全てのはじまり
テリシア・シドレーヌ、16歳。後ろで丸く纏めた栗色の髪と、輝く蜂蜜色の大きな瞳。我ながらどちらも美味しそうな色をしていて、つい口の端から垂らしかけたヨダレを慌てて飲む。
細長い鏡に映った自分の顔から目線を落とすと、今度はヨダレの代わりにため息が漏れた。
「やっぱりこの体は考えものよね…。」
髪と瞳の色はこんなにも美味しそうな素晴らしい色をしているのに、体型はこの体たらく。まあそんな思考に辿り着く時点で、脳みそまでぽっちゃりになってしまっているのだろう。
ここで一つ言い訳をさせてほしい。私がこんな体型になってしまったのには、大きなワケがある。
何を隠そうこの私、テリシア・シドレーヌ16歳。幸か不幸か家族に愛されているのだ!
一日に三回、家族全員が集う食事の場。私は小さな頃からよく食べる子供だった。お母様はそんな私を「可愛いわね〜」とずっとニコニコしながら眺めている。
その様子を見たお父様は、使用人に言いつけ食べ物をどんどん持ってこさせる。そのおかげで、私の前にはいくら食べても尽きることのなさそうな食べ物の山が毎食出来上がるのだ。
これだけでも充分太る要因なのだが、まだ止まらない。
美味しそうに沢山食べてくれて嬉しい!とかいう理由で、料理人を始めとした使用人達からはとにかく可愛がられた。だから食事やティータイムの時以外にも沢山の食べ物の差し入れがある。
年が近く一緒に遊ぶことが多かったお兄様は、私と一緒に差し入れをもらうことが多かった。
それを見て何を思ったか、料理人と手を組んで“テリシアにもっと美味しい料理を振る舞い隊”を結成。キッチンでシェフ達と共に夜な夜な料理研究をしていた。
そのお兄様率いる謎の軍団は新しい料理ができる度に私に夜食として振る舞ってくれた。私が食べて気に入ったら、いつものメニューにさりげなく組み込まれるといった徹底ぶり。
そんな調子の家族たちに愛されてきた結果こそが、この立派に育ったわがままボディなのだ。
平均的な少女に比べるとやや横に大きい私だけれど、一応これでも貴族令嬢。王国から直々に〝シドレーヌ家長女 テリシア・シドレーヌ子爵令嬢〟というかっこいい肩書きを与えられている身分でもある。
貴族と社交界は切っても離せない。各々の目的のために貴族達は社交界へと赴く。それはシドレーヌ家も例外でもなかった。
社交界に一歩踏み出せば、スレンダーで色とりどりの綺麗なドレスを着こなす御令嬢達がズラリ。それも当然、年頃の少女たちにとって社交界での目的とは、将来の相手を探すことなのだから。
そんな少女達の姿を見たあとで自室に戻り鏡を見やると、やはり自分が惨めで滑稽なように感じて仕方がない。
けれど、この体型が家族たちに愛さられている証拠だとも感じている自分がいることも気づいている。複雑で割り切れない思いを抱いてしまうから、鏡を見るのはあまり好きでは無い。
さて、こんな私には普通の令嬢と違うところがもうひとつ。それは前世の記憶を持っているということ。途中で思い出したとかではなく、記憶を持った状態で産まれてきたという感じだから転生と言うのが近いのかもしれない。
前世の私の名前は。日本という国で生まれ育った普通の女の子だった…普通より少しぽっちゃりだったけど。ちなみに安子という名前は、日本で昔から親しまれていた甘味の〝餡子〟から取られたもの。
ちなみに餡子は前世でも今世でも大好物!今世の名前もあんこが良かったって思うくらいには気に入っている。
名前の話はさておき、転生してまず驚いたのはここが日本とは全く違う世界線だと言うこと。
前世で見た世界地図にグルラノア王国なんて国は無かったし、今世で世界地図を見ても日本という国の表記はなし。ましてや日本に近しい地形も見当たらなかった。
そしてまた不思議なのは、話されている言語が日本語であるということ。それ以外にも食卓には普通にお米が並んでいるし、餡子が使われていたお菓子だってある。
更に極めつけはトイレだ。日本は食とトイレに本気を出す国という話を聞いたことがあるだろうか?日本はウォシュレットの普及率が世界一高く、またその技術においても最も優れている国らしい。
そしてここグラノアラ王国でも一般家庭から王族に至るまで、どこのトイレでも高性能ウォシュレットがついているのだ…!
けれどこの国の主な移動手段は自動車ではなく馬車。そもそも自動車なんて物は存在すらしていない。
国民は身分制度によって大きく王族・貴族・平民に分けられ、またその中でも細かく身分が決められている。王族や貴族などの比較的高い身分の人々は、夜会やパーティー、お茶会を始めとした社交界に参加する。そこで身につけるものは豪華なドレスに大きな宝石などなど。
つまりこの国は西洋風な文化と現代日本の技術がごちゃ混ぜになっているのだ!今の私が日本のことを現代と言っても良いのかは微妙だけれど。
こんなヘンテコな世界に生まれ落ちて16年、色々な経験を積み重ねてきてついに私は気づいたのだ……この世界は前世で自分が人生全てを捧げるほどハマっていた乙女ゲームの世界であることを…!