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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第一章
13/88

偽りの忠誠

 近衛騎士隊でいつものように稽古をしながらも、キースは時折居館の方に目を向けていた。稽古に集中していない様子のキースに、クレオは苦笑する。


「どうしたんだ?心ここにあらずだぞ。そんな状態でもお前に勝てない自分に腹が立つ」


 おどけた調子で言った言葉だったが、キースは我に返ると申し訳なさそうに眉を曇らせた。


「すみません。少し、気がかりなことがありまして…」


 キースは言いながら金色の髪に指を通した。そしてため息を洩らす。


「…どうした?」


 そう問いかけるクレオにキースは少しの間沈黙し、やがて気を取り直したように目を上げた。


「いえ、大丈夫です。続けます」


 言ってもどうにもならない。それが本音だった。


 最近、リンティアにもアイリスにも会っていない。2人から呼ばれることが全く無いのだ。剣の稽古もずっとしていない。体でも壊しているのかと思って心配しているのだが、特にそういう情報は届いて来ない。

 キースの胸には、言い知れぬ不安が渦巻いていた。


 ◆


 その頃、皇太后カーラがアイリス姫の部屋を訪れていた。


 カーラがアイリスに会いに来るという事は今まで一度も無かった。アイリスは困惑しながら、カーラを迎えた。

 ジークフリードとよく似た切れ長の黒い目から、冷たい視線が自分へ投げられる。アイリスはカーラと向き合うと、戸惑いつつ「どうぞ、お入りください」と中へ促した。


「すぐに済むからここでいいわ」


 アイリスはそれ以上何も言えず、ただカーラの目の前に立っていた。

 重い沈黙が2人の間に流れる。カーラの目には強い憎しみが見て取れた。

 アイリスは異様な緊張感に苛まれながら、ただカーラの言葉を待っていた。


「……ジークフリードの妃になったそうね」


 やはり思ったとおりの話だった。

 アイリスは目を伏せると「はい…」とだけ答える。他になんとも言いようがなかった。望んでそうなったわけではない。けれども、そう口にするわけにもいかない。

 カーラはふっと微笑んだ。


「ひどい母親ね…」


 カーラの言葉の意味が分からず、アイリスは困惑の表情を見せた。


―――ひどい、母親…?


「リンティア姫のこと、聞いたわよ」


 カーラが続けて言った。その言葉に、アイリスは目を見開いた。


「リンティアは…リンティアは今どうしていますか?!」


 我を忘れて問いかけていた。

 ジークフリードはアイリス次第ではリンティアを許してくれると言ってくれたはずだった。けれどもあの後、ジークフリードはリンティアの話を全く出さない。アイリスの方から問いかけて怒らせてしまうのも怖くて、何も聞けずにただ不安な日々を過ごしてきたのだ。

 心からジークフリードの妃になる覚悟を決めて…。


「――処刑されたわよ」


 カーラの言葉が冷たく響いた。アイリスの体中が一瞬で凍りつく。

 言葉は聞こえたはずなのに、頭が理解を拒んだ。皇太后の言葉の意味を考えなくてはならないのに、得体の知れないどす黒い靄に頭の奥が塗り潰されていく。

 アイリスはただ目を見開いて立ち尽くしていた。その息も凍り付いてしまったかのように。


「ゴンドールに連れて行かせて、置き去りにしたそうよ。もうだいぶ前に。ジークフリードはあなたに何も言ってないのかしら」


 カーラはアイリスを冷たく見つめながら、言葉を続けた。


「嘘だと思うなら、牢に行って確認してみるといいわ。もうどこにも王女は居ないから」


 目の前の美しい姫を自分の手で苦しめていることに、快感すら覚える。カーラは薄く笑みを浮かべた。


「可哀想なリンティア姫…。あなたは何をしているの?…あぁ、呑気に男に抱かれていたのよね」


 アイリスの体が震える。その目はもう何も映してはいないようだった。ただ見開かれたまま動かない。

 カーラは見せつけるようにため息を漏らした。


「苦しんだでしょうね。1人でゴンドールに囲まれて。怖かったでしょうね……」


 ちらりとアイリスを見遣り、冷笑を浮かべる。


「――あなたのことを……呼んだかしらね」


 言葉のみで人の心を壊すことの、なんと容易いことか。それを証明するように、アイリスはその場に崩れ落ちた。

 床に両手を突き、震えながら、視線は宙を彷徨う。何の言葉も発しない。涙すら、見せない。計り知れない衝撃は、彼女に呼吸の仕方すら忘れさせたかのようだった。


「それじゃ…息子をよろしくね。あなたは結局そうやって男に抱かれて生きていくしかないんだものね…」


 カーラはアイリスを見下ろしたまま冷たく呟いた。そして何も言わない美しい姫から目を背けると、踵を返す。


 カーラは一度も振りかえらずに去っていった。そしてまた部屋に冷たい静寂が戻った。アイリスはそんな部屋の中で、ただ1人、人形のように座り込んでいた。


 ◆


 ジークフリードの許しは得ず、カーラはリンティアの罪状と処刑の事実を大臣や将軍に伝えた。万が一にもジークフリードがアイリスを正妃として迎えることなどできないようにするための処置だった。ジークフリードは怒り狂うだろうが、最早どうでもよかった。

 やがて、話は各騎士隊長、兵隊長に伝達されることとなった。そして連絡事項として、やがては近衛騎士隊にも伝わった。


「リンティア姫は、国王陛下への反逆罪により処刑されたそうだ」


 近衛騎士隊長の言葉に、騎士達は騒然となった。弱冠12歳の姫が国王に反逆などという話に、全員が違和感を覚えていた。そして誰もが盗み見るようにキースへと目を向けた。

 キースはただ声も無く自失していた。

 隊長の言葉の意味を必死で理解しようとしているのだろうか。真実を読み取ろうとするかのように、ただ隊長を見つめている。他の誰も、彼の目には入っていないようだった。


「伝達事項は以上だ。訓練を続けろ」


 隊長の言葉に整列していた騎士達はゆっくり解散した。キースは1人動かない。ただその場に立ち尽くしてる。

 クレオはそんなキースに、ためらいがちに声をかけた。


「キース…続けるぞ」


 その言葉にキースはやっと我に返った。その青い瞳がクレオを映す。彼は心配そうにキースを見ていた。


 次の瞬間、キースは走り出していた。去っていくキースを、クレオは呼び止めることはしなかった。他の騎士達も、誰も彼に声をかけることは出来ず、ただその背中を見送った。

 


 キースは夢中で居館の後宮へと向かった。


―――嘘だ!あり得ない…!!


 頭の中には同じ言葉が繰り返す。

 何が起きたのか分からない。けれどもアイリスのもとへ行かなくてはならない。今すぐに。そんな気がした。


 アイリスの部屋の前には、いつものように衛兵が1人立っていた。アイリス付きの侍女が部屋に入っていくのが見える。キースは息を弾ませながら、衛兵のもとへ駆け寄った。呼ばれてもいないのに姉の部屋に来たのは、初めてのことだった。

 衛兵はキースの姿を認めると、少し意外そうな顔をしつつ、頭を下げた。


「…姉に、会いに来た」

「はい、少々…」


 その瞬間、女性の悲鳴が響き渡った。キースと衛兵は一瞬固まり、そして同時にアイリスの部屋の扉に目を向けた。悲鳴は、確かに部屋の中から聞こえてきた。

 

 考えるより前に体が動いていた。

 キースは体当たりするようにして扉を開けると、部屋の中に跳び込んだ。目の前の床に侍女が座っている。彼女は一点を凝視したまま震えている。その視線の先をゆっくり辿りながら、キースは体中に心臓の音が響いているような感覚を覚えた。


 長い金色の髪。空色のドレス。うつ伏せに床に横たわる姉の姿がキースの目に入る。

 その顔は見えない。

 けれども床に流れるおびただしい鮮血が、何もかもを物語っていた。



 ――アイリスは自ら命を断っていた。その喉を切り裂いて…。



 ◆


 月明かりのみが城を照らす深夜。騎士の館から出てくる男の姿があった。


 地味な動きやすい格好で、肩には皮の袋を背負っている。階段を下りていく動きに合わせ、金色の髪がさらりと揺れる。そんな男の目に、やがて1人の騎士の姿が映り、彼は足を止めた。

 上品に切りそろえられたブラウンの髪。彼を迎えたのは、近衛騎士隊の先輩として長く世話になった男だった。


「クレオさん…」


 キースは口の中で呟いた。

 クレオがゆっくりと自分のもとへ来る。そして向かい合うと、足を止めた。2人はしばらく何も言わずにお互いを見ていた。言葉が出てこない。

 クレオはため息を漏らし、目を伏せた。


「何にも言わずに行くつもりかよ…」

「すみません」


 キースは静かに呟いた。

 クレオはしばらく言葉を探していたようだったが、やがて諦めたように顔を上げた。そして哀しげにふっと笑みを漏らす。


「止めても、無駄なんだろうな」

「はい」


 キースがはっきりと応える。クレオは「そうだよな」と小さく呟いた。自分に言い聞かせるように。


「どこに行くんだ…?」


 クレオは問いかけた。


「とりあえず、国を出ます」


 キースが答える。2人の間にまた重い沈黙が流れた。


「俺は…」


 キースが静かに口を開いた。


「もうこの国の騎士ではいられません。騎士は王族に忠誠を誓うべき立場です。けれども、俺は偽りの忠誠は誓えない。国を出て、ローランドで生きる道を探します」


 クレオは黙って聞いている。キースの決心を、変えることができないと感じているのだろう。

 アイリスが何故死を選んだのか、キースには分かりようがない。彼女は手紙一つ残さずに、ただ1人命を絶った。けれども間違いなく、リンティアの死が彼女を追い込んだのだと感じていた。そしてリンティアの罪は濡れ衣だと、キースは確信を持っていた。

 リンティアとアイリスはアリステア王家に殺されたのだ。

 なぜそんな目に合わないとならなかったのか。贅沢も不満も言わず、ただ静かに暮らしていた2人が…。


 護りたかったのに、護れなかった大事な2人。結局自分は無力なままだった。王族を前に、何の力も持たなかった。騎士という位に、何の意味も無かった。


「ローランドの…騎士になるのか…」


 クレオが独り言のように呟く。キースは苦笑した。


「さすがにローランドで騎士にはなれないでしょう。なるとしたら、兵士ですね」

「そうか、そうだな…」


 クレオもつられて笑う。そしてキースを見ると「戦争が起こらないといいな」と呟いた。


「…お前を敵にまわしたくない」


 その言葉に、キースはただ微笑んだ。クレオも微笑みを浮かべる。キースは少しの間クレオを見ていたが、やがて目を伏せた。


「……行きます」

「……あぁ」


 キースはゆっくりクレオの隣を通り過ぎた。キースの足音が遠のいていく。クレオは振り返ってその背中を見送った。


 生まれ育った祖国を捨てて去る男の後姿を、月明かりだけが哀しく照らしていた。

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