二千年の眠りから目覚めた魔王の生贄になった私ですが、どうやらかなり懐かれています(ただし魔王はショタジジイ)
ヴェッキア神王国には数千年前から伝えられてきた言い伝えがある。
――二千年の後〝暴虐の魔王アトロラ〟が目覚め、国を亡ぼすだろう。
魔王の怒りを治めるため、神王の血を引く純潔の乙女を捧げよ――
◇
「ごめんなさい、シシアお義姉さま。私がワースと掟を破ってしまったばかりに、心優しいお義姉さまが生贄になってしまうなんて……」
「シシア、本当にごめん。俺、サリイと絶対幸せになるから。シシアのことは忘れないよ!」
いつもは「あんた」と呼ぶくせに、こんな時ばかりは猫を被った腹違いの妹サティのすすり泣く声。そして元婚約者ワースの調子の良い別れの言葉。
私だって命を失うのは怖い。まだ十七歳、早すぎる終わりだ。
(でもこれは王命。行かなければ反逆者として裁かれるだろうし、他の誰かを犠牲にしてしまうだけ。この国を危険に晒すことにもなる……)
聞きたくもない声だけに送られ、私は世界を脅かす魔王の生贄となるべく旅立った。
のだけれど……。
深い森の奥。魔王の封じられたとされる祠に来た私の目の前にいるのは、せいぜい十歳くらいの真紅の髪の少年だった。
「なんじゃ、お主は。……はて、今何年じゃろうか」
「へ? あ、ああ、今はヴェッキア歴2000年ですけれど――」
「はあっ? 『ヴェッキア』歴じゃと? あいつ、抜け駆けしおったな!」
少年は妙に昔がかった口調で憤っている。それに古代の壁画に残された絵とよく似た簡素なローブ。
(何、この子……? もしかしてこの子が――)
真っ白な肌。柔らかそうな頬。ローブから時折顔をのぞかせる、つるんとした膝小僧。何色ともつきがたい、まるで星屑を閉じ込めたように輝く瞳。そして人間離れした美しさ。
「もしかして、魔王……?」
ぽつりと漏れた私の声に気づくと、少年はニヤッと笑った。
「いかにも。わしが“魔王アトロラ”じゃ。アトちゃん、でよいぞ」
「う、うそ……」
信じられないことに、二千年の眠りから覚めた暴虐の魔王は、少年の姿をしていたのだった。
「おい娘、そんなに怖がることは無いと言っておろう。わしは人を取って食わんて。ほれ見ろ。こんな可愛い見た目をしておるのに、人など食う訳ないじゃろ?」
そう言って魔王アトロラことアトは、合わせた両こぶしを自分の顎に当て、ひれ伏す私の前にしゃがむと上目遣いで「きゅるん☆」と変な効果音をつけてみせた。
「し、しかし私はあなた様の生贄として――」
「だぁ~かぁ~らぁ~! だぁれが生贄など欲しいと言ったのじゃ? わしは断じて言っておらん!」
アトはぷんすか怒っているが、子どもの姿では全く迫力がない。自分でもそのことに気づいたのか、仕方ないとでも言うようにため息をついた。
「はぁ……どうせヴェッキアの奴が適当なことを言い残したんじゃろ。はて、娘。そういえばお主の名を聞いておらなかったぞい」
「は、はい! 私の名は……」
シシア・ネ・ヴェッキア。それが私の名前だ。
ヴェッキア神王国の国王を父に持つ、歴としたこの国の王位継承者――だった。
「ふうむ。母が亡くなってすぐに同い年の義妹が現れるとは。当代の王はだいぶ節操なしじゃのう」
「お恥ずかしい限りです……」
国王である父は今も女性に夢中で、私たちになど興味がない。日常の執務は大臣が担っていた。
突然現れた異母妹のサリイは、さえない灰色の髪と目をした私と違い、輝くような黄金の髪と瞳を持った女神のような少女だった。サリイもそれを自覚し、私を下に見ているところがあった。
だが年も変わらず、どちらも国王を父に持つ正統な血筋の乙女。それならば人々が愛するのは、華やかで愛嬌のあるサリイの方で……。
「――だから義妹の方を生贄に、というのもおかしな理屈じゃて」
「歴史に名が残るのはサリイだから、と……」
「しかし、その義妹は生贄となるのを嫌がり、お主の婚約者と関係を持った。それでお主が代わりに生贄として送られたのじゃな」
「はい……」
ワースは真面目さが取り柄の騎士だった。彼の父が資産家であることも決め手となり、私と婚約していたのだが、ワースの深く考えることのない性格が災いしたのだろう。生贄になりたくないサリイの誘惑に簡単に屈し、二人は結ばれてしまった。
純潔を散らしたサリイは、もう生贄になることはできない。
「ふうむ。しかし、お主はなぜ黙って受け入れたのだ?」
「え? それなら私が代わりになるしかないですし……」
「よくわからんのお。嫌なら嫌といえばよいだろうに。若者の考えることはわからんわい」
アトはそう言って首をすくめた。
しかし私よりもはるかに幼い少年の姿でそんなことを言われても、ちぐはぐさがすさまじい。思わずジッと見つめてしまっていたのだろう。私の視線に気づいたアトは、まるで私の頭の中を見透かしたようにニヤっと笑った。
「なんじゃ? そう見とれるでない。二千年も眠ったわしの美しさが、若返ったおかげでより磨きがかかったのは否定しないがのぉ」
若返ったのは見た目だけではなかったようだ。
アトは「身体が軽いわい」と繰り返しながら、ひらりと宙に舞い上がった。初めて見た魔法。それだけで彼が魔王であることを信じざるを得なかったのだが、アトはあっという間に祠の周りの木々を煙のように消し去り、手を一振りしただけで一軒の家を建ててしまった。
「魔力があふれ出て来おる。いやはや、たっぷり休息をとったかいがあったのお」
宙に浮いたまま、自分の手をうっとりと見つめている少年の姿に、ぞくりと寒気が走る。
“暴虐の魔王”の得体の知れない強大な力に、私はひたすら恐ろしさを感じるしかなかった。
出来上がった家を呆然と見つめる私の前に、すうーっと降り立ったアトは、私の袖をくいくいと引いた。ハッと見下ろすと、キラキラと輝く瞳が私を見上げている。
「さあ、シシア。飯じゃ。わしはまだ目覚めてから飯を食うておらんぞ。腹が減って仕方がないわい」
◇
アトは予想以上に少年だった。よく食べ、よく眠り、そしてよく笑った。
さらに私は彼にかなり懐かれ、何をするのにも一緒に行った。食事を一緒に取り、アトの時代の話を聞く。人の立ち入らない森を伸び伸びと散策し、夜は寝物語を聞かせて一緒に眠る……。
(ど、どうしましょう。この生活、すっごく楽しいわ……)
私は洗濯物を干しながら、新鮮な空気を思い切り吸い込んだ。
必要な物はアトが魔法で出現させるし、私も彼も家事はある程度自分で出来る。口うるさい侍女たちもいない。何よりここには的外れなことばかり言うワースも、嫌味ばかりのサリイもいない。
――生贄となった王女としての責任も、ここにいる限り問われることはない。
(でもこの生活を続けていていいのかしら。こんな姿をしていても、アトは“暴虐の魔王”。いつ気が変わって、この国を滅ぼすと言い出すかわからないし……)
私が役目を果たさなかったせいで、この国が危機を迎えたらと思うと怖くて仕方がない。
(もしかしてその時は私も彼に消されてしまうのかも――)
「おぉい、シシア! 聞こえておらんのか?」
「っひゃああ!?」
チクリと感じた胸の痛みはアトの大声にかき消された。耳の奥がキーンとなる中、私は頬をぷくっと膨らませているアトを見下ろした。
「な、なんですか。急に……」
「何度も声をかけておったのだぞ、まったく! ……まあ良い。これを見てくれ、シシアにこれは何が起こっているのか聞きたかったのじゃ」
そう言うとアトの手が宙を撫でた。撫でられた空間が一瞬つるりと光ると、そこに映し出されたのは街中の光景だった。見たことのあるその街は、ヴェッキアの城下町だ。
森から離れた町の様子を、アトは魔法の力でこの場に映し出したようだ。
(本当にアトの魔力を使えば、何でもありなのね……)
驚きつつも、映し出された光景を見ていると、街中は普段と異なり花々で美しく飾られている。食べ物や工芸品を売る屋台も出て、かなり賑わっている。
「あ、今日は建国祭だったのですね! 長く様子を見てなかったけれど、なにも変わらないのね」
私は懐かしい光景に興奮を隠せなかった。アトは私の隣から覗き込んでくる。
「建国祭じゃと?」
「はい。始祖神ヴェッキア様がこの国に降り立った日を祝う祭りで――」
「行くぞ!」
「えっ?!」
「あいつのための祭りとやらを、一目見てやるわい」
残念ながらやる気になったアトを止めることはできなかった。あっという間に町の近くまで転移させられ、建国祭に繰り出すことになった。
「ほう、これが二千年後の世界か。ヴェッキアめ、自分だけこのように祝われおって……」
「迷子になりますよ。あまりはしゃぎすぎないでくださいね」
ヴェッキア城に見下ろされた街並みは、祭りの真っ只中。いつも以上に活気づいていた。
(きっと私に気づく人はいないわね。私はサリイのように目立たないもの……)
それに今は自分のことよりも、アトの方が気になって仕方がなかった。
きょろきょろと辺りを見回すアトは落ち着き無く、油断すると人混みに埋もれてしまいそうだ。彼の背丈では見失ったら終わりだろう。
(あ、そうだわ)
幼い頃、元気だった母と一度だけお忍びで遊びに来たときの事を思い出す。私はアトに右手を差し出した。
「はい」
「はい?」
目の前に差し出された私の手を見つめ、アトは小首を傾げる。同じように私もなぜ彼が応じてくれないのかと、首を傾げた。
「離れてしまわぬよう、手を繋ぎましょう?」
「……っ、そ、そうか! そうじゃな!」
おそるおそる伸びてきた手をガシっとつかむと、一瞬アトがぴくっと驚いたように跳ねた。しかしすぐに大人しく手を引かれるままになる。
「あれこれ言わずとも、初めからこうすればよかったじゃろうに……」
「え? なんですか?」
「何も言っておらん!」
何やらぶつくさ呟いていたアトの声は、祭りの賑わいで私に届くことはなかった。私も怪訝に思いながらも、すぐに祭りに意識を奪われてしまった。
大道芸人や舞台、子どもたちの合唱、そして沢山の屋台。あちらこちらで大はしゃぎするアトを、はじめはひやひや見ていたものの、私も気づけば大きな口を開けて笑って過ごすようになっていた。
「楽しいのお! いやぁ、ヴェッキアを少しだけ見直してしもうたわい」
街が夕陽に包まれ始めた頃、アトが満足そうに声を上げ、繋いだ手をぶんぶん揺らした。
アトの右手にはアトを気に入った花屋のご婦人にもらった花輪、そして私の左手には買ったものの食べきれなかった料理の入った袋が下げられている。
「二千年前もこんなに楽しいことはなかったわい。目を覚ました時にお主がおらんかったら、わしはどうしておったんじゃろうなぁ」
アトはしみじみと呟いた。それはきっとアトの本音だ。私もあのまま城にいたら、いったいどんな人生を送っていたのだろう。少なくともこんな風に笑える日はこなかったはずだ。
「私も本当に楽しかったです。こんなに楽しいの、生まれてはじめてでした」
私は心からそう思っていた。今日だけではない。生贄としてアトの元を訪れてから、私の毎日は彼の瞳のようにきらきらと輝いている。
「アトと暮らせるこの日々が、ずっと続けば良いのにと思ってしまうくらい……」
「それは……ははっ、すごくうれしいぞ」
アトはさらに激しく手をぶんぶん揺らす。彼のふっくりした頬は、夕陽に照らされているせいか赤く染まって見えた。
その時、路地の向こう側で何かが割れるような音と、女性の怒鳴り声、そして男性が必死に追いすがるような声が聞こえて来た。
「お、ありゃ痴話げんかじゃ! さあシシア、急げ。野次馬になるぞい!」
「ちょ、ちょっと――!」
アトはそれまで繋いでいた手をパッと離すと、狭い路地にぴゅーっと駆け込んで行ってしまった。追いかけながら、アトの熱が冷めていく右手になぜか得も言われぬ不安が押し寄せる。
「待って、アト! それ以上行ったら――」
路地をヒョイッと飛び出した先は、酒場の目の前だった。すでに人だかりができており、辺りに城の兵士の姿も見える。アトの姿を見つけて近づくと、激しく言い争う声が聞こえて来た。
「私が誰と会っていようと、あんたには関係ないでしょ!」
「だ、だからといって、男性と二人で部屋にいるのは――」
「はぁっ!? ただ話していただけよ、束縛しないでちょうだい!」
その金切り声を聞いた瞬間、私の心臓はぎゅっと締め付けられた。私がこの声を聞き間違えるはずがない。
「サリイ……」
「シシア、どうしたんじゃ?」
輝くような金色の髪と瞳。どれだけ怒っていても失われない華やかさ。
(間違いない、サリイだわ……)
一方、言い負かされそうになっているのはワースだった。祭りの警備にあたっていたのだろうか、騎士団の制服が目立つ。
なぜこんなところで、と思っていると野次馬たちの話が聞こえてくる。彼らはひそひそとこれまでの経緯について教えあっていた。
「どうやら姫様が浮気相手としっぽりやってたとこに乗り込んじまったらしいぜ」
「んまぁ……。姉姫様のお相手だった騎士様だけじゃ足りなかったのかねぇ。これじゃ、生贄になった姉姫様がかわいそうだよ」
まさかその姉姫本人がここにいるとは思ってもいないだろう。気まずく感じながらも、街の人々が公平な目で見ていることに少し安心していた。
(でも長居するような場所じゃないわ……。何より早く離れたい――)
「アト、もう行きましょう?」
「――シシア?」
しかし私の思いが叶うことはなかった。二度と呼ばれるはずの無い声で私の名が呼ばれる。錆びついた金属のようにぎこちなく顔を上げると、驚愕に目を見開いたサリイとワースがこちらを見ていた。
「あんた……生きてたの?」
「ひいっ! ゆ、幽れ――って、ほ、本物っ?」
憎たらしそうに顔を歪めるサリイと、怖がるのと驚くのとで忙しそうなワース。二人の視線がこちらに向いたことで、ざあっと私とアトのまわりに空間ができた。
「ほう? あれがお主の義妹か、なるほどなるほど」
「アト――?!」
硬直する私の手がぎゅっと握られる。アトだ。
アトは今度は自分たちが注目の的になっていると気づいていないのか、野次馬根性丸出しで二人をニヤニヤと見つめている。
だがそこでアトが私の連れだとわかったのか、サリイが目の色を変えた。
「なんてきれいな子なの……」
「え……っ?」
うっとりとアトを見つめるサリイは恋する乙女のように頬を赤らめていた。今さっきまで浮気したしないで揉めていたばかりじゃないか、と呆れる間もなく、サリイが騒ぎ始めた。
「わかった。その子はあんたの男の連れ子ね。そんなきれいな子の父親なんだからさぞかし顔が良いはず! シシアのくせに生意気だわ!」
「な、なんだって? 俺というものがありながら、他の男にうつつを抜かしていたのか?」
「きっとそうだわ! 生贄にならず、男のところに逃げ込んだのよ」
「王命に背くなんて、反逆者じゃないか!」
ちぐはぐなようで妙に噛み合った会話のせいで、私が「生贄になることを拒んだ反逆者」として二人の中では落ち着いたようだ。
「そうだ、いいことを思いついたわ!」
サリイがパチンと手を叩いた。
「あんたを見逃してあげるし、なんならワースを返してあげる。その代わりに、その子の父親を交換しましょうよ! そうよ、それがいいわ!」
「は?」
まさか予想だにしていなかったサリイの発言に、頭の中に「?」がたくさん浮かぶ。しかし彼女の眼差しに込められた熱は、それが本気で言っていることのだと伝えてきた。
(何を馬鹿なことを……。そんなの絶対に頷くわけがないでしょう!)
私はアトを自分の後ろに隠し、勇気を振り絞る。
「……いやよ」
「は?」
「私はもうあなたたちの言いなりにはならない。生贄になった昔の私はもういないの!」
「あんた、逆らうつもり……!?」
まさか私に断られると思っていなかったのだろう。みるみる顔を真っ赤にさせたサリイは怒りを爆発させた。
「そんなの許さないわ! ワース! シシアは反逆者よ、はやく捕まえなさい!」
「と、捕らえろ! 反逆者だ!」
ワースは慌てて兵士たちに私を捕らえるよう命じた。困惑気味の兵士たちも王女の命に背くわけにはいかない。私たちを捕まえようと向かってきた。
「アト! 逃げましょう!」
ここで捕まれば王命に背いた重罪人となってしまう。アトの力ならすぐに逃げられるはずだ。私はアトに声をかけた。
「アト?!」
だがアトの手を引くも、アトの身体は微動だにしない。
「……醜いのぉ」
「――っ?!」
ぽつりとアトが呟いた。
だがそれはこれまで聞いてきた少年の声ではない。地の底から響くような怒りに満ちた低い声に、全身にぞわっと鳥肌が立つ。
「お主ら、自らを棚に上げ、わしのシシアを侮辱するのも大概にするがよい」
見ればサリイとワース、兵士たちも皆真っ青な顔で固まっている。何も起こっていない、しかし大変なことが起こっていると、人としての本能が伝えていた。
「〝暴虐の魔王〟の言い伝えは知らんのかえ?」
「――っ、ウワァァッッ!!」
アトがそう口にした途端、凄まじい突風が吹き抜け、兵士たちがまるで木の葉のように遥か彼方に吹き飛ばされた。
「ヒエエェッ……! 魔王だ! 〝暴虐の魔王アトロラ〟だ!!」
その光景に街の人々は悲鳴を上げながら散り散りに逃げていく。
「お、お前たち〜、待ってくれ〜!!」
「ワース! どこに行くのよ!」
ワースは自分の身の危険を感じたのだろう。兵士を追うふりをしながら、街の人々に紛れて逃げ去ろうとする。
「逃さんぞ」
「う、うわぁぁぁ!? 何だこれはっ!」
アトの声が聞こえると、ワースの身体は宙に浮いた。懸命に足を動かしているものの、その足は宙を蹴るばかり。
背を向けていたワースはすーっと空中を滑るようにサリイの隣に戻されると、糸の切られた操り人形のようにドスンと地面に落とされた。
「ギャゥッ! はわわわお許しください〜! 全てサリイのせいなんです! 俺が本当に愛してるのはシシアだけなんだ、信じてくれシシア!」
「あんた何言ってんのよ!」
尻もちをついたワースは、今度は私に媚びを売る。そこに目を吊り上げたサリイが食ってかかり、ギャアギャアと責任のなすりつけ合いが始まった。
(私、どうしてあんな人たちにとらわれていたのかしら……)
醜い言い争いを見ていると、これまでのことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。
「シシア……お主はどうしたい? かの者たちのところに戻りたいか?」
はっとアトを見ると、彼の視線はまっすぐ二人に向けられていた。ただ、繋がれたままの手にきゅっと力が込められた。
「私は……」
もしこの手を離せば、きっとアトは一人。二千年の眠りから覚めた彼に家族や友人はいない。
(でもそれは私も同じ……)
所在なさげな少年の姿に同情したのかもしれない。けれど既に、アトと過ごす時間は私にとってかけがえのないものになっていた。
「私は、アトと帰りたい……」
「……ふっ。聞くまでもなかったかのぉ」
アトの表情はよく見えない。ただその声は嬉しそうで――。
「わしも同意見じゃ。だが、かの者たちはただで帰すわけにはいかん」
そう言うなり、アトの周りを激しい漆黒の炎が取り囲んだ。炎の勢いは強く、ワースもサリイも言い争うのをを忘れ、飛んでくる火の粉を振り払うのに必死になっている。
だが、アトの隣にいたはずの私はまったく熱さを感じない。それどころか、いつの間にか私の身体はアトの力強い腕に抱き寄せられていた。
(……え、腕に?)
気づけば私の隣にいるのは小さなアトではない。
凛々しい横顔、長いまつげに薄い唇。風に煽られた赤髪の隙間から見え隠れするのは、星屑を閉じ込めたように輝く瞳。
「ア、ト……?」
この世の者とは思えない美しさの青年が、私を抱え、二人をジッと見据えていた。
「消えろ」
青年が口を開くと同時に、目を開けていられない程の激しい光が町全体を包み込んだ。思わず目をつむると、私を抱く腕の力が強くなる。
次の瞬間――
「し、城が……!」
「城が消えたぞ!」
どこからか悲鳴にも似た声が聞こえて来た。ちかちかする目を必死にこじ開け、城があった方角を見るが、何もない。方向を間違えたかと辺りを見回すが、どこにも城は見えない。
「何を驚くことがある。〝暴虐の魔王〟の名に応えてやっただけじゃのに。安心せい、人は生かしておるぞ」
「ひ、ひぃ……」
ワースは腰を抜かし、サリイはぽかんと口を開け、ついさっきまで城があったはずの空間を見つめていた。
「さあ、今度はお主らじゃな」
「……アト?」
その声にパッと隣を見ると、そこにいたのは少年の姿をした私の知るアトだった。さっきまで私を抱き寄せていた青年の姿は忽然と消えていた。
「た、助けてちょうだい……。そうだわ、私はどう? シシアよりも美しいし、あなた様のお気に召すと思いますわ!」
「シシア! 俺を助けてくれ! 騙されていただけなんだ!」
「うるさいのう。少し静かにしておれ」
アトはぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる二人に手をかざした。途端、二人の身体がどさりと崩れ落ちる。
「あっ――」
「なあに、少しばかり眠ってもらっただけじゃ」
アトが言う通り、二人は安らかな寝顔を浮かべている。ホッと胸を撫で下ろすと、愉快そうに笑う声が響いた。
「はっはっは。二人なら元気に目を覚ますぞい。いつか必ず、な」
一方、突然消えてしまったヴェッキア城跡地。住処も財産も失われてしまった国王の元には、仕事場を奪われた大臣や使用人たちが詰め寄っていた。
後にこの「ヴェッキア城消失事件」は、「魔王の呪い」と称されるようになった。呪いを防げなかった国王の威信は地に落ち、分家に王位を譲ることとなる。
◇
私が知るのはそこまで。国王の行方や、眠り続けるサリイとワースがどうなったのかは知らない。
私が帰ったのは、アトと暮らす森の中の小屋。
「なあ、シシア。腹が減ってしもうたわい。飯はまだじゃろうか」
「……さっき散々食べたばかりでしょう?」
「はて、そうじゃったかいなぁ。まあ成長期じゃ、成長期。はっはっは!」
二千年の眠りから目覚めた魔王は恐ろしい魔力を持つ――よく食べ、よく眠り、よく笑う少年だった。
数年後、青年となったアトに迫られる日が来るのだが、今の私はそんなことつゆ知らず、満たされた毎日を過ごすのだった。
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神王ヴェッキアと魔王アトロラは俺たちは二人で一つだった親友。退屈しのぎに「どちらが長く寝ていられるか」と競い始めたものの、ヴェッキアがこっそり起き出し「こいつ真面目に寝てるw」と面白がって、変な言い伝えを残した……という裏設定がありました。