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第八話 暗い庫壁 決意の嘘

駐車場の一階。

精算機が並ぶフロアは、蛍光灯の明かりが少し暗く、影が長く伸びている。


貴久は、人目につきにくい奥の壁際に車を停めた後、精算機のある場所まで戻って姫禾を待っていた。


やがて、階段の方から足音が聞こえてくる。


走ってくる姫禾の姿が見えた。


「走らなくていい!」


貴久が声をかける。


待っている間ずっと考えていたが、どう切り出したものか、整理がついていなかった。


姫禾は、ずっと走ってきたのだろう。

息を切らせながら、貴久の元へ駆けつけてくる。


「ぉ、おまた…せし…ました!」


肩で息をしながら、必死に言葉を絞り出す。


「……ゆっくりでいい。息を整えて」


貴久はそう言って、ゆっくりと車に向かって歩き出した。

姫禾も、荒い呼吸を落ち着かせながらついてくる。


車の前で立ち止まり、貴久は一度周囲を見回した。

二人を知る人に見られていないか、確認する。


「狭い車だが、乗ってくれ」


そう言って、助手席のドアを開ける。


姫禾は少し戸惑いながらも、車に乗り込んだ。


貴久も運転席に座り、ドアを閉める。


密閉された狭い空間。

二人きり。


姫禾の決意が、揺らぎ始める。


(……身を引くって、決めたのに)


狭い車内。

隣にいる先輩の存在。

優しさ。


でも、先輩は今も、困った顔のままだ。


逡巡している間に、貴久が口を開いた。


「まず、楽にしてくれ。……私と姫禾と、妻の話だ」


その言葉に、姫禾の背筋がピクリと震えた。


肩に力が入りすぎて、身体が固くなっているのが自分でも分かる。


「……はい」


貴久は、少し間を置いてから、ゆっくりと話し始めた。


「あれから……君との楽しかった時間の後、帰って妻にありのまま全てを話した」


姫禾は、両手を膝の上で握りしめる。

爪が食い込むほど、力を込めた。


「君をアパートまで送っていったこと。君とキスしたこと。君と愛し合ったこと。全て話した」


窓から差し込む夕暮れの光が、車内を橙色に染めている。


姫禾は唇を噛みしめながら、全身が緊張するのを感じていた。


「そう……だったんですね。奥さまに、全て……」


(……やっぱりだ)


これは、別れ話なんだ。


仕方がない。


それでも、先輩は「楽しかった時間」「愛し合った」と言ってくださった。


もう、それだけで充分だ。


そう思い、納得しようとした。


貴久が小さく咳払いをして、続けた。


「妻は……いくつかの条件を飲むなら、姫禾と私の関係を認めるそうだ」


「んへぁ!?」


しばらくの沈黙の後、姫禾の口から変な声が漏れた。


理解が追いつかない。


「ぉ、奥さまが……? わた、わたしと先輩の関係を……?? 認める!?」


「そう。条件付きで、だ」


貴久は、そう言って左頬を人差し指で掻いた。


「その条件の一つが、これだよ。『やっぱなんかムカつくから一発殴らせろ』だそうだ」


少し笑いながら、すっきりした顔で言う。


「君に出す条件は別だそうだ。一つ目は……君を、妻に会わせることだ。他の条件は会ってから話すらしい。私も聞かされてないんだ」

 

姫禾は、しばらく考え込んだ。


(……奥様は、きっと先輩が大好きなんだ)

 

だから、先輩を失わないように、我慢して受け入れるって言ってるんだ。


そんなの、嫌なはずなのに……。


先輩ご夫婦の仲を裂くわけにはいかない。


(……自分が、悪女を演じて身を引こう)


そうすれば、先輩も奥様も傷つかない。


新たな覚悟が、胸の中で固まっていく。


姫禾は、目を合わせず、真っ直ぐ前を見て答えた。


「……お会いします。奥様と……お話させてください」


***


貴久は、姫禾の横顔を見た。


真っ直ぐ前を向いて、何かを決意したような目。


(……姫禾、終わらせるつもりだな)


分かる。


あの目は、覚悟を決めた目だ。


悪役を演じるつもりなら――


(そうはさせない。させてたまるか)


貴久は、心の中で誓った。


「……今からで良いのか?」


姫禾は、前を向いたまま答える。


「はい。お願いします」


貴久はエンジンをかけた。


車が、ゆっくりと動き出す。


暗い車庫を抜けて、夕暮れの街へ。


二人を乗せた車は、静かに走り出した。

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