第04話 天国に一番近い会社
学校が終わってから、俺は六花を連れて母親が代表取締役を務める会社へと向かっていた。発売前の新型VRインターフェースを借りるためだ。
シャングリラに六花を連れて詩音と会わせるためには、もう一台VRインターフェースが必要になる。
別に新型である必要はないのだが、以前から俺は、試作品などを使わせてもらっていた。発売が間近の商品なら、貸してくれるだろうと思っていた。
「ワルハラ・ドットコムですか。大きな会社ですね」
「六花が母さんに会ったのは、自宅の方か。会社へ来るのは初めてか?」
「はい。ご自宅の方は普通でしたけど」
「家が広くても掃除が大変なだけだって、母さんが言ってたよ」
電車を乗り継いで、やって来たのはIT企業ばかりが入った雑居ビルで、母親が代表を務める会社は複数のフロアを専有している。
エレベーターに乗って受け付けまで行くと、二人分の社員証を受け取った。それが入ったパスケースを首からぶら下げて、二人だけで社内を進んで行く。
IT企業は企業秘密の塊なので、本来なら社内を勝手に歩き回らないよう、広報の社員が付いて回る筈だ。しかし、俺は度々会社を訪れて顔も覚えられているから、そこはスルーされていた。
広大なフロアにデスクとパソコンが並び、社員が仕事をしている。部署による仕切りはなく、天井から部署名が書かれたプレートがぶら下がっているだけだ。
会社の事業である、VRMMOやメタバースのサーバーもビルの中にはない。災害などで機能が停止するリスクを避けるために、複数のデータセンターに分散して保存されている。
セキュリティが厳重な部署は別のフロアにあり、社員ごとに入れる部屋と入れない部屋の区別がしっかりとされている。
その中でも俺は、ハードウェアの開発室に用事があったのだが、その前に社長である母親に挨拶しておくことも忘れてはいない。
フロアの一番奥にある社長のデスクまで行くと、俺よりも先に六花が深々と頭を下げて挨拶をする。
「叔母様、お世話になっています」
従妹という設定だから、六花にとっては叔母になるだろう。
従業員の中にも六花の仲間が一人紛れ込んでいる筈だが、新入社員は行動がかなり制限される。それが誰なのか俺には分からないが、六花は当然知っていると思う。でも、それを全く顔に出してはいない。
「どう、海里とは上手くやってる?」
「はい。色々と面倒を見てもらって、助かってます」
「小さい頃から女の子には、優しくしろって言い聞かせてるからね。お部屋が片付いた後の話しだけど、六花ちゃんさえ良ければ、ずっと居てくれてもいいんだよ。勿論、お小遣いは出すからね」
「私は構いませんけど、海里はどう思っているんでしょうか」
「海里の気持ちなんて、どうでもいいよ。この子は親の言うことなんて聞かないんだから」
要約すると、脅迫状の件が解決した後も継続してボディーガードを依頼したい。六花は了解だから、母親は強引に事を進めるということだろうか。
こんな美少女のボディーガードを母親が送り込んで来たのも、俺が追い返したりはしないという確信があったからだろう。
「今日は開発室の工藤さんに、用があって来たから」
「ああ、話しは聞いてるから、さっさと行っておいで」
言われなくても、開発室の方へ行こうとする俺とは違って、六花はきちんと頭を下げながら挨拶をする。
「失礼します」
一旦、フロアを出てからエレベーターに乗り、一つ上の階へ移動する。殺風景な廊下の先に部屋がいくつかあり、監視カメラに見守られながら、俺達は進んで行った。
一番奥の部屋はハードウェアを開発する部署で、厳重な扉の横にはアクセスコントロールパネルがある。
俺と六花の社員証はゲストIDだから、これでは中に入ることは出来ない。リクエストボタンを押して暫く待っていると、中から工藤さんが扉を開けてくれた。
開発室の中へ入ると、下のフロアとは打って変わって、雑然とした風景が目に飛び込んで来る。部屋の広さの割に人数が少なく、十人に満たない程度だ。
そこの責任者が工藤さんで、年齢は三十代後半だと思う。
「やあ、海里君。その子が従妹?」
そう言われて六花は、先程と同じように頭を下げた。
「小泉六花です」
「海里君の従妹だから入れたけど、この部屋の中にある物には触らないでくれるかな」
「はい、分かりました」
悪い人ではないのだが、製品の発売前は責任者という立場上、嫌味なことも言わなければならない。そんな言葉に六花は、嫌な顔一つせずに答えていた。
何の説明もなく部屋の中を進んで行く工藤さんの後に続くと、作業台の上にはVRインターフェースの箱が置いてあった。商品名や写真も印刷されていて、中身も入っているようだ。
工藤さんは箱の中から、綺麗に梱包されている商品を取り出して俺に渡してくれた。
通常のVRインターフェースはリング状の形をしていて、目と耳を覆いながらコントロールユニットは後頭部に付いている。だが、新商品は耳に当たる部分から直角に曲がり、頭頂部にコントロールユニットが来るようになっている。
これは、寝たままの状態で使えるようにした商品だ。
「可動式にするのかと思ってたけど、固定なんですね。これだと、椅子に座った状態では使えないんじゃないですか?」
「可動式は製造コストが掛かるんだよ。これでも通常版よりはコストが高いんだけど、それよりも安く販売する予定だそうだよ。まったく、社長は何を考えてるんだか」
俺にそんなことを言われても、何の権限も持っていない。社長である母親に進言することくらいは出来るかもしれないが、そんなつもりもなかった。
「それから、六花のDNAチップも、お願いしていいですか」
「ああ、そうだね。ちょっと、こっちに来てくれるかな」
六花は訳が分からない様子で工藤さんに付いて行くと、綿棒で口の中を擦られていた。それをパソコンに接続されたDNA読み取り機に入れた後、次にDNAチップをライターに入れてデータを書き込む。
未使用のDNAチップはスマホのSIMカードのようにカードになっていて、中央部分だけを切り離して使う。何の説明もなく、六花はそれを渡された。
自分が分かっているから、相手も分かっていると思うのは、エンジニアの悪い癖だ。彼女は俺の所まで戻って来ると、その目が助けを求めていた。
「スマホのSIMカードと、使い方は同じだよ。それが無くても動作はするけど、アカウントが作れないんだ」
「分かりました…」
工藤さんが新型のVRインターフェースを緩衝材に入れて再び箱に詰めると、その箱を俺に渡してくれる。
「いつまでに、返せばいいですか?」
「ああ、また連絡するから、自由に使ってていいよ」
「助かります」
話しが終わると、六花だけが丁寧に頭を下げて、俺達は開発室を出て行く。扉までの短いストロークにも工藤さんが付いて来て、ロックを開けてくれた。
エレベーターで下の階へ下りて、受け付けで社員証を返すと、再びエレベーターに乗る。そのまま一階まで下りて、俺達は雑居ビルを後にした。
電車に乗って地元の駅まで帰って来ると、閑静な住宅街を歩いていた。一つ隣りの駅は特急も停まり賑わっているが、アパートに近い駅は無人で、利用客もそれほど多くはない。
VRインターフェースの箱は鞄に入らないので、俺はそのまま手で持っていた。
「VRインターフェースのことはよく分かりませんが、需要があるから発売するのではないんですか?」
そんな話しをしながら俺と六花は、アパートの方向へと進んで行く。この辺りはまだ人通りがあるが、この先はもっと閑静になる。
「これは、難病で寝たきりの人のために開発したんだ。『誰もが平等な世界』っていうのが、死んだ父さんの理想でね。母さんは、その想いを受け継いでるんだよ」
「そうなんですか。素敵な、お父様だったんですね」
「ああ、一人暮らしをするだけの価値はあるだろう」
「でも、開発室の人は、お母様に反感を持っているような口振りでしたけど」
「理想は、あくまでも理想だよ。それを望まない人も居るってことさ」
「そうですね。会社のことは私の範疇ではないので、海里の身辺に注力します」
六花は俺のボディーガードで、会社の方は別の人員が担当している。初めは、こんな美少女と同居することに戸惑っていたのに、いつの間にか違和感を感じなくなってしまった。
公園を通り抜けて、車道と歩道の区別もない道路を歩いていると、反対側からスタジャンのポケットに両手を突っ込んだ、若い男が歩いて来た。
住宅街だから俺は大して気にしていなかったのに、六花は常に警戒を怠ってはいないらしい。
「海里、私の後ろに下がってください。右手に何か持っています」
俺は言われた通りに、六花の後ろへ下がる。そのまま通り過ぎてしまうパターンもあったのだが、その男は立ち止まって俺達に声を掛けて来た。
「へえ、美男美女のカップルか。今時は、こういう中性的な男がモテるのかなあ」
「退いてもらえますか。知らない人と話しをするつもりはありませんので」
「お前じゃなくて、彼氏の方に用があるんだよ。金、持ってるんだろう?育ちが良さそうだもんな」
そう言って男がポケットから両手を出すと、右手に持っていたのはバタフライナイフだった。
二つに別れる柄の片方を持って半回転させ、収納されている刃を展開する。そのアクションには、威嚇の効果もある。
しかし、六花はその僅か数秒の間に、背中に担いでいたバッグの底から、特殊警棒を取り出していた。
バッグの開口部は上にあるのだが、専用の取り出し口が作ってあるのだろう。三段階に伸縮する特殊警棒を振ると、シャキンと伸びて二倍以上の長さになった。
男がナイフの先端を六花の方へ向けるのと同時に、彼女は特殊警棒を振り下ろして叩き落とす。落としたナイフを蹴飛ばすと、それは男の背後へと滑って行った。
何が起きたのか男は理解できないまま、間髪入れずに六花は片脚を頭上まで振り上げて、男の脳天へ振り下ろした。極真空手の踵落としという技だ。
靴の中に金属でも入っているのだろうか。ガチンという音が響いて、男は仰向けに倒れた。
それでは終わらずに、六花は男の左右の二の腕を踏みつけるようにして立ち、特殊警棒の先端を男の口の中へ突っ込んでいる。その体勢ではスカートの中が見えそうだが、踵落としをするくらいだ。中に履いているのだろう。
「誰に頼まれたんですか?」
「うがが…」
「誰に頼まれたかと聞いているんです」
「うげっ…」
六花が特殊警棒を引き抜くと、男はゲホゲホと暫くの間むせていた。
「もう一度、聞きます。誰に頼まれたんですか?」
「し、知らない…ネットで募集してたんだ…報酬は前金で半分と、残りの半分は公衆トイレで受け取ることになってる…」
「闇バイトですか。端金欲しさに警察のお世話になるのは関心しませんね」
警察と聞いて男は逃げようと身動きするが、再び特殊警棒を口の中へ突っ込まれて、オエッと嗚咽する。
六花は左手でスマホを取り出すと、男から目を離さないようにしながら、電源ボタンをカチカチと数回押した。スマホに備わっている、緊急通報の機能だ。
「警察ですか。今、刃物を持った強盗に襲われて、犯人がまだここに居るんです。すぐに来てもらえますか。野々山公園の南側です」
怯える少女のような声で警察への通報を終えると、六花はまた元の口調へ戻る。視線は男に向けたままだが、俺に話し掛けていた。
「十分くらいで警察が来るそうです。この人が真犯人と接触することはもうないと思いますから、私がボディーガードだと知られても問題はないでしょう」
「そんなことよりも、六花は大丈夫なのか?」
「問題ありません。素人相手に、ちょっと本気を出し過ぎました」
「そうか。怪我がなくて良かった」
「それは、私のセリフです」
刃物を持った強盗ということで、五分ほどでサイレンを鳴らしながらパトカーが到着した。でも、もう犯人は取り押さえてある。
二人の警官に男を引き渡して、何となく六花が事情を説明したのだが、警官は女子高生が犯人を取り押さえたことに納得が行かない様子だ。
警官の一人が、パトカーの無線機で問い合わせている。
「パトカー23、現着。強盗の被害者による現行犯逮捕が発生。被害者は高校生の男女二人。氏名は仁藤海里と小泉六花。ただし、過剰防衛の可能性があり、事情聴取が必要と判断。指示を待つ」
「パトカー23、こちら本部。その件については既に保護者から相談があり、自費で護衛を付けているとの情報がある。問題なしと判断。現場から離脱しても良い」
無線機の音声は聞き取り難かったが、大体の内容は分かった。どうやら母親が、脅迫状の件で警察に相談していたらしい。しかし、警察は事件が起きてからでないと動かない。
脅迫状の一件は母親が、俺を実家へ戻すための狂言だという考えもあった。でも、さすがに狂言で警察へ相談はしないだろう。
母親の狂言だという線は消えたが、逆に言えば脅迫状が本物だということだ。
無線機で問い合わせていた方の警官が俺達の所へ来て、
「君達、もう帰っていいよ。時間も遅いから、気を付けてな」
そう告げられた。
今日は何度も見ている六花のお辞儀のあとに、俺は肘を掴まれて引っ張られるようにして、その場を離れて行った。