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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第二章
20/88

傭兵と令嬢

 ローランド王国の有力貴族バーレン公爵の屋敷は、その地方では目立って大きく聳え立ち、人目を引いていた。

 領土の農作物は豊かに実り、ローランド王家で出される食事のほとんどが公爵家の領土で穫れた物で作られると言われる程、ありとあらゆる物を流通させている。

 その公爵家の令嬢は現在15歳のお年頃で、今年16歳になるローランド第二王子のお妃候補として、最有力と噂されていた。

 しかし、そのバーレン公爵家では今、ゆゆしき一大事が発生している。


「――キース!」


 バーレン公爵令嬢であるジュリアの甘い声が辺りに響く。

 公爵家の敷地でいつものように訓練にあたっていた専属傭兵団に所属する団員達は、その声に全員一瞬動きを止めた。その視線が、1人背を向けたまま反応しない金髪の男に集中する。

 ”キース”というのはその男の名である。最近入団したばかりの新人傭兵だ。

 当のキースは何も聞こえていないかのように微動だにせず、振り返る様子は無い。

 ジュリアはもどかしそうに彼に駆け寄ると、人目もはばからずにその背中に抱きついた。

 令嬢の大胆な行動に、全員ぎょっと目を丸くする。


「キース、会いたかった…!」


 抱きつかれたキースは前を向いたまま軽く嘆息した。伏せられた青い目に睫が被さって影を落とし、物憂げな表情は男でありながらも目を奪われずにいられない程に美しい。公爵令嬢を相手に上辺の笑顔すら取り繕わない彼の冷たさすら、その妖しげな魅力を引き立てていた。


「――ジュリア様!!」


 後を追って、初老の執事の怒鳴り声が響いた。年齢を感じさせないしっかりとした足取りで、令嬢のもとへとやってくる。


「傭兵相手に、何をなさっていらっしゃいますか!お戯れもほどほどになさってください!」


 執事は狼狽している。それも無理の無いことであった。

 ジュリアは王族の妃候補となるべく一流の学校と家庭教師にて一流の令嬢としての教育を受けている最中である。ローランド城で開かれる晩餐会にも最近招待を受けるようになり、王子との顔合わせも済んでいる。

 もちろんまだ妃候補を検討する段階ではなく、正式な申込みなどは無いが、それに向けて地盤を固めつつあるところだ。

 にも関わらず、当の令嬢は時間が空くと傭兵達のもとを訪れ、この有様なのだ。


「放っておいて、ベルトール」

「いいえ、ジュリア様!こんなことしている場合ではありません。今夜はオールウィン侯爵の夜会のお誘いを受けております。お支度をいたしませんと!」

「――もう、うんざり!」


 悲鳴のような声を上げ、ジュリアはキースの背中に顔を埋めた。キースは相変わらず前を向いたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待っているようだ。

 ジュリアは1人感情的にまくし立て始めた。


「夜会も晩餐会も、行きたくない!少し自由な時間をちょうだいよ!私は王族の妃なんかにならないんだから!キースじゃないと嫌なんだから!」


 その切実な訴えに、キースは心底疲れたように空を仰いだ。



 そもそもキースとジュリアの出会いは、船の上だった。


 アリステアからローランドへと辿り着いたキースは、その後王都を目指すべく船を乗り継いだ。

 ローランドで何をして生きていくかはまだ決まっていなかったが、とりあえず国の中心部へ行くべきだろうと思えたからだ。

 移動手段に船を選んだのは、たまたまだった。

 港で会った男に王都への行き方を聞いたら、”王都へ向かう商船が出るところだから積荷と一緒で良ければ乗せてってやってもいいぜ”と有難い提案を貰えたからだ。

 その商船はバーレン家の持ち物で、港町から王都へ戻るところだった。そしてその船には港町に知人を訪ねて来た帰りのジュリアと執事も一緒に乗っていた。

 けれどもキースは1人、船内の積荷部屋に入っていたので、そのままだったら接点は無かったはずだった。


 あの時、事件が起きなければ―――。



 積荷部屋の固い床に直に座り、壁に背を預けた状態で、キースは動く船から伝わる振動に身を任せていた。

 周りには積荷である大きな木の箱がいくつも積んである。小さな窓しか無い部屋なので辺りは薄暗く、埃を含んだ空気が篭っている。快適と言える環境ではないが、ただで乗せてもらっているので不満は無かった。

 荷物は剣と皮の袋がひとつ。それが、アリステアから持って出た全てだった。


 二度とアリステアには戻らない。キースはそう決意していた。


 ヨーゼフ前王が去った王国はジークフリード王と、皇太后カーラの手により今後悪い方へ変わっていくだろう。アリステアに居続けたとしても、それに対し自分が出来ることは何も無い。

 キースの胸には、言いようの無い虚しさが広がっていた。

 その時、不意に船に大きな振動が走った。何かにぶつかったかのような衝撃に、キースは青い目を見開いた。

 顔を上げて辺りを伺う。またひとつ揺れを感じたと思った後、やがて船は完全に動きを停めた。


 訝しげに眉を顰めながら、キースはゆっくりと立ち上がった。

 階上で人が走る足音が響く。何か非常事態が起こっている気がするがその正体はつかめない。外に出てみようかと積荷部屋の入り口へ目を向けたその時、外からの声が耳に届いた。


「――ここが積荷部屋よ……」

「よし、開けろ」


 怯えたような少女の声と脅すように命令する男の声。それだけで状況を理解し、キースの目に緊張が走る。

 次の瞬間、積荷部屋の扉が勢い良く開いた。

 入り口から積荷部屋に光が差し込み、同時に人が数人なだれ込む。その足が、キースの気配を察知して止まった。


「――誰だ!!」


 部屋に、野太い男の声が響いた。


 部屋に入ってきたのは3人の男と1人の少女だった。

 むさ苦しい髭面の面々に囲まれて、身なりのいい金色の巻き毛の少女は1人浮いて見える。少女は先頭で入ってきた男に二の腕を掴まれており、男の右手には刃の鋭い大きなナイフが携えられていた。他の2人も同じように、それぞれナイフを手にしているようだ。

 明らかにただの商人ではなかった。

 キースは足元の自分の剣に手を延ばそうと体を屈めた。


「――動くな!」


 微かな動きを見咎め、男が鋭く叫ぶ。そして片手に掴んだ少女を自分に引き寄せると、その喉元にナイフを押し当てた。少女が声にならない悲鳴を洩らす。大きく見開かれた目の中で、瞳が恐怖に震えていた。


「おかしな動きすると、このお嬢さんがどうなるかわからないぜ」


 束の間睨み合いになり、部屋の空気が張り詰める。危うい緊張感の中、キースはゆっくりと延ばしかけた手を退いた。

 そして改めて、男達と対峙した。

 どうやら船が襲われたらしい。目の前の男達は、恐らく貴族の船を狙った海賊だろう。こういった船には通常護衛の傭兵が同乗しているものなのだが、目の前の少女を人質に取られ、動きを封じられたといったところか。

 身に纏った上質な服から、少女の身分は自ずと窺える。


「よし……」


 キースが抵抗の意思を示さなかったことで、男が満足したように呟く。そしてその目を後ろに立つ男に向けた


「あいつも縛り上げろ」

「へい」


 応えた男は、大股にキースに寄って来た。

 常に日を浴びているのだろう。男の顔は日に焼けすぎて所々赤くなっている。自然と鍛えられるだろう体格のいい体は年季の入った衣服に包まれ、丈の短いズボンから出る足の先は裸足だった。右手の大きなナイフが鋭い光を放っている。


 男が目の前に来た瞬間、それまで微動だにしなかったキースが突然動いた。

 一歩前に出ると同時に男の懐に入り、足の指を踏み潰す。骨の砕ける手ごたえを感じると同時に、部屋には絶叫が響き渡った。


 「ぐあぁぁぁ!!!」


 海の上の生活が長くなり裸足の生活が定着していたのだろうが、脆い足の指は人の急所である。それは当然の結果だった。

 痛みに悶える男の隙をついて、キースは素早くその手からナイフを奪い取った。


「――貴様…!」


 少女を捕えている男が唸ると同時に、キースの放ったナイフが空を切り裂き男の肩に突き刺さる。


「うぁ!!」


 男は声を上げ、よろめいた。少女を掴んでいた手が、自然と離れる。

 少女はそれに気づくと、慌ててその場を逃げ去ろうとした。けれども足がもつれたのか、数歩で転倒する。

 顔を上げた時には、剣を手に駆け寄ったキースが、その前に立ちはだかって男達に対峙していた。


「う、うわぁっ…!!」


 1人無傷の男が慌てて積荷部屋から駆け出していく。

 肩にナイフが刺さった男も、痛みに悶絶しつつ、それにつられるように出口へ足を向けた。けれどもキースに髪をつかんで引き戻され、阻止される。

 先ほどまでの勢いは鳴りを潜め、男は実に情け無い悲鳴を上げた。


「上にまだ居るのか」


 キースの問いかけに男は「い…居る……」と弱々しく答えた。


「――では、行こうか」



 海賊の1人を連れてキースが甲板に出たときには、海賊船は船から離れていくところだった。どうやら先に逃げた男から状況を聞き、人質も奪われたということで仲間を見捨てて逃走したらしかった。

 甲板に居た傭兵達は、見覚えのない助っ人の登場に状況が呑み込めず、全員呆気にとられていた。


「すみません。逃がしてしまいました」


 キースが苦笑すると、傭兵の1人が「ジュリア様は…」と呟いた。


「ジュリア様?」

「人質にとられていた女性だ。バーレン公爵令嬢なんだ」


 納得しながらキースは背後を振り返った。船室へ続く入口に佇み、こちらを伺う少女の姿がある。存在を忘れていたが、ちゃんと着いてきていたらしい。


「そこに」

「――ジュリア様!!」


 傭兵達が慌てて令嬢に駆け寄っていく。

 キースの隣でしゃがみこんだ海賊は、肩の傷を気にしながら、情け無い声を上げ続けていた。



 そんないきさつがあって、キースはその後バーレン家に招待された。

 

 ジュリアが執事に事の成り行きを話し、”是非お礼をしたい”と熱望したためにそういうことになったらしい。キースは丁寧に辞退を試みたが、ジュリアに仕える執事に必死で頭を下げられ、結局連れて行かれるはめになった。正直、面倒くさいことになったなと思っていた。けれども実際はこの件が思わぬ幸運を生んだ。


 バーレン公爵は、金色の口髭が似合う上品な雰囲気の紳士だった。

 どこの馬の骨とも知らない自分を、”娘の命の恩人”として、心から歓迎してくれた。そしてその食事の席で、バーレン家の傭兵団へと誘ってくれた。


 どうやら後で聞くところによると、それもジュリアの提案だったようだが、傭兵として働く場を探す予定だったキースにとってはまさに渡りに船だった。当然有難くその話を受けることとなった。

 そして働きはじめたとたん、ジュリアの熱い求愛が始まり、今に至るわけである。


 いくら相手にこだわらないといえども例外はある。さすがに雇い主である公爵の令嬢相手に軽々しく手が出せるはずもなく、どれだけ誘われてもキースは一度もジュリアと2人きりになったことはなかった。

 それでもジュリアの熱が冷めることはなく、あまりに堂々とキースにまとわりつくので、最近は「あいつ手ぇ出したんじゃないか」などと囁かれるようになっている。


 大変迷惑な話であった。



 そんなある日、決定的なことが起こった。

 定期的に開かれる王族主催の晩餐会にいつものように出席した席で、ジュリアがキースの話をしてしまったのだった。


「心に決めた人がいるんです」


 そう彼女が言った相手は、バーレン家と親交の深い貴族の当主だった。

 彼はその場は笑って流し、後日バーレン家を訪れ、険しい顔で公爵に詰め寄った。


「言った相手が私だったから、まだよかったのです。王子の妃の座を狙う他の貴族の耳に入ったりしたら、大喜びで”ジュリア様は傭兵と恋仲だ”などと噂を流すことでしょう。やつらはジュリア様に難癖をつけたくてたまらないのですから」


 話を聞いたバーレン公爵は頭を抱えて唸った。

 隣で話を聞いていた執事も「私も、常々問題だと感じておりました」と加勢した。


「ジュリア様は命を助けられた恩で、一時的に血迷っていらっしゃいます。このまま悪い噂でも立てば、今までお妃になるためにされた努力が水の泡でございます。ジュリア様を気にかけてくださる王子や国王陛下もお気を悪くされることでしょう」


 バーレン公爵は2人の言葉を受けしばらく黙って考えていたが、やがて深く溜息を洩らした。


「……キース・クレイドを、呼んでくれ」


 ◆


 公爵に呼び出されたキースは彼の部屋を訪れた時にはすでに話の内容を予想していた。

 公爵は険しい顔でキースを迎えた。その隣には執事もまた険しい顔で控えている。


「突然呼び出したりして、申し訳ない」


 バーレン公爵はそう切り出したが、言葉を続けるのを躊躇ってか一度口をつぐんだ。どう言ったものかと思案しているのだろう。キースは公爵の心遣いを有難く思い、ふっと笑みを浮かべた。

 そして彼に対し、頭を下げる。


「――お世話になりました。傭兵団を脱けさせて頂きます」


 彼の言葉にバーレン公爵は一瞬目を見開いて固まった。執事も虚を突かれたようで、声も無い。

 キースが全てを承知して来た事を理解すると、バーレン公爵は力が抜けたように肩を落とした。


「……申し訳ない。きみに、何も非は無いのだが」


 キースは何も言わずに薄く笑みを浮かべた。


 傭兵団を脱けることになれば、バーレン公爵から与えられている住居も出ることになる。また住む場所から探すことになるが、ジュリアの前から完全に姿を消す為には、どの道必要なことだった。

 部屋には少しの間沈黙が流れた。

 場を辞するため、キースは再び軽く一礼する。


「…それでは」

「待ってくれ」


 退出しようとしたキースをバーレン公爵が引きとめた。キースが足を止める。不思議そうに振り返った彼に、公爵は問いかけた。


「また……傭兵をやる予定か?」


 その質問にキースは「はい、恐らく」と答えた。この仕事はやはり自分に一番向いている気がする。

 バーレン公爵はゆっくり頷くと、先を続けた。


「……で、あれば、ローランドの兵士として働く気は無いか?」


 意外な提案にキースは軽く眉を上げた。キースの返事を待たずに、バーレン公爵が続ける。


「上級兵士として、私が推薦しよう。傭兵として働くより待遇はいいはずだ」


―――上級兵士?


 聞いたことの無い言葉にキースは少し戸惑ったが、要するにローランドの軍隊に入るということだと理解した。

 いずれはそういう道もあるだろうと思ってはいたが、ローランド王国での地盤が無い自分では、今すぐは無理な話だった。けれども公爵の後ろ盾を得て兵士として城に入れるなら、傭兵を続けるよりずっといいには違いない。


「…それは、有難いお話ですが……」


 キースは戸惑いつつ言った。


「どこの馬の骨とも分からぬ自分を推薦して頂いて、よろしいのでしょうか」


 キースは自分のことをバーレン公爵には話していなかった。ただ家族を亡くして1人で旅をしているとしか言っていなかった。故郷はアリステアにあるという事すら、彼は知らない。そんな男を推薦して、もしキースが問題を起こせば、バーレン公爵の名にも傷が付くことになる。

 バーレン公爵はふっと柔らかく微笑んだ。


「きみは娘の命の恩人だ。それで充分だよ」


 公爵家の当主として一傭兵を切り捨てるのに、その立場を以てすれば直接申し渡す義務すら無い。ましてや代わりの仕事を世話する必要など、あるはずはない。

 公爵の上辺だけでない感謝の想いが胸に届き、キースは自然と頭を下げていた。


「どうぞ、よろしくお願いいたします」



 キースが部屋を退出した後、バーレン公爵は隣の執事を見て言った。


「手放すには、惜しい男だ」

「……そうでしょうか」


 公爵の言葉に、執事は納得いかなそうに眉を顰めた。

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