第四話 温もりの手 優しさの輪郭
「姫禾……!おい、しっかりしろ!」
返事はない。
荒く、苦しそうな吐息だけが、部屋の空気を震わせていた。
(まずい……)
貴久は迷わなかった。
会計を済ませ、姫禾を抱え上げる。軽すぎる身体。思わず奥歯を噛みしめた。
外は夜気が冷たく、長く居て良い場所ではなかった。
慌てて拾ったタクシーの後部座席に姫禾を横たえ、貴久は身を屈めて声をかける。
「姫禾。わかるか。……お前のアパート、研修の時と変わってないな?」
しばらくして、かすれた声が返る。
「……せん……ぱい…?…アパー……ト……ライフ……コーポ……」
「よし、わかった」
運転手に行き先を告げ、車は静かに走り出した。
密閉された車内。
姫禾の呼吸はまだ荒く、時折、小さく身じろぎをする。
貴久は迷った末、そっとその手を取った。
冷たい。姫禾はあの時もこんな風に冷たい手をしていた。
***
――温かい。
手を握られて、姫禾の意識がゆっくりと過去へ沈んでいく。
あの夜も、こんな風に手を握られた。
――居酒屋の喧騒。
誰かが笑っている。グラスを突きつけられる。
「姫禾ちゃんもほら飲んで、もっともっと」
断りたい。でも、言葉が出ない。
気づけば足元がふわふわしていた。
誰かの腕が肩に回る。引っ張られる。
怖い――
「離して……」
声にならない。
その時。
『大丈夫か』
聞き慣れた、落ち着いた声。
視界がぼやけている。
でも、その顔だけははっきりと見えた。
何もされなかった。
ただ、部屋まで送られて、水を飲ませてもらって、毛布を掛けてもらっただけ。
それだけなのに。
(この人なら、大丈夫)
そう思えた夜。
初めて、男性を"怖くない"と思えた夜。
――温かい、手。
あの夜と、同じ。




