローラの隣を通り過ぎた。


「お疲れ様です…!」


 その背中を追うように振り返って声をかけた。キースがふと足を止める。


「お疲れ様」


 背を向けたままそう短く応え、また歩き出した。

 久し振りに会えたのに、行ってしまう。そう思ったらついその背中を追って歩いていた。


「キース様…。お仕事、終わったんですか?」

「――俺に構わないでくれ」


 突然叩きつけられた言葉にローラは足を止めた。凍りついたように立ち尽くす。

 キースはふと足を止めると、ゆっくり振り返った。

 恋しかった青い瞳が自分を見る。けれどもそれはとても冷たい色をしている。


「…悪い。1人になりたいんだ」


 キースはそう言うと、また背を向けた。そして振り返らずに去っていく。

 残されたローラは声も無く、その背中を見送っていた。


 ◆


 仕事を終えて家に戻ったアーロンは、家に入りながら「ただいま」と声をかけた。

 中から応答は無く、靴を脱ぎながら怪訝な顔になる。いつもならリンが笑顔で迎えてくれるのに、今日は出てこない。部屋に明かりが灯っているので帰っているはずなのだが、返事はないようだ。


 アーロンは不思議に思いながら部屋に入った。居間にも誰も居ない。炊事場にもリンの姿は無い。

 アーロンは首を傾げながら、リンの部屋のドアへと向かった。そしてそれを軽く叩く。


「――リン、居る?」


 ドアの向こうに声をかけたが、やはり返事は無い。

 突如言い知れない不安に襲われ、アーロンはそのドアを開いた。

 暗い部屋の中、すぐそこにあるベッドが膨らんでいる。毛布をかぶって(うずくま)るリンの姿に、アーロンは目を見開いた。


「リン…!」


 とっさに駆け寄り、その顔を覗き込んだ。


「リン、どうした?どっか悪いのか?」


 リンが首を振ったのが分かる。顔は完全に毛布の中で、わずかに頭が見えるのみだった。


「リン…?」


 顔を見せないリンに問うように呼びかけると、毛布の中から「大丈夫…」とくぐもった声が応えた。

 その声で泣いているのが分かる。アーロンは顔をしかめた。


「なんかあった?」


 アーロンの問いかけに、リンはまた頭を振った。けれどもとても何もなかったようには思えない。


「学校で、なんかあったんだろ?誰かになんかされたのか?」


 リンは頑なに首を振って否定した。何も話したくはない。そういう気持ちが感じられ、アーロンは問いかけるのを止めた。

 困惑を滲ませ、リンを見つめる。

 離れることはできなかった。

 アーロンはベッドに腰をかけると、リンの頭に手を延ばした。そしてその髪を撫でる。

 その動きに、リンがまた泣き始めたのが分かった。


 誰がそんな風に泣かせたんだろう。見えない相手に怒りを覚える。

 何度もその金色の髪を撫でながら、アーロンは何も言えずにリンを見ていた。

 やがて、泣き声がおさまり、リンが毛布から顔を出した。そしてゆっくりアーロンに体を向ける。

 涙に濡れた顔に、アーロンの胸は苦しい程に痛んだ。


「お帰りなさい…」

「ただいま」


 穏やかに微笑みかけると、リンも涙に濡れた頬を緩ませた。そしてハッとしたように目を見開く。


「私、夕食作ってない…!」


 アーロンは笑みを零し、「いいよ。俺作るから、待ってな」と言った。

 髪を撫でていた手で、そっと頬に触れる。涙の跡を指で拭うアーロンを、リンの瞳がじっと見詰める。

 その真っ直ぐな目に胸苦しさを覚え、アーロンはふと目を逸らした。


「作ってくる」


 そう言って立ち上がろうとしたその腕を、リンがとっさにつかんで引き止めた。アーロンは動きを止め、リンに目を戻す。


「…アーロン」


 縋るような瞳でリンは囁いた。アーロンはベッドに座りなおすと「ん?」と応えた。


「……キスして」


 小さく囁いた声は、静かな部屋の中ではっきりとアーロンの耳に届いた。

 思わず息を呑む。

 言葉の意味を理解しながら、それでもとっさに反応できずに凍りついた。リンの目からは、また涙がこぼれる。


「お願い…」


 振り絞るような声にアーロンは何も言えずに身を屈めた。その額に、軽く唇を落す。

 再び見詰め合うと、リンは悲しそうに呟いた。


「…違うよ」


 リンが首を振る。


「アーロン違う…」


 どうしていいのか分からなかった。

 必死に訴えるリンに、ただ胸が痛くなる。

 リンの望みは分かっていた。けれどもそれに応えることで、兄妹として続けてきた今までの関係が壊れそうで、それもたまらなく怖かった。

 大事な、自分の家族…。


「リン、どうした…?」


 アーロンの言葉にリンは答えなかった。ただその目からぽろぽろと涙をこぼす。その目にふと影が落ち、リンは小さく呟いた。


「ごめんなさい…」


 それだけ言って、リンは諦めたようにまたアーロンに背を向けた。

 その背中を見ながら、アーロンは動けなかった。部屋はまた静寂に包まれた。


「…行って」


 リンが囁いた。けれども黙って立ち去ることが出来ない。そんなリンを1人にして去ることなど、とても出来なかった。


 不意にアーロンはその手をリンの肩に延ばした。手をかけて上を向かせる。

 その体の横に手をついてその瞳を覗き込む。そこには驚きの色が滲んでいた。

 一瞬、何もかもどうでもよくなった。リンが元気になってくれるなら。そう思ったら、自然と顔を寄せていた。

 リンが目を閉じたのを感じながら、アーロンはその唇に自分の唇を重ねた。

 軽く触れるだけのキスをして、一度離れる。

 リンは目を閉じたままだった。暗闇の中映える白い肌は、とても綺麗だった。いつしか無意識のうちに、アーロンはまた唇を重ねていた。

 啄むようにゆっくりキスを繰り返す。暖かくて柔らかい感触に、頭の中が痺れるように熱くなってくいく。

 微かに開いたリンの口の中に割り込んでしまいたくなる。

 そんな想いに流されかけた瞬間、リンの手がアーロンの背中に触れた。


 その手の感触に、突然頭が現実に引き戻された。

 弾かれたように体を起こす。リンは驚いたようにその目を開いていた。

 お互い少しの間、固まって見詰めあう。


「…アーロン?」

「あ…」


 自分のしていたことが信じられない。押し寄せていた何かが、急速に退いていく。

 アーロンは慌ててリンから目を逸らした。


「夕食、作ってくるよ…」


 アーロンはそう言って立ち上がった。そして慌しく部屋を出て行く。

 残されたリンはアーロンの去った後を見送ると、また蹲るようにベッドの中で小さくなった。

 自分の唇に触れてみる。

 まだ残る温もりを確かめるように、リンはそっとその目を閉じた。

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