第3話《side:シナト》
「ではプライベートは?」
一級神官からの奇妙な質問にシナトは眉をひそめた。
「プライベート?」
「仕事を離れれば……彼が誰の傍にあってもかまわないと?」
「……」
質問の意味を咀嚼して飲み込むのに数秒かかった。先程からシナトに絡み付いてくる敵意に妙な色が混ざっているとは思ってはいたが。
……この二人、そういう事になっているのか?
いや、一方的な懸想か?それとも合意の上か?
……大丈夫か?
判断つきかねてシナトは背後を振り返って、カサネを見た。カサネはニコッと笑顔を見せる。
「……」
いや、わからん。
色恋沙汰。それはシナトには未踏の大地である。
色恋の要素が混ざると物事は一気に複雑化する。不確定要素が増える。その恋愛劇の登場人物の感情が不安定になり、本人さえコントロール不能に陥るようである。これまで接点のなかった人間を嫉妬を理由に簡単に嫌いになったり憎んだりする。愛故に悪事を見逃したりする。シナトにとって信用度の低い感情が錯綜して、行動を予見しづらい。
シナトは改めて目の前の男をじっくり眺めた。
ヴァンクリフ一級神官。こんな雰囲気だったろうか。
シナトは特段親しくもない一級神官の印象を記憶から引っ張り出す。
ルックスの良さと口の上手さで、民衆の支持を得ている聖職者。
シナトの評価では野心家で、達弁だが内容は乏しい、実は内心では術力の低い者や身分の低い者を徹底的に見下している人物、といった所か。表面上は取り繕ってはいたが、聖職者の殻の内側では赤黒い炎が常に燃焼していた。
しかし今は少し様子が違う。他者から影響を受けている。干渉されて、殻にヒビが入っている。取り繕えなくなっている。何者かの意思が彼に絡み付いていて、それが彼の目と耳を塞ぎ、首に巻き付いている。
「……」
シナトはその澄んだ蒼い瞳で一級神官の更に奥深くを見つめた。
(二色ある)
ヴァンクリフに絡み付く悪意、敵意、害意と呼べる感情。意思。思念。
一つは黒。ドロドロしていて、ヘドロを思わせる。それが幾重にも巻き付いて首輪のようでもあり、絞首の為の紐のようでもあった。
(もう一色は……顔を覆っている)
それは白く柔らかい、極上のシルク。触れただけで離れられなくなる。もう一度触れるためだけに全てを差し出してしまう。目玉を抉り、耳を削ぎ、首を捧げることすら厭わない。むしろ捧げたいとすら、思うような。
「シナトさん」
そこで初めてカサネが口を挟んだ。シナトはカサネを見る。
神々しい程に眩い、発光するような男を。
「……」
「ヴァンクリフ様と少し話があるんです。申し訳ないんですが、先に行ってもらってても?」
「ああ……」
「悪いね、シナト三級神官。彼はよくあなたのことを話していますよ。とても大切な人だと」
「そうですか」
シナトは少し考えてから、口を開いた。
「先程の質問の答えですが。誰の傍にあるかはカサネが決めることです。けれどどうかカサネに与え過ぎないように、と願うばかりです」
「与えすぎる?」
「あまり調子に乗せないよう……」
「はは。しかし愛する人には何でも与えたくなるものでは?」
「そうですか。では、カサネ」
「え?はい」
「貰いすぎないように。手に余るほどのものは」
「……」
「では、ヴァンクリフ一級神官。これで失礼します」
シナトは頭を下げると、二人に背を向けた。すると追いかける足音が聞こえて、腕を掴まれる。
「シナトさん」
「何」
「気を付けて。外には切り裂き魔がうろついているかもしれないから」
シナトは振り向き、カサネを見た。
「気を付けるのは切り裂き魔の方だろう。私……というか聖職者に見つかったら捕まるんだから」
「カッコいいですね。好きですよ」
耳元で囁かれる美声。
シナトが返事を返す前にカサネはくるりと踵を返し歩き出してしまう。
シナトは軽く頭を振った。
しかし甘すぎる声は鼓膜に張り付いて、暫く離れそうになかった。