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1‐1 完璧ではない朝食

 

 寮母兼メイドとして働くこと早一週間。

 散々脅されていたわりには仕事内容は意外とぬるかった。


 ぬるいと言うか、世話をする対象が牛から人間に変わっただけと言える。

 もちろん牛と違って文明の中で生きている人間なので、衣服の洗濯や調理等が発生しているけれど、それは村にいた時も行っていた。何なら聖女時代も僻地すぎて他人に頼むことができない場合は自分でしていた。


 つまり……村にいた頃と生活は大して変わっていないのだった!



「あっおはようございます! エリック、フォルテ!」

「おはよう、アンさん」

「…………」


 朝食ができたので二人を呼びに行こうとしたところ、すでに二人とも一階へ降りていたようだ。食堂前でばったりと鉢合わせた。

 笑顔と挨拶を返してくれたエリックとは対照的に、フォルテは無表情で横を通り過ぎて食堂内へと向かって行った。これは一週間変わっていないので特に気にしてはいけない。


「今日の朝ご飯は野菜スープと目玉焼きとパンとベリージャムですよ!」

「つまり昨日の朝メシと変わってねえってことだな」


 再度の呼びかけにもフォルテは振り向くことがなかったものの、きちんと言葉は返ってきた。

 そのことにニコニコとしているとエリックから不憫そうな視線を向けられる。


「アンさん……無理はしてない? 何かお手伝いが必要なこととか……」

「ありませんよ。むしろエリックは何か必要な物はありませんか? 春休みももうじき終わってしまうんでしょう?」

「え、僕?」


 意外なことを言われたように驚いた表情を浮かべたエリックは、そのままうーん、と考え込んでしまった。


「ペン……インク……紙もまだあるし……あ、ランタンのオイルは……今は僕とエリックだけだけど、皆が帰省を終えて寮に戻ってきたら足りないかも……」

「ランタンオイルはもう補充してありますよ! もう、エリック、そういう管理はわたしの仕事だから気にしなくていいんですよ」

「えっ!? 総寮母長に一人で会いに行ったの!?」

「物資の申請はデボラさんに出さないと受理されませんからね?」

「それはそう……そうなんだけど……そうだね……」


 ほう、とエリックはひとつ息を吐いて、それから何かを振り切るようにかぶりを振った。


「ありがとう、アンさん」

「なんの、わたしの仕事ですから」


 どんと胸を張ってみせると、大仰な仕草と小さな仕事の落差が面白かったようでエリックはくすくすと口元に手を当てて笑みをこぼした。

 エリックの緊張がほぐれたのを見て、その背中に回ってぐいぐいと食堂内へと彼の体を押す。いつも困っていて儚げな印象があるエリックだけど、意外にその背中はしっかりしている。押してもエリックの善意が無かったら前に進まなかっただろう。


「ほら、フォルテに全部食べられちゃいますよ! エリックも早く席に着いてください!」

「ンな卑しいマネするか! アホが!」


 壁が薄いので当たり前にこちらの会話は筒抜けだ。

 食堂内からフォルテの抗議の声が飛んできて、エリックは今度こそ大きな笑い声をあげた。





 夜の食事を作り、厨房を片付け、備品の点検をしたら一日の仕事はほとんど終わりだ。

 あとは施錠と見回りだけである。


 エントランスホールを抜けて、できるだけそっと玄関の扉を開けて外へ出ると木々の隙間から村にいた頃と変わらない星々が見える。

 外の巡回は特に指示されていないし、そもそもが広大で厳重な塀に囲まれた学園内なので必要ではないのだけれど気分転換も兼ねて行っていた。


 それに……。


「ベネット~~」

「ワン!」

「しーっ、ダメですよ夜だから静かにしなくちゃ……。あと明言されていない法の隙間を突いているのでバレたらベネットはデボラさんに追い出されるしわたしはめちゃくちゃ怒られると思います」

「クゥーン……」


 どこからやって来たのか、数日前から一匹の犬が寮の側にいたのだ。

 学園の外へ追い出すべきなんだろうな……と思いつつ、光るクリーム色の長い毛並みとくりくりした瞳が愛らしく、こっそりと餌付けをしていた。


 どことなく元の世界の友人に似ているような気がして名前を拝借してしまったことも考えると、自分は少し淋しいのかもしれない、と他人事のように考えた。

 しゃがんでベネットの前に椀を置き、そのまま頬杖をつく。


「パン粥だけじゃなくてお肉もあげたいけど、先立つ物がなぁ……」

「おい、それってオレ達のメシから盗んでるんじゃねえよな」

「失敬な。わたしの寒い懐から……あら」


 振り向くとそこには、フォルテが立っていた。

 場の空気を意に会した様子なく、はぐはぐと食事に夢中になっている様子のベネットを眺めるその視線は冷めている。犬の食事をほほえましく思っている様子は全く無かった。


「えーーー、わたしが校則と就業規則を確認したところ犬の飼育を禁じる文言はありませんでした! ゆえにこれは合法です。合法犬。偉い人に禁じられるまでは」

「ハッ、別に言いつける気なんてねえよ」

「本当ですか? ありがとうございます!」


 言い訳にも感謝の言葉にもフォルテは興味が無さそうだ。

 視線は犬――ベネットに注がれているものの、ベネットにも特別興味は無さそうに見える。


「レオンハートの周りは塀の補修も大してされてねえしな……野良犬の一匹も入る隙間もあるだろうな」

「おかげでベネットと会えてわたしはうれしいです」

「幸せなヤツ」


 フォルテは嘲るように鼻で笑った。

 髪も瞳も、燃えるような赤色をしている彼だけれどそれ以外はどこまでも冷ややかだ。


「こんな……」

「はい?」

「こんなしょうもない場所の、しょうもない仕事に満足しているヤツには何もわからねえか……」


 ざあ、と、風が吹いて木々の枝葉が擦れる音が響いた。

 いつの間にかフォルテの視線の先はベネットからこちらへと移っている。燃える赤色の冷たい視線はどろりと暗い。こちらを試すようにも、何の期待もしていないようにも見えた。


 なので、あえて。

 正面からそれを受け止め、にっこりと笑ってみせた。


「ええ。わたしはやりたいことをして、満ち足りていて、幸せですよ。フォルテ、貴方はどうですか?」


 一瞬、ほんの一瞬、怒りを堪えかねたようにフォルテが顔を歪めた。

 何かを言おうとして開かれた口が何かを言うことはなく、フォルテはくるりと背中を向けて立ち去って行く。


「大人げないことをしてしまったかもしれません」

「ワウー」


 すっかり椀を空にして満足気なベネットの頭を抱き寄せて、ふわふわの首筋に顔をうずめる。

 旧友なら「わりと君はいつも大人げないよ!」なんて笑って言ってきそうだが、このベネットは犬である。犬は何も言わず人間に寄り添ってくれて優しい。


 明日の朝食はフォルテの分を少し多くして、昼か夜は何とか好きな物を作ってあげられたらいいな。





「おはよう、アンさん。……あの、フォルテの姿が見えないし部屋がもぬけの殻で……。何か知っている?」

「お、大人げないことをしてしまったかもしれません」



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