拝啓 (2012年)
一話書き直し
お元気ですか?
ついに、念願の平和維持軍への入隊が決定しました。
訓練は厳しいですが、私のお転婆はご存じでしょう。
持ち前の負けん気で頑張っています。
近々、配属隊を決める能力試験があります。
私は雑務担当の一般隊員ではなく、前線を守る十二隊を希望することにしました。
壁は高いですが、私なら大丈夫。
それでは今日も、頑張って参ります。
いつかまた、貴方の笑顔に会うために―――
いつもあなたのそばに 蛍
「走れーーーーーー!!」
真っ青な空に、怒号が飛ぶ。
思わず止まった足に手を添えて、蛍は背後の先輩隊員を見た。
「す、すみませ…」
「謝ってる暇があったら走る!」
「ハイ!」
カンカンに照った大地を走ることかれこれ3時間。
当たり一面には力尽きた新人隊員たちが干からびたように倒れていた。
視界のすみで泣き崩れている子が見え、思わず肩を縮こまらせる。
「よそ見しない!ペース落ちる!」
「は、ハイ!」
同じ距離を走っているにも関わらず、新人を追いたてる先輩隊員たちの呼吸に乱れはない。むしろ罵声を浴びせる気力体力十二分、といった感じだ。
この人たち、ホントに人間なのか!?
心の叫びに意識が散ると、あっという声とともに足元が大きくもつれた。
次の瞬間、地面に打ち付けられるように思い切り転ぶ。
痛い!
追いこしていく足音の向こうに、見物客の大きなため息が聞こえる。
雑踏の中近づく人影を感じ、蛍は恐る恐る顔をあげた。
スコアボードを持った女性隊員が、仁王立ちして蛍を見下ろしている。
「はい、惜しかったけど脱落ね。隊員番号は?」
「…416です」
女性はふと手を止めて蛍を見た。
「…あなた、どこ配属希望だっけ?」
「…十二隊です」
恥ずかしさに、語尾が揺れる。
気まずい沈黙が流れる。女性が片眉をあげて「十二隊がどういうところか、知っているわよね?」と尋ねてきた。
十二隊――
平和維持軍で特別任務を追う、精鋭部隊のことだ。雑務を担う一般部隊とは異なり、有事のときには最前線で体を張って闘う。平和維持軍の要となる戦闘部隊だ。
その名の所以は十二の動物によるエンブレムにあり、格別なオーラを纏う制服に憧れを抱く者は多い。
しかし、新入隊員約100名のうち、十二隊へ配属されるのはせいぜい2人。
倍率50倍という超絶狭い門に、実際には十二隊配属を目指す前から諦める人間がほとんどである。
『十二隊配属希望です』など滅多に口にできるものではなく、ましてやこの持久走すら完走できていない蛍など―――
「諦めなさい」
押し黙る蛍に、先輩隊員ははっきりとした声で言い捨てた。
思わずすがるように顔を上げるが、言葉が見つからない。
「命にかかわる仕事なの。気持ちだけでどうにかなる世界じゃないわ」
ふいに真っ白なタオルを頭からかぶせられた。
「この軍に入れただけどもあなたは十分エリートなのよ。でもね、身の丈以上の夢は捨てなさい」
少し憐れむような声色で言うと、先輩隊員は鷲を引き連れトラックへと戻って行った。
遠くで完走者を祝福する歓声があがる。
蛍は去りゆく先輩の背を見つめると、がっくりと肩を落とした。
能力試験と称する、新人隊員最初の選抜訓練が始まって3日が経っていた。
分析能力、知識、体術、感受性、協調性…あらゆる科目において基準を突破した100名を待ち受ける、平和維持軍恒例の『洗礼』である。
蛍はこの日も数名、荷物をまとめて裏門をくぐる同期を見送っていた。
あれだけ辛い入隊試験を通過しておきながら、逃げ出すなんて信じられない!なんて豪語していたのもつかの間。今ではそんな彼らを羨ましく思う。
「ああ、きっつ…」
休憩の笛が鳴ると同時に、蛍は綺麗に刈り取られた芝生の上へ崩れるように倒れこんだ。
入隊時に抱えていた鮮やかな夢を晴れやかに吹き飛ばしてしまうのは、肉体的苦行だけでは無かった。
平和維持軍の要は魔術使いにある。彼らは強い心を具現化して闘う。
例えば、先輩隊員が連れていた鷹がそれで、具現化された心は九十九と呼ばれる。
九十九の姿は人の心と同じく多様で、その能力も同様に人によって異なる。
蛍は、まだ自分の九十九を見ていないことに焦りを感じていた。
それでも、
「どうしても、十二隊に入らないといけないの」
蛍は思わず呟いていた。
十二隊なら、あの人の手掛かりが掴めるかもしれない。
「集合ー!」
訓練終了の笛が鳴り、ヘロヘロになった隊員たちは倒れこむように座りこんだ。
初めは半数ほどいた女も今ではずいぶん少なくなり、蛍は汗まみれの男たちに挟まれながら、浴びるように水を飲んだ。
「これじゃあ、試験前に死んじまうぜ?」
ごもっとも!と、どこからか聞こえた声に賛同する。
巻き起こる小声の不満に、ふふっと微笑む声がした。
ぎくりと固まる隊員に、黒ぶち眼鏡の青年が微笑んでいる。
ひとつに束ねた金色の髪と、白い肌が幻想的だ。
鋭い瞳には優しさがあり、スラリと伸びた背に見降ろされていても不思議と威圧感は無い。
先輩隊員の持つ迫力とは違う何かに、隊員たちが息を呑む。
訪れた静寂の中で、青年は隊員たちを見渡すと、ゆっくりと左手を上げた。
彼の左手が、音色を確かめるように指を鳴らす。その瞬間――
突如冷たい風が隊員たちの間を過ぎ去った。
驚いて顔を上げると、そこには2Mはあるだろう巨大な生き物が、悠々とこちらを見下ろしている。
それは向こうの景色が見えるほど透き通った、闘牛だった。
誰もが空いた口を塞ぐのも忘れ、それを見あげている。蛍も息を呑んでその光景を見ていた。
「これが九十九だ。九十九はお前たちの『心』の強さを表わすことは知っているな?」
青年が、牛の頬を撫でながら言った。
誰かが「すげぇ…」と呟く声が聞こえる。
「明朝9時から、順に試験を行う。お前たちの、本当の適正が試されるときだ。
よって、明日の最終試験に備え――」
隊員たちは呼吸も忘れて、青年の顔を見た。
そんな様子を見て青年はにやりと笑うと、言葉をつづけた。
「今夜はしっかり休むように。
以上、解散!」
寮独特の匂いが染みついた枕を抱いて、蛍は今日の光景を思い返した。
透けた闘牛の美しさ、そして―――
「カッコイイ!!」
青年の整った顔、優しい微笑みを何度も脳内で再生しては枕に顔を押しあてる。
同室の朝顔が、心配して蛍を覗き込んできた。
「蛍ちゃん、落ち着いて」
落ち着いていられるものか!イケメンは乙女の癒しなのだ!
「だって朝顔、毎日あの憎い女先輩で気が滅入ったところに颯爽と」
蛍が「以上、解散!」と真似て見せ、再び枕に顔を埋める。
「確かに、かっこいいですけど」
朝顔がほんのりと頬を染める。活発に見えるショートヘアーと控えめな性格のギャップが可愛らしい。
黙っていれば可愛いのに、とため息を吐かれる蛍とは大違いである。
「それに透牛隊所属というのも、魅力的ですよね」
「ホントっ?!」
それは聞き捨てならない。飛び起きた蛍に朝顔が微笑む。
「肩のところに、エンブレムがありました」
「やっぱり十二隊、何としても入らなくちゃ!」
イケメンを眺めるためと言う歪んだ目的も付加されたが、モチベーションが上がったことはよいことである。
蛍は先輩隊員の言葉もすっかり忘れ、眠りに就いた。