第31話《side:カサネ》
『術力は本来肉体を傷つけない』
シナトの声がする。冷たくて透明な声。
術力同士は反発し合うが故に攻撃を受けると傷付くのだという。だから身体の中にある、術力を生み出す場所……核と呼ばれる器官を破壊すればいいのだと彼女は説いた。
『つまり、ここだけ攻撃すれば肉体を大きく傷付けることなく術力の供給を止められる。術者や異形を相手する場合、この核を壊して捕らえること望ましい。力がぶつかり合って周囲へ被害が及ぶこともないし、相手を無力化して拘束できる』
彼女はそう言っていた。
随分昔の話のように感じるけれど、たった半日前の会話だ。
そんなことできるわけない、とリリールゥカに返されていたけれど。
(そもそも異形や犯罪者が多少怪我しても誰も気にとめないのだから)
彼女はいつも考えることが人と少しずれている。
それはその瞳が人と違うからか。
カサネのことも、同胞達のことも、彼女はどう視ているのか。人体実験の末に移植された異形の力。半妖と成り果てて得た、人ならざる力。それが視えているだろうに。視えたなら警戒すべきだろうに。隣り合って立ち話なんてしたりして。
視えているのに、見ない。一点だけでなく、全体を見ようとする。奥に潜む、傷付いた魂を見ようとする。
……決して癒えることのない傷。
同胞達の魂の救済。そこに至る為のアプローチは復讐しかない。
そしてヴァンクリフ一級神官のような穢れた魂を救済する方法もまた、死による断獄しかないはずだ。
(と思うけど、貴女は俺とは違う未来を選ぶだろうな)
シナトはいつも血の匂いのない未来を選びたがるから。
大団円という未来を探す。一度でも誰かの血が流れたら、そんな未来はないのに。
(ないのにな)
それなのに本当は俺もナキもミカエルもリリールゥカも、見たいと思っている。
焼き爛れた実験場を壊して、澄んだ湖を見てみたいと。
……ヴァンクリフが鋭く尖った氷柱の切っ先に向かって勢いよく喉を突き出した。
氷の矛は彼の喉を貫くはずだった。
しかしその直前シナトが手に握ったライターに火を灯すと……爆発が起こった。爆風で彼の肩に乗っていた鴉が吹き飛ばされ、氷柱が吹き飛び、ヴァンクリフの自害は未遂に終わる。
水素爆発だ。
多分水の一族の誰もやってない……というか聞いたことすらないけど、シナトがたまに使う術。水を分解して水素を取り出し、そこに火をつける。
カサネが聖職者となってから二年ほど経つけれど、そんな技を使っているのはシナトだけだ。親衛隊も今目の前で何が起こったのか理解できていない様子だった。
基本的に術力量は多いことが誉れであって、その力をただ捏ねて、丸めて、敵にぶつけるだけでいい。術力の総量で負けている場合は戦術で挑む。のだが……シナトのような術力が生まれつき少なく、そして群れない人が、術力をケチりながら戦うには……と考えた結果、こういう術式を編み出すに至ったらしい。
「な……っ」
ヴァンクリフは拘束されて地面に転がされていて、首と手足は多少動かせても身体はほとんど動かせない。
悪意と欲に染まった術力と穢れた異形の力が流れる身体。
シナトの特別な瞳はヴァンクリフの胸の辺りを見ていた。彼女は靴先に氷のナイフを顕現させると、それで一級神官の胸を蹴りあげた。
氷がヴァンクリフの身体を貫く。
「!」
ナキ達が息を飲んだのが分かった。彼等は恐らく一級神官の胸元を鮮血が染め上げていく光景を想像したに違いない。
しかしその未来は訪れなかった。
シナトは核だけを正確に貫き、破壊したからだ。
術力を失ったヴァンクリフの肉体はシナトの術力の影響を受けない。
パキン、とヴァンクリフの胸を貫いていた氷が砕けて足元に散った。
「……何だ。痛みを感じない、何だこれは」
自分の身体を貫通した氷。その感覚と視角情報。しかし流血と痛みが一向に訪れないことに混乱して、ヴァンクリフが呟いた。
「……」
シナトはヴァンクリフの動揺には一切構わなかった。
彼女はポケットからハンカチを取り出すとヴァンクリフの口に詰め込み、氷のマスクで口を塞いだ。
「舌を噛まないように」
「ぐ、うぅぅぅっ!」
一級神官は反撃しようとしたのだろうが、術が展開されることはない。術力の源泉である器官をシナトが破壊したからだ。
衝撃を受けた瞳で自身の掌を凝視する男に、シナトは淡々と言った。
「核も人体の一部ですから、傷が治癒するように、生きていればいずれ再生します。しかし完全に再生するには少なくとも一ヶ月はかかるでしょう。術力が多い人ほど時間がかかります。貴方は時間がかかりそうですから、しばらく大人しくしておいた方が身の為だと思います。貴方のような、山ほど恨みを買っている人が術力も持たず余計なことをしていると、死ぬより辛い目にあいますよ」
「……っ」
目を見開く一級神官を放置し、シナトは振り返って教主の親衛隊を見据えた。凍てついた湖に波紋は立たない、静かな瞳だった。
「話をしましょう」
「話?これ以上何の話がある」
「ヴァンクリフ一級神官の処遇ですが、教主の決めたことでしょうか。それともあなた方の独断ですか」
「この男は口先だけで実力も知恵も人望も何もない。教会の道化だ。この程度の事、教主様を煩わすことではない」
「そうですか。……それでもヴァンクリフ一級神官は教会の神官、教主の配下の人間です。彼の罪を公表し、教主として謝罪するべきです。教主様はお忙しいので、私と面会する暇はないでしょう。ですから、どうかお伝えください。お願いします」
「……」
返事をするのも馬鹿馬鹿しいという沈黙。
シナトを無視してヴァンクリフの回収を仲間に指示し始めた男の前に回り込み、彼女はめげずに言葉を続けた。
「一級神官のしでかした罪によって、決して癒えることのない傷を負い、幸せであるべき時間を奪われた子供達がいるんです。私達には傷を元通りに治すことも、時間を巻き戻すこともできませんが、せめて真心を見せるべきです。救うために動くべきです。どうか教主には誠意ある対応を。明日の朝日が昇るまでに。そう伝えてください。お願いします」
シナトが頭を下げる。その姿をナキとミカエル、リリールゥカが見ている。
しかし彼女に降り注がれる声は冷徹を極めていた。
「娘にそう言われれば、教主様がほだされるとでも思っているのか?あの方は私情に流される方ではない。教会の権威を保つために聖職者の聖性は絶対だ」
「……娘」
ぽつりとシナトが呟いた。
「教主の娘なら特別待遇してもらえるかな……」
その発言は少し意外で、カサネは目を見開いた。
彼女の中に父親に対する甘えの感情があるとは思わなかった。
親子なら分かり合えるだろうという楽観的な未来予想図を描く人ではないと思っていたが。
「立派に七光れるのか、ちょっと心配ではある……」
そこでカサネは眉をひそめる。
いや、やはりないな。とすぐに考えを改めた。彼女は希望的観測で行動しない。どちらかというと悲観的発想に基づいて行動を起こす。
シナトの言葉はここにいる人々に向けたものではない気がした。彼女の言葉はどこか明後日の方向に飛んでいってしまっている。
それがどこに向かっているのか思い当たった時、まさか……と胸中に驚きが広がると共に何故か確信もあった。
「……シナトさん」
シナトが振り返る。
「どうして『明日の朝日が昇るまでに』なんです?」
先程彼女は言った。
ヴァンクリフ一級神官の罪を公表し謝罪するか、否か。それを朝日が昇るまでに決断しろ……と。
カサネの怪訝そうな視線を受けて、シナトは平然と言った。
「教主が公表しないなら、別の所から公表してもらえばいいと思って。明日の朝、告発文がそちらに届くようになっているからだけど」
「な……っ」
親衛隊の何人かが声を上げた。
シナトの前に立つ男は動じず、鼻をならした。
「どこに告発する?新聞社か?この国のどこに教会の権威を無視できる人間がいる。記事にできるとしたらせいぜい三流の大衆紙だ」
「……シナトさん、どこに告発文を?」
「火の一族だけど」
「火の一族!?」
今度は悲鳴のような声が返ってきた。
火の一族はかつてこの国を救った勇者の末裔。表舞台には滅多に出てこないが、その影響力は絶大である。聖女と勇者が共に国を救ったのは今は昔の話。水の一族は火の一族と長年いがみ合う関係が続いている。
「そちらの方の言うとおり、確かに教主の娘であるという甘えと期待が私にあった。きっと私からの告発文は興味深く読んでもらえると思ったから」
「な……っ」
絶句する聖職者達を見回して、シナトはゆっくり口を開いた。
「とりあえず教主のお手を煩わせるくらいには問題は大きくしているので、やっぱり指示を仰いでもらえます?娘の話は聞かなくても告発者の意見なら聞いてくださるかもしれない」
それからもう一度深く頭を下げた。
「どうか誠意ある対応をお願いいたします」
「……!」
衝撃。それはやや時間をおいて怒りへと変容していく。表情が変わっていくその様をカサネは見ていた。
「卑怯者め」
親衛隊の一人が憎々しげに言った。
毒を塗られた言葉がシナトに投げ付けられた。
(彼女には)
どう見えているのだろう。悪意や敵意に敏感なシナトには自分が想像する以上に禍々しく映っているのではないか。しかし彼女の眼差しが揺らぐことはない。
「例え私をここで殺しても告発文は届くようになっています。拷問されて術を取り消せと言われても、それもできない。一度私の手から離れたら手出しできない術式なので」
シナトの冷静な声は熱した油に一欠片の氷を放り込むよう。
親衛隊の面々の怒りが爆発した。
「神聖な教会に泥を塗るつもりか小娘!」
「力のない者は無責任に権利ばかり叫ぶ。教主様がこれまでどれだけこの国の為に尽力されたか!」
「大層な御託を並べていたが、どうせお前は母親を捨てられた腹いせで密告などという卑怯な真似をしたのだろうが!」
「……」
シナトは黙って己への謗りを聞いている。彼女は気高く美しい。告発など彼女らしくない。しかし彼女は教会の体質を知っていた。ヴァンクリフの罪を隠蔽する可能性が高いと踏んで、そしてそれを許さないカサネ達が教会と争いになる未来を心配して、告発文を火の一族に送っていたのだろう。
そうすることで彼女に対する教会での風当たりがどんなものになるか、どんな処分が下されるか。
……そんな自分の保身など一切考えず、ただカサネ達の為に。
カサネの目の前で糾弾は続いている。
「それとも男にたぶらかされてすっかり言いなりか?火の一族に密告など、凡庸な魂が恥をし」
ゴツッ、とか、べちゃ、とかが混ざった音がした。
罵る声が突然途切れて、静かになった。
カサネは目線を少し下げる。
そこに広がっていた光景は、先程とほんの少し変わっている。
ナキ達はさっきと同じだ。驚いた表情をしているが直立してこちらを見ている。違うのはシナトを除いた白い法衣の人間達だ。
親衛隊全員が膝を付き、頭を床に擦り付けていた。拘束されて膝をついていたヴァンクリフもついでのように平伏している。
……心に何の感情も、感想もなく。ただ屈辱に震える後頭部を見下ろしながら、カサネは呟いた。
「……あれ。俺かな?」
カサネは不思議な気持ちで視線を巡らせる。
自分の内側に眠る九尾の力。自覚なく発動したその力が聖職者達の膝を折らせたか。
「カサネ」
シナトに呼ばれた。振り返って、ああ、と思う。
(動揺している)
傷付けようとして、毒薬をたっぷり塗った矢を放っても、その硬質な瞳に瑕疵を見つけることなど叶わないのに。
シナトの瞳の奥が揺らいでいる。
神秘的な、可愛い瞳。
美しくて、好きだ。
「カサネ」
「ねぇ、シナトさん。俺、貴女が悪く言われるの嫌いだな?」
「そう。怒ってくれてありがとう。けど」
「分かってますよ。……まぁでも、どうして彼らが純白の法衣を汚して床に這いつくばっているのか、俺には見当もつかないけれど」
白々しい言葉を床に投げる。
彼らは親衛隊と呼ばれていたが、恐らく下っ端。末席に引っかかる程度の存在だろう。教主を崇拝し、聖職者の特権意識に酔っている連中だ。
そうでなければシナトに喧嘩は売らない。
この人は野心なんか欠片もない人だから何も気にしていないようだけれど、実は教会の上層部はシナトの事を野放しにできない要注意人物だと見なしている。
悪意を見抜く目を持っているというだけでなく、核を一瞬で正確に破壊する技術、そして繊細な術力制御能力。水から水素を取り出してそれを扱うなんて、他の誰にも真似できない。術力量が少ないからといって侮れないのだ。彼女がその気になれば教主を暗殺することすら可能なのだから。
(そうだ)
彼女は誰の手にもおえない人だった。
「大丈夫ですか?手を貸しましょうか?」
にこやかに声をかけ這いつくばった背中に手を差し伸べると、聖職者達はぎこちなく立ち上がった。
「化け物め……っ」
「まだ一歩手前かな」
化け物の一歩手前。彼女と仲間の存在おかげで。
「……っ」
品のない舌打ちを何とか堪えたのはせめてもの矜持か。
それ以上は何も言わずヴァンクリフを連行し立ち去ろうとする親衛隊を見て、焦ったような顔をしたのはシナトだ。追いかけようとした彼女をカサネは制した。
「や、喧嘩売ろうとしてる訳じゃなくて」
「分かってる。あの少年の妹の居場所を聞き出したいんでしょう?」
何で知ってるんだと言いたげな顔に微笑みだけ返して、カサネはヴァンクリフに近付いた。彼はこちらを見ていた。
「ヴァンクリフ一級神官。今の会話、聞こえていましたか?」
「……っ」
返事をしようとしたかもしれないがシナトの氷で口を塞がれている為にくぐもった声が漏れるだけだ。
カサネが手を伸ばし氷に触れるとパキン、と音を立てて氷が砕け散った。
「カ」
多分名前を呼ぼうとした彼の目を手のひらで覆い、それから耳元で囁いた。
「垂れ流せ」
その瞬間、ヴァンクリフの口から彼の脳味噌に刻まれていた記憶が溢れだした。
あの少年の妹が収容されている施設の場所、その少女が異形の遺伝子を移植される為にその施設にいること。あの兄妹の両親は妹の術力の高さに目を付けた組織が殺したこと。それを強盗による犯行のように偽装しヴァンクリフが処理したこと……。
自分の犯してきた罪を息継ぎもなく垂れ流し、そして話すべき悪行はまだ溢れてくる。……彼は罪が喉につまり息が出来なくなってしまったようだ。
酸欠でひっくり返った一級神官をカサネはただ見下ろした。




