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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第二章
29/88

愛情の自覚

 ある日の休憩時間、アーロンとキースはいつものように差し向かいで昼食を食べていた。会話の内容は主に隊員について。最近やっとキースも各人の名前を覚え、それぞれの個性を把握していた。


「そろそろ公務を受けてもよさそうだよな」


 アーロンが言った。


「それに関しては、上級兵隊長次第だろう」


 キースが返す。アーロンは不満気に顔をしかめた。


「あのオヤジ、俺達に仕事振る気無いんじゃねーの?」

「まぁ、あえて俺達には振ることはしないだろうな」


 新人兵士達の集まりで、率いているのも新人上級兵士達である。キースの中では無理もない事と思えたが、アーロンは納得いかなそうだった。

 頬杖を着き、溜息混じりにぼやく。


「もう3ヶ月超えたのに」

「”まだ”3ヶ月だろ」


 キースは呆れたように苦笑した。そんな反応に更に眉根を寄せつつ視線を上げたアーロンの目に、ふとローラの姿が映る。

 アーロンの眉が、さっと上がった。

 いつの間に現れたのだろう。きょろきょろと食堂を見渡す彼女は、誰かを探しているように見えた。その目がアーロンと合うと、ハッとしたような顔になる。

 そんな反応に、アーロンの心臓はドクンと跳ねた。

 直後、ローラは意を決したように真っ直ぐアーロンの方へ歩き出した。

 アーロンの鼓動がにわかに速くなる。けれども近づくにつれ彼女の目が誰を見ているのかが明らかになり、高鳴っていた胸は石を落とされたように苦しくなった。

 やがてローラは、目的の人物の居る場所に辿り着いた。


 アーロンの目の前に座る、キースの背後に。


「――キース様」


 持てる勇気を振り絞るようにして、ローラは声を出した。同時に、アーロンは目を伏せる。まるで逃げるように。

 何故か、見ていられなかった。

 呼ばれたキースは何気なく振り返り、ローラの姿を認めた。そして不思議そうに問いかける。


「…なに?」

「あの……先日は……」


 ローラがたどたどしく言葉を紡ごうと試みるが、上手くいかない。その明らかな緊張は、真っ赤になった彼女の顔にも如実に現れていた。


「あ、ありがとうございました!それから、すみませんでした…!」


 それだけ必死で伝え、ローラが一旦口を閉ざす。


「…どういたしまして」


 抑揚の無い声で、キースはそう返した。

 ローラは少しの間、キースを前に沈黙した。キースも黙って彼女の言葉を待つ。気まずい間の後、ローラが思い切ったように口を開いた。


「あの後、妹と話し合ったんです。それで、結局…」

「――それは、いいよ」


 ローラの言葉を遮って、キースが言った。ローラが息を呑む。栗色の瞳が一瞬震えたようだった。


「俺には関係のない話だから。話し合えたなら、良かったね」


 そう言ってキースはまた前を向いた。それ以上何も聞く気はないという意志を示すように。

 目を見張ったローラが急速に赤くなる。泣いてしまうのではないかと思った瞬間、それを隠すように頭を下げた。


「し、失礼しました!」


 振り返ることのないキースから、ローラは逃げるように去って行った。アーロンの目は遠ざかる彼女の小さな背中を追う。

 次の瞬間、考えるより先に体が動いていた。

 突然立ち上がったアーロンを、キースが驚いたように振り仰いだが、目に映ってはいなかった。

 アーロンはキースも食事もその場に置いて、走り出していた。



 突然腕を掴んで引き止められ、ローラは小さく悲鳴を上げた。

 目を見張って振り返った先にはアーロンが立っていた。真摯な瞳と出会い、息を呑む。 

 ローラは目の前の意外な人物を、少しの間確かめるように凝視した。


「アーロン……」


 名を呼ばれ、アーロンは我に返ったようだった。「あ…」と声を洩らすと、掴んでいた腕を離す。

 解放されてみると、それがとても強い力だったことに気付かされた。

 ローラの戸惑いを感じてか、アーロンは気まずそうに目を伏せる。


「ごめん、つい…」

「ううん…」


 言いながらもローラはまだ茫然としていた。突然現れたアーロンが、何を思って自分を引きとめたのか分からなかった。

 問うようなローラの目に見詰められ、アーロン自身も困惑していた。

 とっさに出てしまった行動だった。何か目的があったわけじゃない。ただなんとなく、放っておけなかっただけで…。


「ちょっと、気になって」


 誤魔化しても無駄だと感じ、アーロンはローラに問いかけた。


「妹さん、どうかした…?」


 ローラの表情がさっと変わる。瞳に動揺を滲ませながら、ローラは顔をうつ向けた。とっさに答えられない質問だったようだ。それでも何かがあった事は、彼女の様子から明らかだった。

 2人の間に、重い沈黙が流れた。


――俺には、話せないかな……。


 アーロンがそう思って諦めかけた時、ローラの小さな声が耳に届いた。


「学校……辞めたの」


 思いがけない答えに、アーロンは目を見張った。家族2人きりの妹だと、前にローラから聞いた。その妹を学校に行かせたくて、ローラは必死で働いていたはずだった。


「そんな…」


 思わずそんな呟きが洩れた。ローラは俯いたままそれ以上何も言わない。


「どうしてそんな…だってきみは妹さんのために…」

「違うの」


 ローラはアーロンの言葉を遮って首を振った。


「妹のためじゃなかったの。私のためだったの。私、自分のことばかり考えて、妹のこと長いことちゃんと見てなかったの。あの子が学校でどんな想いしてるのかも、知らなくて……」


 ローラが声を詰まらせた。俯いたまま、涙をこらえているのが分かった。アーロンはそんな彼女を黙って見ていることしかできなかった。


「私の妹ね…学校で、友達居なかったんだって。皆であの子にひどいことしていたのよ。大事なものをとられたり、暴力ふるわれたり、無視されたり…。私、あの子が気が弱いの知ってたのに、施設に居たときは、いつも私の後ろに居て…。そんな子だって、知ってたのに……」


 堪えきれずに、ローラは嗚咽を洩らした。彼女の泣き声に、アーロンの胸は苦しいほどに締め付けられていく。その痛みが流れ込んで自分を支配する。

 一瞬、頭の中が真っ白になった。

 気がついたら、アーロンはローラの体を抱きしめていた。

 ローラが驚きでビクッと震えたのが腕に伝わる。けれども離すことはできなかった。


「きみは悪くない」


 ローラの耳元で、アーロンは言った。一瞬身をよじったローラの動きが止まる。

 想いが溢れ、腕に力がこもる。


「何も、悪くないよ……」


 堰を切ったように、ローラは声を上げて泣き始めた。苦しみを絞り出すような、悲痛な声だった。

 体を震わせながら泣く彼女の声を耳元で聞きながら、アーロンは目を閉じた。

 寄宿舎の廊下を行きかう人々の目も声も、2人の意識の外にあった。そしてそのまましばらく動くことが出来なかった。


 ◆


 同じ頃、リンは学校で皆と一緒に昼食を摂っていた。

 パティ達との話題はやはり、また”好きな人”のことになる。


 パティはからかうような調子で、「リン、ルイとはどう~?」と問いかけてきた。


「どうって別に……」


 苦手な話を振られてしまった。言葉を濁すリンの周りで他の子達も「どうなのどうなの~??」と盛り上がる。


「ルイは絶対、リンのこと好きだもんねぇ~」

「うん、間違いないよねっ!」


 皆が口々に言った。

 なぜそこまで自信満々なのか、さっぱり分からない。皆してパティの噂に踊らされ、暗示をかけられているような気になってくる。リンは別にルイに何かを言われた事も、された事も、一度も無いのに。


「お休みの日に、一緒に剣の稽古したんでしょ??」


 リンの心の声を覗いたように、パティが言った。即座に「お休みの日に?!」と歓声が上がる。

 リンは慌てて弁解した。


「アーロンも一緒だったんだってば!パティ、知ってるでしょ?!」


 軽く睨みつけると、パティは涼しい顔でうふふと笑う。

 パティがこの調子なので、学校ではルイはいつもの通りそっけない。パティとしてはルイとリンを近づけたいという思惑があるのだろうが、全く逆効果である。

 楽しげに沸く友人達を尻目に、リンはひとり疲れた溜息を洩らした。

 授業が始まる前、席に戻ったリンは、ふとルイの机に立てかけられた木の剣に目を留めた。

 彼がそれを学校に持ってくるのは久し振りだった。どうやら今日はロディと剣の稽古をする予定らしい。


 そんなことを想像しながら見ていると、視線に気付いたルイがこちらを振り向き、目が合った。

 パティのせいで、意味も無く赤くなってしまう。ルイもつられるように赤くなり、すっと目を逸らした。


「今日は…剣の稽古やるの?」


 気まずい空気をなんとかしたくて、久し振りに話しかけてみた。

 そっけなくされるかと危惧したが、ルイは意外にもこちらを向いて、にっこりと笑ってくれた。


「うん。まえにリンのお兄さんに教わったこと、ロディにも教えてあげるんだ」


 明るく応えてくれた。ほっとして、リンも自然と笑顔になる。


「そっか!また、いつでも言って。今度はロディも誘ってもいいかも…」

「そうだね。なんかお兄さん忙しいのに、悪いなって思っちゃうけど」


 こんな風に普通に話せるのは久し振りだ。嬉しくなって、声も大きくなる。


「ううん、お休みの日なら大丈夫だから!だって私なんていつも…」

「リンとルイがイチャイチャしてる~!!!」


 突然またいつものように野次が飛び、リンは言葉を呑んだ。ルイの表情も、瞬時に硬くなる。

 せっかく話ができていたのに、また会話が中断させられる。

 周りの子達の視線が2人に集まり、男の子達が一斉に囃し立てた。


「デレデレしてる~!」

「ルイはやっぱりリンが好きなんだぁ~!」


 もうやめて欲しい。そう思いながらも口には出せない。居たたまれない想いで、リンは顔を伏せた。

 ルイの顔が見れない。


「――うるさいな!!!」


 突然ルイが怒鳴り声を上げた。

 その瞬間、教室は水を打ったように静まりかえる。

 驚きながら顔を上げたリンの目に、野次を飛ばした子を睨みつけるルイの横顔が映った。


「そうだよ、好きだよ!!――文句あるか!!」


 続いた言葉に目を見張り、リンの息が止まる。


「きゃぁぁぁぁぁ!!!」

「ルイ、かっこいい~!!」


 静寂を破り、辺りは歓声に包まれる。

 蜂の巣をつついたようなその騒ぎの中、リンは目を見開いたまま、耳に響く激しい心臓の鼓動を聞いていた。

 

 ◆


 その日の夜、向かい合って夕食を食べるリンとアーロンはお互いに何処か上の空だった。

 時折食事の手を止め、ぼぉっと考え込む。

 お互い心ここにあらずの状態でろくに会話も無く食事を終え、アーロンはリンの「ごちそうさまでした」の声で我に返った。

 顔を上げると、リンは食器を手に腰を上げていた。


「あぁ…」

「何か飲む?」


 リンの問いかけに「うん」と答える。リンは「待ってて」と言うと炊事場へ消えて行った。

 1人になったアーロンは、また意識を遠くへ連れ出して行く。ぼんやりと、今日の出来事を思い出していた。


 あの後、泣き止んだローラはアーロンの胸を軽く押してきた。その力でアーロンも我に返り、彼女を離した。

 思い切り公衆の面前で抱きしめていた事実に気付き、とりあえず謝ったが、ローラは首を振って”ありがとう”と言ってくれた。

 そして何事も無かったように、仕事へ戻って行った。

 いきなり抱きしめたりした自分を変に思っているかもしれない。我ながら何をしてるんだと呆れた。慰めたいならもっと他に方法はあっただろうに。

 けれどもアーロンは流石に嫌というほど自覚していた。ローラに惹かれている自分を。

 思わず溜息が洩れる。


 今日、食堂でキースに話しかけた彼女は、今まで見たこともないような顔をしていた。彼に冷たくされて、怒るよりも傷ついていた。

 どういう想いかは分からない。けれども彼女の中でキースが、他の男と違う何かであることは間違いないと思えた。


「また、あの男かよ…」


 情けないぼやきとともに、苦い記憶まで甦る。不意に、「どの男??」と声をかけられ、アーロンは驚いて顔を上げた。

 リンが飲み物を手に戻って来ていた。コップをアーロンの前に「どうぞ」と置く。


「…ありがとう」


 有り難く受け取ると、リンは自分もコップを手にアーロンの前に座った。そして「あの男って、どの男?」とまた問いかけてきた。

 アーロンはふっと苦笑を洩らした。


「……うちの隊長」

「隊長さん??」


 リンが目を丸くする。


「隊長さんがどうしたの?」

「うちの隊長、女にモテるんだよ。なんでかなぁと思ってさぁ…」

「へぇ…」


 リンは興味深そうに相槌をうつと、「かっこいいの?」と聞いた。不愉快な質問が飛んできた。アーロンは視線を他所に向け、頬づえをつく。


「……まぁ…。俺よりはちょっと上かもな…」


 リンがアーロンの顔をまじまじと見詰めている。そしてひょいっと首を傾げた。


「その程度?」

「――なんだとぉ?!」

「えー!!だってだって!!」


 リンは慌てて言葉を足した。


「ちょっと上くらいなら、アーロンだって勝てるはずでしょ?」


 そう言われると返す言葉も無い。アーロンは諦めたようにため息をつくと、「すごい上だよ」と言い直した。

 コップを両手で包んだリンが、きらきらと目を輝かせる。


「わぁー、会ってみたい」

「腹立つこと言うな」


 不満そうにそう言ったアーロンをリンはちょっと笑って「見てみたいだけだよ」と言った。


「会ったら惚れるよ」

「えぇー、どうして??」

「魅力的なんじゃない?知らないけど」


 投げやりな言い方が可笑しくて、リンはついつい笑ってしまう。どうも本人は認めたくないらしい。


「アーロンだって、いい所いっぱいあるのに」


 独り言のように呟いて飲み物を口にするリンを、アーロンの茶色い瞳がちらりと映す。


「どんな所?」

「……どんなとこ……」


 そう言われると困ってしまう。リンは瞳を上に持ち上げ、考え始めた。

 2人の間にしばし沈黙が流れ、やがて答えを待っていたアーロンもまた視線を他所に遣る。


「もう、いいよ」

「えー!本当なのに!!」


 リンは慌てて声を上げた。


「だってだって!私、アーロンのこと大好きだもん!!いいところ、いっぱいあるからに決まってるよ!!」


 言われたアーロンは驚いたように固まった。そんな反応に、リンの方も硬直する。自分の言った言葉を頭の中で反芻し、顔がかぁっと熱を持つ。

 そんなリンを見ながら、アーロンの表情は穏やかな微笑みへと変わった。


「……ありがと」


 そう言ったアーロンは、なんだかいつもと違って見えた。

 リンの胸が少しだけ苦しくなった。けれどもその理由は、よく分からなかった。

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