未来へ向けて
ある日、学校へ行ったリンは、授業が始まる前に隣に来たルイに声を掛けた。
「ルイ」
名前を呼ばれてルイはリンを振り返る。リンは彼が応える前に「話、してもいい?」と聞いた。
その意味が伝わったのか、ルイの顔が緊張に強張る。けれどもしっかり頷くと、「うん」と言った。
その場で出来る話ではなかったので、リンはルイと2人で教室を出た。そして人が居ない場所に来ると、そこで改めて向き合った。
ルイの硬い表情を目の当たりにし、一瞬言葉が出なくなる。
それを察したのか、ルイが「返事、くれるんだよね」と促した。
リンはこっくり頷いた。そして意を決し、口を開く。
「私、ルイの恋人にはなれない」
リンの言葉にルイはとっさに何も言わなかった。ただ黙ってリンを見ている。その目に、リンの胸は鈍い痛みを覚えた。
「ルイの言葉…嬉しかった。そんな風に言って貰ったの、初めてだったから。すごくドキドキしたし、ルイは優しくて、もしかしたらこういう気持ちが、好きってことなのかなって思ったりもしたんだけど…」
リンはそこまで言うと言葉を止めた。そして目を伏せる。
「でも、違うの。私が世界で一番好きな人は…ルイじゃないの」
リンの脳裏に、遠い昔の父の言葉が甦る。
父はいつも”私が世界で一番愛しているのは、きみのお母さんだよ”と言っていた。”私は2番目なの?”と文句を言うリンに父は優しく答えた。
”リンティアにもいつか、父さんでも母さんでもない、世界で一番の誰かが現れるよ”
「他に好きな人が、いるの…?」
ルイの問いかけはリンの胸をきゅぅっと苦しくさせた。
ずっと本当に、兄のように思っていた。優しくて、暖かくて、大きくて、どこの誰かも知らない自分に、失ったはずの幸せを与え続けてくれた人。
でもあの日、子供のように泣く彼を抱きしめながら、初めて彼はただの1人の男の人なんだと気が付いた。
いつも冷静な大人じゃなくて、苦しい時には、荒れたり泣いたり、そんな普通の男の人だった。
側に居たいと思った。いつでも、どんな時も。
護られるばかりじゃなくて、支えられるばかりじゃなくて、彼に必要とされる存在になりたいと、切に願った。
そしてそんな想いこそが”特別”なんだと、苦しいほどに自覚した。
世界中で一番、好きな人――。
「うん…」
リンの答えに、ルイは目を伏せて俯いた。
授業の開始を知らせる鐘が聞こえてくる。みんなの足音が遠く響く。
いつもと変わらない景色。
けれども2人だけは、その空間から切り離されたかのように、ただじっとそこに佇んでいた。
◆
食堂で、しかも大勢の前でのローラの告白の噂は、すぐにアーロンの耳にも入ってきた。
ただ気を使ったのか、それは自分の隊の兵士からではなく、巡り巡って違うところから聞こえてきた。
「そんでその場でバッサリ切られちゃったらしいですよ。”きみに興味ない”なんつって」
楽しそうに話す兵士は、当然アーロンとローラのことなど何も知らない。
アーロンはふっと笑みを洩らし、「へぇ」と短く呟いた。
その後、アーロンはいつものようにキースと昼食をとった。
2人で並んで食堂を出た時、久し振りにローラと出くわした。
いつかのように大きな洗濯籠を持ったローラは、2人の姿に驚いたように一瞬足を止めたが、また急いで駆け出した。
そんな風に慌てたものだから、前を通り過ぎた後につまづいてしまった。
小さな悲鳴を上げてその場に膝を付く。それと同時に大きな籠は腕から離れ、洗濯物が廊下に散らばった。
キースは何事も無かったように、彼女に背を向けて歩き出した。
そして1人で寄宿舎を出て行く。
アーロンは少しの間洗濯物をかきあつめるローラを眺めていたが、やがてふっと短く吐息を洩らし、彼女の方へ足を向けた。
アーロンは散乱する洗濯物の一つを手に取ると、ローラの前に置かれている籠に投げ入れた。
ローラがそれに気付いてピクリと肩を震わせる。一呼吸置いて、そっとアーロンを振り仰いだ。
アーロンはそんなローラにあえて目を向けず、また洗濯物をひとつ床から取り上げた。
「…聞いたよ。食堂での大告白」
ローラが息を呑んだのが分かる。けれども声は出ず、ただアーロンを見詰めている。
アーロンは苦笑混じりに呟いた。
「わざわざ大勢の人前で振られに行くなんて、全く物好きなんだから…」
洗濯物を籠に入れようと振り向くと、ローラと目が合った。アーロンを見上げるローラの瞳に涙が滲む。
アーロンは不意に手に持っていた洗濯物を彼女の頭に放るようにして被せた。
それがローラの顔を隠す。それでも涙が頬を伝って、落ちていくのが見える。
ローラは被せられた洗濯物を取ろうともせず、ただ俯いていた。冷たい廊下に座り込んだまま。
アーロンは彼女から目を逸らし、小さく呟いた。
「……俺には、関係ないけどね」
その場を去ろうと歩き出す。そんな彼の耳に、微かにローラの声が届く。
「いいんだもん…」
アーロンは足を止めた。そしてそっと振り返った。ローラは俯いたまま、震える声を絞り出した。
「私を救ってくれた大事な人を傷つけて、キャリーも悲しませて、それでも選んだ気持ちだから…。傷ついてもいいの。後悔しないように頑張るの」
ローラはそう言うと少し間をおき、「…見てて」と続けた。
力強い一言が、アーロンの顔に自然と穏やかな微笑みを生む。
「見てるよ」
それだけ言って、アーロンは再び歩き出した。
遠ざかる足音がやがて消えると、ローラはそっと自分の頭に被さった洗濯物を取り去った。
もう誰も居ない廊下を目に映しながら、ローラの頬にはまた涙が伝う。けれどもその顔には晴れやかな微笑みが広がっていた。
◆
ローランド王城では、渡り廊下を鎧に身を包んだアルベルトが颯爽と歩いていた。
ふと彼の目に愛しい娘、グレイスの姿が映る。
前から歩いてくる彼女は、いつもの騎士の姿ではなく、美しく装い、傍らには侍女を連れていた。
長い黒髪は綺麗に結いあげられ、彼女の瞳と同じ紫色のドレスがその身を包んでいる。そんな格好をしていると、見間違えそうなほど妃とよく似ている。
アルベルトは片手を上げると「よぉ!」と声をかけた。グレイスが伏せていた目を上げて父の姿を認める。ふたりは一時足を止め、向き合った。
「最近は訓練に出てこないんだな。でもやっぱ、そういう格好の方が似合ってるよ、お前は」
剣を教えたのは自分だが、やはりそれを使う場に出て欲しくはないというのが親心だ。
「それはどうも。もう騎士として出て行ったりしないから安心して」
グレイスはそう言うと父の隣をすっと通り過ぎた。
「おい、待て!」
アルベルトが慌てて呼び止めると、グレイスは振り返る。
「…なに?」
「本当か?騎士隊をぬけるのか?」
我が耳を疑い問いかけた。今までどれだけ言っても大人しくならなかったのに。
グレイスが頷く。その表情から、いつもの覇気は感じられなかった。
「どうしたんだよ…」
「嬉しくないの?」
「いや、そりゃ安心だけどさ。お前が納得してないなら、無理して抜けることないぞ」
グレイスはふと目を伏せ、呟いた。
「納得しているの。騎士を続けていると、自分を立場を忘れてしまいそうになるから」
今更な言葉に、アルベルトは訝しげな表情を浮かべる。グレイスは振り切るように顔を上げると、突然にっこりと微笑んだ。
「もちろん剣の稽古は続けるわ。お父様が、教えてくれるでしょ?」
娘の笑顔にアルベルトもつられて相好を崩す。
「おぉ!まかせとけ!いつでもいいぞ!」
「よろしくね」
そう言って、グレイスはまた歩き出した。侍女も併せて付いて行く。
その背中を目を細めて見送りながら、アルベルトは、「やっぱ可愛いなぁ」としみじみ感嘆していた。
◆
アーロンが訓練場に戻ると、バッシュが隊のもとへ来て、キースと話をしているところだった。
何の用事だろうと思いつつ、アーロンは2人に駆け寄った。
2人が同時にアーロンに気付く。バッシュが笑みを浮かべつつ「来た来た」と言った。
「すみません、なにか自分に用がありましたか?」
アーロンが問いかけると、バッシュは「いや、今キースに相談してたんだが…」と切り出した。
「お前、もう隊長補佐も半年経つだろ?そろそろ、隊を持てるんじゃねぇかなってさ」
隊を持つ。それはつまり隊長の地位に就く事を意味する。
目を丸くするアーロンの反応に、バッシュは笑みを洩らした。
「お前が隊長になったら、お前の下に付きたいって言ってる若いのが沢山居るんだ。お前もそろそろ1人立ちできるんじゃねぇか?」
とっさに反応出来ず、アーロンはしばらく目を見開いたまま固まっていた。彼の言葉を反芻し、しみじみと味わう。
”お前が隊長になったら、お前の下に付きたいって言ってる若いのが沢山居るんだ”
素直に嬉しかった。誰かにそんな風に言ってもらえるなんて、想像もしなかった。
アーロンは感激のあまり言葉を失い、助けを求めるように隣のキースに目を遣った。
バッシュに相談を受け、彼は何と答えたのか。自分に隊長という職が務まると、彼は思っているのだろうか。
そんなアーロンの疑問に答えは無く、キースは黙ったままそこに立っている。
アーロンを見る彼の口元には、薄く笑みが浮かんでいた。
「できるか?」
バッシュの問いかけに、アーロンは即座に「はい」と答えた。
「結構だ。よし、話を進めよう。ちなみにキース、お前の隊も人を増やすからよろしくな」
「はい」
バッシュは満足したように頷くと、「よろしくなっ」と片手を挙げ、2人に背を向けて去っていった。
「隊長かぁ…」
アーロンはバッシュの大きな体を見送りつつ、しみじみと呟いた。
「どんな隊長になるのか、見ものだな」
キースがからかうように言う。アーロンは彼に目を遣ると、ニッと笑みを浮かべた。
「これで同じ位置に立った」
「肩書きだけはな」
即座に返すキースの言葉に、アーロンはムッとして顔をしかめる。キースはちょっと笑うと、彼に背を向けて隊員達のもとへと歩いていった。
―――いつか、肩を並べてみせる。
遠ざかる背中を見ながら、心に誓う。
アリステアでも、ローランドでも、男としては勝てなかった。けれどそれを永遠に続けてはいられない。
彼はもう騎士ではなく、自分はただの兵士ではない。
もう”地位”は言い訳にならない。
今は無理かもしれない。けれどもいつか、男として、並んでみせる。
キースの背中を見据えるアーロンの瞳は、その先に続く遥か未来を映し始めていた。
第二章完結です!
三章は少し未来へと時間が進みます。
読んで下さっている方々有難うございます。
後半戦もよろしくお願いします!




