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窓際神官は月を見上げる  作者: のむらなのか
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第6話《side:リリールゥカ》

それは一瞬の出来事だった。

警戒はしていたつもりだったし、何かあったとしても対応できると思っていた。

お前はまだ子供だと言われる度に小さく傷付いていたのは、自分は一人前とは言えなくとも昔よりはマシになれたと思っていたからだ。

なのに、声も出せなかった。

男は一人で歩いていたリリールゥカの腕を突然引っ張り路地裏へ引き込んだ。何が起こったのか分からなかった、分かったのは首もとに当てられた刃物らしき感触と、容赦のない男の力で引きずられて大通りから離れてしまったという事。

いつの間にかリリールゥカは押し倒され、男は彼女の上に乗っかっていた。

叫びたいのに、男の膝が腹部を圧迫して息が吸い込めない、咳き込んでしまう。

なんとか逃れようとするリリールゥカを押さえ込む男も必死なのか、それとも苛ついているのか、次第に獣のような荒い息づかいになっていく。

男の膝が一段と深く彼女の腹に食い込んだ。

「黙ってじっとしてろ!!」

男の腹からの怒声。それはリリールゥカのトラウマに触れた。

少しずつ力が抜けていく。抵抗しても無駄、抵抗した方が酷い目に遭うと刷り込まれている。

「……」

「そうだ。……ちょっと我慢してればすぐに終わるからな」

男の指が服のボタンを外そうと動いた。その手は何故か包帯に覆われている…とぼんやり考えた。

彼女は嵐の海を漂う一枚の木の葉のように、何もできない。沈もうとも、バラバラに砕けようとも、ただ嵐が過ぎるのを待つだけ。

頭と心を空っぽにして。

「!?」

突然、彼女に覆い被さる男の顔が凍った。

まるで氷のマスクを着けたように。

「え。……え?」

耳に届いた狼狽した声は自分のものだった。

機能を一時停止して真っ白だった頭の中に、今度は赤い光が明滅を始める。逃げろと合図している。

男は未だリリールゥカに乗っかったまま、顔を押さえ何とか氷を取ろうともがいている。しかし取ることは叶わず、このままでは窒息することに思い至ったのか、氷のマスクの内側から怒りや焦りを含んだ呻き声が聞こえた。

(逃げなきゃ)

そう思うのに。一歩がでない。

(怖い)

逃げて、捕まったら。

……ふと、風を感じた。

天の八重雲を吹き放つ事の如く、清涼な。

風。

唐突に身体が軽くなったと思ったら、上に乗っかっていた男がいなくなっていた。風に飛ばされた訳ではない。風のように駆けてきた人物がその勢いのまま男の顔面を蹴り飛ばしたのだ。

氷がひび割れて、その割れ目から鼻血が幾つもの線になって垂れていく。

誰かが男の視線を遮るようにリリールゥカの前に立った。

顔をあげると灰をかぶったような色の髪と白の法衣が風になびいているのが見えた。肩には浅黄色の帯がかかっている。

「怪我ないですか」

感情の起伏の乏しい平坦な声音が降ってくる。

若い女性の声だ。

「……」

喉にまだ恐怖が張り付いてうまく声が出せなかった。

(……この人)

この女性の写真を見たことがある。あの方の特別な人だと、ナキが言っていた。

確か名前は、

「教会のシナト三級神官です。どこか痛かったり、気分が悪かったりしませんか」

「……大丈夫、です」

ようやく声を絞り出すことができた。前を見据えていたシナトがちらりと視線をよこしてくる。

彼女の身体が目隠しになってよく見えないが、ガッ!とかグッ!とかくぐもった声が奥から聞こえてくる。

(……何かしてる?)

首を動かして覗き込むと、男が地面にうつ伏せになって倒れていた。バタバタと手足を動かしているのに起き上がれないのは、氷の杭が男の首を地面に挟むように固定しているからだ。

男が息を吸い込んだ。吸い込んだ息は罵詈雑言と共に吐き出されるはずだったが、口からは何も出てこなかった。

男が呪詛を撒き散すより早く、再び氷が口元を覆ったからである。しかし今度は鼻は塞がれていないので呼吸はできる。

うーっ!という獣じみた唸り声の主をシナトは無言で見つめている。その横顔があまりに無表情なので、リリールゥカは恐る恐る声をかけた。

「あの……」

「え?」

「あの人……何か言ってる」

「ああ、まぁどうせ大したことは言ってない。ふざけんなとかぶっ殺すとか言ってるんだろう」

リリールゥカに応えたというより独白に近い口調だった。

「……」

リリールゥカは再度首を巡らせ、自分を襲ってきた男を正面から見た。

肉体的にも精神的にも押し潰されるような心地がしたのだ、よほどの大男だと思ったのに、そこにいたのは普通の若者だった。血走った目さえ見逃せば、ごくごくありふれた、むしろ真面目そうにも見えるほどだ。体格も貧相で、ナキやミカエルの方がよほど鍛えている。

……悔しくて、込み上げてくる涙を必死に押さえ込む。

少しは強くなれたと思っていたのに、全然駄目だ。

「何歳ですか?」

平坦な声が先程よりもすぐ側で聞こえた。

「え?」

シナトが屈んでリリールゥカを見ていた。蒼い瞳が冷たく澄んでいる。

「何歳ですか?」

「……15」

「未成年ですね。申し訳ない。未成年の前で暴力行為、良くなかった」

「……私、子供じゃないわ」

「まぁ、確かに。15は子供ではない。でも未成年だから」

「……」

シナトは淡々と言う。

「改めて自己紹介をします。私はシナト、教会の三級神官です。貴方は?」

「あ……リリールゥカです」

「そう、よろしく……と、ちょっと待って下さい。誰だ」

蒼い瞳の神官は厳しい表情になり、リリールゥカを背後に庇うように一歩前に進み出た。

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