第07話 世を忍ぶ仮の姿
円卓の空いている席に着いたユキさんは、六花と詩音を交互に見ていた。
「どっちが、海里君の従妹?」
「私です」
六花は自分の胸の辺りで、小さく手を挙げた。
「それじゃ、こっちの小さくて可愛い子が彼女ね」
「そ、そ、そ、そんな…私が海里君の彼女なんて、烏滸がましいです…」
詩音が俺の彼女だと言った覚えはないが、ユキさんも本気で言っている訳ではないから、特に否定はしなかった。
ユキさんは薄手のジャンパーのファスナーを半分くらい下げると、中に着ていたポロシャツの胸ポケットから、透明なプラスチックのケースに入ったメモリーチップを取り出した。
ケースの上に指を乗せたまま、円卓の上を滑らせるようにして、それを俺の目の前に置く。手のひらに乗るくらいの大きさだが、メモリーチップ自体は小指の爪ほどの大きさだ。
これもDNAチップと同じで、未使用の状態では名刺ほどの大きさのカードになっている。しかし、これはユキさんが使っていた物なので、中央のチップの部分しかない。小さい物だから、程良いケースに入れて来たのだろう。
「これ、好きに使って。海里君が納得したら、返してくれればいいから」
「本当にいいの?メイドカフェのシフトに、入れなくなるよ」
「店長には、暫く休むって話してあるから」
話しが見えない六花は、身を乗り出してプラスチックケースを覗き込む。
「何ですか、それは?」
「性別解除プログラムだよ」
「性別解除???」
「詩音、説明してあげて」
「あ、あの…メタバースには、アバターの性別を変えられないっていう決まりがあるの。その機能はVRインターフェースに組み込まれてて、遺伝子レベルで判別してるから、ユキさんは男性だと判断されてるんだと思う」
「そう。だから、性別解除プログラムってのがあるんだけど、悪用を避けるために一般には流通してない。それなりの証拠を持ってメーカーに申請すれば、無償で提供されるんだけどな」
「つまり、そのプログラムがあれば、アバターの性別を変えられるってことですか?」
「そういうこと。女性であることは、ユキさんのアイデンティティーなんだ。性別適合とか言っても、遺伝子レベルでは拒絶される。それは、ワルハラの社長さんも本意ではないと思うよ」
「話しは理解できましたけど、海里がそのプログラムを使うつもりなんですか?」
「あ…それについては、追々、説明するから」
六花の視線が詩音の方へ向いて、またすぐに元へ戻る。彼女は理解が早くて、本当に助かる。
「ユキさんは、そんな大切な物を海里に貸してもいいんですか?」
「私がシャングリラでメイドを始めた切っ掛けは、海里君だからね。たまたま、お店に来てた時にアバターを作れるって聞いて、お願いしたの。わがままな注文も嫌な顔一つせずに聞いてくれたから、彼が困ってるなら私は助けてあげたい」
「分かりました。従妹として、誇りに思います」
「それはどうも、ご丁寧に」
大切な物だから、無くしたり盗まれたりしないように、俺も一番内側に着ているシャツの胸ポケットに、メモリーチップのケースを入れた。
「あ、あの…海里君と知り合った時のこと、教えてもらってもいいですか?」
珍しく、詩音の方から話し掛けている。
「あはっ、彼のこと気になるんだ。女の子みたいな顔してるから、羨ましくてね。どこのお坊ちゃんかと思ったけど、話してみたら普通の男の子だったわ」
「そ、そうですよね。私も普通の男の子だと思ってました」
俺の母親がワルハラ・ドットコムの経営者だということを知っているのかどうか、確かめたかったのだろうか。
詩音もそのことを知ったのは、父親の葬儀に参列した時だ。社葬だったから、人数の多さに、内気な彼女は逃げ出したかったかもしれない。それでも、じっと耐えて最後まで居てくれたことを、はっきりと覚えている。
帰りは詩音を自宅まで送り届けてから、俺と六花の二人でアパートへ帰る。俺の実家も近くにあるのだが、特に用事はないのでスルーしていた。
「メモリーチップのことを、説明してもらえますか?」
まだ駅にも到着しない内に、道路を歩きながら六花がそう言った。
「人型兵器の射撃に、違和感があるって話しはしただろう。もしかしたら、俺じゃなくて詩音を狙ったのかもって思ったんだよな。だとすると、理由は何だと思う?」
「それは多分、嫉妬ですね」
「やっぱり、そうだよな。だから、詩音のために作ってたアバターを、俺が使おうと思ったんだ。アバターは一度登録すると、IDロックが掛かるから他人は使えない。俺が使ってしまったら、もう詩音には使えなくなるけど、それはまた作ればいい話しだし」
「それは海里が、囮になるということですか?」
「えーと…そういう言い方も出来るかな」
「お人好しにも、ほどがありますね。でも、それが事実だとすれば、強盗に襲われた時に詩音ちゃんは居ませんでした。脅迫状の犯人とシャングリラの犯人は、別人ということになりますけど」
「ああ、だからシャングリラの方は、無理に協力しなくてもいいよ。ターゲットは俺じゃないし、リアルで危害を加えられる訳でもないし」
「いえ、海里に同行するのは、ボディーガードとしては当然の義務です。ただし、協力するには条件があります」
「ああ、そうだな。何でも言ってくれよ」
「お母様に言って、ボディーガードの契約を延長してください。七瀬が海里のことを気に入っているので、喜ぶと思います」
「六花はどうなんだ?」
「はい?」
「六花は、どうなのか聞いてるんだよ。ボディーガードを延長して、嬉しいと思ってくれるのか?」
「私は普通に、女子高生もやってみたいんです。コロコロ学校が変わったのでは、それも叶いません。海里がその願いを叶えてくれるなら、協力は惜しまないつもりです」
俺は立ち止まり、思い切り溜め息をつく。やっと、六花の本音を聞けたような気がしていた。
「実家が近いから、直接交渉するか。今日は帰りが遅くなるって、七瀬に連絡しといてくれよ」
「ありがとうございます」
俺は向きを変えて、今来た道を引き返して行く。そんな俺の横に、六花が寄り添うようにして歩いて行った。
* * *
シャトルでシャングリラに到着するのは、これで二回目だ。新しいアカウントを作れば、必然的にこうなってしまう。
詩音が狐のキャラクターを諦めて、アバターを変えてくれるように、随分と気合いを入れて作ってしまった。
俺としては左右非対称がテーマで、ツインテールの結び目が左右で違う位置にあるし、メッシュの色も左右で違う。そして、アイシャドウの色も左右で変えていた。
詩音は顔立ちが整っているから、磨けば光るんだということを本人に分かってほしかった。そのために作ったアバターなのに、結局は自分で使うことになってしまった。
無重力の宇宙港をフワフワと漂っても、迎えに来た六花は、すぐには俺だとは気付かない。
「六花」
慌てて六花は、一回り小さくなった俺の体を受け止めた。ウエストの辺りに腕を回されて、抱き締められているような体勢だ。
「まんま詩音ちゃんですね。何ですか、その格好は」
「詩音のアバターにするつもりだったんだ。こんな格好も、彼女に似合ってると思わないか?」
「同性である私をときめかせるなんて、悪魔の所業ですね。天罰が下りますよ」
「何でもいいから、離してくれよ」
「無理です」
「どうして?」
「私の足も、床から離れています」
「あぁ、もう仕方ないな」
俺は六花に抱き締められたまま、グランドスタッフの女性に手を振る。空港で働いているスタッフは大体AIだが、この際そんなことはどうでも良い。
「お客様、どうかされましたか?」
「無重力に慣れてなくて、方向が定まらないんです」
「そのままで、お待ちください」
グランドスタッフの女性は、大工が使うネイルガンのような物を腰から下げていて、先端に磁石が付いたワイヤーをそこから発射した。
魚が釣られるように俺たちの所まで来ると、手を差し出してキャッチしてくれる。
「どちらへ行かれますか?」
「高速エレベーターへ、お願いします」
「承りました」
一旦、ワイヤーを巻き取ると、また別の方向へ発射して、俺達も一緒に引っ張られて行く。
「こんな便利な道具があったのか。知らんかったわ」
「海里でも、知らないことがあるんですね」
「俺と詩音なら、グランドスタッフのお世話になるようなことはないからな」
「それは、失礼しました」
グランドスタッフの女性が、俺達を高速エレベーターに乗せてくれた。最初の加速で、思い切り床に足が着く。本来の俺よりも体重は軽い筈だが、加速度が同じ場合に体に掛かるGは同じだ。
地表が近付いて来た頃に俺のウィンドウが開いて、メッセージが届いた。スマホやVRインターフェースとの連携機能ではなく、単純なメタバースのメッセージ機能だ。
「工藤さんが、焼き肉を奢ってくれるってさ」
「工藤さんって、あの無愛想な人ですね」
「悪い人じゃないんだけどな。友達も連れて来ていいってことだから、六花は当然として、詩音と、あとは七瀬も誘ってみるか?」
「この間のような強盗が襲ってきたら、私は最優先で海里をガードします。詩音ちゃん一人くらいならフォロー出来ますが、七瀬は見捨てることになります」
「ごめん…じゃあ、三人で返事しとくよ」
「気にしないでください。そういう仕事ですから」
俺がウィンドウを閉じると、六花はある事に気付いた様子だ。
「ちょっと、待ってください。新しいアカウントを作ったんですよね。どうして、工藤さんからメッセージが届くんですか?」
「脅迫状とは別件だからな。事情を説明して、協力してもらったんだ」
「軽率ですよ。まだ、別件とは確定していないのに」
「会社としても、荒らしを放置できないんだよ。裁判沙汰になる前に、何とかしないと」
「何ですか?荒らしって」
「ルールを無視したり、悪質な行為を行うユーザーのことだよ。企業は自己防衛のために、天文学的な数字の損害賠償を請求することもある。未成年の場合には、保護者がその責任を負うことになるんだ。結局は企業側が告訴を取り下げるパターンが多いんだけど、ネットでは人物が特定されて顔や名前が晒される。迷惑行為で有名になった人を誰が雇いたいと思うんだ?そういうのを人生が終わったって言うんだよ」
「差し出がましいことを言ってしまいました。忘れてください」
「助かるよ」
「その声、何とかなりませんか?詩音ちゃんと話してるみたいです」
「この見た目で太い声で喋ったら、却って不自然だろう」
「海里の声だって、大して太くはありませんよ。むしろ、高い方です」
「そうか、気付かんかったわ」
高速エレベーターが地表へ到着すると、六花は俺に手を差し出した。
「あ、申し訳ありません。詩音ちゃんのつもりで、つい」
「いいよ、せっかくだから手を繋ごうか。その方が犯人を徴発できるだろうし」
「そうですね」
相手が誰であろうと、シャングリラで手を繋いでも案外、照れないものだ。六花は現実でも詩音と手を繋いでいたから、何とも思わないのだろうか。
もしかしたら、詩音が一人でログインして来る可能性も無くはないので、いつもの噴水広場やセントラルパークは避けていた。
一朝一夕に行かないことは分かっている。でも、人型兵器に銃撃された時に六花も居たから、ユーザーIDは把握されている筈だ。俺と六花がログインしていることだけでも認識されれば、それで良いと思っていた。
「イベントスペースって、いくつあるんですか?」
「採光窓で区切られた三ヶ所が、縦軸方向に三ヶ所あるから、合計で九ヶ所だな」
「どれか一つでも、イベントをやってないんですか?」
「あー、別にイベントに拘らなくても」
六花は立ち止まって、チラッと俺の方を見た。煮え切らない態度を不審に思ったのか、自分でウィンドウを開いて検索する。
「私だって少しは、勉強してるんですからね」
「だから、イベントに拘らなくても…」
「第五区で、魔法少女が悪の組織と戦うイベントをやりますね」
「へえ、知らんかった…」
「とぼけても無駄です。行きますよ」
「ログインする時は、前回の続きになるから、また戻って来ないといけなくなるだろう」
「構いませんよ。大した距離じゃありませんから」
「ひえっ…」
第五区へは、リニアモーターカーで二駅程度だ。俺は六花に引っ張られながら、駅へと向かう。やっぱり、避けて通れないらしい。
シャングリラでの公共の交通機関は、全て無料だ。ただし、現実で勘違いして無賃乗車をしないように、有り得ないほど未来的で、非現実的なデザインをしている。また、駅のホームも現実とはまるで違う。
覚悟を決めて、俺は六花と共にリニアモーターカーに乗り込んだ。
第五区のイベントスペースは、ロンドンの古い街並みだろうか。明言はされてはいないものの、ホワイトチャペル地区もCGデザイナーが遊び心で再現しているらしい。
作った本人から直接聞いたのだから、あることは間違いない。ただ、それがどこにあるのかまでは教えてくれなかった。
こんなことになるなら、切り裂きジャックのイベントも見ておけば良かった。俺の個人的な予想では、犯人はフランシス・タンブルティだと思っている。
「ファイナル・イリュージョン!」
ラスボスの女王を倒した俺は、表彰台の上で自分は何をやっているんだろうと、頭を抱えていた。