異国での再会
「はじめまして!リン・アルフォードです!」
元気よく名乗ると、リンは皆の前でぺこりと頭を下げた。アーロンの妹ということになっているので、アルフォードの姓を名乗る。名前の方も、”リン”のままだ。本当の名前”リンティア”は、きっともう二度と名乗ることは無いだろう。
今日から学校に通い始めたリンは、教師の1人に連れられて、今居る教室に辿り着いていた。
リンと同じ歳くらいの子達が席につき、彼女に注目している。リンは先ほど教師によって、新しい学友として紹介されたところだった。
「皆、仲良くしてあげてね」
教師はそう生徒達に声をかけると、リンに対し、空いている席を指し示した。
「そこの席でいいかしら。――ルイ、いろいろ教えてあげてね」
隣の席に座る少年に向かって、教師が声をかける。ルイと呼ばれた少年は小さく「はい」と応えた。
紹介を終えると早速授業が始まる。リンは示された席に座ると、隣の少年に向かい、声を落として挨拶をした。
「よろしくね」
ルイはちらりとリンに目を遣ったが、何も言わずに軽く頭を下げただけだった。真っ黒の髪に濃い青の瞳のその少年は、くっきりとした二重の目が印象的な、可愛らしい顔立ちをしている。
人見知りするタイプなのか、目を合わせてももらえない。リンは少し寂しさを感じつつも、気を取り直して授業の用意を始めた。皮の袋から、真新しい教科書を取り出す。
結局アーロンはリンのために教材を全部揃えてくれた。買ったばかりの本は綺麗で、いい香りがする。リンはそれを手にとって、ひとり微笑んだ。
本当に学校に来たのだという実感が湧いてくる。
とても不思議な気分だった。
アリステアで投獄された日のことはつい昨日のことのように甦るのに、あの地はもう遥か海の向こうなのだ。
”事件”の後、数日牢屋で過ごしたリンは、ある日突然そこを出され、船に乗せられた。そしてゴンドールまで連れて行かれ、そのまま1人置き去りにされた。
誰も居ない島で1人になって、本当に怖かった。途方に暮れて、しばらくは1人で泣いていた。
けれどもいくら泣いても誰も現れなかった。そのうち嫌でも実感した。自分はゴンドールに”捨てられた”のだと。
長く絶望に浸ってもいられなかった。お腹が空いてきて食べ物を探したけど、何も見つけられなくて疲労ばかり積もっていった。
そのまま夜になって辺りにゴンドールの声が響いた時には、もう死んでしまうのだと思った。死ぬしかないのだと。
そんなリンを救ってくれたのは、他ならぬゴンドールだった。
怯えるリンの前で、”乗って”というように頭を垂れてくれた。そして食べ物のある場所、水の飲める場所、眠れる場所に連れて行ってくれた。
本物のゴンドールは、リンの聞いていたような恐ろしい生き物とは全然違っていた。
けれどもアリステアでは、自分はもう処刑されたことになっている。まさか生きているなどとは想像もしないだろう。
”ついでに王女の母親も…”
アーロンから聞いた話が不意に甦り、リンは胸苦しさを堪えるように唇を引き結んだ。
―――お母様…キース…ごめんなさい……。
何度も何度も繰り返し唱えた言葉を、また胸の内で繰り返す。自分のせいで処刑された母。そのせいで姉を失った叔父。
どんなに後悔しても、もう取り戻せない。
二度と戻れない祖国、アリステア。
リンは手の中の本を見つめながら、遠い地の叔父を想った。そしてせめて彼の平穏だけは守られますようにと、強く祈った。
◆
ローランド王城の兵士訓練場には、奇妙な空気が漂っていた。
今日から仲間入りした2人の上級兵士がお互い顔を見合わせたまま、凍りついたように固まっている。2人の目には驚愕が滲み、お互いの姿以外、何も映っていない。
バッシュも、ベンも、そして他の兵士達も、そんな2人を怪訝な顔で交互に見比べていた。
「……おい、どうした?」
張り詰めた静寂を破り、バッシュがアーロンに声をかけた。その声にアーロンが自分を取り戻す。目が覚めたように一瞬バッシュに目を向け、またすぐキースに戻した。
その右手がゆっくりと動き、人差し指が彼を示して止まる。
「キース……クレイド?」
「そうだよ」
アーロンの表情を伺いつつ、バッシュは訝しげに答えた。アーロンはまだ驚きを引きずったまま、茶色い目を大きく見開いている。
「……なんで?」
「なんで??」
「なんで…だって…あいつは……」
不意にそれまで固まっていたキースが、呪縛を解かれたように動いた。
アーロンのもとへ足早に歩み寄り、自分を指差すその右の二の腕を掴んで引っ張る。呆然とするバッシュ達を尻目に、引きずるようにして離れたところまで連れて行った。
アーロンは抵抗するのも忘れ、されるままに連行されながら、自分を引っ張る目の前の男の姿を穴が開くほど見つめていた。
バッシュ達から離れると、キースは足を止めてアーロンの腕を離した。2人の姿を遠くで兵士達が呆然と見ている。
「――言うな!」
キースが声を落として言った。アーロンはまだ呆然としたままそんな彼を眺めている。何も耳に入っていない様子のアーロンに、キースは眉を顰め、念を押すように続けた。
「アリステアのことは言うな。密偵だと思われる」
キースの言葉の意味を理解しているのかいないのか、アーロンからは何の反応も無い。
アリステアに居た頃に、一度だけ会ったことのある赤毛の兵士。まさかこんな場所で再会するとは、夢にも思わなかった。
キースは忙しなく瞬くアーロンに、思わず苦笑した。
「何故こんな所に居るんだ、アーロン・アルフォード」
「――おぉぉ!!」
質問には答えず、アーロンが奇声を上げた。突然の雄叫びに、キースもぎょっとして目を見張る。
「俺の名前覚えてんのか、お前!?」
やっと口をきいたアーロンの第一声はそれだった。キースはその問いに「……覚えてる」と答えながら、自分でもちょっと意外な気分だった。たった一度しか会ったことのない男なのに、その名はやけにはっきり頭に焼き付いている。
「すげぇ」
アーロンが独り言のように呟く。キースはそんな彼の驚きは無視して「だから何故ここに居るんだ!」と再度問いかけた。
アーロンは今更ながらバッシュ達を気にするように後ろを振り返った。物問いたげな視線がこちらに集中している。その距離を確認し、またキースに向き直った。
「おまえこそ、なんでローランドに居るんだよ」
「…色々あって」
適当に答える。
「俺もだよ」
同じように適当に返された。
2人はお互い探るような視線を交わしながら、少しの間沈黙した。
「何でもいい、それは」
目を逸らし、キースはぶっきらぼうに呟いた。
「でも、もとはアリステア国民だということは秘密にしておけ。特に城で働いていたなんて間違っても言うな」
「…あぁ」
キースの言葉の意味するところをアーロンもよく分かっていた。バルジーにも、自分のことはローランドで雇った傭兵だと言ってもらっている。けれどもあまりの驚きに、さっきは確かに一瞬”アリステア”という国名を口にしそうになった。アーロンは自分の赤毛に指を入れると、それをクシャッと掴んだ。
どこまでも冷静な男。
目の前の”金髪の騎士”は、相変わらずだった。
「お前が居なくなったって……ミーナが言ってた、そういえば」
アーロンの呟きに、キースが怪訝な顔になる。
「”ミーナ”?」
「……いいよ、もう」
離れたところで肩を寄せ合って語り合う2人の姿を、バッシュもベンも他の誰もが、ただ目を丸くして眺めていた。




