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第11話 等価交換

 ピロピロと電子音が鳴り響き、目覚ましを止めようと俺は手を伸ばす。だが、一瞬早く目覚ましを止める手があった。その小振りな手の上に俺の手が重なり、柔らかい感触を確かめていた。


「やだぁ、海里クンってば積極的なんだからぁ」

「ん…七瀬か…学校はどうした?」

「今日は、休みだよん」

「あぁ、土曜日か…用があるから、出掛けなきゃな」


 俺は体を起こそうとしたが、掛け布団の上に七瀬が座っているので起きられない。


「私さあ、海里クンの妹になってあげてもいいよ」

「じゃあ、俺のこと、お兄ちゃんって呼んでもいいぞ」

「そういう意味じゃなくてね。私の初めてのピィ〜を海里クンにあげてもいいんだよ。海里クンの妹になれるんだったら、毎晩ピィ〜されても構わないから…」


 ピィ〜の部分は、音ではなく口で言っている。陽気な物言いとは裏腹に、どこか七瀬の闇の部分を感じてしまう。

 七瀬にとって俺の妹というのが、どういう意味合いなのか今一つ分からないが、早急に答えを出すような問題でもないと思った。


「今日、一緒に出掛けるか?」

「え!いいの?」

「俺と六花がメタバースにログインしている間、七瀬は退屈だっただろうからな。大した用事じゃないけど、六花がOKなら…」

「ラッキー!、六花タンに聞いて来る」


 ようやく七瀬が退いてくれたので、俺は体を起こすことが出来た。別に、七瀬を退かすための方便ではない。本気で、七瀬を連れて行こうと思っている。

 やっぱり、お子様だなと思いつつ、俺は先に出て行った七瀬の後から、のんびりと部屋を出て行った。

 ダイニングで、六花と七瀬が立ち話をしているのを尻目に、俺は用意されていたフレンチトーストに手をつける。毎日ではないが、七瀬は時々、朝食を作ってくれる。俺は一人っ子だから、こういう生活も悪くはないなと思い始めていた。


「どうして、海里は行き当たりばったりなんですか。七瀬だって、前もって分かっていれば、着替えを持って来たのに」

「買ってやるよ。出掛けにシロクロ(・・・・)へ寄って、そこで着替えればいいだろう」

「えええぇぇ〜いいのぉ!?」

「六花にだけ寝具を一式買ったのは、不公平だからな。母さんにそう言えば、出してくれるだろう」

「海里は本当に、七瀬には甘いですね」

「大事な妹候補だからな。可愛がってやらないと」

「海里クン、だいすきぃ〜」

「その代わり、ちゃんと説明しといてくれよ。今日は、ユキさんにメモリーチップを返しに行くから、失礼なこと言わないようにな。それから、詩音にも何て言うか、考えといてくれよ」

「そこは、同じアパートの子でいいんじゃないですか?」

「あ、そうか…」

「一芸に秀でるっていうのは、それ以外は駄目って意味なんでしょうか」


 そんな六花の辛辣な言葉も、今は心地良く聞こえる。いつかは終ってしまう、この生活に一抹の淋しさを感じていた。


 俺が歯を磨いて顔を洗ってから戻って来ると、まるで説教でもされているような状況だった。七瀬は椅子に座って両手を膝の上に乗せ、六花は立ったまま腰に手を当てている。

 後ろから見ると、心なしか六花のスカートが短くなっているような気がする。制服のスカートはもっと短いのだが、普段着は初めて会った時のような清楚な服装が多い。

 女子高生もやってみたいと言っていたから、それが彼女の思い描く女子高生なのだろうか。そんな風景にほっこりしながら、俺は着替えるために自分の部屋へと入って行った。


 七瀬の着替えは、近所のファストファッションで構わないだろうと思っていた。それが、了承を得る電話を母親に掛けたら、予算を言われて、ちょっとビックリしてしまった。

 母親は二度、七瀬とは会ったことがあるらしい。最初はボディーガードの仕事を依頼に行った時。そして、二度目は仕事の打ち合わせで、六花と共に自宅へ来た時だそうだ。

 ただし、あの母親のことだから、仕事を依頼する前に、念入りにリサーチしていると思う。単純にボディーガードというだけで、息子と同居させたりはしないだろう。

 あまり追求したことはないが、中学生の女の子が深夜の勤務をしているだけでも、充分に異常なことだ。そこには、何かしらのビジョンがあるような気がする。



 三人でアパートを出ると、近所のファストファッションの店舗をスルーして、駅までの道程を歩いて行く。

 閑静な住宅街に、そんな店舗があるだけでも奇跡なのに、母親の要望に応えられるような店が近所にある筈がない。

 電車で隣りの駅まで移動して、駅ビルの中にある商業施設のテナントに入っていた。


「ねえねえねえ、ちょ〜可愛くない?」


 若干、対象年齢の低い店のフィッティングルームでは、既に着替え終わった七瀬が、鏡の前でクルクルと回る。その度にスカートがフワッと広がって、さながらアイドルを見ているかのようだ。

 七瀬はファッションのことにはあまり詳しくないようで、俺に選んでほしいと頼まれた。俺は女の子のアバターなら、いくらでも作れるのに、生身の人間のコーディネートはこれが初めてだ。

 六花が初めてアパートへ来た時のような、清楚な格好をさせたかった。ただ、中学生の女の子の服装となると、フリルが付いてヒラヒラとしている。元々、可愛らしい女の子だから、(あつら)えたように似合っていた。


「あのね…海里クンのママに、お礼言っといて…」


 両手でスカートを掴みながら、珍しく七瀬が(しお)らしい態度でそう言った。


「ああ、伝えておくよ」


 このまま着て帰ることを店員に伝えると、ハサミで値札を切ってくれた。そして、古い方の服をショッピングバッグに入れてくれる。

 会計を済ませて店を出ると、もう一度駅の構内へと向かう。六花に行き当たりばったりだと言われても仕方がない。ただ、移動距離は少ないから、これくらいは許してほしい。


 詩音と待ち合わせをしているので、また次の駅で電車を降りた。六花の無言の圧力が、俺の背中に突き刺さる。

 でも、今度はホームで待ち合わせをしているから、すぐに詩音は見付かった。右を見て左を見たら、それで終わりだ。

 ベンチに座っていた詩音が、俺達に気付いて立ち上がった。そして早足で、こっちにやって来る。


「同じアパートに住んでる、七瀬だよ。こっちはクラスメイトの詩音だ」

「は、はじめまして…」


 詩音は人見知りだから、リアクションとしては上出来な方だ。ちゃんと、目を見て話している。


「ちょっと二人、並んでみ」

「わぁお!」


 何を思ったのか、七瀬は向きを変えてチョコチョコと移動すると、カップルが写真を撮る時のように横に並んだ。そして、詩音の肘のあたりに腕を通し、ベッタリとくっ付いている。


「大体、背格好は同じだな。詩音のために作ったパンクの少女のアバターは、もうIDロックが掛かってるから、元のデータの使える部分を七瀬のアバターに流用しようかと思ってな」

「えっ!それって私も、メタなんちゃらに入れてくれるの?」

「VRインターフェースが二台しかないから、その間は六花がお留守番だけどな」

「私は構いませんよ」


 そのために呼ばれたのかと、詩音は少しだけ気落ちしている様子だ。狐のキャラクターも本人は気に入っているから、七瀬に取られたとか、そういう気持ちではないと思う。ただ、それを口に出して言えるほど、まだ彼女の神経は太くない。


「今晩は、ちっちゃいお姉さんも一緒だから、リアルでも仲良くしとけよ」


 ちっちゃいお姉さんが自分のことだと分かって、また詩音の表情が明るくなる。

 七瀬をシャングリラに連れて行くと、詩音の尻尾を掴んで引きずり回しそうだから、急いで新しいアバターを作りたい。でも、昨日は七瀬のアバターで手一杯だった。


「もう、友達じゃ~ん。ねぇ、詩音ちゃん」

「は、はい!勿論です…」


 そんな二人を見て、俺は六花の方へ視線を移した。


「足して二で割ると、丁度いいんだけどな」


 再びベンチに座ることはなく、そんな調子で電車が来るのを待っていた。



 ユキさんが現実の方で働いているのは、ゲームのハードウェアなどを扱うショップだ。VRインターフェースに使うDNAチップは、こういうショップで作るのが普通だ。

 土日は書き入れ時だし、七瀬のDNAチップも作る必要があった。だから、前回のように近所で待ち合わせをしたりはせずに直接、店舗の方へ出向いていた。

 俺は七瀬の後頭部を押しながら、カウンターに立っているユキさんの所まで連れて行く。


「七瀬でーす、宜しくお願いしまーす」


 俺がそう言って、頭を下げさせた。しかし、七瀬は二、三歩進んで、その手から離れた。下から上へと視線が移動して行き、小柄な七瀬は至近距離でユキさんの顔を見上げている。


「海里クンも女装すれば、絶対似合うと思うんだけどなぁ…」


 すかさず、六花がヘッドロックを掛けて、七瀬を黙らせる。


「ギブ!ギブ!ギ〜ブ〜!」

「申し訳ありません。帰ったら、よく言って聞かせますので」

「大丈夫よ。全然、気にしてないから」


 毎日、不特定多数の客と接しているだけのことはある。ユキさんの笑顔は、全く崩れていない。


「詩音、七瀬のDNAチップ、頼んでいいか?俺はユキさんと話しがあるから」

「うん、大丈夫」


 六花は初心者だから、頼んでも無理だ。

 ユキさんとは何の打ち合わせもしていないのに、すぐに察してくれる。


「店長、休憩入ります」


 他の店員が代わりにカウンターへ入ると、ユキさんは俺を店の奥へと誘導する。扉を開けて、もう一つ奥の扉には休憩室という札が掛かっている。

 休憩室とは名ばかりで、倉庫のような場所にスチール棚が設置してあり、在庫商品のダンボールが並んでいる。両手を広げると届いてしまうほど狭い隙間があり、そこに丸椅子が置いてあった。

 ユキさんは俺に座るよう促したが、彼女は立ち仕事だ。貴重な休憩時間に座るのは、彼女の方だろう。

 俺は上着の前合わせを開けて、中に着ているシャツの胸ポケットから、メモリーチップの入ったケースを取り出して彼女に返した。


「大切な物を貸してもらって、本当に助かったよ。ありがとう」

「もう、納得は出来たのね。海里君の役に立って良かったわ」


 そう言ってユキさんは、受け取ったケースを自分の胸ポケットに入れた。


「話しは、それだけじゃないんでしょう?」

「七瀬のことなんだけど、どう思った?」

「明るく振る舞ってるけど、目が泳いでたわよ。周りに気を使ってたのかしら?」

「やっぱり、そうか…」


 ユキさんは、数え切れないほどの人と接している。それに、元々そういう素質があったのだろう。彼女は人を見る目が鋭く、相手の本心を見抜くことに長けている。

 トランスジェンダーだけに、その分、嫌な思いも沢山して来ただろう。それでも接客業を選ぶ彼女には、俺の父親の理想に似たようなものを感じていた。


「何かあったの?真剣な顔しちゃって」

「今朝、寝込みを襲われて、体を許す代わりに妹にしてくれって頼まれたよ。あの調子だから、冗談にも受け取れるけど」

「胸が痛むわね。まだ、子供なのに」

「それが七瀬にとって、等価交換なんだろうな。持たない者が自分を切り売りして、何が平等なんだろう…」

「海里君は、海里君に出来ることをすればいいのよ。世界中の人を幸せにすることなんて出来ないけど、海里君の周りは幸せになれると思うわよ。だって、私も幸せになれたんだから」

「そう言ってくれると、嬉しいよ」

「それに」

「それに?」

「海里君だって、あの子が居てくれたら、幸せなんでしょう?」

「ああ、そうだな。家族が俺と母さんの二人切りになって、お互いに言いたいことも言えなくなった。正直言って、七瀬の厚顔無恥なところが羨ましいよ」

「海里君らしいね」

「それじゃ、俺達はもう帰るから、ユキさんは休憩しててくれよ」

「ええ、頑張ってね」


 俺は向きを変えて扉を開けると、そこには六花が直立不動で立っていた。


「うわっ!いつからそこに居た?」

「大切な物を貸してもらって、という所からです」

「初めから居たのか…」

「当たり前です。いきなり七瀬を連れて行くとか言い出して、変だと思ったんです」

「聞かなかったことにしてくれないか?」

「海里は無謀なことをするから、心配してるんですよ。実行する前に、私に相談してください」

「実行って、何を?」


 ドスッと六花の正拳突きが、俺の胸部に直撃した。相当な手加減をしていると思うのだが、それでも息が出来ないくらい苦しかった。


「ゲホッ」

「もう一度、言いますよ。実行する前に、私に相談してください」

「わ、分かった…分かったから…」


 クスクスとユキさんの笑い声が聞こえて来て、俺は頭だけ動かして振り向いた。


「海里君の従妹だけのことはあるわね。私も今日はシャングリラに行くから、七瀬ちゃんをお店に連れておいでよ。海里君のことだから、もうアバターは作ってあるんでしょう?」

「ああ、そうするよ」


 俺は六花の背中を押しながら、狭い通路を通って店内へ戻った。

 もうDNAチップは作り終わったようで、七瀬は未使用の状態のカードを不思議そうに眺めている。


「ねえねえ、海里クン。何これ?」

「それが無いと、メタバースにログイン出来ないんだ。無くすなよ」

「へえ、そうなんだ」


 自前のバッグがちょっと大きいので、アパートに置いて来てしまった七瀬は、DNAチップを六花に預けている。

 時々、素が見える七瀬を眺めながら、妹が居たらこんな感じなのかなと考えていた。


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