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ゴンドールの大陸  作者: 芹沢 まの
第一章
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王の妃として

 その頃、アイリスは自室で1人、本を読んでいた。


 かつてはヨーゼフの政務に付き添って方々に出掛けたものだが、今はそんな用事も無い。たまに会いにきてくれるリンティアやキースと話す以外に特にする事も無いので、1人の時はのんびりと本を読んでいる。

 退屈だとは思わなかった。そんな穏やかな時間が彼女は好きだった。


「―――アイリス様」


 不意に侍女に声を掛けられ、アイリスは本から目を上げた。


「国王陛下がお見えです」


 ◆


 食事を終えたリンティアは、片付けをするミーナに「お母様に会いに行ってくるね」と伝えると、1人部屋を出た。入り口からではなく、裏のテラスから。ミーナはそんなリンティアを微笑みとともに見送った。

 リンティアは最近侍女の取次ぎを面倒くさがって、後宮の裏からアイリスの部屋に入り込むのが常だった。最近ではもうアイリスも驚いてくれなくなったとぼやいている。


 長いドレスの裾を持ち上げながら、リンティアは軽やかに歩いて行った。そんな姿をヨーゼフが見たら、また”はしたない”と嘆くだろうと思いながら、一人ふふっと笑みを漏らす。

 大好きだった父。今もまだ居なくなってしまった実感は沸いていない。

 想い出を手繰ってしまうと涙が出そうになるが、過ぎ去った穏やかな日々は、大事な宝物だった。


 リンティアは少し涙のにじんだ目をこすると、またアイリスの部屋を目指して歩いた。


 ◆


「やめてくださいっ…!!」


 ジークフリードに抱き寄せられながら、アイリスは声を上げた。そんなことを言うのが無駄かもしれないと思いながら。アイリスの部屋を訪れたジークフリードは、侍女を退がらせると、突然アイリスに迫ってきた。耳に吐息を触れさせながら、うわ事のように呟く。


「父はもう居ない。今の国王はこの私だ。貴方も…私のものになるのだよ」

「そんな…」


 抗おうとするアイリスの体をジークフリードは軽く抱き上げた。そして寝台へ連れて行くとそこへ横たえる。


「陛下、お考え直し下さい…!こんなことをすれば、カーラ様が…」


 待ち切れず覆い被さって来たジークフリードにアイリスは必死で訴えた。けれども彼の黒い瞳は深く淀み、アイリスの心になど向けられてはいなかった。


「やっと…俺のものに…」


 アイリスの顎を捕え、奪うように唇を重ねる。執拗なまでの口付けに、アイリスは固く目を閉じるとともに、抵抗を諦めた。目の前の男が国王であることは間違いが無い。結局、逆らえるはずはないのだ。


―――ヨーゼフ…。


 目の奥から滲む涙が睫毛を濡らす。ジークフリードの手が苛立たしげにアイリスの服を脱がせにかかるのを感じながら、せめてこの時間が出来るだけ早く終わるよう、祈るしかなかった。


「――何してるんですか?!」


 突然部屋に大きな声が響き、アイリスは驚きとともに目を見開いた。

 動きを止めたジークフリードが、体を起こして振り返る。そこには何故かリンティアが立っていた。侍女には誰も通すなと命じておいたはずだ。そう思いながらジークフリードは忌々しげに舌打ちをする。


「――出て行け」

「嫌です!!」


 アイリスが慌てて起き上がる。そしてリンティアの姿を認めた。


「リンティア、行きなさい!」

「嫌!!」


 リンティアは目を真っ赤にして国王を睨み付けている。国王の怒りが娘に向かうことを恐れ、アイリスは必死で叫んだ。


「行きなさい、リンティア!!部屋へ戻って!!」

「やだってば!!」


 リンティアは叫びながら寝台に駆け寄り、ジークフリードの腕を掴んで引っ張った。母親から引き離そうするように。ジークフリードはそんな少女の手を振り払うと、その頬を手の甲で打った。リンティアの小さい体が衝撃で床に放り出される。


「陛下…!」


 アイリスは慌ててジークフリードの腕に縋った。


「お許しください!この子はまだ子供なのです!何も分かっていないのです…!」


 リンティアは床に倒れたまま国王に必死で訴える母を見ていた。打たれた頬は赤くなり、じんじんと後を引く痛みに涙が滲む。


「出て行って、リンティア。邪魔をしないでちょうだい」


 アイリスは強い瞳で娘を叱りつけた。その両手はジークフリードの腕をしっかりと抱き留めている。母の言葉が自分を護るための嘘であることなど、簡単に分かった。けれどもそんな風に護って欲しくなんてなかった。リンティアはふるふると首を振った。


「やだ…」

「――リンティア!」


 リンティアは立ち上がると、またジークフリードの腕を掴んで引っ張った。


「離れて!離れて!!」


 叫び声が部屋に響く。ジークフリードは引っ張られるままに寝台を降りる。そして再びリンティアの腕を振り払うと、長椅子へと向かった。

 そこには部屋に来たときに置いた彼の剣があった。

 王の意図を察し、アイリスは目を見張った。


「陛下…!」


 アイリスの目の前で、ジークフリードは剣を鞘から引き抜いた。姿を現した刃が鋭い光を放つ。アイリスの背筋に冷たいものが走った。


「――悪い子だ」

「陛下!!」


 アイリスの悲鳴のような声を聞きながら、リンティアはジークフリードの真っ黒な瞳を見詰めていた。血を分けた兄でありながら、そこには情の欠片も存在しない。冷たい剣の切っ先が、すっとリンティアに向けられた。


「――出て行きなさい」


 威圧的な声に、リンティアの体中に激しい鼓動が響いた。母が何かを叫んでいる。けれども何も聞こえない。まるで、世界が遠のいて行くように。見えるのはただ、国王の冷たい瞳だけ。


「――うっ…!!!」


 突如、部屋に唸り声が響いた。同時にリンティアの意識が急速に現実に引き戻される。リンティアの目の前には、信じ難い光景が広がっていた。

 ジークフリード王の剣が、国王自身の太腿に突き立っている。王は目を見開きながら、その場に膝を折った。次いで不気味が静寂が襲う。


 何が起きたのか理解出来なかった。王が持っていたはずの剣が、何故彼の足に突き立っているのか。ジークフリードの苦痛に歪んだ顔がリンティアに向けられる。その目には激しい憎悪が見て取れた。


「――貴様…」

「…え…」


 リンティアは思わず声を漏らした。自分は、何もしていない。何もしていないのに…。


「――誰か居るか!!」


 突然、ジークフリードが外へ向かって声を張り上げた。

 リンティアの目がアイリスを捕らえる。母はただ目を見張って凍りついたように固まっていた。王の声に、すぐに衛兵が部屋に入って来た。そしてその場の光景に、驚きのあまり一瞬足を止める。ジークフリードは荒い息を吐き出しながら命じた。


「リンティア王女を投獄しろ。国王である私に…刃を向けた」


 王の言葉に衛兵はすぐには動けなかった。その意味を瞬時には理解できないようだった。リンティアもアイリスも同じだった。部屋の空気は一瞬、凍りついた。時が止まったように。


「――早くしろ!!!」


 国王の怒鳴り声に押され、衛兵は弾かれたように動いた。呆然とするリンティアのもとへ来ると、小さく「失礼いたします」と言ってその両手を素早く後ろ手に拘束する。リンティアは抵抗できなかった。アイリスが「お待ち下さい!」と声を上げる。そしてジークフリードに取り縋った。


「陛下、お待ち下さい。この子は、何も…」

「――うるさい!!!」


 ジークフリードの声がアイリスに叩き返される。そして衛兵に対し「早く連れて行け!」と容赦ない命令を繰り返す。リンティアは衛兵により、慌しく部屋から連れ出されて行った。それと入れ替わるようにアイリスの侍女も部屋に戻って来た。王の姿に目を留め、顔を青くする。


「医師を呼べ」


 ジークフリードが侍女に命じた。


「は、はい!」


 侍女がまた慌しく去っていく。


 部屋に残されたアイリスは、ただ呆然とその場に座り込むしかなかった。

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