異界の始まり
些細な嫉妬からだった。隣家の畑は日当たりがよく作物が沢山穫れる。家畜が増えていく。もうけ話があったみたいだーー。汗水たらして働く自分よりも豊かな者が妬ましい。
人が魔力を使って出来ることは、小さな種火を熾す。ほんの少し早く洗濯物が乾く程度の風を吹かせる。魔力を込めれば重たい荷物を運べる。叶うかはわからないが、精霊たちにお願いすると、探し物は気まぐれに小鳥や蝶を使って案内してくれる。病気にかかった時はすぐに呼びかけた。翌朝玄関に薬草が置かれている時がある。お礼に精霊が作らない焼菓子やパンをおいて置くと、知らぬうちになくなっていた。
皆その程度のはずなのに、豊かに見える者は自分の知らない魔力を使ったのか? 欲しくなると奪うことしか考えられなくなった。
言葉巧みに自分へ魔力を注がせ奪いとる。魔力が底をつくとなぜだか魔力があった事さえ覚えていない。都合がいい。どんどん魔力が奪われていった。
だがどんなに魔力を得ても短い生を終える。人の一生などあっという間だ。少し魔力が使える程度では自然の摂理に抗えない。誰が人の時間を決めた? 人でなければ生は終わらないのか? なら精霊となり替わればいい。
すべての害は精霊の仕業だと言い出す者がいた。精霊は助けてもくれるが、罰を与えることもある。人のふりをした知恵のある魔物が人々を煽った。
大嵐を起こすかもしれない。洪水で全てが流される。日照りで苦しませるかもしれない。病をまき散らす。起こるかどうかも分からない恐怖が人々の心を蝕む。とうとう魔物を信じてしまった人々は、精霊の良き隣人であることをやめてしまった。
人よりも強い力で大岩を転がす。急流に投げ込めば川の形が変わるが、流れが緩やかになる。畑を荒らす害獣に姿を見せただけで逃げていく。草を枯らしただけで雑草がなくなったと喜ばれる。お礼にと魔物と知らずに自分の魔力を貢ぎ、拝む者まで出て来た。
人の姿を保つ必要もない。人の穢れを身代わりに受けてやっていると言えば、醜くなってもまだ人は信じた。後は何もしなくても勝手に魔力を差し出してくる。かしずかれ、精霊王にでもなった気分だ。
精霊は人よりも長い時間存在する。そもそもの在り方が違う。人が過度な魔力を持てば、異形のものに変わるだけだった。なり替わるなどできるわけがない。魔物が紛れていると教えたいが、精霊を信じない人に姿も見えなければ声も届かない。
仕方なく精霊王達はこれ以上魔物を増やさないよう、すべての人が魔力を使えないようしてしまった。そして魔物を集め世界から切り離すことを決めた。
「どうやって使えないようにしたの?」
もし自分も使えないようにされたら困るとノリカは気になったようだ。
「人は精霊の住む地の川や池の水、植物などから魔力をとっていたが、人が入れるような場所にもう精霊は住んでおらん。排泄して自然に還った魔力も地中深くに止め、2度と人に戻らないようにしたのだ」
無理に引きはがそうとすれば死んでしまうかもしれない。人は脆い。時間がかかったが、ゆっくりと使えないようにした。もしまた魔力のあるものを口にしても、以前のように使えるようにはならない。
それなら自分の魔力は大丈夫そうね。ノリカは琥珀を握りしめた。
「それでも最後まで精霊を信じた者はいたのでしょう?」
ジュジュも周りの人もずっと精霊を信じていた。
「精霊の言葉を聞こうと信じる者は森に隠れ住み、森人になった」
森人たちは精霊様、大樹様と大事にしていた。大樹様へ朝露を運ぶお役目を私がもらった時、お父さんもお母さんはすごく喜んでくれた。森の外へ出かけるときは、森人と知られないようにするって言っていたのは、精霊たちを守るためだったのね。
「魔物たちはどうやって集めたのですか? あの魔女のような強い魔力を持つものが沢山いたのでしょう?」
1匹だけでも4精霊王が力を合わせないと消せないのだ。アオイにしたら想像もつかない。
「数はいたが、あれほどの力はまだなかった」
それならいつか竜となった自分にも1匹くらい消せるだろうか。
「魔樹の中に魔物の好む実をつける者がいた。おびき寄せて、集まったところを地面ごと天高く持ち上げたんだ」
見てごらんと石の精霊王が指し示した横長に続く絵には、赤黒い実を食べる魔物。次に森人の住む大樹のまわりだけを残し、地面が真ん中をくりぬいたように浮かび上がる。穴は石の精霊王によって瞬く間に塞がれ、風の精霊王は竜巻を起こし、浮かんだ地面をさらに上に押し上げる。逃げ出そうとする魔物は火の精霊王がことごとく焼き払った。
精霊たちの力が及ばないほど高く切り離された地は、空気が淀み空は赤黒く、草木も育たない異界の地となった。
太古の精霊王たちは今よりも強大な力を持っていたが、魔物ごと地を持ち上げるほどの魔力の開放は精霊王たちを眠りにつかせた。引きあう魔力がなくなり、ひとつになった地は大樹のまわりで階層のようにばらばらになってしまった。
「大樹様を上った先にあるのは異界なの? いいものって異界のことなの?」
ジュジュは日記帳に問いかける。ミウから返事はなかった。
「困った事に淀んだ魔力が異界の地に穴を空けるときがある。その時に魔物が落ちてくるのだ」
ジュジュたちが住む世界の空から突然に落ちてくる魔物。最初に落ちて来たそれを消そうと現れた精霊王たちの強大な魔力をさすがに人も感じ取った。そしてまた精霊を信じるようになり、火の精霊王を人の住む国の王として迎えいれた。
「火竜王の住む国だけが精霊と人が共生している。わしもだが、他の精霊王はもう人と直接は関わらん」
この石の国にも人はいないという。静かに人の営みを見守るだけだ。木や風や水は姿を見せずに手助けしているなと3人を見る。
「だって人だけでなく、動物や植物にも風を運んであげないとね! 見えないくせに時々ありがとうって言ってくれる人もいるのよ」
ノリカは楽しんでやっているからいいのと言う。
やはり人は面白い。魔力がなければ道具とやらを作る。短い生を懸命に生き、終えたその先は子に託す。琥珀がなければ子を生せない我らとは違う。羨ましいと思う時もあるぞと石の精霊王は笑う。
壁はまだまだ先が描ける。どんな絵になるか。お前さんたちが描かれるかもしれない。期待しているぞ。そう言って部屋は閉じられた。




