本当の別れ
ミーナに振られてから以降、アーロンはだいぶ張り合いの無い毎日を送っていた。
ミーナにはあれから会っていない。あのふざけた金髪騎士とどうなっているのかも分からないが、特に知りたいとも思わなかった。
あの男にとってミーナは遊び相手でしかなかったのかもしれないが、自分には指一本触れさせなかったミーナがあの男には簡単に体を許してしまっていた事実に、流石のアーロンもこれ以上どうしようもないという事をはっきりと実感していた。
城の方ではなにやら事件が起こったらしく、兵士達にもその内容が伝えられた。どうやら王女が王に反逆して死刑となったらしい。そして王女の母である姫も死んだとのことだった。
王族同士で”反逆”もクソもあるのだろうかと思ったが、正直どうでもよかった。王族など自分には関係の無い人種である。
王女の事件は少しの間兵士の間で話題になっていたが、やがて興味は失われていった。
そんなある日、アーロンは来客のため門番をしていた兵士に呼び出された。誰かなどと確かめるまでもなく、心当たりは1人しか居ない。忘れかけていた”ゴンドールへの護衛”を思い出し、アーロンは重い溜息を洩らした。
◆
アーロンを訪ねて来た客は予想通りバルジーだった。アーロンが出て来たのを見て楽しそうに歯を見せて笑う。
「おぉ~、ほんとに城から出て来たよ」
その能天気な顔が、やけに気に障る。アーロンは笑顔を返すことなく「なに?」とぶっきらぼうに問いかけた。
「…何って、仕事だよ。そろそろ行こうと思うんだが、お前、次の休みはいつだ?」
予想通りの話に、アーロンは首の後ろを掻きながら思案した。
指輪を買ってしまっていなければ前金を返してさようならしたいところだが、残念ながら金貨はもう手元に無い。もちろん返す宛ても無い。つまりはどうしようもない。
「…3日後」
渋々答えたアーロンを気にとめることなく、バルジーは「よし!じゃその日だ。ダランの港に来てくれ。夜明け頃に出発するからな!」と言った。
仕方なく、黙って頷く。
「頼んだぜ!」
バルジーは用事を終えたらしく、引き連れていた馬に跨った。
「じゃぁなー」
一声かけて陽気に去っていく。アーロンは複雑な表情で、その後姿を見送った。
◆
ゴンドールへの旅の前日、アーロンは昼の休憩時間を利用して、部屋で明日の荷造りをしていた。
カッシュがベッドに座った状態で「アーロン、カードやろうぜ」とか言って誘ってくるが「今、金に困ってないからいい」と断わる。
カッシュは「つまんねぇ」と文句を言った。
お金を取り出すために自分の棚の引き出しを開けて、アーロンはふと動きを止めた。中にある物を見付けて自嘲的な笑みが洩れる。そこには結局渡さずじまいの指輪が入った小さな箱が仕舞われていた。自分にはもう全く必要の無いものだ。これのために休暇を返上して命賭けの仕事に赴くのかと、虚しい想いに苛まれる。
何気なく手にして眺めていると、カッシュが「なんだそれ?」と問いかけた。
「…別に」
アーロンは小さく呟き、箱を再び引き出しに仕舞おうとした。同時に部屋の扉を軽く叩く音が聞こえて動きが止まる。カッシュとアーロンはそろって入口に目を向けた。
入口近くに居たカッシュが立ち上がり、扉を開けに行く。扉の向こうから現れた人物を認め、アーロンは思わず息を呑んだ。
そこに立っていたのはつい最近別れたはずの元恋人、ミーナだった。
「アーロン…」
ミーナは目を赤くしている。カッシュが驚いたようにミーナとアーロンを交互に見ている。2人が別れたことは、当然彼も承知しているのだ。
「――アーロン!」
言いながらミーナが部屋に駆けこんで来た。そして目を丸くしたまま突っ立っていたアーロンの胸に飛び込んだ。アーロンの目がさらに大きく見開かれる。カッシュも同様に固まっている。
「ミ、ミーナ…?」
動揺しつつ声をかけたアーロンに、ミーナが涙声で叫んだ。
「キース様が居なくなっちゃったーーー!!!!」
「――はぁ?!」
予想外の言葉に、アーロンは間抜けな声を上げた。
「王女様の部屋で会えなくなっちゃったから、直接会いに行ったの。そしたら、もう居ないって…。出て行ったって…。なんで??私、なんにも聞いてないのにーーー!!!」
ミーナが感情的にまくしたてる。相当、動揺しているらしい。そうでなければ別れた男のところに来て、新しい男のことで泣いてすがったり普通しないはずだ。
アーロンは全身を虚脱感に襲われた。一瞬、胸を高鳴らせてしまった自分に本気で呆れる。
「それは…残念だね…」
アーロンは全く心のこもらない言葉を、ため息混じりに呟いた。ミーナが顔を上げてアーロンを見詰める。
「私…遊ばれたのかな?」
アーロンは一瞬返事に窮した。まさか”そうだよ”と言うわけにもいかず、首を振ると無難に「分からない…」と答える。
側で見ているカッシュがなにやら同情的な視線を自分に向けている。そんな目で見られるのは却って頭にくる。アーロンはミーナを引き離そうとして、ふと自分の手に握られている箱に気付いた。仕舞おうとして、結局まだ持っていた。
小さく息を吐き、アーロンはミーナに声を掛けた。
「ミーナ、これ」
差し出された箱を、ミーナはまだ涙目のままじっと見詰める。そして、その正体に気付いたのか、不意にぱぁっと顔を輝かせた。
「これって、もしかして…」
「例の、指輪」
「きゃぁぁ~!!」
歓声を上げ、ミーナはそれを躊躇無く受け取った。あっさりと涙は止まったようだ。小さな箱を嬉しげに見つめるミーナに、アーロンは内心苦笑する。
「アーロン…ありがとう…」
真っ黒の大きな瞳を潤ませて、ミーナが微笑む。そしてその箱を開け、あらためて歓喜の声をあげている。そんな笑顔が、可愛くてたまらなくて、なんとか笑ってもらおうと、ずいぶん頑張った気がする。
そんな気持ちは全然、届かなかったけど。
「ミーナ…」
アーロンが呼びかけると、ミーナは笑顔で顔を上げる。アーロンはふっと微笑んだ。
「もう、来ないで」
穏やかな拒絶に、ミーナは一瞬固まった。大きな目をぱちくり瞬かせる。どうやら思いがけない言葉だったようで、反応に困っている様子が窺えた。
「…ばいばい」
アーロンが重ねて言った。ミーナはまるで甘えるように、上目使いにアーロンを見詰める。
「私達…友達だよね?」
その言葉で、ミーナの言動が腑に落ちた。彼女の中では、恋人としては終わったが、友達として続いているらしい。今も自分は”友達”として頼られたに過ぎない。
自分という存在の軽さを実感して、アーロンは疲れたような溜息を洩らした。
「悪いけど…そう簡単に切り替えられない」
「そんなぁ…」
ミーナが哀しげな声を上げた。
「私は、友達でいたいよ…」
ミーナの訴えにアーロンは顔を背けると首を振った。
「俺は無理なんだ。悪いけど」
「でも、私は…」
「出て行って」
「でも…!」
ミーナがなおも言い募ろう開きかけた口を、ふと閉じた。突然色を変えたアーロンの目に射竦められるようにして。それはミーナが今まで見たこともないような、冷たい目だった。
「――行けよ」
低く呟いた言葉には、ぞっとするような威圧感があった。ミーナは一歩退がると、くるりと背中を向けた。手にはしっかり指輪の箱をもったまま。
「ミーナ」
ベッドに腰掛けて見物していたカッシュが、突然ミーナを呼び止めた。ミーナは動揺しつつ、カッシュを振り返る。
「お前、男見る目無いよ。いまに、後悔するぜ。こいつは、ただの男じゃない」
ミーナはカッシュをひと睨みすると、何も応えず慌しく部屋を出て行った。ぱたぱたと足音が遠ざかる。ミーナの去った後の静かな部屋で、アーロンとカッシュは目を合わせた。奇妙な沈黙が流れる。
「…よく言うよ」
アーロンが呟く。
「本音だぜ」
カッシュが返す。そしてベッドから立ち上がった。
「そろそろ戻るか」
「……あぁ」
カッシュが先に部屋を出て行く。アーロンはその背中を見ながら、ふっと穏やかに微笑を洩らした。