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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第二章
21/88

新しい生活

 バーレン公爵の部屋から出たキースは、そこで不安気に佇むジュリアに気付いた。

 彼が父親に呼ばれたことを知って、何かを察したのだろう。少女は綺麗な緑色の瞳を潤ませている。

 歩き出したキースの傍に、小走りに駆け寄ってきた。


「お父様の話……何だったの?」


 不安気な顔に、キースは微笑を返して答えた。


「仕事を紹介して頂きました」


 歩きながら、ジュリアの顔が泣きそうに歪む。そんな表情はまだ幼い子供のようだ。


「失礼します」


 そう言って歩き去ろうとしたキースの腕を、ジュリアは縋り付くようにして引き留めた。


「待って…!仕事ってなに?ここを出て行くの?!辞めさせられたの?!」


 ジュリアの動揺に眉ひとつ動かされる気配も無く、キースはただ静かに「城で働きます」と答えた。


「公爵の推薦を頂けるとのことで、大変有難いお話でした。城に入るのでもうお会いできませんが、いずれもし王子妃となられた時には、またよろしくお願いいたします」


 淡々とそう告げるキースの言葉に衝撃を受け、ジュリアの瞳が凍りつく。そこには急速に涙が滲んできた。


「どうして、そんなひどいこと言うの……?」


 震える声を絞り出し、ジュリアはキースを責める。


「私の気持ち、知ってるのに……」

「……その想いには応えられません」


 はっきりと拒絶し、立ち去ろうとしたキースの腕を掴んだまま、ジュリアは悲痛な声を上げた。


「どうして?!公爵令嬢だから?!王子様と結婚する立場だから?!」


 キースはジュリアから目を背けたまま黙っていた。そんなキースの顔を覗きこむようにして、ジュリアは必死で訴える。


「私、家なんて捨ててもいい。王子様と結婚なんて、したくない!キースと一緒に行きたいの!――私はキースのことが……!!」

「――ジュリア」


 初めて呼び捨てされたことに驚いてか、ジュリアが息を呑んだ。けれどもキースの落ち着いた青い瞳にジュリアの期待するような甘い色は無く、ただ射抜くように彼女に向けられていた。


「不満があるなら、訴えるのもいい。家を捨てて、逃げるのもいい。でも俺をその理由にするのはやめて欲しい。俺には関係のないことだ」


 ジュリアは声を失い凍りついた。キースが自分の腕を掴むジュリアの手をそっと剥がす。力を失った指は、いとも容易くキースに解かれてゆく。


「公爵令嬢だからでも、王子妃候補だからでもない。俺は自分の足で立てない子に魅力は感じない」


 刺すような言葉に、ジュリアはただ茫然として立ち尽くした。

 キースはそんな彼女から目を背けると、その後一度も振り返ることなく、その場を去って行った。


 ◆


 ローランド王国の港町に着いて一息ついたアーロン達は、そこで一度宿に入り、久し振りに体中を洗うことが出来た。そして街で買った綺麗な服に着替えを済ませる。

 リンも至る所が破れていた服を膝丈のワンピースへと替え、乱れていた金色の髪には、綺麗に櫛が通された。

 そんなリンにバルジーが「お嬢ちゃん、見違えたよ。可愛くなっちゃって!」とか言いながら舐めるように視線を這わせるものだから、また無駄に警戒されていた。

 けれども確かにすっかり汚れの落ちたリンは、良いとこのお嬢様風に垢抜けて見えた。


 その後兵士の仕事を紹介してもらうために3日後にまた会う約束をして、バルジーとは一旦別れた。

 今回の報酬である金貨8枚を手に、2人で王都を歩く。活気のある街並に溶け込むと、何もかもが新鮮なその光景に、自然と胸が躍った。

 街道は綺麗に石畳が敷かれ、等間隔並んだ街路樹や花壇が彩りを添える。左右にはレンガ色に統一された商店が連なっており、様々な品が売られているようだ。中には酒場も混じっていたが、清潔感のある建物のせいか、荒んだ雰囲気はまるで感じられない。


「きれ~い…」


 隣を歩くリンが目を輝かせながら感嘆の声を洩らした。興味深そうに周りを見廻している。アーロンも思わず「確かに」と賛同した。


「アリステアの王都はもっと雑な感じだぜ。なんか上品だな」

「そうなんだぁ」


 リンの何気ない呟きは、アーロンにとって少し意外なものだった。彼女はアリステアの王都を知らないらしい。もとはアリステア国民だと思っていたのだが、違うのだろうか。

 そう問いかけようとして、言葉を呑み込む。今までのリンの反応から、過去に触れるようなことは話題にするべきではないのだろうと思えた。

 2人はやがて貸し部屋を探して、市場から少し離れたところにある2階建ての物件に辿り着いた。木造の地味な建物は年季を感じさせる外観だ。王都付近で住みたいと思うとやはり部屋を借りるにもそれなりの金額になる。その中で、たどり着いたその物件は一番手頃な値段だった。


 1階に住む大家と話して、2階の1室に案内してもらう。そこは2人用のごく小さな部屋だった。


 入ってすぐの部屋の奥には炊事場があり、その部屋を真ん中にして左右の壁にそれぞれ隣の部屋に続くドアがある。部屋はちゃんと2つ付いているようだ。

 構造的にお互いの生活空間は独立させられる。理想的な形だった。

 前金を払って契約を済ませると、大家は鍵を置いて去って行った。


「厨房だぁ」


 言いながらリンが炊事場に駆け寄る。”厨房”という大げさな言い方に、アーロンは思わず吹き出した。


「お前、どっちの部屋使う?」


 アーロンの言葉が聞こえているのかいないのか、リンは部屋の中を探索し始めた。1つ目の部屋の扉を開け、「わぁ」と歓声をあげる。そしてもう1つの部屋の扉も開け、「こっちにも!」と、はしゃぐ。

 さらに奥の扉の向こうにある風呂場の方へ向かったらしい。

 奥へ消えたリンは放っておくことにして、アーロンは2つある部屋の1つに入ると、まだ剥き出しのベッドに荷物を置いた。


 色々と必要なものがあるから買い物に行かなくてはならない。寝具と、調理器具だけは最低でも…。

 そんなことを考えていたら、不意に軽やかに去っていくリンの足音が聞こえてきた。今度は何処へ向かうのか。

 

 アーロンが部屋を出ると、リンの姿は消えていた。反対側の部屋の扉は開いており、「リン?」と呼びかけながら覗いてみたが居なかった。

 ふと見ると玄関が開け放たれている。まさか1人で外へ出たのだろうか。怪訝に思いつつ、一度部屋を出る。


 そして左右を見回し、アーロンは目を見張った。


「――リン!!」


 リンは廊下で隣の部屋の扉を開けようとしているところだった。アーロンに呼ばれて振り返ると、「ここ、開かない…」と訴えた。アーロンは慌ててリンをドアから引き剥す。中から鍵の外れる音がし、続いてドアが開き、機嫌の悪そうな中年の女性が顔を見せた。

 アーロンとリンを一瞥し、眉根を寄せる。


「……なんか用かい?」

「いえ、すみません、部屋を間違えました!」


 アーロンが慌てて謝る隣で、リンはきょとんとしている。


「今日から隣に来た者です!よろしくお願いします!!」


 言いながら頭を下げ、ついでにリンの頭もつかんで押し下げる。


「…あ、そう。どうもね」


 女性はたいして興味なさそうにそう呟くと、さっさとドアを閉めた。アーロンはそれを確認すると、ふぅっと肩を落とした。そしてリンを睨む。


「なにしてんだよ、お前はっ!」

「え?」


 怒られる意味が分からないという様子のリンを、アーロンはとりあえず引っ張って部屋まで連れ戻った。リンは不思議そうに「あの人も一緒に暮らすの?」と聞いてくる。どうもこの建物全部が自分の家になったと勘違いしているらしい。


「俺らの部屋はここだけ!他の部屋は他の人が借りてるんだよ。他人の家、勝手に開けるな!!」


 アーロンに叱られて、リンは目を丸くした。驚いている様子にアーロンは溜息を洩らしながら、相当いいとこのお嬢さんだったなこいつはと思っていた。


 ◆


 部屋に荷物を置くと、2人は改めて外へ出た。買い物もあるのだが、アーロンには何より優先したい用事があった。

 辻馬車を停め「一番近くの学校に行って下さい」と伝える。リンが隣で「学校?!」と声をあげた。


「そうだよ。お前、学校行く歳だろ」

「そうなんだぁ…」


 またも意外な反応が返ってくる。まさかと思いつつ「今まで行ってなかったのか?」と聞いてみた。

 リンは、「行った事ない…」と少し躊躇いがちに答えた。


「もしかして……家庭教師?」

「うん…」


―――やっぱり…。


 どう考えても良家のご令嬢だったのだ。それがどうしてゴンドールなんかに1人で居たのだろうか。今更ながら、本当に不思議な子だ。

 リンは目を輝かせつつ、アーロンを振り仰いだ。


「でも”学校”って、知ってるよ」


 翡翠色の瞳は興味深そうで、生き生きとして見える。


「みんなで一緒に勉強するところでしょ?なんだか楽しそうだよね」


 興奮気味のリンに、アーロンは優しく微笑みながら頷いた。


「あぁ、1人で勉強するより楽しいと思うぜ」

「私、学校行けるの…?」

「行ける行ける」

「すごーい…」


 両手を組み合わせ、リンは嬉しそうにそう呟いた。リンの素直な喜びが伝わってくるようで、こちらまで胸が温かくなる。アーロンは頬を緩め、その目を窓の外に向けた。

 2人を乗せた馬車は、綺麗に舗装された街道を、軽快に駆け抜けて行った。


 辿り着いた学校はレンガ造りの綺麗な建物だった。今日も授業は行われており、各教室では子供達が机に向かっている。そんな光景は学校を知らないアーロンにとっても新鮮なもので、2人してきょろきょろしながら教員の部屋まで向かった。

 入学希望を伝えると、早速面接が行われ、その場で入学の許可を得ることが出来た。

 学校側に、リンは温かく歓迎してもらえた。そしてアーロンは保護者として諸費用が記された紙を渡され、説明を受けた。


「こちらが入学金。あと、月の授業料、給食費になります。それから、義務ではありませんが、教科書などを揃えるためにまた別途……」


 淀みない説明に時折「はい」と応えつつ、アーロンは金額の羅列された表を茫然と眺めていた。隣でリンが驚いたように「お金がいるの?!」と声をあげる。

 またおかしなことを言い出した。

 呆気にとられる教師の視線を気にしつつ、アーロンは「当たり前だろっ」とすかさず返した。


 リンは慌てて身を乗り出し、アーロンの持っている紙を覗き込んできた。それを隠すよう、素早く畳んで仕舞い込む。

 バルジーにもらったお金があるので問題ないのだが、子供を学校に行かせるのには結構なお金が必要なのだという事を初めて知った。施設暮らしの身で学校に行かせてもらえなかった理由も分かった気がした。

 とりあえず入学金と1ヶ月分の授業料を支払い「明日からでもいらしてくださいね」と言ってもらって学校を出た。


 2人で並んで歩きながら、ふとリンが足を止める。アーロンがそれに気づいて振り返ると、リンは顔を曇らせて俯いていた。


「やっぱり、悪いよ…」


 リンが小さく呟いた。


「何が?」


 そう問いかけると、リンが目を上げる。


「学校まで行かせてもらうの、悪いよ。お金必要だなんて知らなかったから…。私、学校行かなくてもいいよ。私も何かお仕事するよ」


 その言葉にアーロンは思わず吹き出した。笑われたのが心外だったようで、リンは顔をしかめる。


「なんで笑うのっ」

「いや、ごめん。たぶんどんな仕事があるのかも知らないんだろうなぁと思って」


 リンは顔を赤くして俯いた。恐らく図星なのだろう。恥ずかしそうに押し黙る。 アーロンはそんなリンの頭をポンポンと優しく叩いた。


「それでいいんだって。お前はまだ仕事なんかする歳じゃない。学校は行ける時に行っておかないと、後で行くってわけにいかないんだぜ。将来仕事をする時がきた時に、学校に行ってた奴と行ってない奴じゃ差が出るんだよ」

「でも……」

「俺の自己満足でもあるけど」


 口を開きかけたリンの言葉を遮るように、アーロンは言った。ぱちくりと瞬きをするリンに、穏やかに微笑みかける。


「俺は学校出てないんだ。途中でやめちゃって。学校出てても今と変わらない人生だったかもしれないけど、やっぱりなんか劣等感ひきずってる感じ、あるからさ。自分の子供には絶対学校行ってもらいたいって思ってるんだよ」

「……私、アーロンの子じゃないよ」

「似たようなもんだろ」


 アーロンの言葉にリンが吹き出す。硬かった表情がやっと和らいだ。アーロンは大きな掌でリンの頭を撫でると、金色の髪をくしゃくしゃっとかき回した。


「――と、いうわけで、しっかり勉強しなさい!」

「……はい」


 小さく呟いたリンの返事に、アーロンの顔はまた自然と綻んだ。

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