6階 ① 風妖精の村
ジュジュの足取りは軽かった。次の階でまたアオイに会えると信じているから。
「ブラックちょっと待って」
ジュジュは立ち止ると、窓のように空いた穴から、大樹様の枝に手を伸ばす。
「ありがとうございます」
大樹様から少し木の実を分けてもらった。
「アオイに食べてもらいたいの。ブラックもどうぞ」
足元にブラックの好きな赤い実を置くと、美味しそうに食べてくれた。
「トカゲって虫が好きなのかと思ってたけど、色んな子がいるのね」
生きた虫を目の前で捕まえて食べるのを見るのは、ちょっと怖い。ブラックが木の実好きで良かった。ジュジュもひとつ食べて、残りはポケットに入れた。
「もうすぐ6階に着くよ」
扉の隙間から初夏のような気持ちの良い風が吹いてくる。
『ひとつ探しあてたね』
「あなたが教えてくれたの?」
日記帳が黙ったまま、扉が開いていく。
『鳥よりも高く、果てしない空を君とどこまででも飛んでみたい』
「ここは山の上? 風が強いね」
ジュジュ達は見晴らしの良い山の頂上に立っていた。ヒュルリンヒュルリンと風が鳴り、雲が風に流されていく。ブラックが飛ばされないように抱きかかえた。
「色んな形の雲があるね。あれは鳥かな? 羽を広げて飛んでいくみたい。あっちはブラックの好きな赤い実みたいに丸いよ」
ジュジュは雲を目で追いながら、ブラックに話しかける。
「ブラック。またアオイの所へ案内してくれるかな」
「きゅいん!」
任せておけと言っているのかしら。頼もしい相棒だわ。さあアオイの元に急ごう。
山を少し下るとアオイはすぐに見つかった。木を見上げながら、何かに話しかけている。
「アオイ!」
振り向いたアオイは、口元に指を1本立てる。ジュジュが物音を立てないようにそっと隣に立つと、今度は上を見てと指す。
木の上には羽を休めている鳥…ではなく妖精がいた。可愛らしい女の子の背にうっすらと光る羽が見える。なんて綺麗なんだろう。日に透けるとステンドグラスのようだわ。
「今日はなにか楽しいことが始まるのかしら」
妖精は2人の所まで降りてきてくれた。
「ここにはどうやって来たの?」
「えっと、僕は巨人のお兄様に飛ばされて」
「わたしは階段を上って来たの」
この子たちは何を言っているのかしら。妖精に不思議そうな顔で見られてしまう。
「わたしが見えるならお友達になってあげる。ついてきて」
妖精は羽を広げふわりと舞い上がる。
村につくと沢山の妖精たちがいて、木の上から興味深げに2人を見ている。
「緑が誰かを連れて来たよ」
「可愛いらしい子たちだね」
「つむじ風でも驚かないか試してみようか」
「ダメダメ、長に叱られる」
風妖精は悪戯好きだ。
「お客様が珍しいの。さぁ着いたわ、ここが私の家よ」
風妖精の家は、大きな鳥の巣のようにもみえた。枝でできていて、大きな木の上にいくつもある。村へ案内してくれた緑と呼ばれている風妖精からは、さわやかな若葉の香りがした。
「どうぞ。お口に合うかしら」
緑は花の蜜をお茶に入れてもてなしてくれた。ほのかに甘く、すぐにカップは空になった。
「とても美味しいわ」
「これジュジュのくれた朝露の味に、とてもよく似ているよ」
「そうなの?」
大樹様に差し上げるので、1度も自分では飲んだことがない。
「ジュジュと言うのね。なにか不思議な力を感じるわ」
「わたしはただの森の子で、魔女見習いにもなれなかった落ちこぼれだよ」
ジュジュは自分の樽に半分しかたまらなかった朝露を思い出した。今あの樽はどうなっているのだろう。大樹様が全部飲んでくれていたら嬉しいな。
緑はジュジュたちを風妖精の長のいる大きな家にも案内してくれた。長は女性で、長い髪をそよ風に吹かれているように後ろになびかせ、笑うと甘い香り、若草の香り…色々な香りがする。
「初めまして。森の子ジュジュです」
「僕はダイヤモンド堀り名人の子です」
アオイは名乗らなかった。いつまた魔女に名を奪われるかわからない。でもダイヤモンド堀り名人の子だなんて! あのご夫婦が聞いたらすごく喜ぶだろうな。
風妖精の長は、ジュジュを不思議そうに見つめる。
「あなたは木の精霊じゃないかしら?」
「わたしのお父さんもお母さんも人です」
「とても弱いけれど、あなたから魔力を感じるの」
わたしは大好きなお父さんとお母さんの子ではないの? それにわたしに魔力なんてないよ。
いつだってジュジュが帰りたいのはあの家。急にお父さんとお母さんに会いたくなった。ジュジュの目から大粒の涙があふれてくる。
「森の子よ、悲しまなくていい。木の精霊から生まれたあなたは、人に大事にされたようだね。愛され、慈しまれた、心がまっすぐに育った者にしかここにはたどり着けない」
「僕のドワーフのお父さんお母さんのように、ジュジュも本当の子のように可愛がられていたんだね」
「うん」
本当のお父さんお母さんでなくても大好きは変わらない。いつか本当の両親に会ってみたい気はするけれど、やっぱりあの家に帰りたい。帰ったら、ただいまと誓いを破って階段を上ってごめんねって言おう。そして大好きとありがとうを沢山言おう。
その夜は緑の家に泊まった。
アオイは胸いっぱいに空気を吸って、風を食べていた。空が飛べそうなくらい体が軽くなるらしい。
ダイヤモンドを沢山食べたアオイが歩くと、ちょっと地面にめり込んでいたから、ちょうど良かった。
ジュジュはまだ風妖精の長に言われたことが気になって、何も食べる気がしない。喉の奥に蓋がされたようで、アオイと緑に話しかけられても上手く返事ができなかった。
ブラックはジュジュが心配なのか、ずっと側から離れない。
「ジュジュ、散歩に行こう」
アオイは星空を見にジュジュを連れ出した。
「ねえジュジュ、空をみて。今夜は星がよく見えるよ」
「そうだね。綺麗だね」
ジュジュにはきらめく夜空の星が、今は遠くて手の届かない、空しいだけのものに見える。子どもの頃よくお父さんに肩車をねだって、思い切り腕を伸ばし、星を捕まえようとしたっけ。
「いつか。いつかきっと僕がジュジュを森の家に送り届けるよ。今すぐにでも飛んで連れて行きたいけど、魔力を使うとまた魔女に見つかるからね」
アオイは急にしゃがんで、「ごめん!」とジュジュの足の間に頭を突っこむと立ち上がる。
女の子になんてことするの! 驚いたジュジュはアオイの肩に跨っていた。
急に視界が高くなって、ジュジュはアオイの頭を抱えるように掴まる。
「今は飛べないけど、どう? 少し飛んだ気分にはなるかな?」
「アオイ! 怖いよ、おろして!」
大きくなって肩車されるとは思わなかった。すごく高くて怖い。それにアオイに肩車されるなんて、すごく恥ずかしい。
「ダメ、空をみて腕を広げて。僕たちは今飛んでるんだから!」
ジュジュは最初目をつぶって腕を広げてみた。緑が風を送って、一緒に飛ぼうよと耳元でささやいてくれる。勇気を出して目を開けた。
「怖いけど、気持ちいい! 小さい頃より星に手が届きそう!」
アオイがグラグラして落とすふりをすると、ジュジュが飛び跳ねてみてとねだる。ブラックまでアオイの背に上ろうとする。ジュジュが大きく息を吸い込むと、もう喉の奥にあった蓋は消えた。
「緑も心配してくれてありがとう」
やっと笑顔になったジュジュをアオイはゆっくりと下ろす。
「約束するよ。必ずジュジュを森の家に連れて帰る」
「うん」
この不思議な旅が終わったら、森の家にアオイとブラックを招待しよう。ジュジュも心の中で約束をした。