【二話】三界連携活動(壱)
◇◆◇◆◇◆◇
人は必ず死ぬ。
時期はどうあれ、生まれた時から死に向かって走り出している。
この世に生きる人間は絶対に逃れることは出来ない摂理だ。
死んだらどうなるか。
死んじゃったら終わり、と思ったらそうでもないのだ。
人は死ぬと《現世》での衣である肉体がなくなって、霊止になる。
《霊》となった人が赴く世界、それが《幽世》だ。
三途の川を渡るとそこは「あの世」と言われる世界がある、と伝えられている。
向こう岸を「彼岸」、こちら側を「此岸」と言われている。
初めてこちらに来た人はそんな川なんて見なかった、と言う。
その川は《地獄》で流れている。
もしも目にしたことがあるのだとしたら─────、地獄で審判を受けたことがあるのかもしれない。
「あの世」の呼ばれ方もさまざまである。
代表的なのは霊界とかじゃなかろうか。また宗教が下敷きになるともっと増える。
極楽浄土に天上界、彼岸に天国、地獄─────。
お役所的に言えば、《幽世》が正解である。
《幽世》は天界、幽界、獄界と呼ばれる三つの世界で構成されている。
《現世》と《幽世》。
交わるには大きな大きな隔たりのある二つの世界。
《現世》側から見れば、死ぬということは悲しい出来事。
《幽世》側から見れば、こちらにやって来た。つまりは「生まれた」と考えることも出来る。
住む世界が変われば、見え方も変わる。
《現世》で生を得て、死した者。
一人残らず《幽世》に渡る。来てくれないと困る。
すぐには困らないかもしれないけれど、困るときが必ずやって来る。必ずだ。
─────《幽世》に渡らないと何が起こるのか。
おかしくなる。
狂った霊になる。
凶暴な霊になることもある。
悪霊になることもある。
そして………、行き着く先は怨霊。
《幽世》に渡らないとその先にある世界と繋がらなくなってしまう。
ずーっと《現世》にとどまってしまうと、生まれ変わることが出来ない。
輪廻転生の環から離れることになる。
生きている人たちにも大迷惑をかけることになるのだ。
《幽世》はあくまで「通過点」であって、最終目的地ではない。
人の魂としての最終目的地であるのは《霊界》である。
《現世》で生を受けて、死を迎え、そして《幽世》に渡る。
ここで魂を整えて《霊界》に至る。
《霊界》に至るためには「悪業」を落とさなければならない。
「悪業」とは、一体なんだろうか。
一口で言えるものではないが、人間の魂にこびりつく垢のようなものだ。
抽象的な言い方であるが、これが一番わかりやすい。
この垢を落とさないと《霊界》に渡ることができない。
傲慢、嫉妬、怒り、怠惰、強欲、暴食、色欲、暴力、嘘をつく、騙す、他責感情に処罰感情。
上げだしたらキリがない。
《現世》で生きてきた中で積み上げてしまったソレである。
「悪業」のない霊、「悪業」を削ぎ落とした「霊」は《幽世》にとどまる理由がなくなる。
そういう人は《幽世》での衣である幽体を脱ぎ捨てて、《霊界》に旅立っていく。
《幽世》を形作るのは三つの世界。
こちらでは《三界》と言われることが多い。
─────幽界。
最も多くの人(霊)が住む世界である。
死ぬと一番最初に訪れるのが【出入界審査場】である。
《幽世》の玄関口である。
死んで初めて《幽世》にやってきた霊のことを「帰幽者」という。
初めてやってきたというのに、帰幽っていうのか、少し不思議な感じがするけれど。
実際【審査場】のゲートにはでかでかと【おかえりなさい】と書かれた横断幕がかかっている。
帰幽者には「基礎番号」が発行される。
番号が発行されるまでの間に【帰幽者講習】を受けることになっている。この講習は《三界》のそれぞれの世界について、霊として《現世》との関わり合い方、やってはいけないことなどが伝えられる。
「基礎番号」をもらう際に、講習で説明を受けたことを遵守するという誓約する。
【審査場】を通過すると《幽世》に先に来ている親族や縁者、知己の人たちが待ち構えていて、盛大に出迎えられるというわけだ。
その後は、親族だったり親しい人とこちらの世界を案内してもらうってのが、定番コースとなっている。
「新帰幽者向け」の案内所もあるし、三つの世界を巡る大掛かりなツアーもある。
〈幽界〉は極めて〈現世〉とよく似た作りになっている。
自然とこちらでの生活に馴染むことができるように作られている。
全容を把握しているわけではないが、街はそれぞれの時代の街並みになっている。
現代の街並みもあるし、平成時代、昭和後期時代、戦後高度成長期、昭和戦前時代、大正時代、明治時代などなど。小さくなっているが、江戸時代の街並みもある。
その時代に生きた人たちが街を作って来たからに他ならない。
江戸時代の街並みが見えるのはもうそろそろ限界だろう。住む人がいなくなれば朽ちていく。
この世界が中心の世界と言える。実際、この《幽界》に腰を落ち着ける人が一番多い。
─────天界。
「天国」ではない。あくまで《幽世》に含まれる世界の一つである。
善良である人たちが住まう世界とされている。
風光明媚なところであり、のどかで自然豊かな環境がウリの世界である。
この世界のコンセプトはもちろん「天国」である。
天国と呼ばれる世界、神様が住まう世界。そんな世界を模して作られている。
極楽浄土だったり、桃源郷、エリシオン、ヴァルハラなどなど。
要は「高級リゾート地」みたいなつくりになっている。
まあ、某夢の国にみたいな場所もある。
こういう言い方はこの世界に住む人にはしてはいけない。
こんな言い方をすると気分を害するらしい。
《天界》で職を得るのは容易いが、ここの住人となるのに少々ハードルが高い。
ここに住みたい人は別途手続きが必要となってくる。
《天界》に住むための手続きは《幽世》に入るための【入界審査】とは比べ物にならないほどの複雑で厳格な審査がある。
それでもここに住みたいという人はあとを絶たない。
《天界》という響きがいいのだろう。誰でも一度は憧れる世界のようだ。
誰も審査を受けることができるが、誰でも住めるというわけではない。
─────獄界。
地獄のことである。率先して行きたがる人はあまりいない。一部のツウな人たちを除けば。
【出入界審査場】で「あなたは裁判を受ける必要があります」と言われた人たちが行くところである。
罪咎があると言われて地獄に送られた人たちがいく世界。
しかし─────、一筋縄でいかないのが《獄界》という世界である。
暑そう。じめじめしてそう。寒そう。吹雪いていそう。─────怖い怖い生き物がいそう。
全部正解である。
でも、それだけではない。─────《獄界》には「歓楽街」があるのだ。
花街を中心に温泉宿、そのほかには賭博場、遊戯場など、《現世》でいうところの「いかがわしい店」が立ち並んでいる。
ツウな人たちとはそういう雰囲気を好む人たち、ということである。
「新帰幽者向け」の観光ツアーには「ディープな《獄界》体験」なんてものもあったりする。
気に入ってしまい、入り浸っている天界人や幽界人もいる。
もともとは「刑期=お務め」を終えた者、つまり「呵責の年季明け」となった亡者たちのために、亡者たちがこの街を開いたの期限だとされている。
もちろん無許可、勝手にやっている。
商魂たくましい三人の女将がいたとか、いないとか。噂は尽きることはない。
《獄界》の公処とは持ちつ持たれつ、双方が上手く利用し合っている。《獄界》に引っ立てられた亡者はここに立ち寄ることは許されない。
この街を横目で見て、獄卒たちに引っ立てられていくことになる。
─────実に地獄っぽい仕打ちであり、よく出来ている。
地獄に落とされる亡者にも「基礎番号」は発行されている。しかし本人がその番号が知るのは刑期を終える時だ。この24桁からなる「基礎番号」を知らされるとき、それは刑期満了が近いということを示すものだから、多くの亡者が感涙に咽び泣く、という。
人は何故、すぐに《霊界》に行かないで《幽世》で過ごすことを選ぶのか。
それは家族や親族がこちらに渡ってくるのを待っている、というのが圧倒的に多い理由だ。
《獄界》にさえ落ちていなければ、手続きすれば、《現世》に会いに行くことも出来る。
《霊界》に渡ってしまったら、《現世》と関わることはできなくなる。
死んでなお、《現世》から動かず、《幽世》に渡らないで留まる人もいる。
多くが地獄行きを恐れるあまり、自己判断によって《あの世=幽世》に行くことを拒んでいる人たち。
《現世》において行われる追悼の行事や自身の命日や自身が関係する慰霊祭、お盆やお彼岸の時期には《幽世》から《現世》に行くことができることになっている。そして、そのまま居座っちゃう人たちもいる。
そんな人たちを引っくるめて「帰幽忌避者」と言う。
当然だが、いろいろな人がいる。善良無垢な人もいれば、極悪非道な人もいる。
遺恨、怨恨がある者も少なくない。
死んだことで生きている時にできなかった報復など良からぬことをするために《現世》に止まろうとする者が後を立たない。俗にいう化けて出るってヤツである。
そういうのは《現世》から見れば、呪いだとか祟りに見えることもある。
そもそも、生きている人間に過度な干渉は行ってはならない、ということになっている。
それをちゃんと守る人もいれば、違反上等な輩もいるということだ。
人が集まれば、秩序や規則が必要となってくるのは《幽世》も同じである。
霊が起こす《現世》でのトラブル、事故、事件は、こちら側がなんとかしないといけない、ということになっている。
それに対応するために様々な公処が設けられたというわけだ。
設けられた公処の中には「法執行機関」もある。
《天界》の公処は「行政府」と呼ばれている。
ここには議会もある。天界の出入を管理する「入界管理庁」もある。
法執行機関としては「天界治安警察機構」がある。
その昔は「天界市民治安防衛団」と言っていたようである。
その名の通り、所属できるのは天界人のみであった。
天界の秩序を保つために作られた自警団のようなものが始まりである。
その精神は未だに受け継がれていて、「天界人のためにしか動かない」と言っても過言ではない。
彼らは《天界》で定めた法によって動く。
しかし職員のほとんどは「幽界人」が多いようである。上層部はみな「天界人」である。
勤め上げると《天界》に住むことが許されるようになる、というのが人気の理由。
《天界》において最も強い力を持っているのは「入界管理庁」みたいである。
《幽界》は「代表部」が中心となっている。
もっとも知られている公処は《幽界》の【出入界在留管理庁】である。
こちらにやって来る全ての人(霊)の所在を明確にすることを目的として設けられている。
法執行機関としては「警邏庁」と「境界警備隊」がある。
幽界警邏庁は幽界の住人たちの平穏の生活を守るために存在する組織である。
《現世》の警察と同じようなものであるが、違うことと言えば民事不介入という考え方がない。
住人同士の諍いなどにも積極的に介入するようだ。
あまり殺伐している感じはない。
街の頼れるお巡りさんの集団というような警察組織である。
境界警備隊は《幽界》だけでなく《幽世》全体の境界の巡回を行っている。
要は正しい手続き以外に《幽世》に入ろうとしている者であったり、《現世》に出ていこうとするものを取り締まることを目的にしている。その名の通り、国境警備隊のようものだ。
出入界在留管理庁とも連携している。
《天界》にも《幽界》になく《獄界》だけにあるもの。
それは「裁判所」と「刑場」である。
人の「業」を落とすために必要な場所である。
《獄界》は、もともと亡者に懲罰を与えるために作られた世界である。
「十王」と呼ばれる十人の裁判官がいて、それぞれに担当する専門分野がある。
生前の行為について審判が行われることはよく知られている話であるが、《幽世》で悪さをした者についても《獄界》に送られるし、裁判にかけられる。
刑罰が確定すれば、それによって送致される刑場が決定する。その数は136あると言われる。
残念ながら、その刑場に立ち入ることが許されているのは獄卒だけである。
そして獄卒には鬼、そのほか人外と呼ばれる存在しか、なることはできない。
人間というのは度し難い生き物だ。
《幽世》にやってきてから、落とすべき業をしっかり積みまくってしまう人たちもいるのだ。
三界における法執行機関の始まりは《獄界》からと言われている。
獄界における最高位の裁判官である「閻魔王」によって組織された「奉行」が三界における法執行機関のはじまりとされている。
その他の裁判官である十王たちもそれに倣って、それぞれ裁判所の性質に合わせて独立した権限を有する専門の捜査機関を設けた。それは同時に弊害も引き起こした。線引きが難しくなったのだ。
それを整理して監督するための上位官庁として「獄界警察庁」に集約されて今に至る。
この三つの世界はそれぞれに異なる価値観を持っている。
しかし《現世》で起きているさまざまな課題は《幽世》全体で取り組まないといけない。
三つの世界で協働しないと無理だということがわかり、三界の管理者たちは頭を捻った。
紆余曲折あって、誕生したのが「三界連携調整庁」である。
◇◆◇◆◇◆◇
─────天界治安警察機構現世庁舎三号館。
大会議室にこれから始まる「三界連携活動」に参加する職員が集められていた。
ここにはまだ公安三課長の珠莉、第二中隊長の鳳仙はいない。
これを取り仕切るはずの「調整官」も姿を見せていない。
牡丹は溜息をついた。
部屋に着くなり、天警の隊員たちから侮蔑の目が向けられた。
この場における最先任者は翠蓮である。
最先任者として先頭に立っているのが「白翠の官服」なのだから致し方ない。
そんな目が向けられたのは一度切りだった。後を引かないのがお行儀のいい証拠である。
その後はこちらを見ようともしない。さすが天界の選ばれし精鋭たちである。と思ったのだが、チラチラとこちらを伺っている者がいる。
上官の目が光っているせいか、微動だにせずに背筋を伸ばして座って静かにしている。
まだ始まってもいないのにご苦労なことだ。
大会議室は三つの島に区分けされており、正面から見て左側の島が我ら《獄界》に当てがわれていた。真ん中は《幽界》に、右側が《天界》に当てがわれている。
最前列には課長と鳳仙が座る、と想定して二列目のところに翠蓮が座った。
牡丹は翠蓮の真後ろ、張り付くようにして座る。
背後の方から場違いな楽しそうな声が聞こえてきた。
早速、ウチの隊員たちがわちゃわちゃ始めやがった。
五月蝿いが、始まっていないのに静かにしろって言っても聞くわけがない。
すぐに隣の島の《幽界》の隊員たちも巻き込むことだろう。
ウチのバカども(男ども)のテンションが爆上がりしているのが気になる。
比較的《幽界》の隊員との関係は悪くないが、調子に乗ってると天界の奴らが絡んでくるだろう。
なかなか接点がない《幽界》の女子たちと絡めるので嬉しいのはわかる。
女子たちの嬌声も聞こえて来た。
しまった!そうか、そういうことか。
今回、一緒に活動する部隊は前にも組んだことがあることを忘れていた………。
言っておくのを忘れた。
頼むから、トラブルだけは勘弁してくれ。
ナンパするな、と言っておかなかったことが悔やまれる。一応、勤務中である。
ひとこと言っておかないといかんな、と思い、振り返ったタイミングが悪かった。
その僅かな隙に《天界》側の島から一人の男がこちらに向かって来ていた。
タイミングが悪すぎる。
おそらくこの男が翠蓮にハメられた中隊長である。
翠蓮もわかっているのか、立ち上がって前の方に出て行ってしまった。
すかさず「翠蓮」と声をかけるが、満面の笑顔を浮かべやがった。
こちらを窘めるような仕草である。まったく………。本性を知る身としては怖気が走る。
こういうのを「天女の微笑」というのかもしれない。
此奴のことを知らない人は男女を問わず、知らず知らずのうちに頬が赤く染める。
─────《獄界》の番犬であるのにも関わらずだ。
天界の役人たちの中で翠蓮を知る者は毛虫を見るかのような目をする。
吐瀉物を見て思わず顔を逸らすような態度を取ることが多い。
それほどまで翠蓮は嫌悪の対象となっている。
きっと、この中隊長もそんな眼差しを向けるだろう。
そんなことをされて黙っている翠蓮ではない。
いや。そうじゃない。
(黙っていろよ………黙っているんだ!翠蓮!)
牡丹はしっかりと翠蓮に念を飛ばす。
そんな目をされたからと言って、翠蓮は噛みついてはいけない。嘲りの眼差しを向けられても、甘んじて受け入れないといけない。
この中隊長殿は完全な被害者なのだ。
当てつけのために利用され、しかも変質者扱いされるといった被害を被っている。
翠蓮は優しく微笑みながら、待ち構えた。
男はそのまま歩みを進め、翠蓮と向かい合う。
頭一つ分以上ある身長差である。もちろん男の方が背が高い。
男は若干緊張しているのか、少し表情が固い。神妙な表情をしていると言った方がいいだろうか。
どちらにしてもこの二人のやりとりの第一声を聞き逃していけない。
「す、翠蓮さん、で、すよね?」
男は実に辿々しい。
翠蓮如きに緊張してるというのか。
「はい。いかにも。獄界警察の翠蓮ですが、なにか?」
翠蓮は表情を崩さなかった。にこやかに応対している。
ほんの少しだけ棘を含む絶妙な言い回し。
「て、天界警察特別機甲大隊第一中隊の煌輝と、いいます………」
「はい。その煌輝さんは私になんの御用ですか?」
今度は嫌味成分が含まれていない。
翠蓮は笑顔で応えながら、首を傾げた。
あざとさ全開である。
そんな翠蓮の小技に気づいているのか、いないのか、中隊長の目は真っ直ぐ翠蓮を捉えていた。
煌輝と名乗った中隊長は居住まいを正して、ピッと背筋を伸ばす。
「こんなことになってしまって申し訳ありません」
頭を下げる。美しい所作だ。非の打ち所がない所作である。しかも最敬礼─────。
騒がしくなっていた大会議室に突如として静寂が訪れた─────。
ゆっくりと最敬礼を解いた煌輝はにこやかに翠蓮を見つめていた。
翠蓮もそれを受け止めて、見つめ返している。
事情を知らないものから見れば、ボーイ・ミーツ・ガールの様相である。
うん、ちょっと眩しいんだけど。なんかキラキラしているように見えるんだけど。
まあ、雰囲気はいいし。まるーく収まってくれればいうことはない。
ガタ、ガタっと音を立てて、天界警察の隊員たちが立ち上がって駆け寄って来た。
それを見たウチの隊員たちも動いた。三人が翠蓮の後に控える。
さらに後ろにも古参の隊員が張り付くウチの隊員は弁えている。
何かが起こるまでは絶対に手を出さない。
花吹雪が舞ってしまいそうなボーイ・ミーツ・ガールが、一気に殺伐とした不良少年のような対立に早変わりである。一触即発。まったく。ブチ壊しである。
「………隊長ッ!何してんですかっ!」
「こんな奴に頭を下げるなんてことはあってはなりませんッ」
「身分詐称を働いている詐欺師なんですよッ!なにを考えてんですかっ!」
天界警察の隊員たちが煌輝に詰め寄った。
言ってくれるじゃないか。うん。
でも。ま、言われても仕方ないことを翠蓮は山のようにしている。
詰め寄られ困った表情を浮かべた煌輝という中隊長は腰が低い。低すぎる。本当に天界警察の職員かと言いたくなるほどに腰が低い。
「重ね重ね申し訳ない、ちょっと待っていていただけないだろうか」
そう翠蓮にひとこと告げてから、隊員たちをその場から引き離して連れて行った。
翠蓮は平然と装っているが、動揺しているのだろう。目尻が少し震えている。
文句の一つや二つ、三つくらいは言われても仕方のないことをしている。
それなのに向こうから謝ってくるというのは意味がわからない。想定外である。
ちょっと見たことがないタイプの天界警察の隊員である。
煌輝はすぐに戻ってきた。
彼の部下たちは納得している様子はない。
少し離れたところからこちらを睨みを利かせている。
「本当に申し訳ない」と煌輝は改めて謝罪の言葉を口にした。
翠蓮はこれをどう受けて止めるのだろうか。
お願いだからめんどくさくしないでほしい。変に煽るようなことは言わないでほしい。
翠蓮も居住まいを正す。
そして「こちらこそ申し訳ありません」と口にしてから、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。
お。ちゃんと出来るんだと内心、感心する。これならあまり波風は立たないだろう。
頭を下げさせておいて、こちらも何もしなければ、収まる矛も収まらない。
煌輝はそれを見て、優し気な顔を向けてくる。
「公安部公安第三課第二中隊、小隊指揮官の翠蓮と申します」と手を差し出した。
「改めまして警備部特殊機甲大隊第一中隊長の煌輝といいます」と言ったあと、差し出された手を握る。
和やかな雰囲気である。互いの表情に剣はない。
「一つお伺いしたいことがあります」
翠蓮が煌輝に尋ねた。
「はい、なんなりと」
「なぜ謝られているのか、どういうことか分かりかねます。私に謝れと仰るのなら理解はできるのですが」
煌輝は一瞬、困ったような顔を浮かべた。また辿々しくなった。
「ご、ふ、不愉快でしたか………」
「いえ、不愉快ではありません。ですが………本当にわからないのです、真意が」
「そ、そ、それはですね。こ、こ、このような状況になってしまった一端が自分にあるからです」
実にただたどしい。
「どういうことでしょう」
「………じ、自分も驚いたんです。三界連携活動を実施することなった、と。そして私の隊も参加せよとの命令が下りました。な、内容が【獄界職員による天界行政府制式採用官服の不適正使用に関する特別監査】であると伝えられました。………こ、これは私が至らぬばかりに、あ、貴女様に迷惑をかけてしまった、そう思ったからです」
翠蓮は困惑を隠せていない。
「そ、そうですか。─────そうなんですね」
牡丹は、それ以上踏み込むんじゃない。上手く話をまとめて引き下がってこい、と念じる。
翠蓮はすぐに気を取り直して、穏やかな笑みを浮かべた。
少し顔が悪くなっている。何かを仕掛けようとしている。これはかなりヤバい。
「意地悪な質問をしてもいいですか?………答えたくなかったら、答えなくてもいいですから」
あー、仕掛けやがった!
煌輝はにこやかに応じている。
おい、お前もお前だ。乗らなくていい、と念じる。
「か、かまいません。どうぞ」
「─────アタシののおっぱい、どうだった?」
翠蓮は彼女が彼氏を揶揄うような、物言いで問いかけた。
煌輝は一瞬で頬を赤く染める。耳まで赤くなっていく。
困るくらいなら答えなくてもいいのだ。答えなくてもいいんだぞ、と牡丹はイジられてしまっている中隊長を心の中で応援する。
─────この人はむちゃくちゃいい人だ。
「と、とても気持ちいい感触でした。正直、役得だな、と思ってしまいました」
か細い声で答えた。
翠蓮がむふーっと小鼻を広げて息を吐き出したところで。誰かがスパーンと翠蓮の頭を叩いた。電光石火。綺麗に入った。いい音がした。
叩いたのは後ろに控えていた最古参の隊員、光昭だ。
「なに言わせてんだ!まったく─────。いい加減にしろ」
光昭が強制的に介入した。さすが任せて安心の大ベテラン隊員である。
「天界の、悪かったな。これで手打ちにしてくれないか。もうコイツのことは忘れてしまえ。気にしなくていい。本当に構わんでくれ。コレはな、とにかく厄介事を増やす天才なんだ。絡んだら最後、巻き込まれるぞ。いいんだいいんだ。ちょっとばかり晒しもんになるくらい、どーってことはないんだ。いい薬ってな、もんだ」
光昭はそんなことを言い放つ。
翠蓮は口を尖らせて、ブスくれている。
「ま、いろいろとありますが、なんとか上手くやりましょうや。………オラ、嬢ちゃん。行くぞ」
動こうとしない翠蓮の頭を掴んで引っ張る。
「あー、あー、もお、ひっぱんなー!」
「おめーなんかこれくらいでちょうどいいんだ!調子乗りすぎだっつーの、こんバカが」
はっきりさせておこう。
翠蓮の方が上官である。光昭が部下である。
これが我ら公安三課のノリである。煌輝はついていけない感を漂わせている。
だが、このまま戻らせる訳にはいかない。
筋を通しておかなければ、あとが怖い。
《天界警察》の隊員たちが発しているドス黒い怨念の標的になるのは御免だ。
隊としてきちんと陳謝しておかなければと思い、席を立つ。
牡丹は翠蓮と入れ替わるように煌輝の前に出る。
相手は中隊長である。中隊長と小隊指揮官ではそもそも格が違う。
牡丹は統括情報官。専門職だから一概に比較はできないが、翠蓮とは同格であって、この中隊長は格上。
それは間違いない。
底意地の悪い人だったら、もっと大変なことになっている。
本当にいい人そうでよかった、と胸を撫で下ろしながら、前に出る。
天界警察の特別機甲大隊は精鋭。しかも華の一中隊である。
その中隊長に頭を下げさせたんだ。こちらもきっちり頭を下げておかないといけない。
「煌輝中隊長………。公安第三課統括情報官の牡丹と申します。ウチの翠蓮が大変な失礼をいたしました」と頭を下げる。
牡丹は煌輝に話しかけて、様子を窺う。
「………いえいえ、お気遣い無用です。牡丹様。ご迷惑をおかけしているのは自分ですので」
「そこんとこ、ちょっと意味わかんないんですけど」
煌輝は悲しげな顔をしており、ブスくれてそっぽを向いている翠蓮を見ている。
「………翠蓮様を晒し者にしてしまった原因は自分にあるのです。みなさんにもご迷惑をかけてしまいました。まさかこんな大事になってしまうなんて思っていなかった。彼女を貶めるようになってしまったのは胸が痛みます。私の不徳の致すところです。………本当に申し訳ありません」
(うわあ………この人、本気で言ってるよ)
牡丹が呆気に取られていると煌輝が牡丹の顔を覗き込んできた。
「牡丹様、私は何か間違っていることを言っていますでしょうか」
「い、いえ」
あなたはそれでいいかもしれないけれど、後ろに控えているあなたの部下がドス黒いなにかを立ち上らせていることに気がついていないのですか、と問いたい。
眼前にやってきた煌輝の顔を見て驚いてしまった。
(近い………顔が近い。かなり距離感がおかしい)
翠蓮とのやりとりを見る限り、少し幼さのある感じなのかと思ったら、そうではない。
戦闘職種の割には少し長めの髪。青みがかった髪は色艶もよい。すーっと流れるような輪郭。大きめの目に眉とのバランスが程良い。体格はしっかりとしている。絞られており、より精悍な印象を与える。
これはモテるだろう。翠蓮と同じ部類に入るタイプである。
顔付き、体格、全体的に纏っている雰囲気。女性には効果は絶大だ。
「中隊長殿。………様付けはやめていただけませんか。階級はそちらの方が上でしょう?」
煌輝は顎を撫で、首を傾げた。
「では………私のことも中隊長殿ではなく、煌輝と呼んでもらえますか」
「そ、それは困りましたね」
(おい!なんで呼び捨てで、呼ばせるのか!)
「何か困ることでも?ボクは牡丹って呼んでいいですか?それとも、さんをつけた方がいいですか?」
「私のことはなんとでも。階級は下でしょうし」
「階級なんて気にしなくていいんですよ。牡丹さん。組織が違うんですから」
「煌輝中隊長………、本当に困りますので!」
「今日は作戦を共にするんですよ!少しは仲良くなっておきたい、と思うのはおかしいですか」
(違う、そうじゃない。距離感がおかしいことに気づけ!)
視線を感じた。なにか突き刺さるような感じがする。
見回すと天界警察の女子隊員が数人、こちらを睨んでいた。
ドス黒い女の嫉妬という想念が立ち上ってる。お前ら、天界の人だろ。少しは慎め。
これは翠蓮にではなく、明らかに私にである。
煌輝はなんだかキラキラさせながら、穏やかな笑みを向けてきた。
(なんだ、このグイグイ来る感じは!さっきとまるで違うじゃないか!)
少し幼さがあるなんて思ってしまってごめんなさい!
なんか女を口説こうとしている男のソレである。
要らぬ厄介ごとを引き込んでしまったような気がするのは気のせいだろうか。
気のせいにしたい。とっとと話を切り上げるに限る。全力で離脱しなければならない。
(どうすればいい………)
とにかく最敬礼で頭を下げて、全速力で自席に戻る。それしかない。
「お手間をとらせて恐縮です!本当にいろいろと申し訳ございませんでした!」と勢いよく頭を下げる。
「本当にボクのことは煌輝でかまわないから。ね、牡丹」
最後に「牡丹」といったとき。ゾワっとした。
念押しをしてくるのを聞こえなかったフリをして「今回の活動、有意義なモノになるといいですね!」と吐き捨てるようにして、回れ右をして自席に向かう。
いや、もっと遠く離れた後ろの席まで避難するか、と思ったが、翠蓮と光昭のそばから離れるわけもいかない。
席に戻っても俯くほかない。
しばらくして顔を上げると、煌輝はまだそこを動いていなかった。
翠蓮だけを見ていなさい。
時折、こちらにも視線を投げてくる。だからこっち見なくていい!
(煌輝!お前は、なんなんだ!)
察してくれたのか何人かの天界警察の隊員たちが煌輝を連れ戻しに動きはじめた。
引き摺られていく煌輝は名残惜しそうな顔をしていて、天界女子たちの黒き想念は未だ飛んできている。
翠蓮と話している時のあの辿々しさ、あの初々しさは!なんだったんだ!
なんか幼い雰囲気を醸しだしていたし。
ちょっとかわいいなと思ったりしたのに。
私の時にはそういう雰囲気がなくなるのか!
ちょっと納得がいかない、と思ったのだが、すぐに思い直す。
残念なヤツなのだ。仕方がないのだ。
翠蓮の乳を揉んで役得とか言っちゃうヤツなのだ。
いや。いけないいけない。そんなことを言ってはいけない。いい人なんだ!それは間違いない。
ちょっとズレている感じはしないでもないけど。
天界警察の人間が翠蓮の本性を知らぬわけがない。
その上で言っているというのであれば、かなりの特殊趣味ということになる。
いくつか気になることが出て来た。それは調べればいい。
どうせ、これから必要になってくる情報になるはずだし。
「ねえ、牡丹!─────牡丹ってば!」
気づくと翠蓮がブスくれていた。どうやら何回も呼ばれていたようだ。
「なに百面相してんのよ?………あの中隊長さんに見惚れちゃったの………しょうがないわねー」なんて言いやがった。ムカついたが、言っても仕方ない。
「で?なに?なんなの………」
「パーソナルデータ、欲しいんだけど」
やっぱりね。そう来ると思った。
それくらいは察して動いとると言いたいところだけど、うまくいっていない。
凄まじく遅い。データが入ってこない。おそらくこの部屋自体に強力なジャミングがかかっているような気がする。まあ、他人のお家にやってきて、こんなことしている方が悪い。
「さっきからやってるけど、まだ揃わないわ」
「あるやつだけでいい」
「ここじゃ公開情報に毛が生えた程度しか手に入らないわよ。いいの?」
「そんなディープなヤツはいらない」
情報官である私の本分である。
さまざまな情報を集めて、解析して有用な情報を抽出する。そして現場に反映させる。
天界治安警察機構が公開している情報、それに加えて獄界十王府と三界連携管理庁のデータセンターには接続することができる。
散在する情報を掻き集めて、まとめればそれなりのデータにはなる。
天界治安警察機構のデータセンターに直接繋ぐことは許されない。
できるけれどしない。それがバレた時には大変なことになるからだ。
どうしても知りたいことがあれば、そのデータを解析して、ピンポイントで幽界の《出入界在留管理庁》に照会依頼をかけることができる。
機密指定がかかっていなければ、その情報は出してもらえる。
落ちてきたデータを覗いてみるが、明らかに邪魔されている。精度が悪すぎる。
「ごめん、ジャミングがかかっていてデータがグチャってるわ。戻ってからでもいいかしら」
翠蓮も軽くうなづいた。無いモノはどうしようもない。
牡丹は改めてざっと辺りを見回す。
今回の活動に参加するのは総勢1500人と見積もる。まもなく集合時間になる。
この部屋の出入りも最小限になってきた。
《天界》が一番少なくて300人程度、《幽界》はウチよりも多くて7、800といったところだろう。
ウチが500ちょっと。一体、なにをやらされるのか、見当もつかない。
「どーんと構えていましょうや。難しく考えても無駄ですぜ」
隣から袖を引っ張って来たのは光昭である。
瓢箪を取り出してシュポンと栓を抜き、ぐびぐびっと呑む。
「それ、お酒じゃないですよね?」
「ええ。由緒正しい黒縄地獄の湧水でございますが。なんも手を加えておりません。少々酒精の匂いがするかもしれませんが、それはコイツのせいかしれませんな」
光昭は瓢箪を机に置く。
「牡丹もどうだい?………一服するってのも大事なことだと思わないのかい?」
「ありがとうございます。私は大丈夫です」
これ以上のイザコザは勘弁である。
「気楽に行きましょうや、ここで勘繰っても仕方ない」
光昭はふふふっと笑って、また瓢箪に口をつけた。
─────光昭。
公安三課第二中隊指揮班。担当は統括交渉官。二級執行官。
作戦中の現場を取り仕切る最古参の隊員である。
たびたびやってくる昇級試験をスルーして、現場に留まり続けること80年余り。
自分はそんなガラじゃないっす、って言って、全ての試験を見送っているという。
牡丹は光昭が三界連携調整庁に出向していたことも知っている、が、本人にはいつもはぐらかされるので、もう話題に出すことはない。
三界共通の法だけでなく、各界それぞれに定められた規定まで精通している。
顔も広く《獄界》だけでなく、天界治安警察機構、幽界警邏庁、幽界境界警備隊にも顔が利く。
「かわいそうにな」と光昭が呟いた。
「どうしたんですか?」
牡丹は思わず返事をしてしまう。
「隊長だよ。こんな厄介事に駆り出されるとはな」
「どういうことですか」
「─────翠蓮嬢ちゃんはアレを着て、獄界で仕事をしていいってことになってる。それを誰が許しているかは、お前さんも知っているよな」
牡丹は軽く頷いて応える。
もちろん知っている。正式にはその情報に触れる資格はないから、知らないってことになっているが、獄界の職員だったら誰もが知っていることだ。やんごとなき貴人がそれを許している、と。
「いずれにしてもだ、嬢ちゃんがアレを着て、公務に勤しんでいるのは今に始まったことじゃない」
「ですね」
「まあ、嬢ちゃんはダシにされたんだろうな。何を企んでやがるのか、俺らに何をさせようとしてんのか、少しばかり気になる」
「光昭さんは何かご存知なんですか?」
「知らんよ。でもな。こういうときは別に本筋があるってのが相場ってもんだろう。こーいうことがある時、ウチら《閻魔の犬》はその後始末を押し付けられることが多いのさ」
確かに不自然である。
【獄界職員による天界職員用官服着用についての業務監査】なんて掲げられた三界連携活動なんて聞いたことがない。さっき煌輝はちょっと違うことを言ってたような気がする。
なんか特別監査って聞こえたような気もする。ま、似たようなものだ。言い間違いってのもある。
関係のない幽界側はそんなの勝手にやってくれよって、思っているはずだ。
そもそも「三界連携活動」は参加する職員が30000人くらいになる一大行事である。
思いつきでやるようなものではない。
《現世》に潜伏する帰幽忌避者の一斉捜索とか。《現世》で凶霊化した人、悪霊になってしまった人の大浄化作戦など大掛かりになるものはいくらでもある。
参加する隊員が1500人程度で何ができるというのか。
活動地域もそれほど広くできるわけがないし、若しくは活動の目的を何かに限定するくらいしか思いつかない。
「三界連携活動にしろって捩じ込んだんだろうさ」
「誰がです?」
「うーん。難しいな。天界行政府のお偉いさんか、調整官か、その上もあるかもなあ。さすがに総督はねーだろうな。ま、そんなの誰でもいい。俺らには関係ない。どうせ雲上で決着がついてる話だ。なんせ嬢ちゃんは毎度毎度思いっきり喧嘩を売ってるんだ。仕方あんめーよ」
光昭は黙って天警側を見つめていた。
牡丹に顔を寄せて、同じ方向を見るように促す。
「ほれ、見てみ。あの辺りにいるヤツら、わかるか?」
牡丹は首肯する。
「………それにしてもいい役者だったなあ、あの中隊長は」
目を向けた先には特別機甲大隊の官服とは少し違った意匠のモノを着ている人たちがいた。
30人くらいはいるだろうか。
「─────アレは公安部特別捜査課だ」
「え、なんでそんな人たちがいるんですか」
参加する部隊にそんな部署は入っていなかったはずだ。
「………椅子を前に出してふんぞり返っているヤツ。あれが課長だろうな。袖に金線が四本。星付きどうかはわからんが、星付きならば警視監、なかったとしても警視長だ。さっきからずっと貧乏ゆすりをしてやがる。よっぽどイライラしているんだろうよ。万が一星付きなら課長じゃなくて公安部長ってことになるがな。………部長が下りてきてるなら事だぜ。それにしても天界警察にしては行儀が悪い」
「そ、そんなお偉方なら、なんでアッチに行かないんですかね」
「そりゃ、招かれざるってことなんだろうぜ。天界警察のお偉いさんだろうが、なんだろうが、調整庁が忖度するわけないだろ。三界連携活動を仕切るのは調整官だ。編成された部隊以外の参加するなんてな、あるわけがない。ここに課長や隊長がいない。《幽界》の隊長クラスもここにいないってことは、そういうことだと考えるほかないだろ」
「つまり特捜課の参加と認めるか、認めないかで揉めているってことですか」
「憶測でしかないけどな。三界連携活動に天界警察の公安部特捜課が参加するなんて、ありえない。そもそも《現世》の活動に参加するような奴らじゃない。畑違いも甚だしい」
「なんで、また」
「三界連携活動にされたら困ることでもあるんじゃないのか。それとも─────、その逆か。本気で嬢ちゃんの業務監査をさせろっ、てだけの話だったら笑うしかねーな。昔からよく言うだろ?ヒマ人は碌なことしか考えないんだぜ。もう定刻を回ってだいぶ経ってるってのに、天警の連中が大人しすぎる。いつもなら一悶着起こすだろ?それなのにあいつらは今回おとなしい。どうしてだろうな?嬢ちゃんがやらかしたことだけが原因なら、こんな待たされることはないはずだ」
なんかいろいろときな臭くなってきた。
「奴らが大人しいのはココに公安部がいるからだ。ここで悶着を起こして、ぶち壊しになれば公安部の足を引っ張ったことになる。警備部と公安部は水と油だからよ。嬢ちゃんのやらかしを受けて、腹を据えかねたどこかの《天界》のお偉いさんが三界連携調整庁にクレームをぶちかました。どっちが言い出したかわからんが、三界連携活動ってことにして監査するって、話がまとめたのかもしれんな。………ここまではいい」
光昭は少し面白がっているような顔つきで続けた。
「─────公安部は困るだろうな。特捜が出張ってきたってことは、自分たちでなんとかしたいヤマがあるんだろうよ。ヤツらにとって最悪なケースは俺らや《幽界》にソレ自体に介入されることじゃないかな。奴らは徹底した秘密主義だ。もしも思惑が外れたら、奴らは知らぬ存ぜぬでケツを捲るに決まっている。でもそれが許されない、っていう線はどうか。何かがあるはずなんだよ。そうじゃなかったら、アイツらが《現世》まで出張ってくるわけがない。同じ公安畑でも、オレらと目的も考え方も在り様が違う。どうせロクでもないヤマなんだろうけどよ。まあ、いろいろと荒れると思うぞ」
「─────自重してくださいね」
牡丹は光昭に釘を打ち、溜息を吐いて光昭を見た。
「難しく考えるのはやめようって言ったのは光昭さんですよ」
光昭はあちゃーっといった表情で戯けてみせた。
「ありゃ、こりゃ一本取られましたな」
瓢箪の栓をあけて。またグビリと呷った。
「まあ、こんな与太話でもいい暇潰しになったとは思わんか?………さあ、何が出てくるか、だな。まあ、なんでも、思い切り楽しむのが俺らの流儀ってもんですよ」
光昭は瓢箪を牡丹に押し付けて、前の席に座っている翠蓮の束ねられている髪をぐいっと引っ張った。
「おい、嬢ちゃん」
翠蓮はあうっ!と声をあげて仰反った。
「だ・か・ら、か・み、引っ張んなー!」
翠蓮がこちらに向いて、光昭の顔をまじまじと見つめた。
「おっちゃん、呑んでるんじゃない?」
「水は飲んでるけどな」と笑う。
「嘘つけ。呑んでもいいけどさ、呑むならウザ絡みしないで」
牡丹は翠蓮と光昭が戯れあっているのを眺めた。
こんな感じでもヤるときはヤる。それが私たちだ。
後ろの方で鈍い音がする。
扉が開かれたのだろう。一気に緊張感を伝える空気が伝わって来た。
先頭を歩いていたのは─────我らが隊長の鳳仙だった。
その後には天界警察の指揮官が続く。
その後ろには《幽界》の隊長たち。そして、もう一人の天界警察の男が続く。牡丹は察した。
─────もう既に何かが起きている。
艶やかな花魁のような佇まいの女性が一番後ろから入ってくる。珠莉課長だ。
そんな姿でいるということは、課長がブチ切れているということに他ならない。
課長の前には「白碧の官服」を着る男が、見るからにおかしい。
すぐさまどこかで休ませた方がいい、と思ったが、その男を課長が追い立てている。
天界警察の隊員たちが騒ついた。
そりゃそうだ。自分たちの上席が〈獄界の夜叉姫〉に追い立てられているのを見たら、動揺するに決まっている。そして指揮官たちの順序も気になるところだろう。
鳳仙は自席を通り過ぎて、前に出た。
そして中央に立った。手には錫杖のような杖を持っている。
三界連携調整庁の職員が旗を掲げた。
活動旗と呼ばれるものだ。
この旗は三界連携調整庁の文様に総指揮者が所属する機関の紋章が入ることになっている。
今回の旗には獄界警察の紋章が入っていた。
─────総員、立て。
聞いたことがない男性の声が耳朶を打った。
─────傾注、と天界警察の男が号令をかけた。
鳳仙が正面に立っている。
少し緊張している様子が窺えた。
一つに束ねられた髪。黒髪だが毛先に向かって鮮やかな赤となっていく。まとめられた髪のお陰で顔は良く見える。キュッと引き絞った口元。男性とも女性とも断定できない、中性的な雰囲気。
鳳仙が口を開いた。仄かに幼さが混じる中性的な声。
牡丹たち獄界警察の者にとっては聞き慣れた声だが、震えているのがわかる。
「この度の活動において総指揮を取ることになった鳳仙一等警務正だ。獄界警察庁公安局公安部第3課第2中隊を預かっている。みな、よろしく頼む。これより活動方針についての説明を行う。光佑警視。お願いしてよろしいか」
「はい。仰せのままに」
天界警察の男は静かに話し始めた。
隣で光昭が笑いを噛み殺していた。
「何か可笑しいことでもあるんですか?」
「いやね、ウチの鳳さまは、また貧乏くじを引かされたんだな、って思ってな」といって、珠莉課長の方に顔を向ける。
「課長がアレじゃ、もう笑うしかねえだろ。ま、らしくていいけどな!いつも通りいつも通り」
牡丹は思わず光昭の足を思い切り踏みつける。
「ソレってウチらが貧乏くじを引いたことになるんですよ、わかってます?」