0‐3 外れくじ 出るまで回せば 当たりくじ
王立アカデミーの歴史は古く、およそ500年前……建国王ザックの御世に建てられたという。
貴賤の区別なく優秀な人間を育てるために、試験に突破さえすれば国が学費と生活費を負担して学ぶことに専念できる、この国一番の学府だ。
このアカデミーで学ぶことは平民にとってはもちろん、貴族出身の子息にとっても非常に名誉である。
この国の学者や政治家、優秀な魔術師や騎士は基本的に王立アカデミーから輩出されており、何を志す若者であっても一度はこの最高学府で学ぶことを夢見る、そんな場所がこのアカデミーなのだ。
「それは……とてもすごい場所ですね?」
「本当に何も知らないで来たんだね……」
物珍しい動物を見るような、それを哀れむような生暖かい目をエリックに向けられた。
この世界に渡ってからずっと、田舎で牛と村人とのほほんと暮らしてきたので許してほしい。この国の成り立ちすら知らないと言ったらエリックは倒れてしまうかもしれない。
ギシギシと二人分の重みに床がきしむ音が鳴る。
寮の中に案内されて一目みた感想は、「古いけど意外と綺麗にしてある」だ。クレアおばさんの努力の賜物だろうか?
「全寮制になったのは建国王の数代後なんだけど……その頃から変わらずに3つの寮があるんだ」
「ここ以外にも2つ寮があるのですか?」
「うん。建国王の武勇を称えて、自らもそれに倣う勇士たちの寮、ブレイブル寮。彼らは騎士を志す人が多いかな。たまに高名な冒険者になる人もいるし……活動的な人が多いって言えばイメージしやすいかな?
もう1つは建国王の知恵を、先見の明を発展させようとする学士たちの寮、フォックスアイ寮。学者や魔術師になる人が多いんだ」
「なるほど……あの、では」
「うん」
数歩前を歩いていたエリックが振り返った。
困ったような、少し恥ずかしそうな笑みを浮かべている。
「ここ、レオンハート寮は……その、建国王の高潔な精神や勇気の心を継ぐ……継がんとする寮、です」
「あら! 素晴らしい!」
「えっ」
「もちろん力も知恵も大事なことには違いありませんけど、最後に一番大事なのは心ですからね!」
聖女だった頃、救世の旅の中で数々のピンチに追いやられてきたものだ。そんな中で最後に振り絞ったのは力でも知恵でもなく間違いなく心……根性である。
谷底に落ちて崖登りをせざるを得なくなったあの時。
助けに向かったはずの村人に裏切られて魔物のエサになりかけたその時。
氾濫した川に人助けのために落ちた時、燃え盛る都市での戦いエトセトラエトセトラ……。
「間違いありません。素晴らしい寮の教えだと思いますよ」
両方の拳を握りしめて力説するとエリックの困ったような下がり眉の微笑みが初めてゆるんだ。
何の憂いも無くはにかんだ顔はようやく年相応の少年のようでかわいらしい。
「でも、それなのに何でこんなに古い寮なんですか? 校舎はとても綺麗な建物でしたよね?」
「……」
話題を致命的に間違えたようだ。
エリックの表情が一瞬でまた曇ってしまった。
「教えてやれよ、寮長サマ。先々代国王の嫁をかっさらってどっか消えたアホがウチの寮出身だってよ」
頭上から声が降ってきた。
顔を上げると、階段の手すりにもたれかかった燃えるような赤毛の少年がいた。2人目の寮生だろうか?
「フォルテ……もうちょっと言葉を選んで……」
「事実だろうが」
吐き捨てるようにそう言って、フォルテと呼ばれた少年はこちらをちらりと見てひどくつまらなそうな顔でフンと鼻を鳴らした。
「お前はクレアの代わりか? とっとと別の就職先を見つけた方がいいぞ、お嬢さん」
それだけ言うとこちらが何かを言う間もなくフォルテは踵を返して2階へと戻って行った。
「あああ、あの、アンさん、彼も悪い奴では……悪……良い奴かと言われるとそうでもないんだけど、悪意があるわけでは決してなくて、その、……うん……余計悪いかもしれないね……」
エリックが何とかフォローしようとして失敗している。
あわあわと両手を振りながら必死な様子は、自分よりも背が高いのに小動物のようでかわいい。
しかし、フォルテの言葉で何となく察しがついた。
「つまり……この寮出身の方が王族に不敬を働いて不興を買ったために、この趣深い寮をあてがわれている?」
「………………そうです」
長い沈黙の後、観念したようにエリックがうなずいた。
「大体60年くらい前かな? 当時の騎士団長がレオンハート寮の出身で、王妃様をさらって雲隠れしたんだよね。当時はレオンハート寮の取り潰しまで行きそうになったんだけど、何とか残ったんだ」
それが本当に良かったのかは分からないけどね。
そう言ってエリックは溜め息を吐いて肩をすくめた。
「以来、レオンハート寮はその、煙たがられているんだ。レオンハートに入るくらいなら入学を諦めるっていう人間もいるほど」
「でもエリックもフォルテもここにいますよね?」
「フォルテは……これはフォルテに限った話ではないけど、下級貴族の子息はレオンハートでもいいから入学させるってことが多いかな。5年間の生活が保障されていて、しかも無料で学ぶことができる機会というのは早々無いからね」
「なるほど……エリックは?」
「僕? 僕……も地方の下級貴族出身だからね」
困ったように曖昧に微笑んで、エリックは言葉を切った。
事情が見えてくるにつれてエリックの少年らしからぬ表情の数々の理由も見えてきた。
……めちゃめちゃな苦労人だ!
「それでその、この寮にいると君にも大変なことがたくさんあると思うんだけど……」
エリックは意を決したように息を吸って、深く頭を下げた。
「正直絶対お給金と苦労が見合ってないと思うけどどうか辞めないでください! 他の寮と違ってメイドもいないので寮母さんだけが僕たちの生活の頼みの綱なんです! お願いします!」
「えっ辞めませんよ」
「えっ」
がばっと勢いよくエリックが顔を上げた。再び物珍しい動物を見るような目でまじまじと見つめられる。
「女神様……?」
「いえ、聖女です」
「えっ?」
「あっ、ジョークです、ジョーク。ふふ」
聖女としての自我が出てしまった。危ない危ない。
この世界ではべつに聖女でも何でもないのに。
こほん、と取り繕うように咳払いをしてエリックの手を握る。冷たい手だ。さぞかし緊張していたのだろう。
そのいじらしさに微笑みを浮かべて、ぎゅっと更に強く握る。
「エリック、わたしは一度決めたことをやってもいない内に諦めませんよ。絶対にね!」