悪は英雄を魔王と呼ぶ
「やっと、来ましたか。全く、僕の時間を無駄遣いしても咎められないのは貴方だけですよ」
「余裕をもって家は出たわ。ただ尾行されてるみたいだったから。対処するのに遅れちゃった」
「前々から言っていますが、いい加減護衛を付けたらどうですか?」
「日常を侵されたくないの。それに、大抵のことは自分一人で十分だもの」
「そんな事を言ってるから、何時まで経っても彼氏が……」
「何か言った?」
「いえ、何時も通り素敵なみこっちだと思っただけです」
陽彩が「できる」と口にして数日後、私が訪れたのは彼の研究施設だ。
平凡な民家の地下に広がっている研究施設は、最先端の技術で溢れている。
広い施設内には陽彩以外にも大勢の影があるが、その実、実際の人間は彼しかいない。
「あ、尊ちゃんおはよ~」
そう、満面の笑みで話し掛けて来る幼女を含め、この場に居る者は陽彩を除いて全てアンドロイドなのだ。
「おはよ、テトラ。今日も可愛いわね」
銀髪と丸い金の瞳、天使という言葉が良く似合う。
研究施設には似合わない彼女の様相を見た時、最初は陽彩の趣味かと疑ったが、小さい体だからこそ役立つ事があるらしい。
「えへへ」
「むむ、主である僕を差し置いてみこっちに褒められるとは……いや、僕が創ったテトラが褒められているということは、実質的に僕が褒められてるのでは……?」
「違うよ、褒められてるのはテトラだよ!」
「ぐはっ、そうだったテトラは純粋無垢設定だった!!!」
「設定とかは分からないけど、テトラは主が好きだよ!だから悲しまないで!!!」
勝手にダメージを負った陽彩だったが、天使の如きテトラの優しさを実感し、彼女を抱きしめる。やはり、本当は彼の趣味ではないのだろうか。
「さて、本題に入りましょう。テトラ、準備を」
「ぶいぶい!」
たたたと可愛らしい音を立てながらテトラが向かったのは、研究施設の中央だ。一際大きな輪状の装置が設置されている。
簡単に言うと、ハムスターがくるくる回るあれだ。
「これをこうやって……調整完了だよ!」
「ふむふむ、全てコレクト、と。理論上ではありますが、これで準備は整いました。これからこの粒子加速器で異世界との扉を開きます」
私には良く分からないが、この装置で何か凄まじいエネルギーの磁場を作って、異世界との扉を開くらしい。
陽彩がスイッチを押すと、装置の六か所に設置されてある液体が次々に加速器に注ぎ込まれ、緋色の輪が形成され始める。
その液体は恐らく、陽彩が作り出した唯一無二のスカーレット粒子と呼ばれる代物に違いない。
最初はただの線だったエネルギーが、やがて織りを成し、大きな円となった。
緋色の枠に形どられる円の先は深淵に彩られている。
「どうやら、無事に安定してるみたいですね」
「やったね~」
「この先が異世界に繋がってるの?」
「詳しくは分からないですが、人が住み、文化が形成されている世界がこの先にあることは間違いないです」
「入った瞬間、体が分解されるなんてやめてよね」
「間違いなく、普通の人間であれば磁場の圧力に抗う事が出来ずに自壊しますよ。この計画は、みこっちの体を基に立てているので問題はないです」
「それはそれで、私の体が知り尽くされているみたいで気持ちが悪いのだけれど。まぁ貴方が大丈夫って言うなら、それでいいわ」
「熱い信頼を胸に、是非ともともに馳せ参じたい所ですが、僕の体じゃ難しいので通信機と、役に立つスマートウォッチだけでも持って行ってください」
耳にかける骨伝導のタイプの通信機とスマートウォッチを装備して、大きな円の前に立つ。
円の奥に手を伸ばすと、私の体は瞬く前に吸い込まれて行った。
「ぷはっ!?」
深い、永遠とも思える暗闇の中から浮上する。
長く、溺れていた感覚だ。大きく胸を膨らませて、呼吸を整える。
『どうやら無事に成功したようですね』
通信機から陽彩の声が聞こえて来た。
「ここが異世界なの?」
実感はない。確かに、周囲を見渡せば自然しかないし、空気も現代社会と比べて澄み渡っている気もするが、きっとアルプスもこんな感じだ。
『まずはこの世界の概要を知るために、周囲を探索して見ましょう!』
言われるがまま歩き始める。
ふと、目に入った花を見ると、ミツバチらしき生物が止まっていた。
『ふむふむ、葉っぱの成分やミツバチを見る限り、この世界は少なくとも地球と同等の環境を有しているみたいですね』
「見る限りって、どうしてわかるのよ」
『万が一のために、小型のドローンを送っていますので」
ぴぴ。機械音がなって振り向くと、何時の間にかそこには球体の小型ドローンが宙に浮いていた。
「まさか、本当の目的はこれで異世界の調査をするため……なんて訳じゃないでしょうね?」
『失礼な。僕は友達思いな天才です!ただ一石二鳥、いや一石百鳥の精神で、目的の中で得られるものは全部手に入れる気なのは否定はしないですが!!!』
まぁそんな事だろうとは思っていた。ただ彼の目的が別にあったとしても、その行動で利益が享受できるのであれば、何の問題はない。
周囲の資源を探索しながら、私は先に進む。
『おや、前方に熱検知反応です。片っぽは人間の男児で、もう片方は……恐らく、未知の生物です」
「そう、じゃあ行ってみるわね」
ここで物怖じしないのが、私である。
スマートウォッチに送られて来た位置情報を頼りに向かう。木々を抜けた瞬間、響いて来たのは悲鳴だ。
「うわぁああ!?」
悲鳴をあげる少年は、時代劇でしか見たことがない郵便屋さんの恰好をしている。開けたバッグからは手紙が散らかっていて、如何に彼が窮地に追いやられているかを示していた。
その視線の先、その大きな影を落とし、凶悪な牙をちらつかせるのは見た事のない生物だ。
一見ライオンかと思ったが、胴体は山羊、そして蛇の尾と、キメラみたいな様相をしている。
爪は人間を殺す為に進化したといっても過言ではないくらい鋭利に尖っていた。
「ひぃい!?」
キメラが振るった爪を、少年が転がって避ける。抉られた地面は、その生物が正真正銘の怪物であることを表していた。
『何か、未知のエネルギーを体内から感じます。恐らく、それが爆発的にあのキメラの戦闘能力を高めているのだと。是非、サンプルが欲しいです!!!』
「ちょっと、まさか私にあの化け物と戦えって?」
女の子に課す試練としては、少々難易度が高過ぎる。目の前に居るのは武装した兵士数人を集めても、勝てるかも分からない化け物だ。
「下手な芝居は辞めて下さいよ、満更でもない癖に」
「……分かってるじゃない」
今まで、私はこの力故に、多くの事件や面倒事に巻き込まれて来た。
だが一度として、私は自分の力を呪ったことはない。愛された事がないからこそ、私は私を否定しないのだ。
むしろ、この力は尊く思っている。だが元の世界では、この力が発揮できる機会は少ない。
だからこそ、今、怪物を前にワクワクしている自分が居た。
「やっぱ、異世界はそうこなくっちゃね」
最強、ただその一言が書かれたTシャツを風ではためかせ、単身で怪物の前に立ちはだかる。
獲物を横取りされると勘違いしたキメラは、その毒牙を私に向けて来た。
「やー!!!」
真正面からの反撃。ただそれにしては、可愛らしい声だ。
ウケを狙っているわけではない。いや、今後可愛いキャラで売り出していきたい気持ちがあるのは事実だが、戦いに手を抜く私ではない。
単純に、これ以上の『声』が必要ないのだ。
拳の握りが甘く、腰もそれほど入っているわけではない。小手調べの軽いジャブといった感じだ。
ただその一撃は、
「グェっ……」
キメラを内側から粉砕してみせたのである。
【私がモテない理由、その一、通常攻撃が会心攻撃である】
「つよ……」
これには思わず、助けられた少年も絶句している様子だ。
『ふむ、死体に残ることなく、灰になって消失しましたね。普通の生命体ではなく、何らかのエネルギーによって構築されていたのでしょう……ん、あれは』
灰になって消失したキメラの遺体から、何かが零れ落ちた。
近付いてみると、それが小さな鉱石であることが分かる。
『むむ、これは凄まじいエネルギー反応です。これが何なのか、助けた少年に聞きましょう』
「あ、あの助けてくれてありがとう」
「大丈夫よ。ところで、この鉱石はなに?」
「なにって……魔石だよ、魔石。魔力が内包される鉱石さ」
「魔力、なるほどね」
魔力、ファンタジー世界では定番の設定だ。
「じゃあ貴方は魔法が使えるの?」
「ああ、簡単な魔法だったらね」
いって、手を前に出して来た少年の掌では、風が躍っている。
『魔法……実に非現実的な話ですが、前提からすべて異なる異世界であれば、それもまあ可能でしょう。とにかく、サンプルとしてその魔石は持っておいてください』
「私がここに来ているのは資源調達じゃなくて、彼氏を作るためなんだけど……」
『それだけ綺麗な鉱石です、もしかしたらアクセサリーとして役立つかもしれないですよ?』
確かに。そう納得した私は、魔石を砕いてポケットに入れた。
『ところで、彼はどうですか?』
どうですか、というのは今助けた少年が彼氏候補になり得るのかを聞いているのだろう。
結論から言っておくと、否だ。異世界で始めた助けた少年、ロマンティックは感じられるが、少々若過ぎる。
今後、偉大な魔法使いとなって再び目の前に現れ『貴方に追い付くためにここに来ました』と来れば話は別だが、その不確実な未来に期待する事は出来ない。
「というわけで、ごめんね少年」
「……?」
当然、何故謝られたのか分からない少年は首を傾げた。
「この近くに僕の村があるんだ。お礼位させて欲しい」
「お礼……」
元の世界では、私が誰かを助けるのは当たり前だ。ありがとうこそあれど、何か対価を受け取る機会は少ない。
『行きましょう。人が集まる所に情報は集まりますから』
「じゃあお言葉に甘える事にするわ。私の名前は尊、宜しくね」
「郵便屋を生業としてるサイファだよ」
近くに止めてあった馬車に乗って、サイファの村に向かった。
川沿いにあるのどかな村には、現代技術の影もなく、手と足を使って農業や大工などに勤しんでいる。
「今は戦争中なの?」
気付いたのは、大人――それも男の少なさだ。私は傭兵として、今も紛争が絶えない地域に何度か駆り出された事がある。
そこにある町や都市では、大人の男は戦に駆り出されているため、残っているのは女子供、そして老人ばかりだった。
「戦争をしていた、の方が正しいよ」
ただ村民の笑顔を見るに、そこまで悪い状況ではなさそうだ。
「でも、皆、もう終わったって思ってるだけで、又起こるよ。魔王は倒されたけど、魔の者は何処からでも湧いてくる。以前までなら、この村の周辺にキメイラが現れる事なんてあり得なかった」
「魔王……この世界にはそう呼ばれる人がいるの?」
「本当に何も知らないんだね。魔王は、魔族を束ねる王だよ。魔族はとても悪い奴らで、沢山の人間を殺して、日常を奪って来た。それを纏めていた魔王は、そりゃ極悪非道だったって聞いてる」
「だった、ってことはもういないの?」
「少し前に、勇者様に殺されたんだよ。でもどうせ、又、新たな魔王が生まれる」
優秀な頭を失った組織は緩やかに崩壊する事が多い。ただ不思議な事に、組織の前に『悪』が付くと話は別だ。
悪は巡る。昼に灯は必要はないが、夜に灯は絶対的に必要だ。
色とりどりのパレットでも、黒が存在感を放っている。何が言いたいかというと、悪を淘汰する事は出来ない。
いたちごっこだ。実際、今まで滅ぼした悪の組織は、暫く経てば悪意を持って復活した。
唯一の手立ては、その手を取り合うことだが、それが難しいのは言うまでもない。
「さぁ、しけた話は辞めにしよう。どうだい、丁度『トマト秋刀魚』が美味しい時期だ。良かったら、ごちそうするよ」
果たしてそれが畑で獲れるのか、川で獲れるのかは気になる所ではあるが、私は中々の美食家だ。美味しいものには目がない。
基本的にテレビ番組にでることはないが、料理番組だけは何度かでている。
「じゃあ僕はトマト秋刀魚を貰ってくるから、ミコト様は村でも散策しててね。旅人は珍しいから、皆、きっと喜ばれるよ」
更なる情報収集、そして彼氏候補を見付けるため、外に出る。
ただこの村に居る男は老人か子供だけなので、期待は出来ない。そう、思っていた。
川のせせらぎ、子どもたちの笑い声、そういったのどかな喧騒に包まれる村の中で、私の意識が囚われていたのは『靴音』だ。
存在感とは、一挙手一投足に宿るもので、それは靴音も例外ではない。
前方、村の入り口から歩みを進めて来るのは、なるほどなと納得する容姿の持ち主だった。
金髪金瞳、芯の通った上背に、凛々しい顔つき。騎士を彷彿とさせる容姿の持ち主は、やはり銀の軽鎧に身を包む。
今まで、私は多くのタレントと顔を合わせて来た。総理からハリウッド俳優まで、彼らは確かに雰囲気はあったが、目の前の騎士は別格だ。
単純な強さ。幼き頃から闘争に身を置き、その手で成し遂げて来た者しか有することができない生物的な『強者』の風格。
「あれは……勇者様!?」
村の少女が声を上ずらせながら言った。
次々と、彼の正体に気付いたものたちが「勇者」の呼称を口にする。
ただその声援や羨望にはわき目もくれず、彼はただこっちに向かってきた。
まさか、これが運命の出会いという奴なのか。私は直ぐに髪が跳ねていないか確認し、装いを正す。
大事なのは第一印象だ。可愛らしい笑顔を貼り付け、ただ待った。
「貴様……ここで、何をしている!!!」
しかし彼が発した第一声は、私が望んでいたものではない。
その逆だ。彼は憎悪の瞳を以て、私を睨み付けている。
「まさか、私が異世界から来たってバレたの?」
『バレたところで、憎悪の理由にはならないと思います。考えられるとすれば、彼がみこっちと同様に異世界から来た人物にであった上で、何か因縁があるのか、あるいは――』
「あるいは、何よ」
「何を一人で喋っている。俺を見ろ、それとも忘れたのか?」
「んー、一度見たら貴方を忘れる事はないと思うの。残念だけど、私は貴方と初対面よ」
「白々しい。いい、どうやって生き残ったのかは知らないが、もう一度決着を付けてやる。覚悟しろ、魔王!!!」
魔王、確かに私は一部からそう呼ばれていることは否定しない
大衆にとっては英雄の私だが、悪にとっては悪魔でしかないのだ。
ただこの世界にきて、まだ一時間も経っていないのにそう呼ばれる筋合いはない。だが剣を抜いた彼は、有無を言わさずに切りかかってきた。
「ちょっ、待って!人違いよ、私は魔王じゃない!!!」
「俺の剣をそう安々と避けておいて、嘘を突き通すか!」
「魔王くらい強いのは否定しないわ。だけど、私は誰も傷付けてない」
「傷付けて、いない……?」
声を震わせる。それは今まで幾度聞いた事がある、白翼尊という異物に対する恐怖ではない。
怒り、それも聞いた事のないくらい強い、等身大以上の憎悪だ。
「忘れる訳がない、忘れられる訳がない。お前は魔王だ、この世で最も多くの者を傷付け、唯一誰にも愛されていない孤独の王だ」
胸に掲げた剣が光り始める。
『あれは……凄まじいエネルギー、もとい魔力の集合体です』
黄金と化した魔力が剣を昇華させる。その圧倒的な存在感、思わず声を失うほどの勇者に、私は固まってしまった。
だが彼が勇者である以上、その矛先が向かうのは常に悪だ。そして、今の彼の目に映る一番の悪とは――。
「っ!?」
気付けば、私の視界は光に呑み込まれる直前だった。
銃弾程度なら痛くもかゆくもない私だが、これはやばい。死ぬことは無いにしろ、今の状態では致命的なダメージになる。
私は最強だが、痛いものは痛いのだ。
『やらせないよー!』
通信機の先からテトラの声が響いて来て、『ガコン』と歯車が回ったみたいな男が鳴る。
途端、私の体から重力が失わ、平衡感覚を焼失した。ただ足が地面から離れたのではなく、立っている筈なのに、地面が背にある状況だ。
世界そのものが傾いたのである。