第33話《side:シナト》
「置いていかれた」
「シナトさん」
カサネの声に先程までとは違う色が混ざっている。それに気付いて、シナトは少し緊張した。
「何?」
「シナトさんって誰のものです?俺の?」
「いや、違うと思う」
いつもながら脈絡のない、唐突な質問。
(……いや、あるのかもしれない)
多分ある。カサネの中では脈絡はあって、質問には繊細な意図があるのだろう。
「じゃあ、シナトさんの?」
「まぁ……そうだと思うけど」
「そっか。貴女の身体だから貴女は好きにしていいんだね。粗末に扱っていいんだ?」
「そ……いう訳じゃない」
「ふーん?じゃあどういう訳でこんな事になってるの」
カサネの両手がシナトの頬を包み込んだかと思うと、抵抗する間もなく口を食べられた。一見すると口付けみたいだがカサネの瞳は冷静で甘さは一欠片も含まれていない。
「う……」
次の瞬間、シナトの身体の中で起こった変化は不快なものだった。
腹の中で眠っていた蟲が羽を広げブゥゥゥンと飛び立った。
まるで誘蛾灯におびき寄せられるみたいに、シナトの身体を昇っていく。意思をもった何かが身体を逆流してくる、というのはなかなかの不快感だった。
「吐いて」
「ん……ぅ」
泣きたいくらいの感覚……というか生理的な涙はもう出ている。
「可愛い。泣いちゃった」
どうにもサディスティックな発言の目立つ青年を睨もうとして、シナトは固まった。
カサネが小さくて平たい黒い塊を口の端に咥えていたからだ。
「ねぇ、これどうしようか」
「いや、どうしようかって……」
ソレをつまみ上げチョコレートでも扱うような手付きにシナトは焦る。
「俺も食べていい?」
「だめ!」
「ふふ。『だめ!』だって。可愛い。……でも貴女は食べたよね。俺はダメ?どうして?口移しでで食べさせてほしいな。あーん、でもいいよ」
「……カサネ」
「ん?」
「ごめん……。自分を大切にしてないように見えたなら謝る。昼間も同じようなことで謝ったから、何度も嫌な気持ちにさせて、その、悪かったと思ってる」
「……」
カサネの指先からボッと音を立てて生まれた炎が一瞬で蟲を燃やし尽くした。
「でも貴女はまた同じことをする。さっき自分でも言ってたでしょう。『何度同じ状況になっても同じことをする』って。貴女の謝罪は俺を不快にさせたことを謝っているんであって、行為そのものへの謝罪ではないんだよね。だから必ず貴女はまた同じことをして俺を怒らせる。……こういう発言もDV男かな?」
「それも悪かったよ……」
先程の発言を蒸し返されてシナトは素直に謝った。
いつものカサネと少しだけ違う。
いつもの甘やかすだけの接し方ではなく、甘さの中に微かに毒の気配がある。
彼は時々こんな風になる。シナトに細かい傷をつける為に言葉を紡ぐ瞬間がある。そんな時シナトは、カサネは本当は自分のことを嫌っているのかもしれないと思うのだ。
「ねぇ、シナトさんは俺の何が怖いの。貴女は俺の中の異形は怖がらない。でも時々俺自身を怖がってる。今もね。緊張して警戒してる。どうして?」
シナトがカサネを視ている時、カサネもシナトを観察していたのだろう。彼に自分の心の状態を言い当てられてどきりとする。
至近距離から見つめられてシナトは無意識に顔をそらしそうになるが、何とかその衝動に抗いカサネを見つめた。
「……カサネは私に妙なものを与えようとしていると感じる時があって、それが怖い」
シナトが答えると、碧眼に面白がるような光がよぎった。
「へぇ?どんなもの?」
シナトはカサネをじっと見つめながら、思ったままを口にする。
「それを食べたら、目が見えなくなって、耳が聞こえなくなって、何もできなくなる……。そんな怖い物を、私に食べてさせたいと考えているから、怖い。たまに」
カサネが笑った。
「うん、教えてくれてありがとう。じゃあ今日はその『怖いの』についてもっと深く考えてみようか。俺はどうして貴女にそれを与えたいと思ってる?」
「それは……私の言動に気に入らない所があるから、だろう」
「確かに。さっきあの蟲を口に含んだ時、目の前がどす黒くなるくらい腹が立った」
「……」
「それじゃあ……もっと深く深く、ちゃんと考えて。俺が貴女を気に入らないと思って、怖い感情を向けてくるのにどうして逃げないの?家族だから?」
カサネが異常に身体を近付け、腰に手を回そうとする。
「近い、カサネ」
「近いのがどうして駄目?俺のこと家族だってよく言ってくれるじゃない。家族はハグもキスもするのが普通でしょう?それが駄目なのはやっぱり俺達が家族じゃないから?他人なのかな。でも他人ならさ、怖いと思ったら逃げていいんだよ。それなのに貴女は俺から離れていかない。どうして……?」
シナトはぐいーっとカサネを押し返す。
「考えてって言いながら答えを誘導してる!」
「あ、バレた?でも流石にここまですれば俺の導き出したい答えは分かったよね?……ああ、ちょっと待ってシナトさん。まだ少し中に残滓が残ってる……綺麗にしてあげる」
「……っ」
押さえ込まれるように抱き締められて、また口を食べられた。口腔内を好き勝手に舐め取られる。
「……貴女の優しい所好きだよ。けど他の男の力なんて身体の中にいれないで」
「カサネ……怖い」
自分の口からそんな弱気な単語が溢れたことにシナト自身が驚いた。普段なら絶言わない。言いたくないのに。
「怖い物じゃなくて、愛ですよ。シナトさんと俺では愛についての解釈が違うだけ。俺にとっての愛はね、依存性の高い麻薬みたいなものです。まずたくさん愛してあげて、それから取り上げる。まだ欲しがるなら、言うことを聞いてもらう。きちんと言うとおりに出来たなら、また愛する。そういう物を貴女にあげたいです」
「それは愛じゃないだろ……」
「そうかな。じゃあ、どういうものだと思いますか?」
苦手な分野の話だ。けどカサネが真剣な瞳でこちらを見ているから、拙い言葉で伝えようと試みてみる。
「……人を愛するって多分、人生を重ねることだろう。一緒に悩んだり、困ったり、楽しい事も悲しい事も共有して、でも例え一緒にいなくても心の中でずっと寄り添っているような……そういうのが……」
「じゃあ貴女が俺に教えてくれませんか?俺が間違ってると言うのなら」
突然の提案だった。シナトは咄嗟に反応できない。
「俺の恋人になってくれませんか、シナトさん」
「……いや、それは」
「とりあえずお試しでどうですか?もし上手くいかなくても、その時は恋人関係を解消して家族としてやり直せばいい」
「……。今、私を丸め込もうとしてないか?」
「まさか。丸め込むだなんて。俺はいつだって貴女に誠実でありたいと思っていますよ」
「いや、嘘臭いな……。えーと、私は誰かとそういう関係になりたいと思ったことがない。だから」
「分かってます。勿論セックスは貴女の気持ちが追い付いてくれるまで待ちますよ」
「セ……」
「ああ、恥ずかしくて口にも出せない。それとも汚らわしい?」
「違う、けど」
「じゃあそれも怖い?でもむしろ怖いことなんて何もないところに連れていってあげますから、心配しないで下さい」
「あのなぁ……」
「必死なんです」
思いの外真剣な声と眼差しでカサネが言った。
「こんなみっともなくすがるような告白、貴女以外にはしない。……俺に愛を教えてください。貴女が恋人になってくれるなら、これから先なにがあっても……もし俺が異形に心を乗っ取られそうになっても、踏みとどまれる気がするんです」
「……」
「俺の帰る家はここだって、決して忘れないように証が欲しいんです」
「……やっぱり丸め込もうとしてしてるんじゃないか」
「ね……お願い」
懇願がシナトの胸を打つ。
しかし実際は懇願に姿を似せた脅迫が、シナトの胸にナイフを突きつけただけのような気もする。
(どっちだろうな)
シナトには分からない。その特殊な瞳で見透かそうとしても、カサネだけはやはりよく分からない。
それは孤独な魂の哀願か、
それとも詐欺師の囁きか。
シナトはカサネの手をとり、自分の頬に当てた。目を瞑る。
「……」
「どうですか?」
カサネが尋ねてくる。シナトは正直に答えた。
「性欲は沸いてこない。手は出せそうにない」
「そうですか。残念です」
「でも」
頬を温める掌に。
「汗をかいてるなと、思って」
「……」
「少しは緊張したのか」
「……少しどころじゃないですよ」
シナトはふっと笑った。
「全然信用できないな。けど流石に手汗までは操れないと信じよう」
「信じてくれるんですか?俺が本当に貴女を愛してるって」
「ああ、そこは」
信じる、と言うのと同時だった。
引き寄せられてぎゅうぅぅぅっと抱き締められた。慣れているだろうに、力加減を間違えている。潰れるんじゃないかと思う程の力だった。
「好きです。本当です。いつか俺は貴女を殺そうとするかもしれないのに。離れるべきなのに。どうしようもなく好きなんです。貴女が誰かを特別に好きになる前に、貴女を俺のものにしたい」
シナトは素直に驚いた。カサネに似つかわしくない、余計な装飾のない言い方だった。
「……」
自分はいつなく弱気だし、カサネは見たことがないくらい切羽詰まっている。
二人とも全くいつも通りじゃない。
シナトは天を仰ぎ、心を決めた。観念するしかない。
「よし、腹を括った」
「え?」
「付き合おう」
「え。何でですか?」
ベリッと身体を離し、目を丸くしたカサネがシナトの顔を覗き込んでくる。
「何でですかって何だ」
「いえ……貴女って本当に嫌なこと以外はホイホイ受け入れるからいつか付き合えるのは知ってましたけど、もっとごねて思わせぶりな態度をとられてからだと思っていたので」
「おい。ちょくちょく悪口挟んでくるの何なんだ。……まぁ、ちゃんと考えたから」
「もっと深く考えた方がいいですよ。俺の事でたくさん悩んで下さい。これから先どんな良質な人間に出会うか分からないのに、俺に呪われるように愛されてもいいんですか?」
カサネが微笑んでいる。
「いい。これから先色んな人に出会うだろうけど、カサネ以上の心配事には出会わないだろうから」
シナトがため息混じりに言うと、カサネは軽口を引っ込めて沈黙した。
「ただし、条件がある」
碧眼がシナトを見る。
「私はさっきも言った通り、カサネの為には死なない。でもカサネの為に生きて、時間と労力を使うだろう」
「……」
「だからといって私はカサネのものにはならないし、私の全部をカサネが好き勝手できる訳じゃない。私がカサネの為に何をするかは私が決める。その結果私が何かを失うことがあったとしても、それは私の責任で何一つカサネのせいではない。それを忘れないでほしい。それが条件だ」
「……」
ずりずりとカサネの頭が沈んでシナトの肩に鼻先を埋める格好になった。美しい金糸に頬を撫でられてくすぐったいのを堪える。
「ふふ」
「何?」
「いや、貴女は俺が周囲からちやほやされて調子にのってると思ってるんでしょうけど……一番どろどろに甘いのは貴女ですよね」
「そんなことはないだろう」
「ふふ」
「だから……何で笑うんだ」
「だって、ねぇ。付き合うんですか?俺と。貴女に出来る?恋人同士ってどんなことするかちゃんと知ってますか?これから俺とすること言ってみて?」
「手料理を振る舞ってもらう、ペアルックでおでかけ、交換日記」
身体を離そうとすると、するっと手が伸びてきて腰を抱かれた。
「貴女の好きな物を何でも作るし、ペアリングも買いに行こう。恋文も毎晩書くよ。でもそれだけじゃないですよ」
「気持ちが追い付くのを待ちますよ、とのことでしたが」
「この唇に言わせたいことも、させたいこともたくさんあるけど……貴女にはハードルが高そうですね。俺は楽しいけれど、貴女にとっては苦行かもしれません」
「爛れた性生活を送ってきたんだな……」
「俺の好きなことを一緒に楽しめるかなぁ、貴女に。まず倫理観を腐欄させる所からなんだけど」
「ちょっと待て。何させる気だ」
「ふふ」
「腰が引けてきた」
「まぁ、そのうちね。ゆっくりいきましょう」
「そのうち……。いや、いいや。今はとりかえず……リリー達を追いかけよう」
「そうだね」
カサネがシナトの髪を一房すくい、口付けを落とした。
「……」
……その後暫く間、教会もシナトの身辺も随分騒がしかった。
教会はヴァンクリフ一級神官の関わってきた犯罪行為を公表し、教主も一級神官の不正を認めて公の場で謝罪した。
シナトは職務上知り得た情報を漏洩しかけたとして謹慎。
とある兄妹は無事再会し、治療のため教会の関連病院に入院になった。
数週間後、謹慎がとけたシナトの前に見知った顔が三つ、部下として並ぶ事になる……。
けれど今のシナトはまだそんな事は知らない。
とりあえず今はゾワゾワするような不思議な感覚を必死で頭から追い出して、走り出した。




