第01話 逆転現象
シャトルの窓からは、二つのスペースコロニーが見えていた。
巨大なシリンダーが回転することにより重力を模倣するコロニーでは、回転軸が円を描くような歳差運動を生じる。その運動を打ち消すために二つのコロニーが、それぞれ逆方向へ回転しているのだ。
「いよいよ、シャングリラだね」
マイクロバス程度の客室に、数人の乗客が乗り合わせている。宇宙が好きな俺に、同行している詩音は窓側の席を譲ってくれていた。
二つあるコロニーの内の一つが『シャングリラ』で、もう一つは『エデン』だ。シャングリラは既に完成して運用も開始されているのだが、エデンの方は外側だけで内部の都市は、まだ開発途中だ。
シャトルが発着するエアロックはコロニーの回転軸にあり、そこだけは静止している。常に回転している場所へ発着するのは、危険を伴うからだ。
シャトルがシャングリラのエアロックに入ると、ジェットブリッジが接続されてエンジンが停止した。俺と詩音はシートベルトを外して席を立つ。
コロニーの回転軸には重力がないために、俺達は空中を浮遊しながら、CAが手を添えて方向を修正される。そのまま、二人は通路をゆっくりと漂って、宇宙港のデッキに降り立った。
その時、俺の目の前にウィンドウが開いて、来客を知らせる通知が届いた。
「あ、誰か来たみたいだから、落ちるよ」
「え、まだ到着したばかりなのに」
「悪いな。じゃあ、また明日、学校で」
それだけ言い残して、俺はログアウトする。VRインターフェースを外すと、途端に目の前の景色が二階建てのアパートの一室へと変わった。
来客の通知があったので、俺は部屋を出て玄関まで行き、ドアを開けた。すると、そこに立っていたのは俺と同じ、高校生くらいの少女だった。
長身でモデルのような体形に、人形のように綺麗な顔立ちは、まるでロールプレイングゲームにでも登場しそうな美少女だ。
その少女は清楚なワンピースを着て、バッグを背中に担ぎスーツケースを持っている。同世代の少女のそんな姿に、家出でもして来たのかと思ってしまった。
「仁藤海里さんですね」
「ああ、そうだけど」
「ガーディアン・レディースから派遣されました、小泉六花です。あなたのボディーガードを依頼されています」
「君がボディーガード?ちょっと、信じられないけど…」
「それでは、お母様に確認してください。近所に聞こえるので、中に入っても宜しいですか?」
「あ、どうぞ…」
六花と名乗った少女は玄関の中へ入ると、そのまま靴を脱いでスーツケースのキャスターを転がしながら、廊下を進んで行く。
「あ、ちょ、ちょっと…」
まるで、アパートの間取りを把握しているかのように、彼女は真っ直ぐにダイニングへと辿り着く。スーツケースを床に置いたまま、担いでいたバッグをテーブルの上に置いた。
その時点で、俺はまだ半信半疑だった。家出少女が宿探しのために、一人暮らしの男子高校生の所へやって来たという疑いの方が大きかった。
それを立証するために、俺は彼女の後を追いながらカーゴパンツのポケットからスマホを取り出して、母親へ電話を掛けていた。その様子を六花は、冷静に見守っている。
「あ、母さん。今、ボディーガードだって女の子が家へ来て…」
母親の答えは、六花が言ったことと同じだ。よろしくやってくれとだけ言って、一方的に電話を切られてしまった。
どうやら本当にボディーガードを雇ったらしい。その理由が思い当たるだけに、素直に受け入れるしかない。
「確認が取れたようですね。それでは、説明させて頂きます」
六花はテーブルの上に置いたバッグの中から、スマホを取り出して何やら操作をしている。書類的な物が表示されているのだろうか。仕方なく俺は、ダイニングテーブルの席に着いた。
「本日より、二十四時間体制でボディーガードを勤めさせて頂きます。明日からは、あなたと同じクラスへ編入することになっています。表向きは母方の従妹ということで、両親が海外へ転勤することになり、私だけ日本に残ったという設定になります」
俺は授業でも受けるかのように、六花の説明を聞いていた。こんなモデルのような少女がボディーガードだなんて、俄には信じ難い。でも、母親に確認したから、間違いはないのだろう。
「二十四時間体制ってことは、同居するつもりなのか?」
「ええ、そういう契約になっています」
一人暮らしに拘りがあった訳ではないが、いきなり初対面の少女と同居しろと言われても、戸惑うのは仕方のないことだ。でも、それで母親が安心するならと、断れない自分を納得させていた。
高校生になって、俺が一人暮らしを始めた切っ掛けは、父親が亡くなったことだ。
VRMMOやメタバースなどの仮想空間をユーザーに提供する、IT企業を経営していた父親は心筋梗塞で倒れて、そのまま帰らぬ人となった。
父親が持っていた会社の株を母親が相続して代表取締役となり、経営を引き継ぐことになったのだ。
それまで経理を担当していた母親には、荷が重いかもしれない。だから、会社の経営に専念してほしい。
高校へ進学したばかりだった俺は、親戚の協力で2DKの小さなアパートを借りることが出来た。母親の反対を押し切って、親元を離れることにしたのだ。
母親の経営方針に不満を持つ社員が居たのか、或いはユーザーの反感を買ったのか。母親の元へ脅迫状が届いていた。その内容は、会社の経営から手を引かないと息子の命はないというものだ。
俺は母親から、実家へ戻るよう迫られた。少なくとも、小さなアパートで一人暮らしをしているよりは安全な筈だ。元々、一人暮らしには反対だったし、初めから仕事と家庭は両立させるつもりだったらしい。
母親の言うように、両立は出来るかもしれない。でも、それだけ負担は大きくなる。家庭に費やすリソースを仕事に回してほしかった。母親のためだけじゃない。父親が残してくれた会社は、俺にとっては将来の就職先だ。
それで母親は、強硬手段に出たのだろう。実家へ戻るつもりがないのなら、同居人を送り込むということだ。否が応でも、俺に一人暮らしをさせたくないらしい。
これが厳つい男だったら、いくらでも断わる理由を思い付いたかもしれない。その点は母親も、ちゃんと心得ているようだ。こんな美少女をボディーガードに付けられたら、断るに断れない。お陰で悶々として、夜も眠れなくなりそうだ。
「もしも、危ない目に遭ったら、君が守ってくれるのか?」
「こう見えて、幼少の頃より合気道と極真空手を嗜んでおりますので、ご心配なく」
「そうは言っても、いざとなったら女の子に頼るのもどうなのかな」
「それでは試しに、私の胸を触ってみてください」
「はあ?」
「構いませんよ。思う存分、触ってください」
デモンストレーションだということは分かっていたが、俺には指一本触れられないだろうと高を括ったような言い方だ。
あわよくば彼女の胸に触ったとしても、非難されるようなことはない筈だ。そんな下心を抱きつつ、俺は電光石火の如く手を伸ばした。途端に手首を掴まれて、体ごと反転させられた。
「いでで…」
「納得して頂けましたか?」
「ギブ!、ギブ!」
六花はすぐに手を離してくれた。武道のことはよく分からないが、合気道の技だろうか。彼女は殆んど力を入れていないのに、抵抗すら出来なかった。
俺も身長の割に体重は軽い方だから、体格的にはそこまで大きな差はない。素直に守ってもらった方が良さそうだ。
「脅迫状を送った犯人が教師やクラスメイトの可能性もありますから、私がボディーガードだということは、くれぐれも内密にしてください。それから、犯人については我が社のエージェントが、お母様の会社に従業員として潜入していますので、いずれ解決すると思います。質問はありますか?」
「洗濯物はどうするんだ?俺が一緒に洗って構わないのか?」
「そうですね。それぞれが別々に洗濯するのも二度手間ですから、洗濯機は私が回します」
「狭いアパートだから、うっかり着替えが見えたりすることもあると思うけど、それは構わないのか?」
「不可抗力なら仕方ありませんが、意図的にやった場合には天罰が下ります」
「違約金とかじゃないんだな。それなら、母さんの負担も減らせるか」
「それは、覗くつもりだと解釈しても宜しいんですか?」
「冗談だよ。淡々と説明してるから、ちょっと空気を変えてみたかっただけだから」
「失礼ですが、あなたは命を狙われているんですよ。もう少し、緊張感をお持ちになった方が宜しいのではないですか?」
「俺が犯人の立場なら、殺人に見合うだけの見返りがあるとは思えないけどな。ただ、ちょっと危ない目に遭わせれば、母さんも堪らずに経営から退くという筋書きかな」
「その意見には私も同意しますが、あなたに危険が差し迫っていることに変わりはありません。それに、万が一ということもありますから、もう少し自覚を持ってください」
「ああ、分かってるよ。それで、君の寝床はどうするんだ?一組しかないぞ」
「本日は初日なので、一晩中起きて見張りをしています。明日以降は夜間の交代要員が来ますので、その間に入浴や就寝をさせて頂きます。寝袋で構いませんので、それまでに用意してもらえると助かります」
「今からネットで注文しても、明日には届かないだろうな。学校が終わってから、ホームセンターにでも買いに行くか」
「それから、部屋を一つ使わせて頂けないでしょうか?」
「ああ、物置きになってるから、今すぐ片付けるよ」
俺は席を立つと、二つある部屋の片方の前まで行ってドアを開けた。一人暮らしの予定だったから、それほど多くの荷物はない。引っ越しの時に使ったダンボールを平たくして重ねた物と、まだ整理が終わっていない物が少しあるだけだ。
「お手伝いします」
そう言って六花は、スーツケースとバッグをダイニングに置いたまま、部屋の中まで入って来た。
「それじゃ、あっちの部屋に適当に放り込んでくれればいいから」
「分かりました」
あまり表情を変えずに淡々と話していた六花が、初めて笑顔を見せた。そして、空のダンボールから先に運び出す。
二人掛かりで荷物を運び出し、もう一つの部屋との間を往復した時だった。
六花が中身の入ったダンボールを持ち上げると、蓋が開いたその中身を見て怪訝な表情をする。そして、再び彼女はダンボールを床へ下ろすと、中から茶封筒を取り出した。
「あ、それは…」
「お母様の所へ届いた脅迫状を見せて頂きましたが、同じ封筒ですね。中を見ても宜しいですか?」
「駄目だと言っても見るんだろう?」
「勿論です」
六花は茶封筒の中から、罫線のない真っ白な用紙に、明朝体のフォントで印字された手紙を取り出した。
俺は母親の所へ届いた脅迫状を見ていないから、細かい内容は知らない。でも多分、同じ犯人からの物だろう。母親が会社の経営から手を引かなかったら、お前の命はないぞというものだ。
「ご自分の所にも脅迫状が届いているのに、よく冗談が言えますね。お母様が勝手に、ボディーガードを雇う気持ちも分かります」
「このことは、母さんには黙っててくれないか?母さんには母さんのやるべきことがあるんだ。余計な負担は掛けたくない」
「それが、一人暮らしをしている理由ですか?秘密にしたいのなら、どうして脅迫状を処分しなかったんですか?」
「証拠が無くなったら、犯人を捕まえられないだろう」
六花は、そのまま暫く考えていた。そして、脅迫状を茶封筒の中へ戻し、それをダンボールの中へと戻した。
「分かりました。本来なら警戒レベルを一段階引き上げるところですが、その分は私がカバーします。より親密に行動できるよう設定を追加しましょう。私は幼い頃に仁藤家に預けられていて、あなたのことを実の兄のように慕っている。それで宜しいですね」
「ああ、そうだな。恩に着るよ」
六花は俺の正面に立ち、話しを続ける。
「ご自分で解決しようとせずに、私を頼りにしてください。あなたのことは、必ず私が守りますから」
真っ直ぐに目を見て話す六花の顔を、俺もじっと見返していた。辛うじて俺の方が背が高いが、綺麗な顔が目の前にあって、ちょっとドキドキする。
ボディーガードを生業にしているとは言え、俺と同じクラスへ編入できるくらいだ。多少はサバを読んでいるとしても、一歳か二歳くらいだろう。
俺と大して歳の違わない少女が、どうして危険の伴う仕事をしているのだろうか。これだけの容姿があれば、もっと他に出来ることはあっただろう。
そんなことは美少女じゃなかったら、気にならなかったのかもしれない。男なんて、そんなものだ。