真実は常に側面に存在する。
「エールを一杯」
「はいよ」
フィルアの街は、別名『流浪の街』と呼ばれている。
何らかの理由で王国に入れなかった者達が、王国に集う利益を享受するために滞在しているため、民と呼べる者は殆どいない。
そんな場所で酒場を経営する彼――ウィヴィにとって、訪れる客は殆どが知らない顔だ。
酒場では定番の『何時もの』なんて言葉は滅多に聞かない。
それに、ウィヴィには顔なじみなど必要なかったのだ。既に、彼は生きる意味を無くしてしまっている。
こうして生きているのも惰性に過ぎない。主君を失った時点で、ウィヴィは死んだのだ。
笑う事も無ければ、愛想も良くない。ただ商いが盛んなこの街では、回転率の方が重要だ。そのため淡々と仕事をこなしている方がお金を稼げる。
最も稼いだとて、何に使う訳でもないのだが。
今日も今日とて、ウィヴィは無気力にグラスを拭いていた。
その時だった。
「ミルクを頂けるかしら?」
目の前に座った彼女を見た途端、ウィヴィは強烈な眠気を感じた。
――いや、逆だ。今の亡霊にも等しい己が眠りに付き、かつての己が目覚めようとしているのである。
「ああ、嘘だ。貴方が――我が主君が、ここにいる訳がない」
そうだ、ウィヴィの生きる理由だった彼女――魔王は既に勇者に討たれてこの世にいないのだ。
しかし、その思わず目を惹かれる苛烈な赤の髪と、全てを見透かしているような透明な青の瞳は見間違う訳もなかった。
「言いにくいのだけれど、私は貴方が思っている人じゃないわ」
言われて目を凝らすと、確かにウィヴィが知る主君と比べて、その表情はずっと明るい。
ただ完全な他人ではない確信がウィヴィにはあった。内側から滾るような燃ゆる力は、間違いなく王の器の証だ。
「店じまいだ。代金はいい、ここにいる者達は今すぐに出ていけ」
●●
ウィヴィは、魔王が傍に置いていた側近の魔族だった。
ただ彼女は、何か特定の能力に秀でていた訳ではない。ただ、せっかちな魔族の中でも誰かの言葉に耳を傾けるのが得意だった。言わば『聞き上手』というやつである。
だからだろうか、魔王の言葉は全て覚えている。
殆どの魔族は近づくことすら恐れていた魔王の本音を、ウィヴィだけが知っていた。
「話は理解しました。貴方は主君であって、主君ではないのですね。運命の上書き、というのは少々理解に苦しみますが……出来る事であれば何でも手伝います」
「自分でいっておいてあれだけど、本当にいいの?私は貴方が知っている魔王とは殆ど別人、精々生き別れの双子よ」
「貴方がやろうとしている事で、結果的に主君の無念が晴らされるのであれば、何ら問題はないです」
「そう。じゃあまず幾つか聞きたいのだけれど――年齢は?」
顔は整っている。優しそうな顔をしたイケメンだ。
背は少し低くて、肩幅が狭い。ただ顔がタイプである。
気になった男を見付けたのであれば、色々と聞いておかないといけない。
「えーっと、確か三百四十……いや、四百でしたかな」
「ぶっ……!魔族って、そんな長寿なの!?」
「ピンキリですよ。ここまで生きている魔族も珍しいです」
「そ、そう」
別に年齢は関係ないが、離れすぎていると何かと価値観の違いで困る事があるかも知れない。
「好きな食べ物は?」
「ヨーグルトだと思います」
「朝起きたらまず何をする?」
「熱いさ湯を飲みますね」
「好きな言葉は?」
「大義であった、我が主君の言葉です」
駄目だ、こんなことを聞いても仕方がない。たかが質問で分かる事など知れている。
結局、最も重要な内面は直ぐに図れるものではない。ならばここですべきは、私の彼氏として最低限必要なことだ。
「……貴方、世界を救った事はある?」
愛する人とは、同じ目線で物事を見たい。
そうなると、最低世界を一回救っているのがボーダーラインだろう。
「精々愛想がいいだけのこの身には無理な話です」
自分の実力を正しく把握しているのは高評価だが、やはり『将来やったるぜー!』くらいの積極性は欲しい。
彼氏としてはやや役不足だ。ただそれは現時点の評価で、今後変わる可能性は十二分にある。
良し、この質問は今度から気になった男にまず聞く事にしよう。
「こほん。それじゃあ、貴方が知る魔王に関して教えて貰ってもいいかしら?」
「あ、はい」
多くの人間にとって、魔族は悪だ。
実際、魔族は多くの人間を殺し、土地を略奪した。小さな戦を含めれば、既に百年以上、人間と魔族の争いは続いている。
ただ、別に最初から魔族は人間を殺したい訳ではなかった。姿形が少し異なるだけで、多くの魔族は人間と同じ感性を持っている。
それでも戦わなければならない理由があったのだ。
魔族は元々、『魔界』と呼ばれる大陸の最北端でひっそりと暮らしていた。だがある日、大きな災害に見舞われ、住めなくなってしまったのだ。
仕方なく、人里に降りた魔族だったが――魔の名を冠する者達を人間は受け入れなかった。
生きるために、魔族は戦うしかなかったのだ。結果、互いに憎しみあう事になってしまった。
そうした終わりのない戦いを終わらせるべく現れたのが『魔王』だ。
彼女はその手腕でバラバラだった魔族を纏め上げ、戦ではなく対話を目指した。
だが結局、叶わなかった。
最後はせめて、魔族に対する憎しみを自分に向けるために犠牲となって、命を落としたのである。
「我が主君は魔族を想い、敵である人間すら愛した。それでも、残ったのは憎しみだけです。我と主君がやって来た事には何の意味も――」
「ない、なんて言わないでよね。何もしていなければ、もっと大変な事になっていたかも知れないし、今は私がここにいる。なら、絶対無駄にはさせない」
それはここに来るまで聞いて来た魔族に関する話とは全く異なった。
魔族は生まれながらに呪われていて、殺人や略奪でしか生を実感する事が出来ない悲しき化け物だと聞いていた。
私は相手の目を見れば、語っていることの真偽が分かる。分からないのは陽彩くらいだ。
実際にその渦中にいたウィヴィが語った『魔族』や『魔王』の方が真実である可能性が高い。
いや、人間たちの視点から見たそれらの見解も又、真実なのだ。全てはボタンの掛け違いで起こった出来事なのである。
「今、魔族に和解したいと思っている人はどれくらいいるの?」
「我が主君のおかげもあって、半分はいると見ています。ただ……現在魔族を収める二代目の魔王が否定的です」
「話し合いでどうにかならないのかしら」
「難しいと思います。彼は魔族の中でもとりわけ非情な化け物だ」
「私が実は生きていた魔王のフリをしたのならどう?」
信頼を勝ち取っていた魔王であれば、話を聞いてくれる余地もある筈だ。
だがウィヴィはゆるゆると首を横に振った。
「彼は絶対に人間と和解する気はない。何故なら、我が主君を殺した調本人こそ、現魔王であるリフィールだからです」
「魔王は勇者が殺したと聞いていたのだけれど」
「我が主君は勇者程度に不覚は取らない。さき程も言いましたが、最後は自分に憎しみを向けるた目に犠牲となったのです。そうせざるを得ない状況を作ったのが、リフィールという名の魔族でした」
魔王は和解に向け、『フィアナ』という街を興した。
その街は人間と魔族が共存するという、御伽噺にも近い場所だったが、それが案外上手くいっていたのだ。やがて他の人間の街と商業的な取引を開始し、和解に向けた大きな一歩になると期待されていた。
だがリフィールという魔族がそれを台無しにしたのだ。
ある日、リフィールは魔王の不在を見計らって、フィアナを襲い人間達を皆殺しにした。
リフィールは魔王の支配下に入っていない野良の魔族だったが、人間たちにとっては関係のない事だ。
残った事実は、魔族が行った人間の虐殺。
結果、魔王が行ってきた和平への道は白紙に戻って、むしろ魔族に更なる憎しみが向く事になった。
このままでは今後一生、和平の可能性は無くなる。それを危惧した魔王は自らの命を投じる事で、次に託したのだ。