第02話 転校生
朝のホームルームの時間に、担任の先生によって教室に呼び込まれたのが六花だ。そんな様子を俺は、自分の席から眺めていた。
高校で転校生というのは、あまり聞かない話しだが、欠員がある学校で編入試験に合格すれば可能らしい。今朝、登校の時にバスの中で六花に聞いた知識だ。
学生とボディーガード。どちらが本業なのか知らないが、編入試験に合格するくらいの学力はあるということだ。でも、もしかしたら六花が所属する組織が、裏から手を回しているのかもしれない。
昨夜は警戒のために一晩中起きていた筈なのに、全く眠気を感じさせない涼しい表情をしている。そんな六花が黒板に自分の名前を書いて、ドラマで見るような転校生らしい挨拶をする。
「小泉六花です。宜しくお願いします」
突然の転校生が美少女だったから、教室がザワザワとざわめいている。それを静止するように、担任の白石先生がコホンと咳払いをした。
「あー、小泉さんはご両親が海外へ転勤されて、一人で日本へ残ることになったんだ。従兄の仁藤君を頼って、こちらへ転居して来たんだから、みんな温かい目で見守ってくれよ」
クラス中の生徒が、一斉に俺の方を見た。俺の席は一番後ろだから、全員が振り向いている。
さすがに先生は、同居しているとまでは言わなかったが、隠そうというつもりもないらしい。どうせ毎日一緒に登校して来れば、いずれは分かることだ。従妹という設定は、同居するにはギリギリ許される関係だろう。
俺の隣りに、席が一つ増えている。人数の都合で最後列は、元々端まで席が揃っていなかった。それを、ご丁寧にも六花の席を俺の隣りにしている。いったい、どんな裏の力が働いたのだろうか。
先生に促されて、六花はその席に来るまでの間、みんなの視線を浴びていた。背中に担いだバッグを下ろして席に着くと、隣りの席の俺に優しく微笑み掛ける。
「海里と、また同じ学校に通えるなんて嬉しい」
「ああ…」
「海里は嬉しくないの?」
「いや、そんなことはないよ」
六花は俺のことを、実の兄のように慕っているという設定だった。ボディーガードという仕事柄、俺に付いて回るのは仕方がない。そんな不自然さを少しでも払拭する意図があるのだろう。
再び担任がコホンと咳払いをすると、クラスメイトから集まる冷たい視線が、前方へと向き直った。
「以上で、ホームルームは終わり」
クラス委員が起立、礼の声を掛けると、担任の白石先生は教室を出て行った。
最初の休み時間は、六花の周りに三人の女子生徒が集まっていた。先程の担任の意味深な発言で、話題は持ち切りだ。
「小泉さんって、仁藤君と一緒に住んでるの?」
「はい。元々、海里が一人暮らしをしていた所に、私のために部屋を一つ提供してもらいました」
「従兄って言っても結婚は出来るんだから、おかしなことになったりしないの?」
「今更、そんな気持ちにはなりませんよ。小学生の頃は本当に可愛くて、近所の人に女の子だと思われてたくらいですから」
「確かに男らしいってタイプじゃないけど、LGBTQとかでもないでしょう。中身は普通に男だし、お風呂とか覗かれたりしないの?」
「小さい頃は一緒に住んでましたから、兄妹みたいなものです。覗くつもりがあれば、もう、とっくにやっていると思いますよ」
覗いたら、天罰が下るという理由だけじゃない。六花のお風呂を覗くなんて、信頼関係を自ら崩すようなものだ。ビジネスとは言え、信用できない相手のボディーガードをしたいと、誰が思うだろうか。
そんな話しを俺のすぐ隣りの席でしているのだから、どんな顔をすれば良いのか分からない。
話しの辻褄を合わせるために、六花は事前に俺のことをリサーチしているのだろう。
小学校を卒業するまでは、近所の人に女の子だと思われていたのは事実だ。中学で制服を着るようになって、初めて男の子だと気付いたということがある。いかにも母親が、面白がって話しそうなエピソードだ。
でも俺は、まだ六花のことを何も知らない。もっと彼女のプライベートなことを知りたいと思うのは、不謹慎なことなんだろうか。
二人の女子が積極的に話し掛けているのに対して、もう一人の女子は口数が少ない。そんな女子が肘で小突かれて、思い切ったように口を開く。
「あ、あのね、小泉さんの部屋へ遊びに行ったら駄目かなぁって…」
「あ、ごめんなさい。私は居候の立場なので、遠慮してもらえますか」
「そ、そうだよね。ごめんね、変なこと言っちゃって」
美少女は女子にもモテるんだな、くらいに思っていた。すると、元気な方の女子二人が、同時に俺の方を見ている。俺がOKを出せば遊びに行けるという、無言のプレッシャーだろうか。
当の本人は、ちょっと伏し目がちだ。自宅へ遊びになんて来られたらボロが出そうで、俺は明後日の方向へ目を逸らした。
逸らした視線の先に、窓にもたれ掛かって、こっちを気にしている別の女子が一人居る。その女子と目が合うと、俺が気付いたことに少し笑みを浮かべている。
特にお呼びが掛かったり手招きをされている訳ではないが、何かを期待するような表情は、俺に言いたいことがあるからだろう。
煩い女子から離れられると思い、俺は席を立って彼女の所まで歩み寄って行った。
「海里君、これ」
そう言って、小さく畳んだメモを俺の手のひらの中に入れられた。その場で俺はメモを広げてみると、サインペンの太い文字で何やら書いてある。
『今日の二十一時に、噴水広場で待ってる』
噴水広場というのは多分、メタバースの仮想空間の中にある場所だろう。
昨日はシャングリラに到着した所でログアウトしてしまったが、その後も彼女は散策していたのだろうか。待ち合わせの時間が遅いのも、自宅でログインすれば済むからだ。
彼女はメモを渡したら、すぐに立ち去るつもりだったのだろう。でも、いつの間にか六花が俺の後ろに立っていて、背後から顔を出した。
「海里とは、仲がいいんですか?」
六花にとっては、他の女子とは明らかに違う、不審な行動をしているように見えたのかもしれない。単に彼女が前に出るタイプではないだけのことだが、状況を把握しておくのは、ボディーガードとしては正しい行動なのだろう。
「同じ中学出身だから…」
「それでは、私とも仲良くしてもらえると嬉しいです。お名前、聞いても宜しいですか?」
「三崎詩音です…あ、ごめんなさい」
詩音は一度も六花とは目を合わさずに、俯いたままその場を離れて行った。俺にとっては見慣れた光景だが、六花には不自然な動きに見えたのだろうか。
「私、嫌われてますか?」
「自分が邪魔をしてると思ったんだろう。遠慮しただけだよ」
「そんなつもりじゃなかったんですけど」
「伝えておくよ」
俺達が元の席へ戻ると、六花の席に集まっていた女子からは『仲がいいね』という、溜め息のような声が漏れていた。
学校が終わると、俺は六花と一緒にホームセンターへと向かった。学校から近いとまでは言わなくても、歩いて行けない距離ではない。
彼女は寝袋で構わないと言っていたが、脅迫状の件が長引くようなら、ちゃんとした寝具も、その内に買った方が良いだろう。どうせ必要経費だから、母親が出してくれる筈だ。
取り敢えず、今日は何か買って帰らないと、六花の寝る場所がない。
「跡をつけられています」
いったい、どこに目が付いているんだろうか。六花がそう言ったので俺が振り返ると、サッと物影に隠れる人影があった。
一人だけならすぐに隠れられたんだろうけど、二、三人居るようで、最後の一人が僅かに見切れていた。
「ああ、クラスの男子だ」
「いきなり、振り向かないでください。犯人の仲間だったら、どうするんですか」
「俺が六花を独占してるから、羨ましいんだろうな。あいつらにも、脅迫状を送り付けてやるか」
「犯人が生徒の可能性だってありますから、挑発するのはやめてください」
「六花は冗談が通じないな…」
クラスの男子だから、犯人ではないと言い切れないのは確かだ。でも、六花も害はないと思ったのだろう。特に気にする様子もなく、二人で道路を歩いて行く。
学校から歩いて行ける距離にあるホームセンターを選んだのは、大型店舗だからだ。学校自体が交通の便が良い場所にあり、そういった商業施設がいくつかある。
広い駐車場を横切って店内へ入ると、アウトドア用品の売り場へと向かった。
どちらかと言うと俺はインドア派だから、アウトドア用品のことは詳しくない。寝袋選びは六花に任せて、俺は別の物を見ていた。
「何を探しているのですか?」
あっさりと寝袋を選んだ六花は、それを抱えて俺の様子を伺っていた。
「女の子を床に寝かせるのは気が引けるからな。簡易ベッドみたいなのがないかと思って」
「海里は気遣いが出来る人なんですね。その割には、クラスの女子には塩対応でしたけど」
「詩音のことか?」
「いえ、松崎さんのことです」
「ああ、部屋へ遊びに来たいって言ってた話しか。あれは六花が断ったから、別にいいだろう」
「見た目は悪くないのに、残念な人ですね。いきなり男子の部屋へ遊びに行くのはハードルが高いから、私が同居していると聞いて、口実にしているとは思わないんですか?」
そこまで言われると、さすがに俺でも察しがつく。それでも、中学の頃から知っている詩音と違って、初めて同じクラスになった女子だ。俺の何に興味があるんだろうと、思わないではない。
ただ、六花がプライベートなことに口を挟んで来るのは、別に嫌な感じはしなかった。少々、辛辣ではあるものの、四六時中一緒に居るのだから、仕事の話しばかりをされても息が詰まりそうだ。
「別に脅迫状を送り付けるような動機には、ならないと思うけどな」
「犯人から除外する理由にはなりませんね。問題なのは、私が海里にベッタリなのを、どう思われるかですよ」
「いいんじゃないか?従兄だって設定なんだから」
「やっぱり、残念な人ですね」
六花としては、ボディーガードの仕事に不都合が生じることを懸念しているのだろう。でも、自宅へ遊びに来られたら逆効果だと思うので、そのまま俺は商品棚を見て行った。
簡易ベッドにはいくつか種類があり、その中でも一番小さく畳める、折り畳みベッドを手に取った。
説明を見ると、アルミのフレームにシートを張ったような構造で、畳んだ状態で箱の中に入っている。これなら持って帰れそうだ。
「今晩は、ゆっくり寝てくれよ。一晩中、起きてられたらトイレに行く時に、びっくりするからな」
「寝る前に紅茶を飲むから、夜中にトイレに行きたくなるんですよ。紅茶にだって、カフェインは入ってますからね」
「六花だって、コーヒー飲んでただろう」
「あれは一晩中起きてないといけないから、飲んでたんです。私だって、眠たくない訳じゃありませんからね」
六花は少し不貞腐れたような表情を見せながら、視線は俺から外さない。
昨日は淡々として、あまり表情を変えなかったが、こっちが本来の六花だろうか。ボディーガードだからと言って、ビジネスライクな付き合いということでもなさそうだ。
俺が折り畳みベッド、六花は寝袋を抱えてレジへ向かうと、先程、跡をつけていた男子生徒達に出くわした。俺達が気付いていないとでも思っているのだろうか。三人並んで、偶然を装っている。
「あれ、仁藤君じゃないか。小泉さんと買い物?」
「ああ、昨日、到着したばかりだからな」
全く、白々しいにも程がある。六花と親しくなりたいのなら、普通に教室で声を掛ければ良いことだ。まあ、それが出来れば、こんなことはしないか。
「小泉さんって、実家はどこなの?」
「福岡ですけど」
「へぇ、仁藤とはいつ頃、一緒に住んでたの?」
「小学校の低学年の頃です」
「色々、大変だよね。手伝えることがあれば、いつでも言ってくれれば…」
「大丈夫です。海里が全部やってくれますから」
六花としては、不用意に交友関係を広げたくないのかもしれない。でも、食い気味に断られた男子の方は目も当てられない。
先程、俺は残念な人だと言われたばかりだが、その言葉をそのまま六花に返してやろうかと思いつつ、何事もなかったように俺達はレジへ向かって歩いて行った。