動き出す想い
翌日、いつものように訓練場に集まったキースの隊の兵士達は、個人個人で軽く準備体操をしながらキースが現れるのを待っていた。
その場に混じってアーロンも彼を待つ。
「隊長補佐」
不意に兵士の1人に声をかけられた。そう呼ばれるのにもだいぶ慣れてきたなと思いながら振り返る。
「ん?」
「隊長って、恋人居るんですか?」
予想外な問いかけに、アーロンは一瞬呆気にとられた。苦笑混じりに「俺が知るわけないだろ」と吐き捨てる。正直、興味すら無い。
「そうですかぁ…」
弱ったなという顔をして、兵士はぽりぽりと頭を掻いた。
「実は侍女をやってる子に調べてくれって言われてまして…。でも本人には聞けないじゃないですかぁ」
切実そうに訴えられ、アーロンの顔は険しくなった。なんだかちょっと頭にくる話だ。
「……侍女って誰?」
気になって、ついそう問いかけた。一瞬ローラのことが頭に浮かんだ。
兵士は顔の前で手を振りながら「いや、隊長補佐はたぶん知らない子ですよ」と言った。
「あ、そう」
ということはローラではないのだと結論付け、アーロンは安堵した。なんとなく彼女には、キースに対して興味を持って欲しくない。
けれども何故そう思うのかについては、あまり深く考えないことにする。
「あ、俺も聞かれたんだわ、それ」
2人のやりとりを聞いていた他の兵士が、話に入ってきた。
「お前もぉ?まったく、聞いてどうしようっていうんだよなぁ?」
「ほんとだよ。普通の女なんか、相手にしないに決まってるのに…」
だよなぁと頷き合う2人を前に、アーロンはますます腹が立ってきた。思わず「お前等!!」と声を上げると、兵士達は驚いたようにアーロンを振り向く。
「どんな幻想抱いてるのか知らないけど、あいつはめちゃくちゃ無節操だからな?!どんな女でもいいって奴だぞ?!――そう伝えとけ!!」
まくし立てるアーロンに、兵士達はぽかんとしている。不意に1人が、「隊長補佐は、恋人いるんですか?」と聞いてきた。
アーロンは一瞬返事に窮し、直後叩き返すように怒鳴った。
「――うるせぇ!!準備できたら、さっさと走って来い!!」
「は、はい!」
兵士達はぎょっとして、直後わたわたと駆け出して行った。
その後すぐにキースが訓練場にやってきた。1人で佇むアーロンを認め、不思議そうに辺りを見廻す。
「隊員達は?」
「とりあえず先に走りに行った」
ぶっきらぼうなアーロンの答えに、キースは「ふぅん」と呟くと「で、お前は?」とアーロンを見る。
「隊長の指示を待ってます」
あさっての方向に目を遣ったままそう答えてやると、キースは軽く笑ったようだった。
「なるほどね」
どうせ一緒に走ってこいと言い出すのだろう。そんな指示を予想して待っていると、キースの口から思いがけない言葉が出る。
「今日は久し振りに剣をやろうと思ってたんだ。あいつらが戻ってくるまで先にやってるか」
「……剣を?」
ひょいっと眉を上げ、アーロンはキースを振り返った。
どうやら自分が”実戦稽古も取り入れよう”と言ったのが採用されたらしい。聞き流されたと思っていたので少し驚きつつ「いいよ。やろう」と応える。
キースは口元に緩く笑みを浮かべ、その瞳に挑戦的な光を宿した。
「剣での手合わせは初めてだな」
キースの言葉に、アーロンは苦笑を洩らす。
「剣では、ね」
2人は同時に腰の剣を抜くと、お互いに向き合って立った。
その頃キースの隊の隊員達は、広い訓練場の周りに沿って走っていた。中の1人が、ふと訓練場に目を向ける。
「…隊長と隊長補佐が手合わせしてる」
独り言のような呟きに釣られ、並んで走る兵士達は揃って同じ方向に目を遣った。
彼等の視線の先では、隊長と隊長補佐が剣を交えていた。
遠くの光景から目が離せず、ふと兵士の足が止まる。それに合わせ、1人また1人と動きが止まった。
やがて全員がその場に佇む形となった。
訓練場の一角に、誰もが目を奪われていた。
目にも留まらぬ速さで2人の体と剣が動く。どちらの攻撃も充分に速くて鋭く、それをかわす動きも俊敏だった。
一瞬も手を緩めずに剣がぶつかり合っては弾き合う。まるで真剣勝負であるかのような気迫が、空気に伝わる。
ただ圧倒され、兵士達は茫然と立ち尽くした。
「……すげぇな」
誰かが呟いた。その言葉に異を唱える者は誰も居なかった。
一瞬、剣先に嫌な手応えを感じ、キースはハッとして手を止めた。アーロンがその瞬間を狙うように踏み込んで切り込み、キースの喉元で自分の剣を止める。
2人は動きを止め、束の間沈黙した。
「……悪い。手元が狂った」
先に口を開いたのはキースだった。
「え?」
謝られるとは思わなかった。アーロンはきょとんとして目を瞬くと、キースの視線を追って自分の左腕に目を遣る。
制服が切れ、血が流れている。どうやら刃がかすったらしいが、全く気が付かなかった。
「あぁ…」
アーロンはキースが止まった訳を理解し納得すると「いいよ、別に。続けようぜ」と言ってまた剣を構えた。
けれどもキースは首を振る。
「いや、手当てして来い」
「いいって、別に」
「けっこう切れてるはずだ。救護室に行って来い」
こんなかすり傷に何を大袈裟なと不満に思い、もう一度傷を確認した。改めて見るとけっこう血が出ている。そう認識すると、なんだか痛くなってくるから不思議だ。
アーロンは「分かったよ…」とつまらなそうに呟くと、剣を鞘に納めた。
「久し振りに楽しくなってきたところだったのに」
ぶつぶつ言いながら去っていく。キースはその背中を見送ると、ふぅっと肩を落として目を伏せた。そして自嘲的な笑みを洩らす。
「……まだまだだな、俺も」
独り言のように小さく呟いたその声は、風にさらわれ消えて行った。
◆
救護室は食堂と同じように、寄宿舎の中に存在する。
アーロンがそこを目指して廊下を歩いていると、ふと角を曲がって姿を現したローラと出くわした。
アーロンに気付き、”あっ”という顔をして足を止める。アーロンの方も反射的に立ち止まってしまった。
「こんにちは。どうかなさったんですか?」
ローラは可愛らしい微笑みとともに、訓練中のアーロンが寄宿舎に居る理由を尋ねた。そんな表情に自然と胸が躍るのが分かる。
アーロンは血に濡れた腕を指し示して見せた。
「怪我しちゃって」
アーロンの指差す先を視認し、ローラは驚いたように目を見張る。
「大変…。お手伝いします!」
「え、いいの?!」
まさかローラに手当てをしてもらえるとは。意外な申し出に、嬉しくなって問いかけた。
ローラは「これも仕事のうちなので」と、アーロンと一緒に救護室に向かって歩き出す。
誘導するように少し前を歩く彼女からは、ふんわりといい香りがする。アーロンはローラの背中をぼんやり眺めながら、”怪我も悪くないな”と思っていた。
「――って!」
「ごめんなさい!沁みましたか?」
「あ、いや、大丈夫、大丈夫」
救護室の椅子に上半身裸の状態で座り、アーロンはローラの手当てを受けていた。切れてしまった制服は脱いで隣の椅子にひっかけてある。
ローラは彼の隣で立ったまま、忙しく手を動かしていた。
「制服、直しておきますから」
「…ありがとう」
こんなに近くに居るのは初めてではないだろうか。なんだかまともに顔が見れない。
アーロンはあえて彼女から目を背けた状態で、じっと手当てが終わるのを待った。
薬を塗られ、布を当てられた傷の上から、くるくると包帯が巻かれていく。
怪我の功名のひと時に胸が満たされ、既に傷の痛みなどどうでもよくなっていた。
「お仕事、慣れましたか?」
ローラの問いかけにアーロンは「うん、だいぶ」と頷いた。
「アーロン様は、キース様の隊に所属されてるんですよね」
ローラの言葉にアーロンはちょっと笑う。様付けで呼ばれたのは生まれて初めてだった。
「”アーロン”でいいよ」
「でも…」
「同じ歳じゃん。そんな丁寧にされるような身分じゃないし」
ローラがクスッと笑う。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
優しい笑顔に目を奪われる。けれどもそれを認めまいとするように、アーロンはまた視線を逸らした。
「アーロンは、キース様と仲が良いの?」
何故かキースの名前が出てくる。アーロンは質問には答えずに「なんで?」と聞き返した。
「いつも一緒に食事してるから…」
「同じ隊だからだよ。別に、それ以上のことは無い」
「そうなんだ…」
ローラは少し間を置くと「なんか…不思議な人よね」と独り言のように呟いた。
キースのことを言っているらしい。アーロンの胸に妙なもやが広がっていく。
「――気になる…?」
つい、そう問いかけていた。
ローラの手がぴたりと一瞬止まる。
その反応から図星を突いたのを察し、アーロンは即座に自分の言った言葉を後悔した。
「…気になるって言うか…」
ローラがまたゆっくりと手を動かし始める。
「――ちょっと、苦手かな……」
意外な言葉にアーロンは目を見開いた。思わずローラを振り仰ぐ。
「そうなの??」
「うん…」
ローラは眉を下げ、笑みを浮かべる。
「なんか、何を考えているのか分からない感じで……。ちょっと、近寄りにくいかな」
それはキースに対する全く予想外の印象だった。女ならば誰でもあの男に惹かれるというわけではないらしい。
アーロンは内心ちょっと嬉しく思いながら「そっか」と呟いた。そしてそんな自分の浮かれた想いに気付いて我に返る。
――やばい。可愛い女は怖いのに…。
アーロンは自分に言い聞かせるように心の奥で唱えると、軽くため息を洩らした。
◆
その頃、リンは学校でパティと話をしていた。今は授業の合間の休憩時間である。
「顔、それルイにやられた?」
リンの頬の傷を指して、パティは問いかけた。それは本当に小さなかすり傷だったので、もう赤みは消えている。
リンは慌てて首を振った。
「ルイじゃないよ。ロディと剣の稽古をしてて、ちょっと当たっちゃっただけ」
隣のルイは席を立っていて今は居ない。パティはその空いた席にちらりと目を遣り、「そうなのぉ?」と聞いた。
「なんか今朝、学校に一緒に来る時にルイが”リンに怪我させた”って言ってて、”大丈夫かな”ってずっと心配してたから…」
意外な言葉にリンは目を丸くした。
怪我をしたことに関して、ルイには全く責任は無い。もとはといえば彼が止めたのに剣の稽古にしゃしゃり出た自分がいけないのだ。
「あいつ、リンのこと好きかも」
「え!」
驚くリンの反応に、パティは楽しそうな笑みを浮かべる。
「絶対、好きだって。リンの話、よく出てくるもん」
そんな言葉はさらに意外だった。ルイは普段リンとほとんど言葉を交わさないのに。
「私、あんまりお話してないよ?」
「でも毎日だよ?リンは頭がいいとか、勉強ができるとか、その上剣もできるんだとかいって、いちいち言ってくるもん」
リンはその話を聞きながら、思わず赤くなった。
男の子にそんな風に褒めてもらったのは初めてのことだった。それ以前に同じ歳くらいの男の子達と接したことも無かったのだが。
「ルイ、いいやつだよ。本当はリンと話したくてしょうがないんだから。たまに話しかけてあげてねっ」
パティの言葉にリンは「うん…」と返しつつ、内心”そう言われると却って話しかけづらい”と思っていた。
次の授業が始まり、ルイも隣の席に戻ってきた。相変わらずリンの方は見ないし、話しかけても来ない。
リンは意識しないよう心がけながら、次の授業の教科書を出そうと袋に手を入れた。そしてはたと動きを止める。
「…あ」
思わず小さく声を洩らした。
そういえば今から使う予定の教科書は昨夜家で読んでいて、そのまま仕舞うのを忘れた気がする。
思ったとおり本は袋に入ってなかった。失敗した。リンは肩を落とし、小さく溜息を吐いた。
「……どうしたの?」
不意に隣から声をかけられ、リンは振り向いた。ルイがリンに気遣うような目を向けている。濃い青の大きな瞳と出会い、リンは思わず赤くなった。
「えっと…教科書、忘れてきちゃったみたい……」
たどたどしく説明する。やっぱり変に意識してしまう。ルイは「じゃぁ、一緒に見る…?」と言ってくれた。そして自分の本をリンの方に差し出す。
「ごめんなさい…。お願いします…」
リンはぺこりと頭を下げる。そして自分の机を引き摺って、ルイの机に寄せた。
「ルイとリンがくっついてるぅ~~!!」
突然教室に男の子の野次が飛ぶ。リンとルイはお互い同時に火がついたように赤くなった。
「――ばか!!教科書見せるだけだって!!」
ルイが野次に応えて弁解すると、周りは楽しそうな笑い声で沸く。リンは顔を上げることができず、ただ居た堪れない思いで俯いていた。
その夜、仕事を終えたアーロンは家に帰るべく城門に向かって歩いていた。
今日は結局あの後、キースとの手合わせの続きは行われなかった。お互い自分の隊の兵士を相手に剣を指導した。
最初見た時と比べると、毎日しごかれているだけあって皆体力が付いてきている。それは剣にも現れているようで、わりと動きが良かったし、踏ん張りもきいていた。地味な基礎体力強化訓練がいい結果を生んでいるのは明らかだった。
兵士達はいつの間にかキースを崇拝している様子だし、全てあの男の思い通りである。けれどもそれが間違っているかというとそうも言えず、アーロンは複雑な想いでため息をついた。
不意に後ろから軽く背中を叩かれた。驚いて振り返ると、そこにはローラが立っていた。片手に馬を引いている。
「お疲れ様」
ローラはそう言って、にっこりと微笑んだ。
「あ……お疲れ様。今、帰るところ?」
「うん」
偶然時間が一緒になったらしい。
仕事を終えたローラはいつも結ってある髪を下ろしていた。緩いウェーブのかかった栗色の髪が彼女の肩を覆っている。そんな彼女はいつもと雰囲気が違い、よりいっそう可愛らしかった。
「馬で帰るんだ」
なんとなく並んで歩きながら、アーロンはローラの連れている馬に目を向けて呟いた。
「そうなの。うち、王都じゃないから、少し遠いの。妹と一緒に暮らしてるんだ」
「妹さんと?」
アーロンはローラに目を戻すと「俺と同じだ」と言った。ローラが頷く。
「私もそう思った。アーロンも妹さんと2人きりなのよね。私もなの。両親は、居ないんだ」
意外な話にアーロンは少し驚いた。
「俺もだよ…」
アーロンの言葉にローラがまたこくりと頷く。
「アーロン、妹さんを学校に行かせてるんでしょ?誰かが言ってた。私の妹も今、学校に行ってるのよ」
「そう…なんだ……」
――女の子なのに…。
妹のために家から離れた城で毎日働いているということなのか。いつも明るくて可愛らしいローラが、急に大人びて見える。そんな苦労は微塵も感じさせなかった。
ローラはアーロンと並んで城を出ると、「それじゃ、また明日ね」と言って馬に乗った。
「うん、また明日」
そう返すアーロンに手を振ると、ローラは馬を走らせた。
遠ざかるローラの姿を見送りながら、アーロンはしばらくその場に佇んでいた。




