最後の魔物
突然現れた老人は、すでに老木となり役目を終えた太古の大樹だと教えてくれた。異界を支えきれなくなった後もこうして異界にとどまり、番人をしているのだと。
「魔物に終わりを与えようとした僕らを止めに来たのですか」
「違う。人であった魔物は奪うことで欲を満たしていた。喰らい合うのも、蘇るのも辛いと言うのなら、喰うのをやめればよいのだ」
魔力が尽きればそこで終わる。
「水も食べ物もないこの異界で、生きたいと願ってしまったのでしょうか」
「あれらは終わりのない生を望んでしまった。精霊を羨んでも、我らだって永遠にあり続けることはないというのにな」
太古の精霊王たちも最初は魔物を人に戻そうとした。人々の魔力を使えないようにした後も、人を喰らい、わずかに残る魔力の残滓まで取り込もうとする魔物が数多くいた。それはもう本能であるかのようだった。
「あの時は世界から切り離すしかなかったのだ」
精霊王たちは魔物を殺さず、いつか自ら人に戻ることを望んだが、うまくいかなかったのだと太古の大樹様は悲しそうだった。
「我らは生死に干渉しない」
信じない人には精霊の姿は見えない。信じていても精霊は不確かな存在。助けはするが、すべてに手を貸すこともない。目の前で人が溺れても病に伏しても、寿命は変えられない。隣人として人を見守るだけ。
落ちてきた魔物を炭すら残らないように消し去っても、不思議と異界に戻ってきて、時間はかかるがまた蘇るのだという。やはり浄化して人に戻すより手はないようだ。
「僕らが手を出すのは良くないと思われますか?」
「大蛇のようにまだ尽きない欲望を満たそうとするものがいる限り、異界がまた魔物を生み出しているのも事実」
「魔物は当初から少しも減っていないのですか?」
「半分にはなったな。いなくなるまでにあとどのくらいの歳月が必要なのかはわからん」
あんなにいてもまだ半分! 太古の精霊王様達が苦肉の策で切り離さなければ、人はいなくなってしまったのかもしれない。
「魔物を浄化してやることで、終わらせてやりたいというのならそれでもいい。だがもうこのような場所を2度と作らないようにもして欲しい」
人から魔力を奪うことはもうないが、心に黒いドロドロを持った人が大勢いるという。
何ができるだろう。ジュジュにはとっさには答えられなかったが、ノリカが手を上げた。
「わたしはいつでも新鮮な空気を取り込めるように、淀んだ空気がたまらないようにするわ」
「ならわたしは歌を届けよう。人々も歌えば楽しい気分になる。辛いことも悩みも吹き飛ばせるようにな」
「僕はそうだな…。暖かな火を見ると安らぎを覚えるような。そんな火を届けたい」
穢れを取り込まない、取り込んでもためない。それならもう魔物は現れない。
「わたしはもう少し考えてみます」
老木は口元に笑みを浮かべながら消えていく。塞がれた出口も元に戻り、また異界の空が見えた。
浄化はまた何度も繰り返され、見渡す限りドロドロは消えた。もう地上に降りても大丈夫だろう。
「残ってないか、もう1度確かめてくるよ」
アオイは翼を広げ、低空で飛んでいった。
「この地はどうやって戻すのかな」
肝心なことを聞かずに来てしまった。アオイが戻ってもう残っていないとわかったら、次は異界を戻すだけだ。
先ほどから暗く淀んでいた空が少し明けてきた。ここにも日が射すのだろうか。この地に草木が生え、動物も人も住めたらいいな。そんなことをジュジュは考えていた。
「おーーーい!!」
アオイがすごい勢いで戻ってきた。
「慌ててどうしたの?」
「今すぐ僕に乗って! あちこちひび割れていた。ここは崩れるかもしれない」
急いでアオイの背に乗せてもらう。地上から離れると、本当だ。あちこち段差ができている。
『樹樹、もう扉は使えない。そのまま火竜に乗って帰っておいで』
ジュジュの琥珀から声がした。夢の中で聞いたことがある。お父さんだ。
地面が崩壊してどんどん下に落ちていく。巻き込まれないようにアオイは異界の外側目指して飛び続けた。
「アオイ! 後ろ!!」
ノリカが叫ぶ。ジュジュが振り向くとと大蛇が追ってくる。地中に隠れていたのだろうか。クワッと大口を開け毒を噴き出す。ジュジュがユニコーンの短剣を投げつけるが届かない。ブラックが大蛇に噛みつこうとして、逆に体に巻き付かれた。
「ブラック!」
ブラックがいてアオイも炎を噴けない。ジュジュはとっさに鎖から手を離し、大樹の枝にありったけの魔力を込める。
「ノリカ! お願い!」
「まかせて!」
枝はノリカの突風によって大蛇の腹に刺さった。淡い光が大蛇を包むと黒いモヤとなる。日が射してきた。黒いモヤの中に子を抱く女性がうっすらと見える。顔は空に向けている。
『見てごらん、青空だよ…』モヤは消えていった。
ブラックがきゅいんとひと鳴きした。
世界をひとつに戻すため精霊王達が互いに引き合っていた。強大な魔力に空気が歪んで見える。ジュジュは鎖を持ち直そうとしたが、手元がよく見えない。ウタネが引き上げようしたが間に合わず、ジュジュはアオイの背から落ちてしまった。
「ジュジューー!」
アオイが前脚でつかもうとするが、鋭い爪が刺さりそうでつかみきれない。
『火竜! 樹樹を落とすな』
琥珀から大きな声がして、どこからか太いしなやかな蔓が伸びてきた。ジュジュを捕まえてアオイの背に乗せてくれる。
「お父さん! ありがとう」
崩れた異界の地は、太古の森近くにガラガラとものすごい音を立てながら落ちてきた。森人達は何事が起きたのかと大樹の周りに集まった。根元に大きな扉が開けられ、すべての森人が受け入れられた。
途方もなく雲の上まで伸びた大樹も樹頭から裂け、枝が次々に折れていく。大樹に寄り添うように張っていたツタも上から剥がれ落ち消えた行った。
「あれじゃあ世界がくっつくんだか、壊されているのかわかんないよ。今地上に戻ったら危ないね。でもこのまま飛び続けるのはムリーー」
ノリカは魔力が底をついてきて、アオイの脚に捕まっていたが、アオイももう限界らしくぐらぐらしている。
強い風が吹いてきた。
「ノリカ、お疲れ! ここからは父さんが運んでやる」
風精霊のハヤテがアオイごと風に乗せた。ものすごい速いのに、ふわふわの雲の上にいるようだった。
「父さん! 遅いよ!」
「あちこち石やら土砂が落ちてくるんだ。それを人の上に落ちないようにしてたのさ。許せ」
ノリカはふくれているが、お父さんのお迎えが嬉しそうだ。
ハヤテは大きな湖に下ろしてくれた。そこからはミウが水の膜を張り、水の国へ連れて行ってくれた。水中深くまでは石は落ちてこなかった。
「ありがとう。もう少し時間はかかるけど、世界はまたつながる」
最後に消えていった大蛇の話を聞いたミウは涙を流す。
「やっと終わりにできたのね」
魔女を通して多くの記憶をのぞいてしまった魔物だった。その卵から生れたモノから夫も子も奪われそうになり、幾度消してやりたいと思ったことか。記憶をのぞくうちに、魔物のこと、異界のことをずっと考えた。人に戻り終わりがきて良かったと思う。




