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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
40/88

バーレン公爵家

 翌朝、アーロンはいつものようにリンと食卓で向き合って朝食をとっていた。


「今日は学校で試験があるの」

「へぇ…なんの?」


 リンの様子はいつもと何も変わらない。

 昨夜の事を思い出しては目の前のリンに目を遣る。けれども全く普段通りの様子に、もしかしたらあれは夢だったかもしれないとも思えてくる。

 むしろ、そうだったらいいと思った。


 ”頑張って可愛がって、そのうち食っちまうんだろうなぁ。悪い男だな、お前は”


 かつてバルジーに言われた言葉が、今更胸に刺さる。あの時は軽く聞き流せた言葉が――。

 そんなつもりで一緒に暮らし始めたわけじゃない。そんな対象としてなんて、絶対に見たくない。誰よりも大事な存在だからこそ…。

 ふと、アーロンは「そういえばさ」と思い出したように顔を上げた。


「昨日ルイも居たけど、あいつとはどうなってんの?」


 突然の質問に虚を突かれ、リンは固まった。その反応に、アーロンもつられて固まる。


「…いや、ごめん、いいや」


 答えを聞く前に、自分の言葉を打ち消した。リンもそれに対し特に何も言わず食事を再開したが、その目には明らかな動揺が見て取れた。

 かつてリンの”恋人”と言われていたルイ。彼の告白に対してリンがどういう答えを出したのか、アーロンは聞いていなかった。

 特に聞きたくないというのが本音だったので彼の話題はずっと出していなかったし、リンの口からその名が出ることも無かったので、勝手に消えた話と解釈していたのだ。自分の都合の良いように。

 それでも今聞いてみようと思い立ったのはもちろん昨夜の出来事、故なのだが。


 実際聞いてみた反応を見た限り、二人の間に何もないとは思えない。

 それで安堵するべきなのかもしれないが、逆に聞かなければよかったという後悔が湧き上がる。

 自分の中に渦巻く説明できない感情に翻弄され、アーロンは内心で溜息を洩らした。



 ある日、グレイスは宰相を伴い城を出ていた。行先は婚約者の家、バーレン公爵家である。

 バーレン公爵家の長男は、名前をカイルというらしい。グレイスの弟であるユリアン王子もバーレン公爵の公女であるジュリアと婚約している。グレイスがめでたく結婚した暁には、2人も結婚式となる予定である。

 彼に言わせるとジュリアは甘やかされて育ったお嬢様で、なかなかの世間知らずだそうだ。バーレン公爵は立派な方なのだが、子育てにはあまり関与していないと思われる。

 公子であるカイルはいずれバーレン公爵家の跡取りとなるわけだが、その人柄に関する情報はあまり無い。

 とりあえず今日は、婚約前の顔合わせである。


「はじめまして。カイル・レイセル・バーレンです」


 そう名乗った彼は16歳という歳のわりにはしっかりしているように見えた。

 金髪に、青い瞳。少し冷たい印象もあるその瞳は、歳のわりに大人びて見える。

 その髪と目の色に懐かしい兵士の姿が重なり、グレイスは一瞬逃げるようにその目を閉じた。


 しばらく屋敷内の応接室でお茶を飲みながら、当たり障りのない話をした。

 けれども言葉を交わしているのはカイルの隣の執事とグレイスの隣の宰相だ。当の本人同士は、黙ってお茶を飲んでいた。

 やがて気を利かせてか、執事が「カイル様、庭園でもご案内して差し上げたらどうでしょう」と提案した。2人になって話してくださいということなのだろう。

 カイルは無表情のまま立ち上がると「どうぞ」とグレイスを誘う。グレイスは「ありがとうございます」と応え、彼の後について部屋を出た。

 

 後ろを歩きながら、グレイスはカイルを観察した。背はそれなりに高い。

 妹は”甘えん坊の世間知らず”らしいが、さすがに跡取りとなる弟は違うだろう。落ち着いた物腰に期待を抱きつつ、グレイスは案内されるままに庭園に出た。


 ローランド王城の庭園よりは小さいが、よく手入れの行き届いた空間が広がっている。


「綺麗ね」


 グレイスがそう感想を洩らすと、カイルがちらりとグレイスに目を遣った。


「言っておかないといけないことがあるんだ」


 無表情のまま、カイルが切り出した。

 やっと口を開いた彼が発した言葉に興味を持ち、とりあえず「なに?」と問いかける。


「俺、恋人がいるから」


 虚を突かれ、グレイスは目を瞬いた。頭の理解が追いつくと「そう」と応える。正直、どうでもいい話だった。

 カイルはあえてグレイスから視線を外したまま、ぶっきらぼうに続けた。


「悪いけど、結婚したとしても別れる気ないから」

「…そう」

「王族だからって、俺の上に立てると思ってるかもしれないけど、俺は誰の思い通りにもならないから」

「…そう」


 グレイスは込み上げそうになる笑いを必死で噛み殺しつつ同じ相槌を繰り返した。


「俺は1人の女に縛られる男じゃないから。悪いけど、そのへんは大人になってうまくやっていこうぜ」


 流石に堪えきれず、グレイスは盛大に吹き出した。

 そんな彼女の反応に、カイルが目を見開いてグレイスを振り返る。手遅れだが、笑いを呑み込もうと奮闘するグレイスに「なんだよ!」と怒りの声を上げた。


「あ、ごめんなさい。なんでもないの。そうね、うまくやっていきましょうね」


 朗らかに応えるグレイスを、カイルは眉間に深い皺を寄せて見ている。


「…バカにしてんのか?」


 バレちゃった。内心そう思いながら、グレイスは「とんでもない!」と両手を振って否定した。


「よく分かったわ。理解できるように頑張るわね」


 そう言ってにっこり微笑んでみたが、カイルの険しい表情は変わらない。


「どうしたの?」


 グレイスの問いかけに、カイルは「別に」と吐き捨てると、また目を背けた。

 その横顔に苛立ちが滲んでいる。


 彼の狙いは見えていた。おおかたグレイスに屈辱感を味あわせたかったのだろう。

 貴族の中では最高の名家の息子であり、今までその上の存在は無かった。相当、ちやほやされてきたに違いない。

 それが王族の5歳も年上の女を嫁にもらえと言われたら、不愉快に思うのも仕方ないかもしれない。最初から、立場を確立しておこうとしているのが伺える。

 それにしても方法があまりに幼稚ではないだろうか。ユリアンが言っていた彼の姉の人となりを思い出し、やはり姉弟だと納得してしまう。

 不機嫌そうに庭園を睨むカイルの横顔を見ながら、グレイスはやれやれと肩を竦めた。



 城に戻ったグレイスは早速、騎士を相手に剣の稽古中だった弟を捕まえて報告した。ユリアンはグレイスの話に大笑いした。

 ユリアンは現在18歳だ。

 グレイスと同じ黒髪に紫色の瞳をもち、顔立ちは母親寄りだが、その豪快な笑い方は父親によく似ている。


「俺、弟は会ったことないんだけど、笑えるねそれは。でも同じだよ、初めのころのジュリアと」

「でしょうね…」


 グレイスは疲れたような溜息を洩らした。


「今は、俺に夢中だけどね」


 苦笑しつつそう言うユリアンに、グレイスは「あなたはどうなの?」と訊ねた。そんな質問をしたのは初めてである。弟が親の決めた婚約者をどう思うかなどという事に、かつては関心も無かったのに。


「バカな子も慣れると可愛いよ」


 ケロッとしてそう言った弟に、グレイスは「あ、そう」と溜息をこぼす。


「あなたいい女を知らないから、そういうこと言えるのかもね」

「そういうグレイスは、いい男を知ってるの?」


 弟の問いかけにグレイスは言葉を失う。その瞳は一瞬、宙を彷徨った。


「どうした?」


 沈黙した姉を、不思議そうに覗き込む。


「…ううん」


 グレイスはユリアンの目から逃げるように、首を振って目を閉じた。


 ◆

 

 リンは学校で朝から試験の一日を過ごしていた。

 午後の授業はないので、午前中だけで家に帰る。全て終えて帰り支度を整えると、リンはキャリーの姿を探して頭を巡らせた。

 その目がふと、リンを見ていたルイと出会う。とっさに目を逸らしたが、ルイはこちらに歩いてきたのを感じ、リンは体を硬くした。

 昨日の別人のようなルイが、否応なしに甦った。


「リン…」


 ルイに話しかけられてもその目は見れなかった。彼の言いたいことは分かっているのに。リンの思ったとおり、ルイはすぐに「昨日はごめん」と謝った。


「ううん、大丈夫だから」


 リンは早口でそう応えると荷物を手に足早に彼の側を離れた。そしてキャリーのもとへ急ぐ。

 ルイはそんなリンの背中を、ただ黙って見送った。


 ◆


 ローランド王城では、兵士達が昼の休憩時間に入っていた。

 アーロンは食堂で久し振りにキースと2人で食事をとっていた。

 キースとアーロンが別々の隊になってからというもの、かつてのように常に行動をともにすることは無くなった。

 最近ではお互い仕事が増えたので、顔を合わせない日も多い。けれども昔の習慣で、顔を合わせるととりあえず一緒に昼食をとる。そしてお互いの仕事のことをなんとなく報告し合うのだ。


「今日はお前、一日外出無し?」


 アーロンの問いかけに、キースは「いや、午後から出る」と答えた。


「午後から?」

「あぁ、ベン隊長から頼まれたんだ。ミケーネ侯爵家の件で」

「あぁ…」


 そういえばそんな名前が前に会議で出ていた気がする。ミケーネ侯爵家の管理してる採鉱中の鉱山が誰かに爆破されて塞がれたとかいう話だった。


「何するの?鉱山掘るのか?」


 おどけて問いかけると、キースは「まさか」と苦笑する。


「それは侯爵家が人を雇ってどうにかするだろ。犯人探しの調査範囲を広げるらしくて、その応援だ」

「犯人って全くアテもなく?」


 キースは冷めたお茶を一口飲み下し、それをまた丁寧にテーブルに戻す。


「侯爵は自分の家に恨みを持つ山賊連中の仕業だと考えているらしくて、今それを探してるらしい」

「ん?」


 アーロンは首を傾げると「恨みを持つ山賊?」と繰り返した。


「以前、自分の領土が被害にあって、傭兵団を動かして何人か捕らえたとかなんとか」

「その恨みで、逃げのびた仲間達が…って?」


 キースが頷く。アーロンはクッと笑みを洩らした。


「何を根拠に言ってるんだか知らないけど、それを犯人と決めていいんだろうか。山賊って犯罪で生活してんだから捕まることなんて想定内だし、律儀に復讐するとも思えないけど」

「安直だと、俺も思う」


 キースも言いながら苦笑した。


「山賊がそんな益の無いことをするとは思えない」

「目の付け所も山賊っぽくない。なんで鉱山?」

「全くだな」


 それぞれ考えに耽り、2人は少しの間沈黙した。すでに食事は終えていたが、なんとなくそのまま座っている。ふとキースが目を上げ、アーロンに問いかけた。


「お前は、どう思う?」

「いや、分かんないけど、なんとなくその侯爵が…」


 答えようと口を開いたアーロンの目に、ふとこちらを伺うローラの姿が映った。

 少し離れた所に立つローラは、両手でコップを包むように持っている。仕事の休憩時間にお茶を飲みに来たという様子だった。

 誰を探しているのかは明らかだ。アーロンとキースが話しているのを確認して、去ろうとする。アーロンはそんな彼女に手招きをした。

 キースはそんなアーロンの視線を追うように振り返った。

 ローラはアーロンに呼ばれるまま、躊躇いつつ2人のもとへ歩いて来た。


「休憩?」


 アーロンの問いかけにローラは「うん。少しだけ…」と答えた。彼女はキースと休憩時間が重なると、彼の側にやってくるのが常だった。


「じゃ、俺はお先に」


 気を使ってアーロンが腰を上げると、キースが「ローラ」と声をかけた。


「――今、話し中なんだ」

「あ…!」


 ローラは慌てて「ごめんなさい…!」と一歩退がった。


「いいじゃん別に、もう食い終わったし」


 アーロンは食器の載った盆を手に取ると「じゃ、キースまたな」と声をかけて背を向けた。


「え、でも…」


 慌てるローラの声を背に、彼はさっさと去っていく。

 茫然とその背中を見送りつつ、冷や汗が滲む。アーロンの姿が完全に消えると、その視線を恐る恐る隣で座るキースへと下ろした。

 キースの青い瞳と出会う。その目は完全なる無表情だった。

 明らかに怒っている。ローラは眉を下げると、みるみる赤くなった。


「ごめんなさいっっ…!」


 ローラはコップを握り締めたまま、大慌てで謝った。キースは目を逸らし、軽く溜息を洩らす。

 何か大事な話をしていたのに、その邪魔をしてしまったのだ。自分の失態を呪い、ローラは泣きそうな気持ちになった。


「あのっ…戻ります、私…!」


 去ろうとした時、キースの手が彼の隣の椅子を引いた。そして再びローラに目を向ける。


「どうぞ」


 顔を真っ赤にしたまま、ローラはしばらく自分のために引かれたその椅子を見詰めていた。胸がじわっと熱くなる。

 

「お、お邪魔します…」

「お邪魔されました」


 そっけなく返され、ローラは「すみません…」と項垂れた。そのしおれっぷりにキースはやれやれというような笑みを洩らす。


「あいつと話してる時は、近寄らないでくれ」

「…はい」


 まだ俯いたまま、力無く答える。お茶を飲みにきたはずなのに、コップを握ったまま小さくなっている。


「それ以外なら、いつでもどうぞ」


 続けてそう言うと、ローラはやっと顔を上げ、キースを振り返った。


「…はい」

「早く飲みな」

「…いただきます!」


 ”それ以外なら、いつでもどうぞ”


 ローラはすっかり冷めてしまったお茶を飲みながら、胸いっぱいの暖かい想いに包まれていた。

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