風精霊の国
風の精霊の住む国は妖精の村よりも高い、空に手が届きそうなほど高い高い山の上にあった。なのに吹く風は穏やかで、飛ばされることはないが、ジュジュはノリカに掴まっていた。
精霊たちの家はシャボン玉みたいにぷわぷわと浮かんでいた。桜色、タンポポのような黄色、忘れ名草のような紫。黒灰色のは誰の家かしら? 数えきれないほどの色とりどりの玉が、時折風に流され、ぶつかって、向きを変えたりしている。見ているだけなら楽しいけど、住んでいる精霊は困ったりしないのかな。
「お帰りなさい。ノリカちゃん」
「ノリカ! あとでうちにも寄るんだぞ」
「はーい」
ノリカはここでも知り合いが多いらしいが、みどりとは呼ばれていなかった。
ノリカが案内してくれたのは風の精霊女王の住むとても大きな虹色の玉。中へ入ると、床は平らで、椅子もテーブルもある。中も丸かったらどうしようと心配していたので良かった。
「ようこそ、風精霊の国へ」
肩につかないくらいに短い髪をした女王が微笑む。雲ひとつない空と同じ澄んだ青い瞳。耳にはチリンチリンとなる飾りをつけていた。ノリカと同じ、背には薄い羽が生えていて、日に透けてステンドグラスのように床には七色の色彩と不思議な模様が映る。
「ノリカから話は聞きました。火竜王の子よ、生き残っていてくれて良かった。今、異界からの魔物を焼き払えるのはあなたしかいない」
ほとんどの火竜は魔女に名を奪われたか、呑み込まれたのだと教えられた。風妖精達が火竜の国で見たことを精霊女王に知らせていた。
そして母のミウとも友達だったとも。太古の森へミウを運んだのは精霊女王だった。
「僕はまだ火竜にはなれないし、火も使えない。太古の森に自分の琥珀を探しに行きたいのですが、たどり着かないのです。行き方を教えてください」
「簡単には行けないわ。私たちの住むこの世界は、無数の階層でできている。つながったり、離れたりしながら、またつながる。流れる時間も階によって違うでしょ」
「知らなかった。困ったな」
どうりでたどり着けないはずだ。理由はわかったが、それではいつたどり着けるかわからない。
あら、この話を2人にしていないの? 女王はノリカをみる。そうだっけ? ごめん。忘れていたかもと頭を下げた。
各階層を行き来できるのは大樹の中にある階段と風精霊など1部の種族だけ。
「なら、お母さんが太古の森へ行ったのは偶然なのですか?」
「樹王の妻、ミノリが名を呼んでくれたのでたどり着けたの」
2人は以前、水の精霊の国と太古の森が近づいたときに知り合い、名を明かしていた。
「なら、私が階段に戻って名を呼ぶよ」
「そいえばジュジュはどうやって階段に戻ったの?」
「日記帳にお願いをしてみたら戻れたよ」
日記帳を鞄から出してみせると、精霊女王が驚いた。
「この中に、魔物とミウの魔力が混じり合っているわ! どういうことかしら…火竜王の魔力まで感じる」
女王は表紙をなぜながら、魔力を流し込む。
「この日記帳は火竜王のうろこから出来ているのではないかしら」
黒くざらざらとした手触りをジュジュは大樹の樹皮みたいと思っていたが、違ったようだ。
「ジュジュはこれをどこで手に入れた?」
「大樹様の1階です。ブラックを追いかけていたら、階段の下で見つけたの」
「そうか。……なるほどね」
女王はジュジュの後ろに隠れていたブラックをみて、微笑んだ。
「火竜王が眠りにつく前に何が起きたか。日記帳に聞いてみることにしよう」
女王は日記帳の上に手を置いて、先ほどよりも強く魔力を流し込むと日記帳が淡く光り始めた。
「さぁ2人も手を乗せて魔力を流してごらん。……それでいい……」
女王が何かつぶやくと、4人を白い光が包む。
「夢の中?」
「これは日記帳に残された記憶だよ」
光が消え視界がはっきりしてくると、太古の森の中にいた。
火竜王は我が子を見ることなく眠るにつくのが辛く、己の尻尾の先をほんの少し切って妻に渡した。直接会うことは当分叶わないが、遊び相手くらいにはなれるだろう。
妻は夫の白いうろこを1枚欲しいとねだった。そこへ魔力を込めれば声が届くかもと笑って。
「お目覚めをお待ちしていますね」
「次に会う時には子も一緒か。1人にしてすまない。いつでもここを訪ねてきて欲しい」
「ええ、あなた様のお顔がみれなくても、子を連れてまいります」
「青生と名付けよう。母を頼むよ」
大切な友人から1字もらった。王になる者にふさわしい名だ。琥珀に青生と呼びかけると、淡く光った。
最後にもう一度。火竜王は琥珀に残り少ない魔力を注ぎ入れた。
火竜が眠りにつくときは、大樹の中と決まっている。友である樹王の生樹はすでに大樹となっていた。安心して身を任せられる。時おり目が覚めても退屈しないだろう。よろしく頼むよと樹皮に両手を当てた。
火竜王は少し下がり名を告げる。
「火の精霊王、火竜の白翔が眠る。扉を開けてくれ!」
扉が現れ、静かに開かれたその時、目の前に赤く光る眼玉が現れた。
地中から現れたそれは、異界の魔物が焼き殺される前に、ひとつだけ産み落とした卵から孵ったもの。産み落とした魔物の記憶をもつそれは、恨みを晴らすかのように火竜を狙っていた。
「油断したね。名は貰った!! 火の精霊王、火竜の白翔!」
魔物の魔力は簒奪。奪うものと同じだけの魔力が必要になるが、火竜王は魔力が枯渇していた。奪うなら今だ。
大樹は枝を伸ばし、蛇を突き殺そうとしたが、するりと躱された。名を奪われた火竜王は魔力が使えない。美雨は姿を変え、豪雨となり魔物の視界を遮る。その隙に火竜王は大樹の中に飛び込んだ。
そして美雨は地中深くに琥珀を埋めた。命に代えても守らなければならない。地下水脈を使って遠くへ逃がそうとした。
「逃がさないよ」
魔物が扉めがけて口から火を噴くと、美雨は水鏡に姿を変え、反射した。深い傷を負わすことはできたが、消し去るまではできない。じゅうじゅうと魔物から焦げた匂いが漂う。
「痛いじゃないか。お前からはあれを奪ってやろう」
魔物の目は美雨が琥珀を隠したことを見逃さなかった。奪ったところで大した魔力もないだろうが、自分に傷を負わせた目の前の精霊の泣き叫ぶ姿はみれる。
そうだ、あれを自分の腹で育ててみるのはどうだろう。自分とは違う姿のモノが現れるかもしれない。
「火の精霊王、火竜白翔の子 青生!!」
地中から琥珀が取り出されると、宙に浮かび、そのまま蛇に呑み込まれていく。
美雨は水滴となり、一緒に蛇の口中に飛び込み、琥珀を人の羊水のような膜で覆った。
「おや、これは予想外」
鎌首をもたげた魔物が、美雨とそっくりに姿を変えた。
「そんな……。お父さんまで、魔女に名を奪われていたなんて。それにお母さんはずっと1人で戦っていたんだ」
声を震わせたアオイの目から涙が零れ落ちる。
「この日記帳はミウと火竜王、そしてアオイの記憶も持っているようだね」
扉が開くと聞こえたアオイの声は、知らぬ間に日記帳に刻まれた強い思いだった。
「ミウはとても魔力の多い子だった。魔女と戦いながら、子を守り、さらに大樹の子を探しあてた」
「きゅいん」
ブラックが悲し気に鳴いた。
「アオイ。そのトカゲは父火竜王の尾の先だよ。名を奪われ、眠りにつきながらも子を守ろうとしていたとはね。竜は愛情深いと聞くが本当だったようだ」
アオイはトカゲの前で膝をつく。
「お父さんも側にいてくれたんだね。僕は本当に守られているばかりだった。必ず魔女を倒して名を取り戻します」
アオイは父と母に、ジュジュに誓った。




