大切な家族
ある日、訓練中のアーロンのもとに来客の知らせがあった。
この国で自分に会いに来る人物といったら1人しか心当たりが無い。アーロンはため息混じりに招かざる客のもとへ向かった。
「よぉ、久し振り~!!」
客の通された部屋に辿り着くと、そこには予想通りのバルジーが待っていた。たいして懐かしくもない細いつり目が満面の笑みを形作る。
「…どうも」
アーロンは部屋に入ると彼の真向かいに腰かけた。部屋には2人以外、誰も居ない。それでもバルジーはわざとらしく声をひそめ、「そろそろまた、行こうぜ」と切り出した。
「やっぱ、それか」
しばらく平和な日々が続いたが、どうやらまたゴンドールに行く必要があるらしい。
「次の休みはいつだ?リンちゃんも、一緒に頼むぜ」
「リンは学校行ってるんだよ。休みが合うこと、あんまりないんだぞ」
「休ませろよ、そのくらい」
「やだ」
無下に断るアーロンに、バルジーは片目を細めて声を低くする。
「お前、今ここに居られるのは俺のおかげだってこと忘れんなよ」
「それを言うなら、今生きてるのはリンのおかげだろ」
一方的に恩を売られる謂れはない。
叩きかえすようにそう言うと、バルジーは顔をしかめたまま口を閉ざした。腕を組み、こちらを睨みつけている。やがてアーロンが折れないことを悟ったのだろう。めんどくさそうに舌打ちした。
「ったく、分かったよ。次回はもっと余裕を持って来るよ!でもとりあえず今回はさっさと行きたいんだ」
「俺だけ行くよ」
バルジーは渋々承知したものの、最後まで「あの子が居れば絶対安全なのにぃ」と1人でぼやいていた。
その頃、キースは訓練場で兵士に剣の指導していた。
最近兵士達は全員体力がついてきた。基礎体力強化訓練は毎日続けているのだが、今は途中で脱落する者は居ない。
ローランドで兵士になってもう半年。瞬く間に月日は流れていく。
「有難うございました!」
相手を終えた兵士がキースに頭を下げて退がった。そして次の兵士と交代する。金色の髪を軽くかき上げながら、キースはふと遠くを見遣った。
あの夜、彼女が立っていた場所。
”離して、キース…”
グレイスの囁きが、耳の奥に甦った。
―――
――――――
「……いやだ」
離れようとしたグレイスの腰を強く引き戻し、キースはそう返した。自分の中の、どうにもならない衝動を持て余しながら。
グレイスの瞳が困惑に揺れる。苦しげに眉を顰め、訴えるように囁く。
「だめなのよ…」
そんな抵抗はまるで逆効果だった。
腕の中の彼女は、今まで見たこともないような顔をしている。騎士ではない、女の顔だった。その目は自分を拒絶してはいない。それなのに、理性で跳ね付けようと足掻いている。
「だったら、どうしてここに来た…?」
追い詰めるようなキースの問いに、グレイスは言葉を失った。
「俺はきみに会いに来たんだ」
約束など無かった。それでもその姿を求めたら、自然にここへ足が向いていた。
「…きみも同じだね」
「違うわ」
グレイスは即座に否定した。それは罪を問われる罪人の、無駄な抵抗に似ている。
「違わない」
「――違…!」
続く言葉を、唇を塞いで遮った。そうしてしまえばもう理性も倫理も消え去って、ただの男と女になる。
一瞬強張ったその体は、口付けが深まるにつれて力を失った。
解放するとグレイスは熱い吐息を洩らし、それでも潤んだ瞳に抗議の色を浮かべ、軽くキースを睨んで見せた。
キースの唇が緩く弧を描く。
騎士としての彼女はどこにも隙の無い威厳すら纏っていながら、自分の腕の中で、今はこんなにも無防備だ。その表情、仕草のひとつひとつに、引き込まれていく自分を自覚する。
「俺の部屋においで」
「行けない…無理よ…!」
グレイスは首を振ってそう応えた。許しを乞うように。
「何故…?」
問いかけた言葉に、グレイスは溜息を洩らし、力が抜けたように目を伏せる。
「…分かってるでしょ?近衛隊長を、敵にまわす気なの…?」
「彼は、関係ない」
即座にそう答えたキースを、グレイスは驚いたように振り仰いだ。
「関係あるわよ…」
「関係ないよ。俺が欲しいのはきみなんだ」
はっきり口にすれば、グレイスの瞳が戸惑いに揺れる。技も駆け引きも無い、子供じみた手だとキースは内心で自嘲した。
それでも今腕の中から逃がしてしまうと、二度と捕まえられなくなる気すらして、どこか焦る想いがあるのは否定できない。
グレイスは異質な物を眺めるような目でしばらくキースを見詰めていたが、やがて力が抜けたような笑みを洩らした。
「彼の事を、”関係ない”って言った人は初めて…」
そして目を閉じる。
「……私には言えない台詞だわ」
吐息に混じりに囁き、グレイスはキースの胸に顔を埋めた。
その細い肩に腕を廻して受け止める。
言葉では拒絶しながら、自分に身を寄せる彼女の真意は読めない。それでも離すことも出来ず、キースはグレイスの黒い髪に顔を埋めて目を閉じた。
「…もう、来ない」
グレイスが囁いた。耳元で聞こえたその声に、キースは閉じていた目を開いた。
「もう会わないわ…」
グレイスは己に言い聞かせるように囁くと、キースの胸を押して離れた。キースの腕もすっと解かれる。
引き止めることは容易かったが、そうはしなかった。強い意志を孕んだ瞳から、彼女の答えは明らかだった。
揺れながらも、彼女は結局、近衛隊長を選んだのだ。
夜の闇に、潤んだ瞳が溶け込んで映る。
「……さようなら」
次の瞬間、グレイスは振り切るように背を向けた。長い黒髪がふわりと揺れて、再びその背におさまる。
歩き出した彼女は、それを見送るキースを、一度も振り返ることなく去って行った。
―――
――――――
◆
仕事が終わった夜、アーロンは正門でローラと待ち合わせをして、一緒に帰途についた。
2人が恋人同士となってから、ローラとアーロンはお互いの妹を連れて4人で食卓を囲むことが常になっていた。今日はアーロンの家で食べる予定なので、リンはキャリーを連れて学校から戻っているはずである。
ローラと待ち合わせをして、買い物をして、2人で妹達の待つ家に帰る。
まるで家族になったようなそんな日常に、言い知れない幸せを感じていた。
買い物袋を手に街を歩いていたアーロンは、ふと見慣れた集合住宅の建物が見えてきた所で足を止めた。隣を歩いていたローラも釣られて足を止め、不思議そうな目を向ける。
そんな彼女の腰を片腕で引き寄せると、アーロンの意図を察し、ローラは反射的に身を退いた。
「アーロン…!」
戸惑う瞳をすぐ近くで覗きこみ、アーロンは惚けて問いかけた。
「なに?」
「なにって…こんな所で…」
人が行き交う通りを見廻して、ローラが眉を下げる。
「リン達の前でするよりいいじゃん」
「それは…そうだけど…」
困って逃げ道を探そうとするローラの瞳を見詰め、アーロンは小さく囁いた。
「……けっこう我慢してるんだよ?」
アーロンの切実な訴えは無事届いたようだ。再び顔を寄せたアーロンの唇を、ローラは観念して受け入れてくれる。
唇が触れ合うと、心が昂ぶる。もっと触れ合いたくなる。
アーロンはその自然な欲求を理性で抑え、唇を離した。綺麗な栗色の瞳を前に、溜息が洩れる。
「かえってつらくなった…」
ローラが恥ずかしそうな笑みを浮かべる。アーロンは諦めると、その体を離した。
「行こうか。可愛い妹達が待ってるから」
気を取り直して歩き出すと、ローラも「うん」と微笑んで隣に並んだ。
「おかえりなさーい!」
家に帰るとリンが笑顔で出迎えてくれた。その後ろからキャリーも現れる。
居間に入ると、テーブルの上にカードが散らばっているのが目に入った。どうやら2人でカードゲームをして遊んでいたらしい。
「片付けておけよ」
「はぁ~い」
2人してテーブルに戻っていく。仲の良い後姿に、アーロンの顔は自然と綻んだ。
「今度、皆でリンのお誕生日会やろうと思ってるんだ」
夕食を食べながらキャリーが言った。言われみれば誕生日が近いことに気付く。
「どこで?」
「ルイのおうち!」
ルイの名にアーロンの顔は俄かに険しくなった。
「ふぅん」
声から感情が洩れたのか、ローラがクスクスと笑う。リンにもそれは間違った意味で伝わったらしく、「アーロンも来る?」と気遣うように問いかけられた。
「いいよ。子供だけで楽しんでいるところに、大人は邪魔だから」
その言葉に、リンはキャリーと顔を合わせて「子供じゃないもんね」と頷き合っている。
4人で囲む食卓はいつものように賑やかで、明るい笑い声に満たされていた。
ローラとキャリーが帰った後、アーロンはリンにバルジーの件を報告した。
「またゴンドールに行ってくる」
片付けも終え、2人で長椅子に並んで座りくつろいでいる。懐かしい大陸の名前に、リンは背もたれから身を起こしてアーロンの方を向いた。
「私も…?」
「お前は学校だからいいよ。今回は俺だけ。次回はお前の休みに合わせるって言ってたけどな」
リンはふと顔を曇らせ、目を伏せて黙り込んだ。そんな表情を気にして、アーロンはリンの顔を覗き込む。
「どうした?」
リンは俯いたまま、躊躇いがちに口を開いた。
「私…もう、行きたくないな…」
意外な言葉だと思った。リンにしてみればゴンドールは友達なのだから、むしろ行けないことを残念がるかもしれないと思っていた。逆の言葉が出て来たことに驚き、アーロンは重ねて問いかけた。
「どうして?」
リンは困ったように眉を下げる。
「怖いもん」
それは更に意外な答えだった。
「何が?…ゴンドールが、じゃないよな?」
リンにとってゴンドールは恐怖の対象には成り得ないはずだった。言い難そうな様子にふと思い当り、「あ、バルジーか」と苦笑する。あの男は確かに胡散臭い。
「違うよ…」
リンが首を振った。そして顔を上げ、不安気な瞳をアーロンに向ける。
「アーロンは、怖くないの?私のこと、おかしいと思わない?」
「リンのことを??」
何を言い出すのかと笑いそうになった。けれどもリンの真剣な目にそれを呑みこむ。いつも明るいリンの表情は、緊張のせいか硬く強張っていた。冗談ごとではない空気が、その顔から自然と伝わる。
「だって…ゴンドールを操ったりする人、怖いでしょ??もしかしたら、私、ゴンドールだけじゃなくて、人間も操れるのかもしれないよ??」
リンの言葉の意味がすぐには理解できなくて、アーロンは瞬きを繰り返した。
―――”操る”…?
そんな風には、全く感じていなかった。
「操ってたの?俺には仲良くしてるようにしか見えなかったけど」
アーロンを見つめるリンの瞳に涙が滲んでくる。
「おいっ…」
慌てるアーロンから目を逸らし、リンが俯く。こぼれた涙が膝に落ちたのが見えた。まさか泣き出すなどとは思ってもみなかった。その理由が分からず途方に暮れる。
「リン…」
「自分が、怖いよ…」
リンの小さな呟きに、アーロンはきゅっと眉根を寄せた。
―――そんな風に、思うんだ…。
リンにしてみればゴンドールと仲良く出来ることは当たり前のことなのだと勝手に思っていた。けれどもリンはリンなりに、自分の不思議な力に疑問を持っているのだ。
力を持つ者には、その力ゆえの苦しみがあるのだと初めて理解する。能天気にリンをゴンドールへ付き合わせるのは、間違っている。
「分かった。お前はもう行かなくていい。バルジーには俺から言っておくから」
リンが涙目でアーロンを振り返った。すぐには頷けないのだろう。躊躇いがちに呟く。
「でも、アーロンが怒られちゃうかも…」
そんな子供らしい懸念が可愛らしくて、思わず笑みがこぼれた。
「別に、怖くねぇって。俺、あいつの弱味握ってるから」
力強くそう返すと、リンが吹き出し笑いをする。やっと戻ってきた笑顔に微笑みを返すと、リンはアーロンの胸に身を寄せ、きゅっと抱きついてきた。
リンがそんな風に甘えて来る事は珍しいことだった。よほど悩んだのだろうかと思うと、毎日顔を合わせながら今まで何も気付かなかった自分を情けなく思う。
アーロンはリンの細い肩を優しく抱き返した。
「リン…。もしお前に誰かを操る力があったとしても、俺は別に怖くないよ。お前が、その力を悪いことに使うはずがないだろ」
囁くように伝えると、リンはアーロンの胸に顔を埋めたまま、小さく鼻をすすった。そして縋る腕に力を込める。
「アーロン…」
呼びかける声は微かに震えていた。
「…ん?」
「大好き…」
「マジで?ルイよりも?」
冗談混じりに問いかけると、リンは即座に「うん」と答えた。
「…世界中で、一番好き」
アーロンの胸が熱いもので満たされて行く。幸せだと思った。家族を失くした自分に、また家族が出来ている。血の繋がりはないけれど、とても大事な存在が。
「……俺もだよ」
暖かい温もりを感じながら、アーロンはそっと目を閉じた。




