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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
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自由に誰かを愛せない立場

 バーレン公爵家に入ったグレイスは、執事や使用人総出で歓迎された。

 いつものように挨拶を交わすと、カイルのもとへと案内される。

 その間、グレイスは胸の中から何度も押し上げてくる苦しさに、ただ耐えていた。

 掴まれた腕がまだ熱い。真っ直ぐな青い瞳が、苛むように甦る。

 また会えて良かったなどと、心にも無い言葉を吐いた。本当は会いたくなかった。二度と会わないと決めていた。そうすることで、自分を抑えていたのに…。


「本日は、カイル様のお部屋でお迎えしたいとのことですので…」


 執事の案内で立派な扉の前に辿り着く。そこがカイルの部屋らしいが、グレイスの目に映ってはいなかった。

 執事は扉を叩くと、ゆっくりと開いて中へ声をかけた。


「カイル様。グレイス様がお見えです」

「――通せ」


 いつもの通り不機嫌そうな声が中から聞こえる。グレイスは部屋に入る前に軽く深呼吸し、なんとか自分を取り戻した。

 前回は失敗してしまった。坊やを相手に、我を忘れて感情的になってしまった。長引かせても意味は無い。今日こそ話を纏めなくては。うまくやらなくてはならない。5歳も年上なのだから。

 グレイスは自分に言い聞かせ、ゆっくりと部屋へと入って行った。


 グレイスを迎えたカイルの表情はやはり険しかった。その金色の髪と青い瞳が、今日はことさら気になる。

 彼と同じ色の瞳、けれども彼と全く違う人。なんて皮肉なんだろうと、内心苦笑した。


「どうぞごゆっくりお過ごし下さい」


 執事は案内を済ませると部屋を後にした。部屋には2人だけが残された。

 テーブルにはお茶の用意が整っている。今日はお茶を飲みながら、2人だけで話をするということらしい。

 使用人の1人も残されていないのは、彼の要望なのだろうか。


「こんにちは」


 グレイスが口を開くと同時に、カイルが動いた。足早に近づき、グレイスの腕を掴んで引き寄せる。

 驚く間もなく、気付くとグレイスはカイルの腕に抱き上げられていた。


「――え…?」


 自分に起きていることがよく分からず、グレイスは小さく声をあげた。

 カイルはそれに構う事無く、グレイスを抱いたまま奥に続く部屋へと入る。そしてそこにある天蓋付きの立派なベッドへと向かった。

 自分が連れて行かれようとしている場所を認識した瞬間、グレイスはそこに乱暴に放り出された。

 同時にカイルが覆いかぶさる。


「カイル?!」


 名前を呼んでも応えない。

 彼はグレイスの両手首を掴むと、それを彼女の頭の上でひとつに纏めた。片手で拘束し、ベッドに押し付けるようにして縫い止める。

 その力に痛みを覚え、グレイスは僅かに顔をしかめた。


「――ざまぁみろ。誰も来ないぜ」


 不意にカイルの声が聞こえ、グレイスは目を見開いた。カイルの青い瞳が見下ろしている。

 まるで勝ち誇るように、笑みを浮かべて。


―――あぁ…そういうこと…。


 全てを理解したグレイスの頭は、急速に冷えていった。

 これは彼の”次の手”なのだ。自分をねじ伏せるための。

 そんな相手とうまくやっていこうなどと考えた自分が、あまりに虚しくて、恐怖すら湧かない。


 グレイスを押さえつけながら、カイルの手がグレイスの足を撫で上げ、服の中へと入って行く。


 もうどうでもいい。好きにすればいい。そう思いながら、背筋を走る嫌悪感が自分を苛む。無力感に襲われながら、グレイスは力無く目を閉じた。


 

 カイルの手の動きが止まったことを感じ、グレイスはふと目を開けた。

 至近距離に居るカイルが、グレイスの顔に影を落としている。熱の消え去った瞳が、静かに見詰めていた。


「…どうしたの?」


 問いかけには応えず、カイルは体を起こした。

 グレイスから手を離し、背を向ける。突然手を退いたカイルの真意が見えず、グレイスは戸惑いながら目で追った。

 カイルはベッドの端に腰かけた姿勢で沈黙した。グレイスもあえて声をかけることはしない。部屋は奇妙な静けさに支配された。

 起き上がる気にもなれず、グレイスは一人、立派なベッドの天蓋に描かれた模様をぼんやりと眺めていた。


「馬鹿にしやがって…」


 不意に、カイルが小さく呟いた。背をむけたままの彼に、グレイスは目を向ける。


「やっぱ王族だよな。全然可愛気がねぇよ。人のこと見下して…。俺が何しようと、怖くないって言いたいんだろ」


 淡々とカイルは呟いた。その言葉で、彼が何を期待していたのかが分かる。グレイスが泣いて苦しむところを、見たかったのだろう。


「…怖いに決まってるじゃない」


 グレイスは溜息とともに呟いた。


「……初めてなんだから」

「――はぁ?!?!」


 突然カイルが目を見開いて振り返った。聞こえた言葉が信じられないという顔でグレイスを見ている。


「すみませんね…5歳も年上のくせして…」


 カイルは声を失い、呆然としている。グレイスは天蓋に目を戻し、瞼を下した。その目の裏に浮かんだ面影に、また胸が痛くなる。


「仕方ないじゃない。王族なんだもの。自由に恋愛なんてできないし。そうでなくても過保護な父親だし…。男の人とは、違うんだから…」


 カイルはしばらく呆気にとられた顔でグレイスを見ていたが、ややあって口を開いた。


「だってお前…なんもかんも知ってるような顔しといて…」

 

 なんて勝手な偏見だろう。グレイスが眉を顰める。


「…悪かったわね。こんな顔なのは、生まれつきだもの。可愛くないなんて言われなくても知ってるわ。仕方ないじゃない、許されないんだから。なりふり構わず誰かに恋をして、夢中になって、可愛い子になることなんて…」


 込み上げるような苦しさがまた押し寄せる。けれども涙も流せない。

 何もかも、諦めてしまっているから…。


 2人の間にまた沈黙が流れる。グレイスはベッドに横になったまま動かなかった。得体の知れない虚脱感に全身襲われて、起き上がる気にすらなれなかった。


「…そっか」


 カイルが小さく呟く。


「……初めてなのか」


 グレイスは力無く吹き出した。そんなにしみじみと言われると情けなくなってしまう。


「ごめんなさいね、期待外れで。でも構わないでしょ?あなた恋人が居るんだから」


 グレイスの言葉にカイルはまた振り返った。何か言いたげな目に対し、”なに?”と視線で問いかける。

 カイルは明らかに怪訝な顔をしていた。


「何言ってんだよ。…別れさせたくせに」

「――はい???」


 予想外の言葉にグレイスは目を丸くした。

 ”別れさせた”と言ったのだろうか。一体誰が、誰と誰を??

 混乱するグレイスに、カイルは顔をしかめつつ、「お前と婚約するなら、別れないといけないって…」と口籠る。


「誰が言ったの?」

「俺の恋人…だった女」


 グレイスは先程より大きく目を見開いた。

 もしかして、物凄い誤解をされているんじゃないだろうか。まさかと思いながらも、「それは、私の命令だと?」と問いかける。カイルは訝しげな表情のまま、グレイスを見ている。


「だって…あいつ俺に夢中だったくせに。突然そんなこと言うから…」


 グレイスはカイルの言葉に全てを理解した。脱力感とともに笑いが洩れる。

 クスクスと笑いだしたグレイスに、カイルは「なんだよっ」と文句を言った。

 彼の中で自分が振られる事などあり得ないのだろう。だからそれは恋人の存在を知ったグレイスが影で命令したと解釈されたのだ。

 ただでさえ地位が上な王族に恋人まで奪われて、さぞかし理不尽に思ったに違いない。

 前回、やたらかみついてきた彼の態度の理由がやっと分かった気がした。


「だって…。どこの誰かも知らないのに、別れるように仕向けるなんてどうやってできるの?」


 カイルは特に答えず眉をしかめている。調べる手などいくらでもあるだろうと言いたいのかもしれない。


「…そうね。確かに、私の存在が原因というのは当っていると思うわ。王族を好んで敵に回す物好きなんて居ないもの」


 自分に恋人を奪われ、泣きながら身を退いた女性が居たのだろうか。そんな姿を想像すると、自然と溜息が洩れる。


「それは…悪かったわ。でも影で命令なんてしない。別れて欲しいと思ったら、あなたにそう言うもの。……信じられないかもしれないけど」


 目が合うと、カイルはふと顔を背け、グレイスに背を向けた。あれだけ尖っていた空気が力を失い、その姿はどこか悲しげに映る。

 自由に誰かを愛せない立場…。

 それだけは同じなのかもしれない。

 部屋は静かだった。グレイスはベッドに横になったまま、そしてカイルはそこに背を向けて座ったまま、しばらくどちらも動かなかった。

 不意にカイルがまたグレイスを振り返った。それに気付き、グレイスも彼を見る。


「本当に……初めてなのか?」


 問いかけたその声はどこか柔らかく、今まで感じていた刺すような敵意は消えていた。

 またその話に戻ってしまうらしい。グレイスは苦笑しつつ、「すみません」と答える。


「別に…」


 ふとカイルがベッドの上に戻って来た。這うようにして寝ているグレイスのところまで来ると、その体の両側に手をついて見下ろす形になる。


「別に大丈夫だぜ。俺が教えてやるから」


 思いがけない申し出にグレイスはまた吹き出した。そんな反応に、カイルは不満気に呟く。


「なんだよっ」


 どうやら彼はやっとグレイスの上に立てるものを見つけたらしい。

 なんとか笑いを収めて「教えてくれるの?」と問いかけると、カイルが「あぁ」と応える。

 やっと歩み寄ってくれるらしい。グレイスは自分を見下ろす彼に、柔らかく微笑んだ。


「…お願いします」

「…ん」


 ふとカイルが体を沈め、顔を寄せた。唇がそっと重なる。それに合わせ、グレイスは目を閉じた。

 軽く触れて離れ、また触れる。伺うように、少しずつ口付けは長くなる。意外なほどに優しいキスだった。


―――根っから悪い子じゃないんだろうな…。


 失った恋を引きずって苦しんで、自棄になって。

 それでも今はたぶん彼なりにグレイスを受け入れる気持ちになってくれたことが、その温もりから伝わる。

 口付けを続けながら、カイルの手がふと背中に潜る。その手がグレイスの服の留め具に届くと、次々と外し始める。

 グレイスは思わず閉じていた目をぱちっと開いた。


―――ん?


 カイルは手早くグレイスのドレスを引き下ろしにかかっている。

 どうやら”授業”を始める気らしい。今は真昼間で、正式な婚約もまだなのだけれど。


「あの、カイル…」

「…ん?」


 グレイスの首筋に唇を這わせながら、カイルが応える。


「えっと…今…?」


 確認のため問いかけると、カイルは「大丈夫、俺に任せておけば…」と囁いた。

 するするとドレスが降ろされ、グレイスの白い肌が露になる。やがて脱がされた服はベッドの下へと消えていった。

 カイルも手早く自分のシャツを脱ぎ捨てる。そして改めて覆いかぶさると、肌と肌のぬくもりが触れ合う。

 なんだか不思議な気分だった。


 カイルと結婚したら、いつかこういうことをしなくてはいけないという覚悟はあった。けれども結婚前の昼間にとは想像もしていなかった。

 あまりに予想外の展開に、緊張する間も無い。ぱちくりと瞬きをするグレイスの顔にふと目を留め、カイルが囁く。


「怖くないから…」


 さっき乱暴しようとした人の口から発せられる言葉とは思えない。グレイスはまた吹き出した。

 カイルはたちまち眉根を寄せる。


「なんだよっ」

「…優しくしてね」


 どこからか借りて来たような言葉を囁く。カイルは一瞬不意を突かれたような顔をしたが、すぐに表情を改めた。

 

「…分かってる」


 再び唇が重なると、グレイスはそっと手を動かし、それを彼の背中に廻した。

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