第21話 少年と少女
俺と六花はファミレスで遅めの昼食を取ってから、暫く街をブラブラしていた。白石先生の奥さんにアポイントを取ったところ、夕方にならないと自宅には居ないということだった。
白石先生とは別居しているのだから、昼間は仕事をしているのかもしれない。登校拒否の卓也君は、その間は一人切りだろうか。俺がとやかく言うようなことではないが、防犯上の問題から、自宅に子供が一人だということは言わない方が良いと思う。
建て前としては、偶然シャングリラで卓也君と知り合ったことにしている。でも、俺が白石先生のクラスの生徒だと告げると、あっさりとお宅へ伺うことを了承してくれた。
わざわざ自宅まで、出向くと言っているのだ。白石先生が起こした、暴力事件の被害者だということくらいは察しがつくだろう。
俺の目的は脅迫状を作ったと思われるパソコンを調べることだから、話しが早く済みそうで有り難い。
白石先生の奥さんが住むアパートの近くまで来てから、近くの商業施設で時間を潰していた。そして、子供が喜びそうなシュークリームを買って、手土産として持って行く。
以前、俺が住んでいたのは一棟だけの、住宅街にあるアパートだった。それに比べると、同じ敷地内に複数棟が並ぶ団地で、敷地内には公園もある。
鉄筋コンクリートの建物の階段を、俺は六花に手を引かれながら、四階まで上って行く。四階建てというのは、エレベーターがなくても許されるギリギリの階数だ
「情けないですね。これくらい、女の子でも普通に上れますよ」
「まだ、体調が万全じゃないんだよ…」
「私が海里の母親だったとしても、一人暮らしはさせたくないですね」
四階まで上ると、廊下を歩いて一番遠い部屋まで進んで行く。登校拒否の原因は、これなんじゃないかと思うくらいに、建物に入ってから部屋へ辿り着くまでのストロークが長かった。
六花がチャイムを押すと、特に返事もなく少しの間があってドアが開いた。子供が小学生だけに若い奥さんだが、メイクや服装が少し派手な印象がある。
その奥さんに対して、俺は軽く会釈をした。
「先程、お電話した仁藤海里です」
「ああ、うちの旦那の生徒さんだったわね。入って」
玄関の中へ入ると、六花が待って来た箱を差し出した。初めから箱に入っている商品なので、パッケージでシュークリームだということは分かる筈だ。
「これ、良かったら卓也君に」
「あら、悪いわね。あなたが卓也の言ってた、お姉さんでしょう。あの子がリアルで人に会うなんて、珍しいこともあるもんだと思ったけど、分かるような気がするわ」
奥さんの後に続いて玄関から奥へと進むと、リビングのような部屋に小学校の高学年くらいの少年が居た。アバターは本人をスキャンしただけで、何も手を加えていないのだろう。すぐに、卓也君だということは分かった。
「卓也、お姉さんがシュークリームくれたわよ」
現実の六花を見た卓也君は、パッと表情が明るくなる。
「すげー、アバターと同じ顔だ。リアルでもヒモパン、履いてるの?」
「あれは、現実には存在しない下着なのよ。早く忘れなさい」
いや、詩音が集めた資料から忠実に再現した物なんだが、敢えて反論はしなかった。
登校拒否というと、引きこもって部屋から出て来ないようなイメージがあったが、そうでもなさそうだ。
奥さんはシュークリームの箱を、卓也君の前に置いた。即座に彼は箱を開けて、中を確認している。個別包装がしてあり、翌日にも持ち越せると思って、大きめの箱入りを買って来た。
「良かったら、あなた達も一緒にどうぞ」
「あの、俺は…」
「ああ、パソコンだったわね。奥の部屋に置いてあるから、こっちに来て」
「六花は卓也クンの相手をしててくれよ」
「分かりました」
リビングでソファーに座った六花を尻目に、俺は奥さんの後に付いて行った。広さは以前に俺が住んでいたアパートと大差はなく、リビングと繋がっている部屋が一つと、扉がある部屋がもう一つあるだけだ。
扉がある方の部屋へ入ると、そこは卓也君の個室だろうか。決して広いとは言えない小部屋に勉強机とベッドが置いてあり、ハンガーラックには洋服が掛けてある。
奥さんは勉強机の本棚に、教科書と一緒に立て掛けてあったノートパソコンを取り出して、机の上に置いた。
「どうぞ」
「すみません。色々と面倒をかけて」
「あなた、旦那が起こした暴力事件の被害者なんでしょう?申し訳ないけど、離婚協議に有利に働いて、有り難いと思ってるのよ」
「はぁ…そうですか…」
奥さんが俺に協力的なのは、パソコンに何らかの証拠があるから、それを探しに来たということが分かっているからだろう。
俺の勝手な想像だが、離婚を申し出ているのは奥さんの方で、白石先生はそれに応じないといった感じだろうか。それが生徒に対する暴力行為で一気に形勢が逆転して、協力的にもなるというものだ。
俺は立ったまま、前屈みでノートパソコンの画面を開けて電源を入れると、PINコードの入力画面が現れた。
「すみません、PINコード分かりますか?」
「多分、卓也の誕生日だね。十月二十三日だから」
1023と入力すると、デスクトップ画面が現れた。どうやら、当たりのようだ。
文章ファイルだけでなく他のソフトのデータも調べてみたが、既に消去された後なのか何も残っていなかった。しかし、記憶容量には、かなり余裕がある。上書きされていなければ、データを復旧出来るかもしれない。
「すみません。このパソコン、お借り出来ませんか?必ず、お返ししますから」
「そんな物、要らないから買い取ってくれない?あの高校へ通ってるくらいだから、いいとこのお坊ちゃんなんでしょう?」
離婚協議中なんだから仕方ないかと思いつつ、俺は指を二本立てた。
「現金は今、これだけしか持っていないので、足りない分はコード決済で送金させてもらいます」
「今、持ってる分だけでいいよ。どうせ、うちにあっても埃を被ってるだけだから」
「ありがとうございます」
俺はパスケースの中から、畳んた紙幣を二枚出して、折り目を伸ばしてから差し出した。奥さんはその紙幣を受け取り、そのままポケットに突っ込んでいる。
もう返す必要はなくなったので、俺はノートパソコンの電源を切って画面を閉じた。
本来なら充電器などの付属品もある筈だが、必要なのは内蔵されている記憶装置だけだ。野暮なことは言わずに、さっさとノートパソコンを帆布のショルダーバッグへ入れる。全部は入り切らずに、はみ出してジッパーが閉まらなかった。
そのまま小部屋を出て行くと、リビングでは六花と卓也君が向かい合ってシュークリームを食べていた。一応、手土産だから気を使ったのか、六花の前には空の包装が一つしかない。
「六花、引き揚げるぞ」
「あ、はい。じゃあね、卓也君」
楽しそうに二人は話していた様子だが、そんな会話を中断して六花は立ち上がった。
「お姉さん、また来てね」
少年の初恋だろうか。名残り惜しそうに、卓也君は六花の方を見ている。でも、出来ない約束はしない方が良いと思ったのか、六花はただ卓也君に笑顔を返しただけだった。
玄関までは、奥さんが一緒に来てくれた。そこで俺と六花は丁寧に挨拶をしてから、アパートの部屋を出て行った。
「脅迫状のデータは、あったんですか?」
アパートの階段を下りながら、六花に聞かれた。彼女には、俺のショルダーバッグに入っているノートパソコンが見えているだろう。
「データは全部、消去されてたよ。これから会社へ行って工藤さんにデータを復旧してもらうから、七瀬には帰りが遅くなるって連絡してくれないか。それから、いつもの家事代行サービスに残業してもらって、七瀬が一人にならないようにお願いしてくれよ」
「ちゃんと、お兄ちゃんをしてるんですね」
「うちはセキュリティ会社と契約してるから、防犯上の問題は大丈夫だと思うけど、七瀬に淋しい思いをさせたくないからな。俺は工藤さんに連絡するから」
「分かりました」
一階まで階段を下りて、俺と六花は建物から出ると、団地の敷地内で立ち止まった。まだ私有地の中だが、歩きスマホはマナー違反だ。
それぞれがスマホを取り出し、六花は七瀬へ、俺は工藤さんへ電話を掛けていた。
俺と六花はワルハラ・ドットコムまで行くと、代表取締役である母親には挨拶もせずに、真っ先に開発室へと向かった。
工藤さんにはパソコンのデータを復旧してほしいという話しはしてあるものの、俺が探しているのが脅迫状のデータだということは言っていない。そもそも、母親と俺に脅迫状が送られて来たこと自体、社内では知られていないことだ。
一刻も早くデータを復旧したいのに、工藤さんに出迎えられて開発室の中へ入ると、安西さんが全身タイツのようなスーツを着ていて、一気にやる気を削がれてしまった。
「安西さん…何やってるんですか?」
「モーションキャプチャーのテストだよ」
そう言われてみると、膝や肘などの関節部分に、マーカーと呼ばれるピンポン玉のような物が付いている。
「そんなことまで、エンジニアがやるんですか?」
「もうすぐ、エデンが運用を開始してコロニーが二つになるから、記念式典に有名バンドが何組か出演するんだよね。メタバースに楽器は持ち込めないでしょう。だから、ブルーバックで演奏してもらって、モーションキャプチャーでアバターを動かすんだな」
「へえ、記念式典ですか。VIP席、手に入りませんか?」
「うーん、海里君には色々やってもらってるからね。何席?」
「えーと」
俺は頭の中で、一緒に記念式典を見に行く人数を数える。
「五席、お願いします」
「大きく出たな。よし、手配してあげようじゃないか」
「お願いします」
「海里君…?」
息を切らして飛び込んで来た割には、緊張感のない会話をしている俺に、工藤さんから声を掛けられた。
「ああ、すみません。急いでるんです」
工藤さんは自分のデスクで、ノートパソコンの裏蓋を精密ドライバーで開けると、記憶装置を取り外した。俺がショップで買ったパーツと機能的には同じ物だが、ノートパソコンだけにサイズが小さく作られている。
手の中に収まるくらいの記憶装置を、開発室の別の場所にあるパソコンの所まで持って行くと、普段は使わないサイズなので変換アダプターを介してコネクターを繋ぐ。そして、データの解析ソフトを立ち上げた。
開発室では、この手の作業はお手の物で、後は解析が終わるのを待つだけだ。
「初心者向けの安価なパソコンだけど、海里君の物とは思えないな。業務に関係のない仕事をしてるんだから、室長として納得の行く説明をしてもらえらと助かるんだけどな」
工藤さんの言うことも、もっともだ。いくら社長の息子だからと言っても、会社のリソースを私用に使ったのでは経営が成り立たない。
「脅迫状のデータを探してるんです。母さんが会社の経営から退かないと、俺の命はないぞっていう脅迫状が届いてて、その対策で色々と動いてたんです。六花も本当は母さんが、福岡の実家から呼び寄せたんですよ。小さい頃から格闘技を習ってるんで、俺一人よりは安全だろうって」
六花の件は、完全に見切り発車だ。事件が解決したら次のステップとして考えていたことで、まだ母親と相談もしていない。
「そんなことが、あったのか。知らなかったとは言え、ボランティア的なことをさせて悪かったね」
「いえ、犯人はもう分かってるんです。子供が登校拒否で、シャングリラにあるNPO法人の支援事業をやめさせたかっただけみたいです」
「子供が居るような大人なら、海里君の温情も必要ないか。この間の迷惑行為の女の子みたいに、穏便に済ませてもらって、会社としても有り難かったんだけどね」
「彼女は今、仮想空間で責任を取らされているところですよ。大人には、リアルで責任を取ってもらわないと」
そんな話しをしている内に、データの解析作業が終わったようだ。工藤さんはパソコンのモニターに視線を戻し、マウスで操作をする。
「あったよ。脅迫状って、これのことだろう?」
そう言って、モニターに文章を写し出した。メジャーなファイル形式なので、同じワープロソフトは入っていなくても、表示は出来たようだ。
俺は母親に届いた脅迫状を見ていないが、俺に届いた物と内容はほぼ同じだということは知っている。表示されたのは『息子の命はない』になっているから、母親の所へ届いた物だろう。
「もう一通ある筈なんで、探してもらえますか?」
「これだろう」
「それです。両方、プリントアウトしてもらえますか。それから、ノートパソコンは証拠になるので、記憶装置は戻しといてください」
「人使いが荒いな。いい経営者になれるよ」
即座に工藤さんは、二通の脅迫状をプリントアウトしてくれた。それをプリンターから直接取り、丸めて手に持った。
「六花、母さんの所へ行くぞ」
「はい、分かりました」
本来なら部外者立入禁止の開発室を、勝手に動き回るのは御法度だ。しかし、さっさと俺は開発室を出て行き、その後に六花も付いて来る。
エレベーターに乗って一つ下の階へ下りると、デスクとパソコンが並ぶ広大なフロアを突っ切って行く。
そして、一番奥にある社長のデスクまで、俺と六花は息を切らして辿り着いた。
「どうしたの、二人共。血相を変えて」
そんな母親の言葉に、俺はプリンターで出力してもらった脅迫状を差し出した。
「見付けたよ、脅迫状の原文だ」
脅迫状と聞いて、近くのデスクの社員が数人こちらを見た。構わずに母親は、それを手に取って二枚を見比べる。
「こっちの『お前の命はない』って方は、海里に届いた脅迫状だと理解していいんだね」
「あ、ヤバ…」
忘れていた訳ではないが、俺の所にも脅迫状が届いていることは、母親には秘密にしていた。これ以上の証拠はないから、もう終わったような気持ちになっていた。
「六花ちゃんは、知っていたの?」
「申し訳ありません!海里に口止めされていたので…」
そう言って六花は、深々と頭を下げた。
「それで、このデータはどこにあったの?」
「白石先生の奥さんが持ってた、パソコンに入ってたんだ。今、開発室の工藤さんの所にある」
「そう、よく頑張ったね。後のことは私に任せて、あなた達はもう、この件からは手を引きなさい」
「そうだな…」
ここから先は法律の話しになって来るから、
もう俺達の出る幕ではないだろう。脅迫状の件がどの程度の罪になるのかよく分からないが、企業の危機管理として、このまま不問に付すことはないと思う。
「六花、行くぞ。七瀬が待ってるからな」
「そうですね。急いで帰らないと」
フロアを元来た方向へと進んで行く俺の手に、六花はそっと自分の手を添えた。
これでもう、ボディーガードとしての役割りは終わる。そんな、どこか淋しいような気持ちが、彼女の手の温もりから伝わって来るようだった。




