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第十三話 夜蝶の行方 男の蔭

タクシーを降りた十和子は、歓楽街を歩いていた。


この街の夜は、ネオンとLEDに彩られ、どこもかしこも艶めいている。


光はまた影を生み、そのコントラストが歩く女を、まるでこの街の主のように映えさせた。


一人の客引きが、十和子の姿を値踏みするように無遠慮に眺めると、急いで駆け寄ってくる。


「お姉さん。女優さんか何かでしょ! 俺テレビで見た覚えがあるもん。めっちゃキレイですね! 良かったらウチの店寄りません? すぐそこだし、今ならタイムサ――」


十和子は早口で畳み込む男の口元に人差し指を近づけると、妖艶な目線で黙らせる。


「ごめんなさい。今日は先約があるの♡ また今度遊んであげるわ」


そう言って、手をひらひらと振ると、見惚れる男を置き去りにして歩き去っていった。


そんなやりとりを何度か繰り返し、十和子は十数年ぶりにこの街の中央、一段格式の高い店が並ぶエリアに来ていた。


淀みなく歩き続け、辿り着いた扉の前で暫く静止する。


やがて、そのダークブラウンに塗られたオーク材の重たい扉を、ゆっくりと開いた。


中から賑やかな談笑が聞こえる。


「いらっしゃ――」


バーのマスターが挨拶を止めて、深々と頭を下げた。


改めて声をかける。


「おかえり、なさいませ」


微かだが、声が震えている。


サロンブースの何人かは何事かとマスターを見たが、ここの客層も一段格式が高いようで、気にも留めぬ様に、また各々の談笑に耽った。


十和子は慣れた手つきでフリーの酒棚からボトルを一本抜き取ると、言葉少なに訊いた。


「あの人、居る?」


マスターは微笑みながら答える。


「奥でお待ちです」


「忙しそうだし、構わなくていいからね」


十和子が優しく言うと、マスターは静かに返した。


「後で少し顔を出します」


***


落ち着ける暗さの廊下を通り、派手な色にも関わらず、不思議と周りとの調和を保つ深紅の扉の前に立つ。


扉には、内側からだけ開けられる金属の覗き窓が付いている。


扉を引き開けると、手入れの行き届いた調度品と小さなバーカウンターがあり、その奥の席で静かに男が待っていた。


「十三年になるかな。やっと来られた」


男の返事は無い。


「貴方に話したい事が沢山出来たの。今日はとことん付き合ってもらうね。ユーゴさん」


若い頃の口調に戻った十和子が話しかける男は、オールバックにした銀髪と、室内に似つかわしくないサングラスにトレンチコート、マフラーという出で立ちだった。


額縁に収められた、大きな写真。


「貴方はその中でずっと歳を取らないね。羨ましい」


専用のグラスを棚から取って、乱雑にスコッチを二つ注ぐ。


一気にグラスを空けると、堰を切ったように明るく話しかけた。


「そうそう。ユーゴさんが目を付けてたあの若造、貴方の言った通り筋が良くてね。色々教えてる内にプロポーズされちゃった。あたしついOKしちゃってね、だから今は他人の女になったの。悔しい?」


写真の男が、微かに苦笑いしたように見えた。


「今日その若造にね、いい人ができたわ」


グラスを満たす。


「とってもいい子だったの。優しいのに、芯があった。昔のあたしじゃ言えなかったような眩しいセリフもはっきり言ってたわ。『鉄の女』も形無しね」


また一気に空ける。


「でもね、その子に席を譲るつもりだったのに、どうしてもダメだったの。錆が浮いてきたのかな? 歳をとるってこんなに弱くなるもんなの?」


視線を落とす。


「ねぇ、ユーゴさんは…強かったよね」


何度もグラスを満たしては空けていく。


「あたし、あの人もあの子も好き。歪んでる? 誰のせいよ」


そう言って笑いながら、目頭を押さえる。


しかし、涙は出ない。


十三年。


時間はとうに涙を枯れさせた。


「いつまで、どこまでこんな事続けられるかわかんない。でも、あたしはもう我慢しないの。充分したでしょ?」


十和子はカウンターに這いつくばるようにして、酔い潰れながら話し続けた。


やがて話も途切れた頃、バーのマスターが顔を出した。


薄い毛布を十和子の背中にかけながら、静かに話し始める。


「奥さ――失礼しました。久善路様、櫻庭様よりの伝言です」


慌てて飛び起きる十和子。


「アタシに!? いつ!?」


「久善――」


「十和子でいいわ!」


マスターは頷いた。


「十和子様がお見舞いに行かれて、櫻庭様がお倒れになった時がおありだったでしょう?」


十和子の顔に、小さな痛みが走る。


「あの時、十和子様がお帰りになった後、お目覚めになった櫻庭様より伝言をお預かり致しました」


マスターは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。


「櫻庭様が亡くなられて、数年したらきっとこの店に十和子様がいらっしゃると。その時に伝えてくれと、おっしゃっておりました」


「……」


「あの時の話の続き、と言えばわかると」


十和子は、静かに頷いた。


「ええ。続けてちょうだい」


マスターは、一度深く息を吸った。


「私に残ったのは君だけだった、ありがとうと」


声が震える。


「遺せる物は無くなったが…君の幸せを、…幸せを祈っていると…」


言いながらマスターは涙を流し、顔を覆った。


十和子の頬にも、いつの間にか絶え間ない涙の川ができていた。


マスターは顔を上げて、静かに告げた。


「今日はずっとラウンジの方に居ります。ゆっくりお話して、ご自由におやすみ下さい」


そう言い残して、出ていった。


等身大の男の大きな影に寄り添うように、いつしか十和子は眠りについた。

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