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第十六話 不貞の鎖縛 不定の情(こころ)

前回に続き姫禾視点の進行です。

東口から駅ビルに入って、百貨店の一階入り口へ小走りで向かうと、扉の近くで十和子さんが待っていた。


「取り敢えず、落ち着ける所で聞きましょうか」


わたしは無言で頷いて、十和子さんに付いていった。


飲食店フロアのカフェに入ると、入り口から離れた奥のソファー席に座って周りを見たあと、


声をひそめて話をする。


「詳しい話を聞かせてくれる?」


わたしは、先輩との不倫関係を話した事、まだ十和子さんから承諾を得た話はしていない事、話をした相手のキミちゃんが同期の法務部知財課の職員である事を説明した。


途中から目を閉じて話を聞いていた十和子さんは小さく息を吐くと、わたしを見た。


「まずい事になったわ」


胸が、締めつけられる。


「アタシが不倫を認めてるとか、そういう次元の話じゃなくなった」


十和子さんは、真剣な顔で続けた。


「あのね、今アートフロートのクライアントに結婚式場があるのは知ってる?」


わたしは、会社が取り扱っている案件で、老舗の式場運営会社からブライダルプランと内装デザインの発注を受けていた事を思い出して――


ぞっとした。


「そう。うちの人も絡んでる案件よ。あちらからすれば、ウェディングデザインを作る人間が不倫してるなんて、ブランドロゴの毀損も甚だしいでしょうね」


今頃になって、ようやく大変な事をしてしまった実感が湧いてきた。


指先が、震える。


「わたし――」


「姫ちゃんだけのせいじゃないわ。アタシも浅はかだった」


十和子さんは、静かに言った。


「法務部で騒がれたら、手の打ちようが無い。今やアタシ達は、会社が抱える爆弾よ」


血の気が引いていくのが分かる。


自分が今、どんな顔をしてるかも分からない。


でもきっと、相当酷い顔だったんだろう。


十和子さんは、わたしの手を握って言った。


「そんな顔しないで。大丈夫よ」


その手が、温かい。


「人も増えてきたし、ここ出て少し歩きましょ?」


***


カフェのお会計を済ませて外に出ると、帰宅ラッシュなのか人が増え始めていた。


十和子さんは、わたしと腕を組むと、


「いざとなったら、法務や人事にも多少は話せる知り合いが居るの。なんとかなるわよ」


そう言って、元気づけてくれた。


そのまま駅の方に戻って歩いていくと…


後ろから声が掛かった。


「トモちゃん…?」


振り返ると、キミちゃんが立っていた。(そうだ、キミちゃんは電車通勤だった…。)


わたしは十和子さんに、件のキミちゃんである事を小声で説明した。


「あの、そちらは…?」


キミちゃんの問いかけに、十和子さんは隠す事なく答えた。


「久善路の妻の十和子です」


少し頭を下げる。


未だ腕を組んだままのわたし達を見て、キミちゃんは混乱しているようだった。


「え…? なん…どういう――」


「姫ちゃんとうちの人の事は、アタシが認めてるの」


「…はい? …認めてる…? いや、意味が…」


「わからないかもしれないけど、そうなの。アタシは別れるつもりはないけど、反対もしてないわ。だから姫ちゃんの事は問題視しないで」


「……そういう事じゃないんですよ。ウチの会社は今――」


「結婚式場の件なら知ってるわ。今話してた所――」


「それやったら! …リスクを考えて下さい」


キミちゃんの語気が、強くなっている。


「リスクねぇ…。貴女の言ってる事もわかるけど、人の気持ちなんて、時折そんなルールやしがらみも越えるわ」


キミちゃんは、少しの間俯いて何かを呟いた。


それから、顔を上げる。


「…そんなん、…そもそもまずアンタおかしいやろ!? そんな、自分の夫を分け与える!?みたいな…はぁ!? 意味わからんやん!」


十和子さんは、何か言いかけていたと思う。


でも、それより先に、わたしが黙っていられなかった。


「…十和子さんの事、何も知らないでしょ…。キミちゃんの常識を、わたし達に押し付けないで!」


キミちゃんは、驚いた顔でわたしを見ていた。


「トモちゃん…」


何か言いかけて、周りに人が増えてきたのを見廻すと、


「兎に角、よう考えて」


そう言い残して、駅に向かう人波に混ざって行ってしまった。


「ほんと、人の気持ちなんて思うようにいかないわね」


雑踏の音の中で、十和子さんの呟きがわたしの中に反響していた。


それから今後の事について少し話した後、十和子さんとも解散した。


***


アパートに帰って、何もする気になれず横になっていると、ラインの着信音がした。


キミちゃんから、簡潔な文章で「近くに居る。話したいけど会えない?」と書いてあった。


慌てて飛び起きてラインを返すと、近くの公園で落ち合った。


会って早々、先に口を開いたのはキミちゃんだった。


「今日はホンマにごめん。なんか色々ぐちゃぐちゃ思って、キツい言い方やった思う」


「こっちこそ、ゴメンね。心配かけたし、キツい言い方した…」


キミちゃんは、わたしをジッと見つめると、


「トモちゃん…。トモちゃんの今の正直な気持ち、聞かして?」


静かに訊いてくる。


わたしは、少し考えてから答えた。


「わたし…先輩のことが好き。どうしようもないくらい、好き」


声が震える。


「十和子さんにも、色んな人にも迷惑かけるけど、それでも…もっともっとって…止められないの…」


情けなくなって、涙が出た。


キミちゃんは、わたしを見てポロポロと涙を流すと、


「そっか」


そう言って、わたしを抱きしめてくれた。


そして――


「そのまま、聞いて。…ウチな、トモちゃんが好きやってん。…うん。多分、今も」


なんて返せば良いのか分からない。


…少しだけ、そうなのかなと思った事もあった。


「やから、今日怒ったりしたんは全部ウチの嫉妬…ゴメンよ八つ当たりみたいになってしもて……トモちゃん、あのな…ウチ、トモちゃん応援するから。難しいやろうけど…トモちゃんには幸せになってほしい。やから、今日のことは誰にも言うてないし、これからも言わへんよ」


キミちゃんが、袖でわたしの涙や鼻を拭いてくれる。


わたしも、キミちゃんの顔を袖で拭くと、キミちゃんは一度ニッと笑った。


それから、真剣な顔になった。


「それでも、他の人に気付かれんとも限らんから、兎に角会社にはバレへんように上手く隠して」


「…ありがとう。キミちゃん…」


そう言うわたしに、キミちゃんはまたギュッとハグした。


「頑張れトモちゃん! …でもあの人の奥さん、なんかすごい人やったな…今度会えたら、ちゃんと謝らんとな…」


「うん…。すごい人。わたしもまだ知らない事いっぱいなんだけど…すごい人」


「なんやそれ」


笑うキミちゃんに釣られて、抱き合ったままわたしも笑っていた。


***


キミちゃんが帰った後、今日一日の事を思い返して、気持ちを整理していた。


嫉妬…心の深い所に、何かどす黒い鈍い棘のようなものが刺さった、そんな気がした。

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