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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第三章
39/88

初めてのキス

 放課後、煉瓦造りの校舎からは続々と帰宅する生徒達が姿を見せていた。

 楽しく歓談する声が、校庭へ流れていく。その集団に混じり、リンもいつものようにキャリーと並んで門へと向かった。


「リン!キャリー!」


 不意に後ろから声をかけられ、2人は同時に振り返った。

 名前を呼んだのは、ロディだった。その隣にシーラとルイも居る。

 ロディはシーラとルイを置いて離れると、一足先に2人の側へと駆け寄ってきた。


「これから時間ない?」


 突然の問いかけに、リンは首を傾げる。


「どうして?」

「今日、カンザスでお祭りやってるんだよ。これからルイ達と遊びに行こうかなって思ってるんだけど、2人も良かったらどう?」


 そのお誘いにリンはふとアーロンのことを思い出した。

 確か地方都市のお祭りの警備をすると言って出て行ったはず。もしかしたらそのお祭りのことかもしれない。


「行きたい!」


 リンがそう答えると、ロディは「やった!」と笑顔になった。そして「キャリーはどうする?」と目を移す。


「楽しそうだけど、私、帰らないと。今日、姉さんお休みだから、おうちで待っててくれてるもん」

「そっか…」


 キャリーが1人で帰ることになってしまう。一瞬迷ったリンの気持ちを察したのか、キャリーは「リンは行って来て」と背中を押してくれた。


「じゃぁ……行こうかな」

「うん、また明日ね!」


 キャリーはそう言うと、ロディにも挨拶をして去って行った。残されたリンはロディと向き合う。


「じゃ、行こうか」


 改めてそう言ったロディに、リンは「うん」と応えた。



 4人で乗合馬車を使い、カンザスへ向かった。

 王都のすぐ隣の都市なので、さほど遠くはない。馬車の中で当たり前のように隣同士で座ったロディとシーラを尻目に、残されたルイとリンは並んで腰を下ろした。


「楽しみだね」


 ルイが笑顔で語りかける。


「うん。もしかしたらアーロンが居るかもしれないの」

「そうなの?」

「警備のお仕事で」

「あ、そっかぁ」


 昔、ルイからの申し込みを断って以降、少しの間気まずい雰囲気が漂っていたが、またいつしか普通に話せるようになっていた。相変わらずルイは剣の稽古を続けているので、それに混ぜてもらうこともある。今では気の合う男友達だ。


 馬車は規則的な車輪の音とともに進んでいった。


 ◆


 カンザスの祭りは盛り上がりを見せていた。

 人足は途絶えることがなく、中央の大きな屋外舞台ではひっきりなしに出し物が催されている。軒を連ねた屋台では食べ物や飲み物が飛ぶように売れ、街は大賑わいだった。

 アーロンはそんな楽しそうな人々を横目で見ながら、見張りの兵士達を廻って報告を聞いていた。


「さっきちょっと喧嘩がありましたけど、酔った勢いだったみたいで注意したらすぐ止めました」

「まだ明るいうちから酔うほど飲むなよ…」


 呆れて呟くと、若い兵士も「羨ましいですね」と苦笑する。


「ほんとだよ」


 アーロンは今日の日程を記した資料に目を落とし、流れを再度確認した。


「お前、そろそろ休憩する?」

「いいですか?!」

「いいよ。ここは俺が代わるから」


 そんな会話をしている時、アーロンは不意に誰かに呼ばれた気がして振り返った。

 人が多過ぎてよく分からない。

 気のせいかと顔を戻しかけた時、人波の向こうから手を振る金色の髪の少女が目に入った。

 意外な姿に目を丸くして固まる。

 人の合間を縫ってこちらに向かっているのは、紛れも無くリンだった。


「――リン?!」


 まさかここで会うとは思わなかった。驚くアーロンの様子を、隣の兵士が不思議そうに眺めている。

 やがて2人の側まで、リンがなんとか辿り着いた。


「見つけたぁ~!」


 屈託の無い笑顔で嬉しそうに言う。アーロンはまだ目を見開いたまま問いかけた。

 

「どうしたの、お前??」

「学校終わったから友達と遊びに来たの」


 そう答えたリンの後ろからは確かにお友達らしき3人が遅れて現れる。その中にルイの姿を見つけ、アーロンはちょっと不愉快な気分になった。


「ふぅん…」

「隊長!隊長!」


 隣の兵士に上ずった声で呼ばれ、アーロンは「なに」と応える。


「どなたですか?!」

「……妹だよ」

「えぇぇぇぇ!!!」


 素っ頓狂な声をあげる兵士にリンは「あ、リン・アルフォードです。いつも兄がお世話になっています」と挨拶をした。


「いや、こちらこそっ!」


 兵士は顔を緩ませながら「あのっ、ジョン・レイクと申します…!」とすかさず片手を差し出す。しかしリンが握手を受ける前に、アーロンによってその手は叩き落された。


「――触るな」

「握手しようとしただけですよぉ!」

「そんなもんいらねぇ!ニヤニヤすんな気持ち悪い!」


 物凄く分かりやすくリンに興味を持っている若い兵士はまだ入隊したばかりの16歳だ。14歳のリンはもう男達にとって子供ではないということを思い知る。

 分かってはいるが、そういう目で見られるのはやはり無性に腹立たしい。

 リンはジョンに対するアーロンを目を瞬きながら眺め、ぽつりと呟いた。


「アーロン、なんだか偉そう」

「偉いんだよ」


 即座に言い返す。そしてジョンに向かい、片手を振った。


「ジョン、休憩行って来な。ばいばい」


 追い払われたジョンは名残惜しそうに去って行った。

 リンはまじまじとアーロンを観察しつつ「アーロン本当に隊長さんなんだね…」と感心したように呟いた。今更な言葉にアーロンは片眉を上げる。


「信じてなかったなぁ?」

「そうじゃないけど!初めて見たから、ちょっと感動…」

「かっこいいだろ」


 アーロンの軽口に、リンはこっくり頷いた。


「うん、かっこいい…」


 そんな可愛らしい言葉に、アーロンの顔も自然に綻ぶ。何歳になっても、リンは昔と少しも変わらず可愛いリンのままだった。

 ただ最近は流石にかつてのようにアーロンに抱きついてきたり、”好き”と言ってくれたりは無くなったけど。それも成長の証と知りつつ少し寂しい気がするのは、やはり娘を持つ父親の気持ちと同じなのだろうか。


 ◆


 仕事中のアーロンの邪魔をしてはいけないと、リンはルイ達と一緒にお祭りに戻った。

 シーラが「リンのお兄さん、初めて見た」と興奮気味に言う。


「全然、似てないよね」


 よく言われる言葉である。リンはいつもの通り「そうなんだよね」とだけ返した。

 4人でお店を廻りながら、いろんなものを買った。中にはゲームをして賞品をもらえるお店もあり、それに挑戦して盛り上がった。

 そんな楽しい時間をすごし、少し辺りが暗くなり始めた頃、ロディは不意にシーラの手をとって言った。


「さて。それじゃあこの先は俺たち2人で廻るから、ごめんなっ」


 それだけ言って、ロディはシーラを連れ、呆気にとられるリンとルイに手を振って去って行った。

 残された2人はお互い顔を見合わせる。突然予定外に2人きりにされたことで、リンは気まずさを感じつつ呟いた。


「そっか……私たちお邪魔だったね」

「だったら最初から2人で行けばいいんだよ」


 苦笑混じりにそう返しながら、それがロディの粋な計らいであることに、ルイは気付いていた。

 自分がリンを忘れられないことは、彼に伝わってしまっているらしい。

 隣のリンは困惑の表情を浮かべている。影の落ちるその綺麗な横顔を、ルイは黙って見つめていた。


「えっと、じゃぁ…帰ろうか…」

「もう少し、居ようよ」


 リンの提案を退け、ルイは迷わずそう言っていた。そして素早くリンの手をとる。

 歩き出したルイに手を引かれながら、不意を突かれたリンは目を見開いた。


「ルイ…!」

「舞台に行ってみようか」


 初めて握ったリンの手は細くて柔らかかった。彼女が困っていることなど気づかない振りをして歩く。リンがその手を振り払うことなど出来ないと知りながら。


「誰か歌ってるみたいだよ」


 リンは「そうだね…」と相槌を打ったが、少し間をおくと「ルイ、手を…」と躊躇いがちに口を開いた。


「いやだ」


 ルイの返事にリンは言葉を失った。

 舞台の見える場所で、2人は足を止めた。ルイの目は、真っ直ぐリンを見据えている。

 リンの目には微かな怯えが映った。昔と何一つ変わらない綺麗な翡翠色の瞳…。


「ずっと聞きたかったんだけど」


 不意にルイが口を開いた。


「好きな人って、誰なの?」


 リンが目を見張った。その瞳が凍りつく。とっさに答えは無く、2人の間に重い沈黙が流れた。


「ずっと前にリン言ったよね。”好きな人が居る”って。でもそれから恋人ができたって話は聞かないし、誰かと仲良くしてる様子も無いし…」


 リンの手を握る手に力がこもる。


「このままじゃ俺、諦められないんだけど」


 リンの目に驚きの色が浮かぶ。その反応で、自分の告白が彼女の中で、完全に過去のものになっていたことが分かる。

 ルイの中では何一つ変わっていないのに。

 気まずそうに、リンは目を伏せた。


「俺の知ってる人?」


 ルイの問いかけに、リンは一瞬固まった。そして慌てて首を横に振る。あまりに分かりやすい嘘に、ルイは苦笑した。


「リン、嘘つけないね」

「違うよ!ほんとにルイの知らない人だよ!」


 慌ててそう言う彼女の様子がますます確信を持たせる。ルイは「誰なの?」と畳み掛けた。

 リンはやはり口をつぐみ、俯いてしまう。

 伏せられた長い睫が憂いを帯びた表情を美しく引き立てる。ふとした瞬間に見せるそんな大人びた顔に、こんな時なのに目を奪われた。

引き寄せられるように、ルイは一歩リンに近寄った。


「リン…」


 ハッとしたように、リンが一歩退がる。ルイはとっさにリンの腕を掴み、その動きを遮った。

 片手を延ばして肩を抱き、細い体を腕の中に引き込む。


「やだ!!」


 抱しめられたリンは、とっさに身をよじって抵抗した。


「――ずるいよ、リンは!!」


 思わず声を上げると、リンがビクッと体を震わせて凍りつく。


「そんな嘘か本当か分からない言葉で逃げるなんて…。俺はずっと、真剣なのに…!」


 八つ当たりだと知っていた。それでも止められない。リンの温もりを捕まえた腕に力が籠る。

 途端、胸を押される感覚に気付き、ルイは我に返った。腕の力が緩む。同時にリンはルイの腕から逃げ出し、一歩退がった。

 向き合ったリンの顔は今にも泣き出しそうで、ルイの胸は鈍い痛みを覚えた。


「嘘じゃないもん…」


 リンが小さく呟く。


「誰かなんて、言えないけど…。でも、他の人なんて考えられない。その人じゃないと、だめなんだもん…」


 そう言って目を伏せると、「帰るね…」と言った。

 ルイの答えは聞かなかった。そのまま背を向けて走り去る。

 リンの背中を見送ってしばらく立ち尽くしていたルイは、やがて大きな溜息を洩らすと、その場にしゃがみこんだ。

 

 ◆


 警備が終わり、アーロンが家に帰ると、リンは夕食を作って待っていてくれた。

 お祭りの片付けが終わるまで仕事が続いたので、すっかり遅くなってしまった。

 アーロンは遅い食事をとりながら「あの後、何時まで居た?」とリンに聞いた。


「暗くなり始めた頃には帰ったの」


 リンはもう食事は終えていて、アーロンの為に準備だけしてくれた。目の前に立って食べ始めたアーロンを見守っている。リンの返事にアーロンは安堵していた。正直、男も交えて遅くまで遊んだりしてもらいたくない。

 もう子供じゃないのだから、そんな気持ちを押し付けることはできないのだが。

 リンは「お風呂に行ってくるね」とアーロンに声をかけた。


「うん、ありがとう」


 用意をしてもらったことに礼を言うと、リンはにっこり微笑んで去って行った。


 

 食事済ませ片付けを終えると、アーロンはリンがお風呂を終えるのを待ちながら長椅子に横になって本を読んでいた。

 今朝は早かったし、お腹が満たされたことも手伝って、やがて眠気が襲ってくる。

 終わったら起こしてもらえるだろうと思いながら、アーロンは胸の上に本を伏せるとその目を閉じた。



 やがてお風呂を終えたリンは、髪を拭きながら居間に戻ってきた。

 すでに寝巻きに着替えており、その上からガウンを羽織っている。

 ふと長椅子に寝ているアーロンを見付け、頬を緩ませる。長椅子に転がった彼の足は入りきらずに椅子からはみ出していた。

 読みかけらしい本を手にしているところを見ると、自分が終わるのを待っていたらしい。

 リンはアーロンを起こそうと近づき、体に触れようとしてふと手を止めた。その寝顔をじっと見つめる。


 彼を男の人として見てしまうようになって、もうずいぶん経つ。昔みたいに軽々しく触れられなくなったし、目の前で脱がれたりすると大慌てしてしまう。そして時折頭や背中に軽く触れられるたびに、胸がうるさいほどに高鳴るようになった。

 そんなリンの変化に最初のうちはアーロンも戸惑っていたけど、”成長”として理解してもらえたようだった。

 アーロンが自分を妹のようにしか思っていないことは充分知っている。またいつか昔のように、彼に恋人ができてしまうかもしれない。

 そんな可能性を考えると、どうしようもなく苦しくなる。


 それでも他の誰かを、アーロンと同じようになんて思えない。それが正直な気持ちだった。


 リンはしばらくアーロンをただ見つめていたが、やがてそっと顔を寄せた。

 彼の唇に、軽く口付ける。ほんの一瞬、触れるだけのキスだった。

 離れた瞬間、リンは我に返った。

 自分のしたことに自分で驚き、リンはみるみる真っ赤になった。そして慌ててその場を離れると、自分の部屋へと逃げ込む。

 1人になった部屋で、リンは落ち着かない心臓をなだめようと必死になっていた。



 リンが去った事を確認し、アーロンはその目を開けた。そのままたっぷり数十秒、固まったまま宙を映す。

 たった今、自分の唇に触れた感触が後をひいている。とっさに寝た振りを貫いたが、その正体は分かっている。それでもにわかには信じられず、瞬きを繰り返した。


「……ん?」


 思わず間抜けな声が洩れる。体を起こすと、リンの部屋のドアが目に入る。


「……え??」


 アーロンは1人茫然としながら、しばらくそのドアを見つめていた。

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