第32話《side:シナト》
壊れたレコードみたいに自分の罪状を捲し立てていたヴァンクリフが喉を掻きむしりながら倒れるのをシナトは見た。
沸き上がってくる言葉を吐き出すことしかできず、空気を吸い込むことは許されていない。
肺から空気を出しきってしまって、もう声がでない。それなのにまだ喋ろうと口をパクパクさせている。
「……ぁ、……っか」
喘ぐ度になけなしの空気が逃げていき、顔色が土気色に変わっていく。
気絶させれば何とかなるか?とシナトが拳を握りしめた時、パチン、とカサネが指を鳴らした。
途端、ヴァンクリフが勢いよく咳き込んだ。涙と鼻水と涎を床に派手に撒き散らしながら。
「あーあ……可哀想に……」
慈愛に満ちたカサネの呟き。口元には美しい微笑み。
「……」
親衛隊の面々がカサネに向ける目付きの中にはっきりと畏怖が混ざり始めていることにシナトは気付いていた。
最初は警戒と嫌悪が濃かったが、ここにきて畏れの感情が色濃くなってきている。カサネのことを当初想定していたよりもずっと得体が知れない存在だと感じているようだった。
長居は無用と判断したのか、未だ咳き込み続けているヴァンクリフを引きずるようにして白い法衣の一団は足早に去っていった。逃げるみたいに。嫌みも捨て台詞も吐かずに、だ。
「……カサネ。そろそろ威嚇引っ込めろ。俺達ですら息苦しい」
彼らが去った後の庭園で口火を切ったのは白狼姿のナキだった。
「ああ、ごめんね?」
窘められて一転、カサネは春風のような軽やかさで謝罪を口にした。
「怖がらせてごめんね、リリー」
「いいえ、怖くありません。カサネ様」
「私も愛していますわよ」
「うん。ありがとう、ミカ」
「……あんたは?」
え、と思って振り向くと、ナキが真剣な顔でこちらを見ていた。
「あんたはカサネが怖いと思うか?」
「いや……そりゃ怖いでしょ。感情の起伏の激しさがDV男みたいだし。人が苦しそうな時、基本笑顔なのがサイコパスっぽいし」
サクッと言うとカサネが笑った。
「やだなぁ、シナトさん。そんなあっさり俺の人間性を否定しないでよ。ナキが聞いたのは、俺の異形の力が怖いかってことなんだから」
「……ああ。えーと、まぁ人間誰しも欠点を持っているものだから」
「うんうん」
「けどカサネの性質を『誰しもが持っている欠点』の範疇に含むかどうかは審議が必要だと思うけど」
「酷いな」
カサネは目を伏せるようにして穏やかに笑った。
「……」
シナトはカサネに向き直り、名前を呼んだ。
「……カサネ」
「んー?」
「勝手なことをして申し訳なかった。あなた方が気を悪くしたなら、殴ってくれて構わない」
シナトは深く頭を下げて謝罪した。
火の一族に告発文を送ったのも、ヴァンクリフの自害を邪魔したのも、シナトの独断だ。カサネ達にとっての最善の道をシナトなりに考えての行動ではあるけれどミカエルに言われた通り、独りよがりの自己満足でしかないだろう。
……復讐するために、彼らはここにきた。この先ヴァンクリフが破滅しようとも、彼が同じ空の下で呼吸をしていることすら許せないのかもしれない。それは被害者ではないシナトには理解できない感情なのだ。
「私は何度同じ状況になっても同じことをする。無益な血が流れることは嫌いだ。殺さないし、死なせない。カサネが人を殺そうとしたら、殴ってでも止める。例えそれでカサネに嫌われてたとしても。……けど、それは私の生き方で、カサネには関係ない。カサネにはカサネの考え方がある。私の行動は勝手だった。あなた方には怒る権利がある」
「……殴るのはないけど、舐めたいな」
頭上から降ってきたのは、そんな変質的な台詞。
「嫌だよ」
「おや、残念」
返ってきたのは言うほど残念そうでもない声。シナトがよく知っている、人懐っこい笑みも添えて。
「カサネ」
「怒ってないよシナトさん。……貴女って灯台みたいな人だな」
「……?」
どういう意味か測りかねた。思案しているうちに、カサネの話題は別の方向に転がった。
「ところで教主様は公表するかな。どうでしょうね?」
「……するだろう」
「お父様のことを信じている?」
「信じるほど父親の事はよく知らない。けど母さんの事は信じてる。昔、母さんが言ってたろう。『あの人は仕事以外はからきしだけど、仕事はちゃんとやる人だった』って。教主が、母さんを嘘つきにするような男ではないと信じるしかないな」
「ミルフィさんの見る目を信じる?」
「そう。まぁ、自分で言わなきゃ他所から告発されるっていう言い訳も用意したし、言うだろう」
「また、貴女の身辺が騒がしくなるんじゃないかな。暗殺とか闇討ちとか」
「「また?」」
ミカエルとリリールゥカの声が重なった。視線が頬に刺さり、シナトは簡潔に説明する。
「子供の頃から時々そういう人達が来る。教主の本妻から依頼されてきたり、母の元職場からだったり、派遣先は様々だけど」
「……」
シナトの母ミルフィは水の一族の生まれではあったが術力が少なかった。そういう場合は暗殺術を仕込まれて、水の一族の影の部分を担う……らしいのだけど、なんやかんやあって母は教主の護衛を務めることになり、それがご縁で恋人となり、立場の違いから結ばれることは許されず……とか、すったもんだあった末にシナトが産まれる前に二人の縁は切れている。
「母さんの名誉の為に注釈をつけるなら、母さんが教主に手を出したのは教主が結婚する前の事で、別れてからは会いに行ったこともない」
それなのに何故教主の妻があれほど母を嫌ったのか、シナトには分からない。
母は付き合っていた頃に一度だけ貰ったという手紙を最期まで大事にしていたけれど、それだけだ。
幼い頃からずっと暗殺者達の殺気や害意や敵意に晒されていたお陰で、シナトはそういう気配に敏感になった訳だが。
「特別だったからですよ」
柔らかな声でカサネが言った。
「?」
「教主様の心の特別な場所にミルフィさんはずっといた。きっと今も、これからも存在し続ける。その事が奥様は許せないんですよ」
「……」
「俺には奥様の気持ちが分かります。もし貴女が特別な人を作ったら、俺もその存在が許せないでしょうね。毎夜殺したいと願うほどに」
「……ちょっと、何だ。俺達はあの少年の妹が収容されてる施設に向かうか。ヴァンクリフが住所言ってたろ」
唐突に、やや不自然に、ナキが提案した。視線はミカエルとリリールゥカを向いている。
「あ、私も行かないと」
シナトが一歩踏み出そうとするとカサネに腕を掴まれた。
「え、どした?」
「うん、行きましょうね。でもその前に、ソレ。身体から出しちゃいましょうね」
「ソレ?」
「貴女の中に入った蟲」
「ああ……別に放っておいても悪さはしないよ、多分。聖職者の中にいたから弱ってきてるし」
「ダメ」
「じゃあ先に行ってるぞ」
ナキがカサネに声をかける。
「はぁ?嫌だけど。何で二人っきりに」
「来い。いいから」
ナキに袖口を噛まれグイグイ引っ張られて、「ちょっと服に穴が開くじゃない」と文句を言いながらミカエルも渋々ついていく。その後ろをついていくリリールゥカは愛らしく笑って、シナトに向かって控えめに手を振った。
「……」
つられてバイバイと手を振りながらシナトは眉根を寄せる。三人の背中はすぐに見えなくなった。




