ローランド国王
めでたくローラと恋人同士となれたアーロンは、その後張り合いのある毎日を送っていた。
リンの”恋人”に関して問うのも忘れ、訓練や仕事によりいっそう力が入った。
ローラとはお互い妹がいるのでなかなか2人になる機会は無いが、その後も時折お互いの家を行き来して食卓を囲んでいる。
「アーロン、もしかしてローラさんのこと好きなの?」
そんなある日、突然リンにそう問いかけられた。不意を突かれ、アーロンが固まる。その反応を肯定ととらえたのか、リンは肩を落とし「そっかぁ…」と溜息を洩らした。
「ちょっと複雑…」
眉を下げてそう言ったリンがなんだか可愛くて、アーロンの頬は自然と緩む。
「そう言うお前も恋人居るらしいじゃん」
ふと思い出して、アーロンはからかうように言った。リンは慌てて「居ないよぉ!」と否定する。
「キャリーに聞いたぜ。ルイなんじゃないの?」
リンは絶句し、分かりやすく真っ赤になった。名前まで挙げられたことで動揺したのか、目を泳がせている。
「どうなんだよ」
つい追及してしまうと、「…まだ、返事してないもん」と言って目を伏せた。
どうやら申し込まれたのは間違いないらしい。そう聞いてしまうと、リンと同様やはり気分は複雑だった。自分の事は棚に上げ、思わず余計な口を出してしまう。
「やめとけ、やめとけ」
「なんで?」
「100年早い」
その理不尽な言い方に、リンはぷぅっと頬を膨らませた。
◆
ある日の昼時、兵士達の喧噪の中、アーロンとキースはいつものように食堂で向き合って昼食をとっていた。
2人はすでに食事を終え、優雅にお茶を飲むキースの前でアーロンは両手を挙げ、大きく伸びをしていた。腹が満たされれば眠気が襲う。
ふわぁとひとつ欠伸をし、アーロンはキースに声を掛けた。
「そういえば、グレイスからはあの後もお呼びかかってんの?」
キースは一瞬目を上げたが、すぐにまた長い睫を伏せた。
「……いや」
「気が済んだのかな」
「さぁな」
気の無い返事にアーロンはそれ以上問うのを止めた。もともと大して興味は無い。頬杖を付き目を閉じると、キースがその青い瞳をアーロンに向ける。
「なに、のんびりしてるんだ」
聞こえた声に、アーロンは目を瞬いた。
「…はい?」
「食べ終わったなら、先に訓練場に行って隊員達にいつもの内容を始めるよう指示しといてくれ」
「……はい??」
食後のお茶をのんびりと楽しむ隊長に、アーロンは眉根を寄せた。キースは改めて目を上げるとアーロンを睨み付ける。
「さっさと行け」
アーロンは一瞬文句を言うため口を開きかけたが、無駄な労力だと気付いて止めた。盆を手に、荒々しく音を立てて立ち上がる。
「どうぞ、ごゆっくり!」
皮肉を込めた捨て台詞を吐いてはみたが、涼しい顔で「有難う」と返される。
アーロンはぶつぶつ愚痴りながら、ひとり食堂を出て行った。
一歩食堂を出ると、目の前を横切って足早に過ぎていくローラに出くわした。とっさに「ローラ!」と声をかけると、今日も可愛い恋人が、足を止めて振り返る。
ローラは腕に洗濯籠を抱えていた。抱え切れないほどの大きさのそれに、兵士の制服が山盛り入っている。忙しそうだが、アーロンの姿を認めて「お疲れ様」とにっこりと微笑んでくれる。その笑顔だけで、気分はあっさりと上向いた。
「洗濯してるの?」
「うん、これ今取り込んできたの。また戻って、次のを干しに行くの。今日は天気がいいから、ずっと洗濯してる感じよ」
アーロンはローラの抱える籠に手をかけると、「持つよ」と言った。引っ張られそうになったその力に抗って、ローラは首を振る。
「だめよ、これは私の仕事なんだから。アーロンだって、仕事でしょ?」
アーロンははたと動きを止めた。そう言われるとその通りである。今、隊長に指示をされたばかりだったのを思い出す。
「…頑張って」
諦めてそう言うと、ローラは穏やかに微笑んで「あなたも」と返してくれた。アーロンは一瞬周りを見廻すと、辺りに誰もいないのを確認して、ローラに顔を寄せた。ローラはそれに応えるように目を閉じる。
軽く口付けて、見詰め合った。
「行ってくる」
「うん」
アーロンは名残惜しい気持ちを残しつつ、寄宿舎を駆け出して行った。
◆
ローラはその後、籠から乾いた制服を出して、洗い終わった洗濯物に入れ替えた。それをよいしょと抱きかかえるとまた外へ向かう。
ふとまた食堂の前にさしかかった時、そこから出てきたキースの姿が目に入った。
ローラの存在に気づき、キースがこちらを振り返る。久し振りに見た青い瞳に捉えられ、ローラは束の間息を呑んで立ち尽くした。
「……あぁ、久し振り」
キースに声をかけられ、ローラは「お疲れ様です」と頭を下げた。乱れた鼓動に気付かれないよう、なるべく平坦な声を出す。そして彼の顔を見ないで済むよう俯いたまま歩き出した。
だが前を通り過ぎようとした時、不意にキースに声を掛けられた。
「キャリーは元気?」
ローラはぴたりと足を止めた。胸の奥を得体の知れない靄が支配する。籠を抱きしめる腕の力が強くなった。
「関係ないんですよね…」
「…ん?」
「キース様には、関係のないことですよね」
自分でも驚くような冷たい声が出ていた。けれども彼は確かにそう言ったはずだ。それなのに、何故今更そんな事を聞くのかと思ってしまう。
キースの苦笑が耳に届いた。
「…それは残念だな」
「――ご自分でそうおっしゃったじゃないですか!!」
ローラは顔を上げると、責めるように声を上げた。
「”俺には関係ない”って、おっしゃいました!」
キースはローラの剣幕に目を丸くしている。そしてやっと自分の言葉を思い出したのか、「あぁ」と軽く眉を上げた。
「そうだね。君たち姉妹の話し合いに俺は関係ないよ。家族でもないのに、第三者が余計な口は挟めない。聞いてしまったら何か言わずにいられない話は、耳に入れないことにしてるんだ」
キースの言葉にローラは目を見開いて固まった。その目に浮かんでいた怒りの色がすっと力を失う。キースは柔らかく微笑み、小首を傾げた。
「でも、キャリーが元気かどうかは、是非聞きたいんだけど…」
ローラはしばらくキースの青い瞳を見詰めていた。そこに心が吸い込まれてしまったかのように。
やがて全身の力が抜けたように、抱いていた籠を足元に置いた。
そして改めてキースに向き直る。
「……元気です」
「そう…それは良かった」
キースはそれだけ言うと、「それじゃ」と歩き出した。去っていく背中に、ローラは思わず「キース様!」と呼びかける。キースが振り返る。ローラは自分の胸の鼓動を抑えるように、両手を胸の前で握った。
「キャリー、学校替わったんです!今はとっても楽しそうに通ってます!キース様のこと、覚えてて、また会いたいってよく言ってるんです…!」
ローラは言いながら胸が熱くなるのを感じていた。涙が出そうになって、必死でこらえる。どうしてそんな想いが湧いて来るのか分からなかった。
キースはその言葉に、何も言わずただ微笑んだ。それは今までに見たことも無いような、とても優しい微笑みだった。
キースが、ローラに背を向ける。
その姿が完全に見えなくなるまで、ローラはただ茫然とその場に立ち尽くしていた。
◆
午後の風を顔に感じながら、キースは訓練場へと向かって歩いて行った。
ふと馬の蹄の音がして、顔を上げる。人を乗せた馬が何頭か並んで歩いてくるのが見え、キースは足を止めた。騎士が外へ向かうのだろう。通り過ぎるのを、その場に止まって待つ。ゆっくりとこちらへ近づいてくる騎士の一行を、キースは見るとはなしに見ていた。
やがてキースの目は、小柄な黒髪の騎士の姿を捉えた。
彼の目に映ったその人は、懐かしい女性騎士グレイスだった。同時にその一行が近衛騎士隊だと気付く。近衛隊長の姿は無い。グレイスは中央で騎士達に、まるで護られるかのように囲まれていた。
近づいてくるのをただ見詰めていると、やがてグレイスがその視線に気づいて顔を上げた。
紫色の瞳がキースを映して止まる。そして軽く目を見張ったように見えた。
近衛騎士隊長の、愛する女性…。
どのくらいの時間だっただろう。2人はお互い目を離せず見詰め合った。通り過ぎる瞬間、グレイスが目を伏せる。それで我に返り、キースも彼女から視線を外した。
やがて騎士の一行が去っていく。その音が遠ざかったのを感じると、キースはまたゆっくりと歩き始めた。
◆
ローランド王城の広間では、1人の男がぽつんと突っ立って王の到着を待っていた。
神経質そうな細いつり目のその男は、自分を見張る騎士達の存在を気にするように忙しなく瞳を動かしている。厳かな雰囲気に、居心地の悪さを感じているようだった。
やがて広間の入り口から大柄な男が入ってくる。騎士に護られながら現れたのは、ダークブラウンの短髪に同じ色の瞳をもつ、精悍な顔立ちの大男だった。
黒地に金の刺繍のほどこされた立派な衣装が彼によく似合っている。
男は自分を待つ男の姿を見つけ、ニッと人懐っこい笑みを浮かべた。
「久し振りだな、バルジー。待ってたぜ」
バルジーは男を見るとクッと笑った。
「今日は、近衛騎士隊長じゃぁないのか?アルベルト」
そしてふと言い直す。
「――いや、フレデリック国王陛下、とお呼びした方がよろしいですかね」
わざとらしく畏まった様子のバルジーに、アルベルトは苦笑を洩らして玉座についた。護衛の騎士は無表情を張りつかせたまま、その周りを囲った。
「今日は珍しく議会なんぞに出てみた。普段はアルフォンスに任せっきりだがな」
「結構ですね。アルフォンス王子の御苦労、お察しします」
恭しく頭を下げて見せると、アルベルトは玉座の手すりに頬杖をつく。
「いいんだよ。国を知るには直接触れるのが一番なんだ。”国王”なんていう地位は、他国と交流がないローランドに必要ないんだからさ」
「どっちでもいいよ、俺は。商売ができれば」
突然いつもの調子に戻り、バルジーは首を竦める。そんなお調子者の商人を前に、アルベルトは面白そうに笑んだ。
バルジーがアルベルト近衛騎士隊長としてローランド国王に出会ったのは1年半ほど前だった。
ゴンドールの脱け殻を利用して造った鎧を城に売りにきた時、近衛隊長がそれに興味を示し、全て買うから持ってこいと言った。金はあるのかと訝しみながら再度現れたときは、いきなりこの広間へ通された。そして二度目には、アルベルトは今のように国王としてバルジーの前に現れた。
アルベルトは権力をふりかざし、バルジーに鎧の素材を追求したが、それを言わないとならないならアリステアに持っていくと断ったら諦めた。
何も聞かずに買ってやるが、絶対にアリステアでは売らないこと――それが2人の間で交わされた約束だった。
その後バルジーは鎧を作っては、定期的に城に届けに来ている。かなりいい商売だった。
「アーロンは元気か?」
バルジーの問いかけにアルベルトは「元気らしい。うちのグレイスには評判がいい」と答えた。
「グレイス姫が、会ったのか?」
「あれも俺と同じで、出たがりだからな。近衛騎士隊の騎士として公務に同行させたらしい」
「へぇ~…」
バルジーは口元に意味ありげな笑みを浮かべると「あんな美人を前にしたら、男がふらっといかないかねぇ」と呟く。
「心配無い。俺の女ってことになってる」
自信満々に言ったアルベルトに、バルジーは腹を抱えて笑った。
「無理があるぜ、それは!」
「なんだと!!俺はまだ37だぞ!」
確かに目の前の国王は37という年齢にしては若く見えなくもない。けれども19の娘相手に何を言っているんだとバルジーは苦笑した。
「素直に王女だと言えば、手なんて出せないのに…」
「それは嫌だって言うんだから、仕方ないだろ」
アルベルトは不満気に眉をしかめた。
3人の子供の中で、グレイスは彼の唯一の娘である。そのせいか、まさに目に入れても痛くないほどの可愛がりっぷりなのだが、彼の愛情は親離れした子供には鬱陶しいに違いない。
「アーロンには言うなよ。俺のことも、グレイスのことも」
「はいはい」
バルジーはそう言うと、楽しそうにまたクックと肩を揺すった。
◆
その夜、1人自室に居たキースはベッドに腰掛け、自分の剣を見詰めていた。
部屋に灯る明かりが彼の端正な顔をわずかに照らし出す。伏せられた長い睫が、物憂げな顔に影を落としていた。
キースはしばらくそのまま動かなかったが、やがてゆっくりと立ち上がった。
そして剣を手にしたまま、部屋の出口へと向かった。
目的も無く、キースはいつの間にか訓練場に辿り着いていた。
そこには誰も居ない。夜の風が心地よく彼を包み込む。ふと見上げた空には、以前見た時と同じような、満点の星空が広がっていた。
”あなたの過去は、戻らないけど、あなたの未来は、続いていくのよ”
―――姉さん……。
胸の内で呼びかける。懐かしい姉に。
―――何もできなくて、ごめん。
国を捨てたあの日、生きる意味を見失った。剣を持つ意味も、強くなる意味も、全て無くなったと思った。”未来”など、何も見えなかった。
けれども今、気付けばあの頃と違う想いが生まれているのを感じる。
その形は、まだはっきりとは見えないけれど。
―――姉さんのことも、リンティアのことも、忘れるわけじゃない。でも、前を向きたいんだ。
―――いいかな…。
答えは聞かなくても、分かっているけれど。
姉の微笑みを映すように、夜空の星は眩しいほどに輝いて、優しい光を降り注ぐ。
そうして仰ぎ見ていると、まるで体中が抱き込まれているようで、キースそっと目を閉じた。
不意に人の気配を感じ、キースは我に返って目を開いた。
背後を振り返って、目を見張る。そこに立っていたのはグレイスだった。
グレイスはキースと同じように剣を手にしていた。鎧は身に纏わず、解かれた長い髪が細い肩を覆っている。その瞳は真っ直ぐキースを映していた。
「何故、ここに…」
キースが呟いた。
「……あなたこそ」
グレイスが返す。
2人の間に、沈黙が流れた。
不意にキースが動いた。グレイスへ近寄り、その目の前に立つ。微かに潤んだ紫色の瞳が、夜の暗闇に映えて見える。
グレイスはただキースを振り仰いだまま動かなかった。キースの手が彼女の真っ黒な長い髪に触れる。
「…だめよ」
グレイスが小さく囁いた。キースの手がぴくりと動きを止める。それでも離れることはなく、2人の瞳もお互いを映したまま動かない。
「私は…だめよ…」
訴えるように、グレイスは繰り返した。
キースはしばらくグレイスの瞳をただ見つめていたが、やがてその手を彼女の耳の後ろに潜らせた。
「――手遅れだ」
短く呟いた直後、強く引き寄せた。2人の唇が重なり合う。その瞬間、グレイスは固く目を閉じた。
堰を切ったように、キースはグレイスに口付けた。
グレイスの髪に潜っていた手が、やがて彼女の背中を伝って降り、その細い腰を抱き寄せる。
グレイスは、されるままにただキースの口付けを受け入れた。
唇が離れてはまた出会う。繰り返し口付けながら、キースは固くグレイスを抱きしめた。
夜の訓練場に佇む2つの影は、そのまましばらく離れることはなかった。




