恋の終わり
騎士達の鍛錬する裏庭には、相変わらず奇妙な光景が繰り広げられていた。近衛騎士隊の騎士達が皆訓練の手を止め、輪を作るようにして2人の男を取り囲んでいる。金髪の騎士と、赤毛の兵士。2人はお互い肩で息をしながら、お互いを睨みつけていた。
ずいぶん前に始まった2人の”手合わせ”はなかなか終わる気配が無い。一旦距離を置き体勢を整えた二人は、また同時に動いた。
アーロンの蹴りがキースの脇腹を狙う。それを片腕で防ぎながら一歩踏み込んだキースが、アーロンに殴りかかる。しかしその拳もまた、防御する腕に弾かれた。目にも留まらぬ速さで繰り広げられる攻防の中、決め手は無く時間ばかりが過ぎていく。アーロンは苛立ちを覚え、歯軋りした。
今まで同じ歳の男になど、負けたことは無かった。これほど苦戦するのも久し振りだった。キースの青い瞳が自分を睨んでいる。相手も苛立っているのが分かる。周りで見物する騎士達は、みんな目を丸くして2人を眺めていた。
「あいつ、誰だ…?」
「キース相手にやるな」
皆が口々に呟いている。それを聞きながら、クレオも少し驚いていた。いつも余裕たっぷりで可愛くないキースが、ちょっと本気になっている。なかなか面白い光景だった。
拳を避けるためにアーロンが動いた瞬間を突いて、キースの足がアーロンの足を払った。アーロンの体が一瞬傾く。その一瞬の隙を逃すまいとするように、キースがアーロンに体当たりし、2人の体は雪崩れ込むように地面に倒れた。
ザッと巻き上がった土煙が消える前に、アーロンは体を反転させてキースの体を上に馬乗りになる。そして体を起こし、拳を握る。
キースの青い目が見開かれた。
「――やめろ!!!」
突然その場に響いた声に、アーロンの動きは殴りつける寸前で止まった。握った拳を止めた状態で、その目はただ組み伏せたキースを映している。キースも同じように、アーロンから目を逸らさずにいた。
「何をしているんだ、キース・クレイド!!」
名を呼ばれ、キースはアーロンから目を離すと声の方に目を向けた。
そこに居たのは近衛騎士隊長だった。いつの間にか戻って来たらしい。キースはしばらく自分を睨む隊長の険しい表情を見ていたが、不意に力の抜けた吐息を漏らし、目を閉じた。
「…稽古です」
その答えに、アーロンは握っていた拳をゆっくりと下ろした。そして目を伏せる。沸騰していた頭が、急速に温度を下げて行くようだった。
「これのどこが稽古だ!ただの喧嘩だろうが!お前等も、なに見物してるんだ!」
隊長の怒りは周りの騎士達にも向けられる。叱られた騎士達はお互いに顔を見合わせているが、反論する者は居ない。隊長はやれやれとため息をついた。
「お前、兵士だな?」
隊長の目がアーロンに向けられた。アーロンはキースの体から離れ、立ち上がった。キースもそれに合わせて身を起こす。
「そうです」
アーロンが答えた。
「兵士は兵士同士で稽古してもらおう。何のつもりか知らないが、迷惑だ」
近衛騎士隊長がアーロンに厳しく言い捨てる。アーロンはそんな隊長に真っ直ぐ体を向け「はい。すみませんでした」と謝罪した。
「いや、でも、凄かったよ。キース相手に互角だった」
隊長の横から、クレオが何故かアーロンに声をかけた。アーロンはニコリともせずに「どうも」と返しただけだった。
”互角”などという言葉は少しも嬉しくなかった。けれども否定もできなかった。自分の唯一の取り柄と思っていたものも、結局この男には敵わなかったということか。
アーロンはキースの方を向いた。黙って立つキースと自然に目が合う。
そもそも何故喧嘩を売られたのか、彼は何も知らないはずだった。下らない嫉妬から八つ当たりのような行動に出た自分を自嘲し、アーロンは苦笑を漏らした。
「ミーナのこと、よろしく頼む」
勝負はついたのだと思った。
「ミーナ?」
突然出てきた思いがけない言葉に、キースはひょいっと眉をあげた。”ミーナ”というのは誰だろうと思っていた。昨日思い出したばかりの名前を、彼は早速また忘れていた。
「……ミーナだよ」
アーロンがキースの反応に怪訝な顔で繰り返す。
「誰だ?それは」
アーロンの表情が険しくなる。
「侍女のミーナだよ!お前、彼女の恋人になったんじゃないのか?」
「あぁーー!!」
”侍女”という言葉で、キースはやっとリンティア付きの侍女のことを思い出した。そして思わずちょっと笑う。
「悪い悪い。名前を覚えるのは苦手なんだ。顔と体は流石に覚えてるんだけど」
「……なんだと?」
先ほど和らいだと思っていた空気がまた怪しくなる。キースは目の前の男が自分に喧嘩を売った理由が分かった気がした。
「誤解だ。恋人じゃない」
キースが言った。
「一回寝ただけだ」
「――なんだと、この野郎!!!」
再び跳びかかろうとしたアーロンの体は、今度こそ近衛騎士隊の騎士達によって押し留められてしまった。