計画前夜と交わらない思い
ホテルのエントランスから田中が運転する事務所公用車が出ていく。
それを見送った私は踵を返しホテルエントランスへと入る。
こまごまとした日本政府との惑星割譲条約締結のための折衝は既に従妹である駐日エルフ部族連合大使に管轄が移り、観察官事務所は私を始めとしたエルフ職員による極秘の『お引越し』作戦以外は定常運転。
その極秘作戦もようやくひと段落し、あとは明日の実行を待つばかり。
エレベーターに乗り込み、端末からでニュースを軽く見る。
報道番組でコメンテーターが明日訪問する予定の新惑星秋津洲――かつて私たちがスヴァルトアルファヘイムと呼んでいた惑星の開拓に関する説明をしていた。
SNS上でも政府首脳が初の星間航行を行うということでその話題で持ち切りになっている。
エレベーターが最上階に到着した。端末を閉じ、廊下を歩く。
「~♪」
気分は上々、鼻歌だって出ちゃう。
私が宿舎にしている最上階のインペリアルスイートの扉を開ける。
トマトの甘い酸味、チーズの香り、そしてベシャメルのほのかな焦げた香り。――ラザニアの匂いだ。
そのまま足を進めてリビングに入る。
「あ、エルフさん。――おかえり」
少年がオーブングローブにラザニアの容器をもって立っていた。
そして柔らかいほほえみを私に向けてきてくれる。
「―――――」
心臓が少しはね、その後にほんわかとした温かさが胸の中に広がってくる。
いい、とても。
これは良いものだ。
ただお帰りと言われただけでなんでこんなにも暖かい気分と高揚感が生まれるのかしら?
何か変な成分とか出てない? 大丈夫? 合法?
「エルフさん?」
おっといけない、あまりの多幸感に意識が宇宙に飛んでいた。
「ただいま」
私も少年に微笑みかける。
それを見て満足したのか、うんと少年はうなずいて、テーブルにラザニアのお皿を置く。
テーブルには、初鰹のブルスケッタ、ケールサラダ、ミニトマトのカプレーゼ。
どれもきれいに盛り付けがされており美味しそうだ。ラザニアは少年が作ったのだろうが、ほかの物はホテルのルームサービスだろうか?
「全部僕の手作りだよ。さすがにホテルの料理と比べられると恥ずかしいけど」
私の疑問を感じ取ったのか少年が補足する。
なんとなく思っていたけど、この子本当に多芸ね。
一点特化型の天才というより、なんでもそつなくこなす子って感じ。
おそらく今日の外泊もその多芸な弁で田中を言いくるめたのだろう。
「どうしたの?エルフさん」
「ううん。よく外泊許可が下りたなって思っただけ」
田中はあの件以来息子である少年を相当警戒している。
どう言いくるめたのか興味がある。
「あぁ、それね。おとうさんには今日は同級生の家にお泊りに行ったことにしてるんだ」
しれっとそう言い放つ少年。
田中非公認だったかぁ。
「その子のお父さんがあの時の集団で北米に行かなかった人でね、僕に負い目もありそうだったから二つ返事で何も聞かずに口裏合わせに協力してくれたよ」
とするとこの逢瀬、田中にばれるとやばい?
ただでさえプライベートで低下している私への信用がストップ安になったりしないだろうか?
そう私が逡巡していると少年は私をのぞき込んで一言。
「バレなきゃ無かった事と同じだよエルフさん」
どんどんと悪いことを覚えて大丈夫かしらと心配になるが、よくよく考えるとこんな同年代の子供でもやるような悪事どころではないことをこの子はやっていたことを思い出して、まぁいいかと考え直す。
北米の半分吹っ飛ばしかけたことに比べればこんな口裏合わせて無断外泊なんて些事よね。
うん、OK.何も問題はなし。
「そういう柔軟なやり口、私大好き」
そう私が言うと、少年は「でしょぉ?」と屈託なく笑った。
笑顔だけは年相応の少年に見えた。
☆彡
エルフさんはソファに深く腰掛け、赤ワインが入ったグラスを手に持ち傾けている。
そんな様子を見ながら僕はコップで同じ色の液体を口に運ぶ。ただしこっちはぶどうジュース。甘くておいしい。
ラザニアはちゃんと焼けていた。焦げ目は香ばしく、ベシャメルのクリーミーな風味が鼻を抜ける。初鰹のブルスケッタは、魚のうまみとミョウガと大葉の爽やかな香りがいいバランスにまとまっており、エルフさんは「魚なのに赤ワインに合う~」ご満悦だ。
お気に召したようで何より。
BGM代わりにつけているテレビからは日本の新領有惑星秋津洲と天照星系に関する特集が組まれていた。
開示している情報は星系に関する情報や惑星地図・組成情報ばかりなのでそれを味のしないガムのように繰り返し深堀をしていたり、駐日エルフ部族連合大使館を通じて開示されている聖地についての情報が中心だ。
明日何が起こるかも知らない無邪気だなぁ。
「ねえ、イタズラは成功しそう?」
小首をかしげながらエルフさんに聞いてみる。
「そうねー。事務所や大使館のエルフ族からの情報漏洩ももう心配なさそうだし大丈夫じゃないかしらー。あーブルスケッタもいいけどやっぱりラザニアのチーズとワインの軽い酸味が絶妙~~最高~~♪」
だいぶエルフさんはふにゃふにゃしてきている。片手にワイン、片手にフォークのへべれけスタイル。
ちなみにワインの味はわからない。エルフさんがワインセラーからとっておきといったやつを出していた。
ボルドー左岸のグラーヴ/ペサック・レオニャン地区の柔らかめワインで、ニーケー族の観察官からもらったものらしい。
僕にはまだわからないけど、いつか一緒に飲めるといいな。
部屋の外を見る。空の低い位置にある月がいつもよりも大きく見える。
「この月も今日で見納めか」
「そうね……」
僕の言葉につられエルフさんも外を眺める。
目を細めて遠くを見つめる瞳。
遠くを見ている瞳だ。長い時を見ている瞳だ。
銀河連邦の中でも希少な長命種であるあるエルフさん。
貴女はいくつの人生を見てきたの?
どれだけの文明の結末を観察官として眺めてきたの?
星に魅入られていた僕の心に入ってきたもう一つの興味。
だんだん僕の中でエルフさんの存在が大きくなっているのは、否定しようがない。否定するつもりもない。
渇きを知ったのがおとうさんとの天体観測のあの日だったのなら――
――僕が僕になったのは燃え盛るプラント跡の炎を見下ろしながら僕をエルフさんが肯定して抱きしめてくれたあの時だ。
渇きを知っただけでは、僕はいずれ宙に執着するだけの伽藍洞の肉人形になっていただろう。
宇宙に果てはない。
遠くに行って、さらに遠くに行って、銀河連邦の技術で行ける果てまで行って、行けなくなって。
渇いて飢えて餓鬼になり果てていたと思う。
でもそうはならなかった、エルフさんが僕に別の欲を施してしまった。
おかげで僕は餓鬼になり果てられなくなってしまった。
それが僕の渇望を薄めていることは僕にとって良い事か悪い事かはわからない。けど、心地は良かった。
まだ人から見たら十分に狂気を孕んだ渇望を持ってはいると思う。でも、人よりちょっと強いだけだ。
あったとしても、ただの偉人程度だ。
「……どうしたの?」
僕の視線に気づいたのか、目線を僕に移すエルフさん。
「エルフさん」
「ん?」
「好きだよ」
いうつもりはなかった言葉。声に出た言葉を自らの耳で認識して、こぼれてしまったことを認識する。
エルフさんは目を見開いている。
言ってしまったものは仕方ない。吐露しよう。
「僕のありようを受け入れて僕を見てくれた。そんなエルフさんが僕は好きだよ。人生を共にしたいと思うくらいに」
そう言ってエルフさんに微笑みかける。
100%の本心だ。
でも―――
「ありがとう」
エルフさんも僕に微笑み返し、僕の頭をなでてくる。
「そんなことをしなくても私は君を遠くの世界に連れて行くわ」
―――思いが絶対に伝わることがないことは僕はわかっていた。
あの日、エルフさんは言った。「君は偉人になる」と。
それは星に魅入られた偉人になるということ。
後悔せず、渇きを満たすためにただひた走る存在。
エルフさんに抱きしめられる前の僕はそんな存在になり果てていた。
弱くなったとはいえ星への渇望はまだある。それは消えようがない。
エルフさんへの好意はおそらく伝わっている。
でもそれはあくまで手段の一つとして。
いくら言葉を尽くしても、あの日の渇望が消え切らない限り、エルフさんから見た僕は餓鬼道に落ちた餓鬼だ。
そして渇望を消した僕に、果たしてエルフさんは歓心を抱くだろうか?
抱かないだろう。それにそれは僕が僕でなくなってしまうことを意味する。到底認められない。
エルフさんはやさしく僕をなでてくる。
泣きそうになる。泣いてはいけない。その涙に意味はない。
………後悔はしない、できるのは振り返るだけ。
欲しものは何をしても手に入れる。僕はわがままなんだ。
なら、今すべきは―――
「でも、それはそれとして、好意は受け取る?」
強めてイタズラ気な、僕の持つ背景を動員して、試すような目線でエルフさんを見つめる。
エルフさんは一瞬息を呑み、そして明るく答えた。
「もちろん! 役得は役得だもん!」
その声とともに、エルフさんは勢いよく僕に抱きついた。腕が首に回り、体温が僕の肩に伝わる。エルフさんの声が弾ける。
「少年~~~~しゅきっ!」
そう、エルフさんはそういう人。心に棚を作れる人。
そういう入り込める余地のある人、僕大好き。
ならば僕の行動は決まっている。
エルフさんの顔を僕の顔に寄せ、唇を重ねる。
短いキス。ただ唇を重ねるだけの稚拙なもの。
それでもエルフさんの身体はかすかに硬直し、そして頬が朱に染まる。
唇が離れ、エルフさんは少し呼吸を整えた後、僕を見つめながらぽつりと言った。
「……ずるい子」
そうですとも。
でも、そういう子が好きでしょう? エルフさん。




