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彼女の目覚め

 彼女を抱えて結界の外に連れ出そうとしたが、その矢先、すぐ近くに狼の群れが休んでいるのが目に入った。


銀灰色の毛並みが風にそよぎ、鋭い耳がこちらの気配を感じ取っている。群れの中には子を抱えた個体もいた。


この状態で踏み入れば、ただでさえ傷ついた彼女に、危険が降りかかる。


これは仕方のないことだ――そう自分に言い聞かせ、僕は彼女を再び家の中へと運び込んだ。


……けれど、今。目の前で目を覚ました彼女を見て、僕ははっきりと気づいた。


あれは建前だったのだ。


本当は、彼女を家に――この手の届く場所に――連れて帰りたかった。理由が欲しかっただけだ。


彼女の澄んだ青い瞳が、まっすぐに僕を見つめている。


かつて画面越しにしか見られなかった彼女の瞳。その輝きが、今はほんの数歩の距離にある。


しかし、目の奥には警戒の色がはっきりと残っていた。


無理もない。


何も言わず、僕は彼女のために用意しておいた木のコップに、香り高い薬草茶を注いだ。


落ち着いた緑色の液体から立ちのぼる香りは、痛みを和らげ、心を鎮める効果がある。


「……起きたなら、飲む? 僕の特製のお茶だけど」


彼女は一瞬、戸惑いを浮かべた。


その表情は、かつて戦場で何千と命を刈り取ってきた将の顔とは、どこか違って見えた。


やがて彼女は短く頷き、静かに答えた。


「……いただこう」


そう言って、僕の向かいの椅子にそっと腰を下ろす。


背筋を正したその姿には、まだ戦士としての誇りが残っていた。

だが、その影はどこか薄く、脆くなっている気もした。


お茶を口に運ぶ彼女を眺めながら、僕は内心でため息をついた。――さて、これからどうするべきか。


すると彼女が、静かに口を開いた。


「……貴公が、私を助けてくれたのか。相当な技を持つ治療師とお見受けする。礼を言おう」


言葉は丁寧で、どこか儀礼的だったが、頭を下げるその所作に嘘はなかった。


「いやいや、僕がしたのは応急処置だけですよ。助けたかったから、助けただけです」


「それでも――」


何かを言いかけて、彼女は言葉を飲み込んだ。


人類と魔族が敵対するこの世界で、「助けられたこと」に感謝を述べるのが、あまりに軽率だと感じたのだろう。


「治せたのは、身体の傷だけです。……あなたが魔法を使うために必要な器官までは、僕の力ではどうにもできません」


「……それは、意図して残したということ……でしょうか? 私は、あなたに危害を加えるつもりは――ありません。もし治療できるのなら、お願いしたい」


言葉の端にわずかなためらいがあった。


あれほどの戦士が、今は助けを乞う立場にあるという現実。

彼女自身、そのことに戸惑っているのかもしれない。


「さすがに、そこまでは……僕の治療にそこまでの力はありませんよ」


そう答えると、彼女はほんの少し目を伏せ、手にしたコップをじっと見つめた。


戦うことだけが彼女の存在理由だった。

体は、動くだけなら問題ない。

しかし、戦いの場に戻るには――あまりにも、壊れすぎていた。


もしかすると、生活魔法すら使うのが難しいかもしれない。


僕は、ずっと喉元まで込み上げていた言葉を、ついに口にした。


「……死んだほうがマシだったって、思ってますか?」


しばらくの沈黙ののち、彼女はわずかに顔を上げた。


「……そんなことは、ない」


けれど、その声には力がなかった。


その答えを、彼女自身が信じ切れていないことは、表情がすべてを物語っていた。


「さっきのベッドを使ってください。しっかり休めば、一週間もあれば体の負担はだいぶ軽くなるはずです。……心っていうのは、健康な体があってこそ育つものですから」


僕がそう言うと、彼女は何か言いかけたが、結局、言葉にはしなかった。


そしてそっと立ち上がり、手にしたままのコップを持って、先ほどまで眠っていた寝室へと静かに戻っていった。


その背中は、僕が憧れていた彼女の姿ではなく、画面で見たよりも小さく見えた。

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