第08話 決戦前夜
母親が代表を務める会社が入っている、雑居ビルの一階にはロビーがある。ホテルのラウンジのような造りで、そこで工藤さんと待ち合わせをすることになっていた。
六花にとっては第一印象が悪かったし、詩音は人見知りだ。これで工藤さんにに会っても大丈夫なのかと、ちょっと悩ましかった。
ソファーに座っていると、コンシェルジュの女性が、コーヒーを持って来てくれた。でも、高校生にコーヒーというのは、どうなんだろうか。六花は平然と飲んでいるが、俺と詩音は手をつけていない。
二重に悩ましいと思っていると、エレベーターから工藤さんが降りて来たことで、両方の悩みは解消された。
「いやぁ、この間は悪かったね。あの後、女子社員に、めっちゃ怒られたよ。DNAチップを作るって時点で、初心者だと分かるだろうとか、社長の姪御さんに喧嘩売ってるのかとか、そりゃあもうボロクソ言われてね」
先日との、あまりのギャップに六花は戸惑い気味だ。
「工藤さんって、責任者ですよね」
「そうなんだけど、何の威厳もなくてね。怒られてばっかりだよ」
六花は俺の方を見ながら、小声で
「こんな気さくな人だって、どうして教えてくれなかったんですか?」
そう言った。
「発売前の商品が置いてある開発室に、入れてくれるってだけでも特別待遇なんだけどな。それを言っても、分からない人には分からないから」
「私、工藤さんのことを誤解してました。申し訳ありません」
「いや、いや、いや。悪いのは、こっちだから」
立ち上がって頭を下げようとする六花を、慌てて工藤さんは静止した。それで六花は、もう一度ソファに座る。
「それで、そっちの子は?」
「あ…三崎詩音です…」
「ああ、狐のアバターの。人見知りだって聞いてたから、会うのは初めてだね」
「ご存知なんですか?」
この中で唯一、そのことを知らない六花が聞き返した。
「海里君が、最初に作ったアバターだからね。いや、二番目かな。最初は自分のを作ってたからな。どっちにしろ、誰かのために作った、最初のアバターだよ」
「最初で、あの完成度ですか」
「海里君だって、初めからあんなに卓越してた訳じゃないよ。一応、作り方は僕が教えたんだけど、ああいうのはセンスだからね。可愛い女の子を作らせたら、右に出る者は居ないな」
それでも、六花の気持ちは揺るぎないようだ。詩音のリクエストだから、あまり文句は言わないようにしているのか、自分にはロリータは似合わないと思い込んでいる節がある。
「立ち話もなんだから、焼肉屋へ行こうか。地下駐車場に車が停めてあるから」
立っているのは工藤さんだけなのに、そういうところがエンジニアらしい。
製品の開発中は、半導体の発熱問題で脳味噌が温まっているのか、無愛想になってしまう点もそうだ。だから、工藤さんの態度で製品の開発状況が、何となく分かってしまう。
工藤さんが今、この状態ということは、新型のVRインターフェースも発売に漕ぎ着けているのだろう。俺も心置きなく、協力してもらえるというものだ。
高校生三人に気を使ってくれたのか、工藤さんが連れて来てくれた焼肉屋は、無煙ロースターの視界が良好な店だった。
席は俺と工藤さんが横に並び、その向かいに六花と詩音が座っている。六花も気を使ったのか、俺の向かい側に詩音を座らせた。
開発室の責任者だけあって、プレミアム肉セットを四人分注文して、あとは健康のためか野菜セットも追加した。
いくつかの皿に分けて運ばれて来た、A5ランクのロースやヒレを六花と詩音は、きゃっきゃと笑いながら焼いている。その二人に工藤さんはタブレットの背面を向けて、俺に話しをして来た。
「新製品の初号機は、社長の一存で無償で提供されることになったよ。取材でも来れば、それだけの価値はあるんだろうけど、相手は寝た切りだからね。せっかくだから海里君が、直接手渡してみるのはどうかな?」
「こういうことは初めてじゃないけど、自力で動けない人は経験ないですね。それなりに、対応を考えないと」
「部分的に多少は動くらしいんだけど、支援機器の類はアバターとは別に作らないといけないからね。また利益を度外視して、社長はどういうつもりなんだか」
相変わらず、社長である母親の方針には不満があるようだ。でも、それは先代の社長、つまり俺の父親が社長だった頃から言っていたことだ。特に反対をしているということではないらしい。
実は話している内容と、タブレットに表示されている内容は、全くの別物だ。話している内容も事実なのだが、タブレットの方は詩音に悟られないように、工藤さんが機転を利かせてくれている。
阿吽の呼吸でそんなことが出来るのも、俺が初心者の頃から、工藤さんがマンツーマンで教えてくれたからだろう。
俺はタブレットに表示されている図面を見ながら、
「了解です」
と答えて、画面の手前でOKマークを作っていた。
詩音を先に自宅まで送り届けるのは最早、恒例となっている。
家を出る時に彼女は、今晩は夕食は要らないと言ったらしい。高級な焼き肉を鱈腹食べて、優越感に浸れただろうか。
俺と違って、詩音には成人した姉が居る。これが似ても似つかない姉妹で、物産展のバイヤーを任されるほどの有能な人物だ。
優秀な姉を持つと、自分は期待されていないと思ってしまうのかもしれない。
マンションの建設現場の横を通る時に、周囲は暗くなっているにも関わらず、無灯火のワゴン車が正面から走行して来た。
この辺りは車道と歩道の段差がなく、ガードレールもないから、俺達はきちんと右側を歩いていた。片側が一面、仮囲い壁に阻まれて、逃げ場所がない建設現場を通るのを待ち構えていたのだろうか。
咄嗟に六花は詩音を突き飛ばして、反対側の肩で俺を壁に押し付けた。
ワゴン車は減速することもなく、かすめるようにして目の前を通り過ぎて行く。壁側に居た俺ですら、風圧を感じたほどだ。背中を俺の体に押し付けて、ギリギリでかわした六花は本当に危なかった。
「うわっ、死ぬかと思った…」
「当たり前です。向こうは、そのつもりなんですから」
俺は六花のことを言ったのだが、彼女は勘違いをしているようだ。だから、イラッとしたのかもしれない。
「そういうこと、言うなよ。詩音に聞こえるだろう」
「聞こえてるよ!」
尻餅をついた詩音は、立ち上がると何とも言えない表情で、壁に押し付けられたままの俺に迫って来た。
「どうして、私には何も話してくれないの!海里君が言ってた、誰もが平等な世界を見たくて頑張ったのに!海里君と同じ学校へ行きたくて、頑張って、頑張って、頑張って、勉強したのに!」
目に涙を溜めて訴える詩音に対して、俺は間に六花を挟んだまま手を伸ばし、その頭を撫でていた。傍から見れば、きっと痴話喧嘩だと思われるかもしれない。
「ごめん…ちゃんと話すよ」
詩音は涙が零れ落ちた顔を隠すこともなく、じっと俺を見据えたままで、六花は横にスライドするように移動した。
「この間の人型兵器の銃撃。あれは多分、俺じゃなくて詩音を狙ったんだ。今のワゴン車も嫌がらせだろう」
「私が知ってる人…?」
「それは、捕まえてみれば分かることだ。多分、ミリタリー系のイベントに出て来る筈だから、工藤さんに捕縛用の人型兵器を頼んでたんだ。俺が使うつもりだったけど、詩音に任せるよ」
「うん…人型兵器のパイロットは、小柄な方が有利だからね…」
だから俺が使うつもりだったのだが、アバターのことは、その時になれば分かることだ。敢えて今、説明する必要はないと思っていた。
暫くは建設現場の周りをグルグル回って、詩音の気持ちが落ち着くのを待っていた。これでも一応男だから、娘が泣きながら帰って来たら、どう思われるだろうか。
たっぷり時間を掛けて、詩音を自宅まで送り届けてから、やっと俺と六花は歩いて駅へと向かう。
「ちょっと、強引でしたね。ワゴン車の話しは、辻褄が合ってないですよ」
「俺達には、犯人像が見えてるからな。でも、詩音には分かってないだろう。それで、運転手の顔は見たのか?」
「暗くて、よく見えませんでした。でも、ナンバープレートは確認しています。『わ』ナンバーでした」
「レンタカーか。どうせ、また同じパターンなんだろうな」
「私も、そう思います。一応、エージェントに伝えて、確認はしてもらいますけど」
「これで犯人は、学校関係者の可能性も高くなったな。詩音の自宅の近くで待ち構えてるなんて、そんな情報どこで仕入れるんだよ」
「そうですね。でも、それでは動機が薄いです。ワルハラの経営者が交代したところで、何の影響があるんでしょうか」
「それもそうだな。合計六ヶ月も契約を延長したから、ベッドでも注文するか。いい加減、簡易ベッドじゃ護衛にも支障が出るだろうし」
「何の話しですか。本当に緊張感のない人ですね」
「要らないなら、別にいいけど」
「要らないとは言っていません。安眠も重要な仕事ですから、お願いします」
「ああ、了解だ」
初めて六花と会った時の、あの淡々とした物言いは、今ではもう聞けなくなってしまった。それはそれで、良いことなのかもしれない。
* * *
四時限目の授業が終わって、真っ先に教室を飛び出して行くのは、腹ペコの男子達だ。学食の人気メニューには限りがあるし、購買部で人気のパンはすぐに売り切れる。
俺はそんな競争に勝つ自信はないから、別に余り物でも構わない。すぐには席を立たないようにしていた。
すると、例の女子二人が六花を誘いにやって来た。
「小泉さん、一緒に学食、行かない?」
「分かりました」
「あれ?今日は、あっさりOKだね」
「海里が何か、することがあるみたいなんです。私が居たら、恥ずかしいんでしょうか」
「ああ…」
二人の女子は何かを察して、特に食い下がることもなく、六花を連れて教室を出て行った。
クラスの生徒の半分くらいが教室を出て行った後に、俺は席を立って比較的、前の方にある松崎さんの席へと進んで行く。
「松崎さん」
松崎さんは自前の弁当を持っている筈だから、席に着いたままだ。俺が近付いて来たことに気付いていなかったのか、彼女は一瞬ビクッとなってから振り返った。
「あ、仁藤君、小泉さんは?」
「ノアとサッチーに連れて行かれたよ」
「あ、そうか。あの二人、学食だからね」
「これ、この間のお弁当のお礼だから」
そう言って俺は、制服のポケットから手のひらに乗るほどの大きさの、透明な袋に包まれたクッキーを取り出した。巾着袋のように上の部分を絞って、リボンを結んであるのは初めからそうなっている。
こういう時に何を渡せば良いのかよく分からないが、高価な物を渡しても却って恐縮してしまうだろう。バレンタインデーのお返しには、クッキーとかマシュマロとかって聞いたことがあるので、取り敢えず俺も好きなクッキーにしておいた。
松崎さんは、両手でそれを受け取る。
「あ、ありがとう…」
「それじゃ」
「あ、仁藤君…」
さっさと、その場を去ろうとする俺を、松崎さんは呼び止めた。
「もし良かったら…」
「良かったら?」
「駅の反対側に…」
「反対側に?」
俺が復唱しているのは、次の言葉が出て来るまでに、ちょっと間があるからだ。
「美味しいクレープ屋さんがあってね。仁藤君って、甘い物はどうかなぁって…」
「ああ、ごめん。甘い物は好きだけど、今日はメタバースでイベントがあってね。VR仲間と約束してるから、早く帰らないと」
「VR仲間って、この間作ってたアバターの?」
「そうだよ。狐のアバターだから、ミリタリー系のゲームでは、結構な有名人でね。さすがにメタバースでは、それはないだろうってことで作り直してたんだ」
「そ、そうなんだ…メタバースでも、ミリタリー系のイベントやるんだ。こんなこと聞いたら、変に思われるかもしれないけど…」
「別に聞かれて困るようなことなんてないけど」
「あのアバターって、女の子だったでしょう?」
「ああ、そうだな」
「メタバースって、性別は変えられないんだよね」
「ああ、そうだよ」
「付き合ってるのかなぁなんて…別に、変な意味じゃないからね」
「もう三年も一緒にゲームやってるから、気の合う仲間ではあるよ。でも、恋人とかカップルって意味なら、それは違うかな。向こうは、どう思ってるのか知らないけど」
「そうなんだ…」
「じゃあ、俺は学食へ行くから」
「うん、私はお弁当だから」
俺は一旦、後方まで下がってから教室を出て行く。廊下の先には、窓から外が見える位置の壁にもたれ掛かって詩音が待っていた。
「いいか、詩音。今晩、決行するぞ」
「うん、ミリタリー系のゲーム、久し振りだね」
「ゲームじゃなくて、イベントだろ。フィールドが狭いし、制約も多いぞ」
「全然、問題ないよ」
詩音はいつも弁当を持っているから、学食へと向かって歩いて行く俺とは反対に、ひょこひょこと教室へ戻って行った。