第1話 古の魔神、復活
森の奥深くに半壊した神殿がある。かなり古く、残っている石柱などはいつ崩れてもおかしくはない程だった。また、至る所に木の根が入り込んでおり、森と一体化しかけている。
そんな神殿跡と呼べる場所に3人の人間が来ていた。中年の男と若い男、そして若い娘。娘は整った顔立ちで、髪も目も黒く、肩まである髪を三つ編みに結っていた。両手を縄で縛られ、足は近くの石柱から伸びた鎖に繋がれていた。男達は娘のそんな姿を見て、申し訳なさそうな顔をしている。
「アンちゃん、本当にすまねぇ。オレ達を許してくれ」
「ごめんな……ごめんな…」
「ううん、おじさん達が悪いわけじゃないもの」
アンと呼ばれた娘はニコリと微笑む。
「こうしなきゃ村が襲われるんだし…仕方が無いよ」
アンが住む村は神殿のある森の近くにあった。貧しいが穏やかな村だったが、十数年前に森から怪物が現れ村を襲った。去り際、怪物は「若い娘を生贄を出せば、今後村を襲わない」と言い残す。それから数年に1度、怪物から生贄を出すように指示が来る。その度に村は若い娘を生贄に出してきた。そして今年も同じように言われ、アンに白羽の矢が立った。
早くに両親を失い、村人達の世話になりながら一人で暮らしてきたアン。村の皆に好かれていたが、話し合いで生贄に選ばれた時、反対する者は1人もいなかった。それに対してアンは村人を恨む事はしなかった。娘を持つ親が天涯孤独な娘と自分達の娘を天秤に掛ければどういう結果が出るかは分かり切っていた。世話になった村への恩返しにと、アンは生贄になる事を受け入れた。
「村の皆に元気でねって伝えて下さい」
「ああ、わかった」
「ごめんなぁ…」
若い男は泣き出しそうになっている。苦笑いをしながらアンは2人に立ち去るように促す。
「さ、怪物が来る前におじさん達は早く村に戻って」
「ああ」
「うう…」
アンに言われ、男達は足早に神殿を後にした。神殿内はとても静かで、風に揺れる木々の音だけが響いていた。屋根もなく、壁などはほとんどが崩れており、建物と言えない程だが、アンの正面には4m程の大きな石像が壁を背にして立っていた。こちらをジッと見つめている石像。大きな石を削って作った彫刻だが、とても精巧とは言えず、屋根のない場所に放置されていたのでかなり風化している。
「なんの像なんだろう? かなり古いみたい。脆そうだなぁ」
恐怖を紛らわす為、独り言を口にするが、周りで小さな物音がする度にビクリとそちらを見るアン。よく見ると周りには人間の骨らしきものが散らばっている。
1人になったアンの顔からは笑顔は消えていて、次第に体が震えだす。蹲って震える体を抑えていると、次第に目に涙が溢れてくる。気丈に振る舞っていたが、次第に心の奥から恐怖や後悔といった思いが溢れ出る。
「……死にたくない。死にたくないよぉ」
顔を伏せ泣き出すアン。そんなアンの右側にある壁の奥から何かを引きずる様な音がする。こちらに近づいてくる音に鼓動が高まり、音のする方を凝視する。
壁の切れ目からこちらを見てる者がいた。人間の顔のようだが、普通の人間の2倍ほどの大きさで深緑の鱗に覆われており、目は血の様に赤く、ニタァと開く口からは長い舌が出ていた。
「ひっ…」
アンが悲鳴を上げ、尻餅をつく。それはズルズルとアンの前までやって来る。全長が10m程はありそうな人の顔をした大蛇だった。化物の正体を知らなかったアンはその正体を知り、顔が恐怖一色になる。その表情を見た大蛇は嬉しそうに喋り出す。
「ヒャッ、ヒャヒャヒャヒャ! こりゃまたなかなか上物じゃねぇか。どんな味がするのか楽しみだなぁ、ヒャヒャヒャヒャ!」
心の底から嬉しそうな声で話す大蛇。死が目の前に来てガタガタと震えるアン。
(いや! いやいやいやいやっ! 死にたくない! 誰か助けて!)
後ずさるアンにジリジリと迫る大蛇。その大蛇の後ろに立つ石像の背後の壁である変化が起きていた。
壁に黒い亀裂が入り、そこから黒い煙が湧いて出てくる。亀裂は次第に大きくなり、大きな黒い煙の塊が壁から出てきた。そしてそのまま石像の背中から中へと入って行く。壁の亀裂は消え、痕跡は何も残っていない。すべてが石像の背後で起きていた事なのでアンと大蛇はまったく気付いていない。
石像の体の至る所にひびが入り、体中に黒い煙が行き渡る。物音がして大蛇が振り返ると同時に石像の目の部分に穴が開く。瞳は無く、ただ真っ黒な穴が開いている。
「なんだぁ?」
大蛇は物音に気付き、石像の方に向き直り警戒の色を強める。アンは大蛇が後ろを向いたのと同時に鎖の繋がった石柱に駆け寄り、陰に隠れた。
石像はゆっくりと動き出す。関節があるわけでは無いので関節部分はバキバキと割れるが欠片が落ちるだけで、崩れ落ちることは無かった。どんな力が働いているのか、人の形を維持した状態の石像は自由に動ける事を確認すると、肩が震えだす。
「ク…ククク…グワッハッハッハッハッハ! 遂に出られた! 出られたぞ!」
両手を上げ喜びをかみしめる石像。だが、周りの様子や自分の体を見て首を傾げる。
「しかし…これはどういう事だ。思わずこの体に入ってしまったが、我の体は何処に行った? それにここは何処だ?」
辺りをキョロキョロ見渡し、見覚えのある壁や石柱をジッと見つめ、しばらく固まる。そして次第に驚愕の表情に変わって行く。表情を変えるたびに顔に亀裂が入るのだが気にかける様子は無かった。
「こ、ここは我が神殿か!? いったい何が…いや、あの時勇者共との闘いでかなり損傷していたが…この木々は何だ。我はどれ程の間閉じ込められておったのだ?」
腕を組み考え込む石像。目の前にいるのにすっかり無視されている大蛇も我に返り、怒声を上げる。
「テ、テメェは何だッ! いきなり動き出しやがって!」
大蛇の怒声で初めて大蛇の存在に気付いた様子の石像は鬱陶しそうに手でシッシッと払う。
「誰だ、我が神殿にこんなペットを持って来たのは…まったく」
そう言って再び考えに没頭する石像。ペット扱いされた大蛇は頭に血が上り、尻尾を振り払う。
「舐めてんじゃねぇぞコラァ!」
尻尾は考え込む石像の横っ腹に直撃し、石像は勢いよく横へ倒れる。大きな音と土煙を起こし倒れ込む石像を見て、大蛇はゲラゲラと笑った。
「ヒャヒャヒャヒャ、舐めてるからそうなんだ馬鹿が」
大蛇が笑っていると、土煙の中から石像が起き上がる。それを見て大蛇は笑いが止まった。
「さっきから喋っているな。という事は魔族か。だがこんなペットみたいな下等種族が何故ここにいるのだ? おい、他の者はどうした? 魔王を呼んで来ぬか。復活して機嫌がいい、無礼に対する処罰は後にしてやるから早く呼んで来い」
何事もなかったかの様に命令する石像に大蛇はブチ切れる。
「なんでテメェの言う事なんか聞かなきゃいけねぇんだコラァ!」
再び飛んできた怒声に呆れた石像は右手を大蛇に向ける。
「2度目は無い。消えるがよい」
そう言うと石像の手に黒い煙が染み出てくる。そして煙が火に変わろうとした瞬間、右手が爆発した。
「なっ!」
「なんだとっ!?」
突然の爆発に驚き大蛇、そして何故か石像まで驚いて消し飛んだ右腕を見ている。
「脆すぎるなこの体は…。まともに魔法が使えんではないか」
「ふ、ふざけやがってぇぇぇぇ!」
破片が飛んでたが、大蛇にダメージは無かった。だが驚かされた大蛇は怒りが頂点に達して、すばやく石像に巻き付く。
「む、離さんか、気色悪い!」
「このまま粉々に潰してやる!」
大蛇は締め付ける力を強めていく。石像の体はそこらじゅうにひびが入り、欠片が飛んでいる。
その様子を黙って見つめているアンはどうしようかと悩んでいた。
(あの石像が倒されたら今度こそこちらに来る。でも石像が勝っても殺されるかもしれない…。今のうちに逃げたいけど鎖があるし…どうしよう)
アンが悩んでいると再び大蛇の笑い声が聞こえる。
「ヒャヒャヒャヒャ! 雑魚が調子に乗るからこうなんだよ。そのままくたばれ馬鹿が!」
そう叫んだ瞬間だった。空気がピシリと変わる。石像から尋常ではない威圧が放たれ、大蛇は体を硬直させ、呼吸さえも止まってしまう。同じくアンも意識が飛びそうになる。
「ふん、少し睨んだだけでその様か。それにこんなもので我の動きを封じたつもりか」
「く…う、うるせぇ! さっさとぶっ壊れやがれ!!」
ググッと力を込める石像、それに合わせ大蛇がさらに力を込めると、石像はバラバラに壊れ、その場に崩れ落ちた。再び土埃が辺りに舞う。
「ヒ、ヒャヒャ…全然大した事ねぇ! オレ様に敵うわけねぇだろバァカ! ヒャヒャヒャヒャヒャ!」
大笑いをする大蛇はゆっくりと振り返りアンを見る。
「さて、余興も済んだし食事にするかぁ」
「ひっ。……!?」
ニヤニヤしている大蛇の後ろで土埃を上げている崩れた石像。だがその土埃の中に黒い煙が混ざっている事にアンは気が付く。黒い煙は次第に大きくなり、崩れた石像が逆再生される様に再び組み上げられていく。そして煙はすべて石像の中へと納まっていった。
大蛇はアンの視線が自分に向いていない事に気が付く。
「何処見てやが―――」
「まさか少し力を込めただけで壊れるとは…。早く元の体に戻らねばいかんな」
大蛇が振り返ろうとした瞬間、尻尾を捕まれ勢いよく引っ張られる。そして石像があった壁に思い切り叩きつけられた。
「ガッ!」
「あの忌々しい壁は壊しておこう。あとは…」
再び尻尾を引っ張り足元に大蛇の顔を引き寄せる。頭部を強打した大蛇は眩暈を起こしてされるがままだった。
石像は仰向けになっている大蛇の首元を思い切り踏みつける。
「ゲハッ…グァ!?」
喉を踏まれ大きく口を開ける大蛇。同時に石像は右拳を口に突っ込む。崩れた状態から戻った時に右手も戻っていた。
「元に戻ったばかりの手だが、致し方ないな」
そして右手からまた黒い煙が染み出てくる。自分の口元から出る煙を見た瞬間、大蛇の脳裏に先程の爆発が思い浮かび、必死にもがくが身動きが取れない。
「ガ、ガフェ…」
「我を侮辱したのだ。死を持って償うがよい」
煙が火に変わり出し、先ほど同じように爆発した。
口の中からの爆発により大蛇の顔は吹き飛び、飛び散った血と肉片が石像の体にかかる。大蛇の体はビクビクと痙攣している。
「しまった。体が汚れてしまったな。仕方ない、他の物を探すか」
石像はグルリと辺りを見渡し、ガタガタ震えたまま固まっているアンと目が合う。
「ム?」
「ひっ…」
アンに気付いた石像はドスドスと近づいてくる。すでに憔悴してきっていたアンは逃げる気力も残っていなかった。あまりにおぞましい光景と、その原因である石像がこちらにやって来る事で、自分の命はここで終わりだと確信する。
(もうダメだ。今度こそ死ぬんだ。お父さんお母さん、今から会いに行くね…)
グッと目を瞑り、死を受け入れるアン。だが、石像の放つ言葉で再び目を開くことになる。
「どこぞの村娘か。おい娘よ、何を震えておる? 蛇が怖かったか? あの蛇なら死んだぞ。安心するがよい」
魔神復活です。